ここは末吉公園の上の方にあります。この墓は琉球独特の亀甲形(かめこうがた)づくりの初めの頃のものです。高さに比べると横に広く、きゃしゃづくりの唐墓にふくまれます。1,738年に初めて小禄王子朝奇(おろくおうじちょうき)の遺骸を墓の中に納めました。墓の広さは四千余坪もあります。琉球王朝時代の貴族の墓の特徴をよく表しているお墓です。昭和51年9月25日に市の史跡に指定されています。 (6年 H子)
那覇近郊では緑の多いこの末吉あたりは市民の憩いの場所として親しまれています。公園も完成し静かな処です。ここは「末吉宮」やこのお墓もあって散歩しながら史跡めぐりもできていいところです。 (父 H氏)
<学習の手引き>・・・琉球のお墓の種類を調べてみましょう。古いものから新しいものに近づくにしたがって建築の移り変わりが分かってきます。
付則:嘉手納基地 KADENA AB 米空軍・海軍 トリイ米陸軍 普天間基地MCAS FUTENMA 米海兵隊 牧港米海兵隊 キャンプ端慶覧米海兵隊 キャンプ・コートニー米海兵隊 キャンプ・シュワブ米海兵隊 キャンプ・ハンセン米海兵隊
世代・年代にもよると思うが最新情報やコンピュータ関連用語に出会うと遂、億劫になり投げ出してしまう。ところがネットサーフィンしているとコンパクトに纏められた用語集に出合いヤル気満々、意欲が倍増した。早速”私の辞書”に登録し活用させて貰っている。必要最低限の用語が即、活用される状態で配列されているので大いに重宝している。コンピユータ用語等の類書にない特色があって大変、気に入っている。その中からランラムに取り出してみた。以下に記す。・・・
【ニッチ】=すき間のこと。大企業などは手がまわせない需要に応える産業などを指す。
【シナジー】=経営戦略で各部門による相乗作用を生み出し、その効果として利益を出すこと。
【システムインテグレータ】= 顧客の業務内容を分析、問題に合わせて情報システムの設計、開発などの業務を請け負う業者のこと。機種の選定、調達、メンテナンスなども担う。
【コンテンツ】=内容物のこと。中身。
【アカウント】=コンピュータやネットワーク上などの資源を利用できる権利のこと。
【コンテンツホルダー】=[content holder]音楽、映画業界、制作会社などの知的生産物を有する人や企業。
【EC】[electronic commerce]=電子商取引のこと。インターネットなどを利用し、取引や決済を行う取引方法。
【オンデマンド】[on demand]=利用者の求めに応じて提供するサービスのこと。
【寡占】=少数の会社が市場を支配している状態。
【アップリンク】[up-link]=通信で、上り(利用者端末→ネットワークの中心)回線のこと。一般のパソコン利用者からみると、ほとんどの場合送信側がアップリンクとなる。
【ダウンリンク】[down-link]=通信で、上り(ネットワークの中心→利用者端末)回線のこと。一般のパソコン利用者からみると、ほとんどの場合受信側がダウンリンクとなる。
【ペイパービュー】[pay per view]=視聴したい番組があった場合、「買う」というボタンを押したら視聴できる仕組み。
【セットトップ ボックス】[set top box]=CS放送やケーブルテレビで、利用者が持つ機器の総称。テレビの上に置くが多いため、こう呼ばれる。
【イーサネット】[Ethernet]=LANの規格。現在、ほとんどのLANで取り入れられている。
【HTML】[HyperText Markup Languageエイチティーエムエル]=インターネットで、Webページ作成のための言語のこと。
【プロトコル】[protocol]=コンピュータ同士の通信で、データ送受信のための手順や規則のこと。送信側と受信側が同じプロトコルを使わなければ、通信ができない。
【HTTP】[HyperText Transfer Protocolエイチティーティーピー]=WebサーバとWebブラウザなどとの間で、データ送受信の際に使用するプロトコルのこと。
【レイヤー】[layer]=グラフィックスソフトにおいて、絵が描かれている透明シートのような個々の層のこと。
【iTunes】[アイチューンズ]=Apple社が無料配布している音楽管理・再生ソフト。音楽配信サービス「iTunes Music Store」(日本国内では現在、プレビュー機能のみが利用可能)や携帯音楽再生機「iPod」と統合されている。CDからの読み込み、携帯再生機への転送等を一貫して行える。
【mp3】[moving picure experts group 1 audio layar 3 エムピースリー]=オーディオ用として開発された、データを約1/10に圧縮できる規格。
【フォーマット】[format]=記憶媒体の記録方式や規格のこと。
【ブログ】[blog]「Web」「Log」=(日誌)を略した言葉で、日記風Webサイトの総称とされるが厳密な定義は諸説ある。開設が非常に簡単で、リンクとコメントを通じて相互コミュニケーションが可能である。
【マス】[mass]=大衆、群衆、集まり、量の多いもの。
【マジョリティー】[majority]=多数、多数勢力、多数派。
【ノンリニア編集】=ハードディスクドライブなどのメディアにテープの内容を記録し、テープを使わずに編集すること。従来に比べカットの入れ替えが容易になり、加えて編集時の映像の劣化が減った。
【アーカイブ】=記録保管場所。
【アドバテイメント】=アドバタイズメント(広告)+エンターテイメント(娯楽)を組み合わせた造語。
(参考資料・・・ライブドア関連用語より)
現代社会を理解し世相を語るに「イスラム」の知見なしには真相は掴めないし語れない。ネットから検索(出典は忘れ定かでないが)し私が納得した基礎資料を「私の辞書」に貯め置いた。その中からの一端を披露します。現代を読み解く手掛かりになればと思い蛇足ながら記述します。(1)と(2)とを続けて読了して一連の理解が得られると思います。
●イスラム(教)(神の呼び名・アルラー)
イスラムとはアラビア語で<服従・帰依>を意味し、宗教法が即社会の法律・規範と成っている。世界に於けるイスラム教徒(ムスリム)の数はおおよそ12億人とも言われ世界全人口の20%を超え、なお拡張を続ける最大宗教である。ムハンマドが大天使ガブリエルの伝達により、アルラーから与えられたコーランを嚆矢とする。アラブ諸国(シリア・イラク・ヨルダン)西アジア(トルコ・イラン・アフガニスタン)アフリカ諸国(エジプト・スーダン・等)インド亜大陸・東南アジア(インドネシア)・等に於いて拡大を続けている。旧約聖書という基本ソフトを共有し、同一の神を信仰しながらキリスト教との最大の相違は信仰が己の内面のみではなく行動(五行)によって具体的に表わす事により、ムスリムとしての資格を有する事になる。イスラム教徒しての要諦は六信と呼ばれる六項目を信じ、五行と言う五項目の行動を忠実に守る事にある
六信とは
1,アルラー・(神)
2,天使
3,経典
4,預言者
5,来世
6,予定を信ずる事
五行とは
1,信仰告白
2,礼拝
3,喜捨
4,断食
5,巡礼
信仰告白はシャハダと言い「アルラーの他に神は無く、ムハンマドはアルラーの使徒である」唱える事にある。礼拝はサラートと言い「神への服従と感謝」に対する行為で一日五回、夜明け・正午・午後・日没・夜半メッカの方角に向かい礼拝を行う。喜捨は二種類あり一つはイスラム法に定めるムスリム(信者)の所得・所有財産に対して課せられる課税(ザカート)であり所得の1/40を納める義務(その他詳細な規定がある)。一方自発的喜捨(サダカ)がある。断食はサウムと言いイスラム暦(ヒジュラ暦)に於けるラマダーン月(九月)の一ヶ月間、日の出から日没までいっさいの飲食を断つ(日没後はその限りでは無い)こと。巡礼はハッジュ と呼ばれ、ズー・アルヒッジャ月(十二月)の八日から十日までの間定められた順序と方法でメッカのカーバとメッカ東方の聖地を巡礼することである。世界三大宗教の内一番新しく発生した宗教で610年ムハンマドが唯一真実の神アルラーの啓示を大天使ガブリエルが仲介して受けた事項をコーランとしたもので最後の預言書とされている、旧約聖書と言う同じ基本ソフトを持つ、ユダヤ教とキリスト教を研究し尽くされ、規範・法・国法が調和しており 宗教的には完成度が高いとされる。イスラムに於いてはイエスを預言者の一人に認知しているが最後の預言者はムハンマドである。従ってイスラムに於いてコーランは最後の奇跡であり、最終の預言書であるが故に追加変更が不可能な為に、十五世紀オスマン帝国に代表される大いなる繁栄も、産業革命を境として経済・工業技術などに遅れをとる事になる。イスラエルがイスラム圏と比較して現在優位にあるのはタルムードが最初と最後の一ページを空白として柔軟に対応できるシステムにあるのと無関係ではない。しかしイスラム圏は連帯して断食を行い巡礼(メッカのカアバ神殿では同一の服装であり階級の判別は不可能)に於いて王族も乞食も対等であり国境を超えて連帯感は強烈である。この完成度の高いイスラム教は日本人に受け入れられる事はなかった、これはアルラーのみを唯一信ずるイスラムと八百万(やおよろず)の神を頂く日本人とエトスの違い、及び最澄・法然・親鸞など鎌倉佛教の流れの中において戒律を無くした佛教に馴染んだ民族には五行を絶対条件とするイスラム教が浸透する事は将来的にも無いと思惟される。イスラムではコーランを頂点として旧約聖書のトーラー五書ダビテの詩篇・新約聖書の福音書も経典に数えられる。
注1, ムハンマド=メッカの地に生まれ貿易商社に勤め、25歳頃に経営者の未亡人と結婚、後にメッカ付近の洞窟に於いて瞑想に入るようになる、そこに大天使・ガブリエルが現れアルラーの啓示を聞く。
注2, ガブリエル(Gabriel)=ヘブル語で神の人の意味を持ち、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の天使で(神意の伝達者)の役割を果たす。旧約聖書ではダニエルに幻の意味を説明した(ダニエル書)。また新約聖書ではザカリヤに現れエリサベツがバプテスマのヨハネをみごもることを告げ(ルカによる福音書)マリアにキリストの降誕を教えた。キリスト教ではミカエルと共に重要な天使の内に数えられる、ガブリエルは中性的な容姿で翼と光輪をもち、イスラム教に於いてはムハンマドにアッラーの啓示を与えた天使とされる。
注3, 宗派=スンナ派とシーア派に大別されスンナ派が80%を占める、両派の教義上の違いは日本に於ける東西本願寺程度の相違と言われる。
イスラム宗派の概略
スンナ派 ハナフイ―・シャーフイ―・マ―リキー (サウジアラビア・トルコ・インドネシア等大部分)
シーア派 イマーム・イスマーイール・ザイド (イラン・イラク・アフガンの一部)
その他の派 マフデー・カルマット・サムーシー (スーダン・シリア・イエメン・リビアの一部)
現代社会を理解し世相を語るに「イスラム」の知見なしには真相は掴めないし語れない。ネットから検索(出典は忘れ定かでないが)し私が納得した基礎資料を「私の辞書」に貯め置いた。その中からの一端を披露します。現代を読み解く手掛かりになればと思い蛇足ながら記述します。(1)と(2)とを続けて読了して一連の理解が得られると思います。
●イスラム=al-Islam 世界三大宗教の一つである。原語であるアラビア語ではイスラームと発音される。その信徒は「ムスリム」と呼ばれ、ユダヤ教やキリスト教徒と同じようにセム系一神教の流れをくむ。610年ごろムハンマドが洞窟で瞑想していると、大天使ガブリエル(ジブリール)が現れ、彼に啓示を下したと言われている。この時点から、ムハンマドは単なる一商人から、神の言葉を預かる預言者となった。そのような啓示は、彼が死ぬ直前まで続いた。そしてその啓示を正典化したものが、コーラン(クルアーン)である。
<義務行為と信仰箇条> イスラムを信仰する「ムスリム」には、”義務行為”と”信仰箇条”がかせられている。
1.義務行為とは、
イ 公言しなければならない信仰告白(シャハーダ)
ロ 日々の礼拝(サラート)
ハ 一種の社会福祉税ともいわれる、義務的喜捨(ザカート)
ニ 毎年決められた月に行うマッカ巡礼(ハッジ)
ホ ラマダーン月に行われる断食のように、欲望に打ち克つために行われる斎戒(サウム)
2.信仰箇条とは、
イ 唯一神であるアッラーの存在(アッラーフ)
ロ 諸天使(マラーイカ)
ハ アダムやアブラハムなどの諸預言者・使徒(ラスール)
ニ それらの諸預言者に下された諸啓典(キターブ)
ホ 後の審判が行われた後に来る来世(アーヒラ)
ヘ この世に起こるすべてを神がすでにみそなわしているという定命(カダル) これらの義務行為と信仰箇条は総じて六信五行と呼ばれているイスラムは宗教であり、他の宗教と同様に信仰上の生活を規定している。しかし共同体の運営に関する規定がその教義に含まれているように、単なる宗教としてだけとらえると誤解を招いてしまうおそれがある。イスラム世界で常々政教の一致がおこっているのは、そのようなイスラムの理念のためである。
■イスラムとセム系一神教の先人たちイスラムはセム系一神教の流れをくんでいるため、先人であるユダヤ教やキリスト教については若干見下しつつも、その存在と信仰を許容している。これは神はモーセによる人の救済に失敗し、キリストによる救済でも失敗したので、三人目の預言者としてムハンマドを遣わしたとするイスラムの宗教観によるものである。このためトルコ統治時代のエルサレムではユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三者が共存していたが、ユダヤ教とキリスト教はイスラムの存在を認めておらず、後の十字軍へと続く宗教戦争へと発展していくこととなる。ユダヤ人の神殿をイスラム教徒がモスクに作り変えるなどのイスラム側の行動も、この両者の溝を深めた一因であるとも言える。
<付則>・・・
1.中東=《Middle East》ヨーロッパからみて、極東と近東の間の地域をさしていう呼称。通例、アフガニスタン・イラン・イラクおよびアラビア半島諸国をさすが、中近東と同義に用いられることも多い。
2.アラブ=セム系民族の一つ、アラブ人が中心となって国家を構成している国家のこと。そのすべてがイスラームを国教としており、多くの国が中東に位置し、一部の国が石油を産出する。やや曖昧な概念である。これらの国々は政体の違いや貧富の格差を持っていながら、緩やかな結束と連帯意識を持っており国際社会において比較的強い発言力を持つ。この結束には「アラブ人」という近代西欧から移入された「民族」意識による紐帯に加えて、イスラム独特の国家概念(ダウラ)(イスラームの家)が影響を与えていることも見逃せない。
3.アラビア半島=サウジアラビア、カタール、オマーン、イエメンなど
4.中東地域=イラク、シリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナ自治政府など。アフリカ(エジプト、スーダン、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコなど)
5.アラブ諸国に含まれない国=イラン、トルコ、パキスタン、インドネシアなど
6.極東=東の果て。ヨーロッパから見て、最も東方にある、日本・中国・朝鮮半島・シベリア東部の称。(極東 日本、韓国、北朝鮮、また場合によっては中国、台湾などを指す)
7.近東=《Near East》ヨーロッパに近い所にあるバルカン諸国・トルコ・シリア・レバノン・イスラエル・エジプトなどの東方諸国の称。
8.中近東=中東と近東の総称。通例、アフガニスタン以西の西アジアと、リビア以東の東北アフリカの地域をさす。
9.パレスチナ=西アジアの地中海沿岸地方。一般にヨルダン川以西をさす。古くはカナーンとよばれたが、前一二世紀ごろペリシテ人が定着し、名はこれに由来する。オスマン‐トルコの支配を経て、第一次大戦後は英国の委任統治領。シオニズム運動により移住したユダヤ人は一九四八年にイスラエル共和国を建国したが、アラブ人との間で紛争が続いていた。九三年にPLOとイスラエルとの間で暫定自治協定が調印され、九四年五月、エリコとガザ地区でパレスチナ先行自治が開始された。
10.PLO=民主主義と非宗教主義のパレスチナ国家を目指すという基本方針は、後に喧伝された反ユダヤ主義とは一線を画したものである。
11.エルサレム=《平和の町の意》パレスチナ地方の古都。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地で、古くからの巡礼地。キリストの宣教・受難・復活の地。新市街の西エルサレムはイスラエル領、旧市街の東エルサレムはヨルダン領であったが、一九六七年の中東戦争後、東エルサレムもイスラエルが併合。人口、行政区五四万(一九九一)。イェルサレム。
高橋尚子さん見事な復活おめでとうございます。暗い長いトンネルを体験し復活に賭けるアスリートとしての根性に脱帽します。33歳というスポーツマンにとっては引退が囁かれる年齢だが、そういうハンディーをものともせず果敢に再挑戦した「ど根性」に天晴れという外はない。優勝で飾ったゴールは万余の高橋ファンを歓喜させた。”やれば出来る”を地で証明してみせた。今後の日本のスポーツ界、とりわけマラソン界には一エポックを印した事になった。一方、スマイル日本一の宮里 藍こと「藍ちゃん」が今年国内最終戦に臨み見事6度目の優勝を果たした。これ又天晴れという外、言葉が見つからない。二人とも女子アスリートの鏡!日本中を今年も席捲した。実力あっての成せる業だ。だから人気もそれに伴う。高橋尚子が悲劇のヒロインを演じ涙の復活を果たしたのに対し宮里 藍は陽性で明るいチャーミングな物怖じしないヒロインを演じてみせた。高橋尚子が「リベンジ」を象徴し宮里 藍は「実力・安定」を形容する。二人とも低迷がちな女子スポーツ界に活気を取り戻し貢献した。今後の尚一層の活躍を期待する。・・・
『付則』・・・高橋尚子!涙の復活!東京国際女子マラソン東京国際女子マラソンが20日、東京・国立競技場を発着点に行われた。2年ぶりのマラソンとなったシドニー五輪金メダリストの高橋尚子(33)=ファイテン=が2時間24分39秒で初優勝を果たした。高橋は「3年後の08年北京五輪に向けて頑張っていく」と笑顔で復活を宣言した。先頭集団につけた高橋は36キロ手前で一気にスパート。苦渋の思い出の坂・場所だった。エルフィネッシュ・アレム(30)=エチオピア=らを引き離し勝負を決めた。昨年9月末に右くるぶし付近を骨折し復帰が遅れていた高橋は「あの坂に負けたくないという気持ちは持っていた。自分自身の思い出との戦いだった」と話した。タイムは99年の山口衛里(天満屋)の2時間22分12秒、00年のジョイス・チェプチュンバ(ケニア)の2時間24分02秒に次ぐ大会歴代3位の記録だった。2位はジビレ・バルシュナイテ(リトアニア)、3位は03年大会覇者のエルフィネッシュ・アレム(エチオピア)。高橋以外の日本勢は松岡理恵(天満屋)の7位(2時間32分14秒)が最高だった。・・・宮里6勝目!不動(6位)との賞金女王争いは最終戦へ縺れ込む!大王製紙エリエール・レディース最終日(20日・愛媛県エリエールGC松山=6460ヤード、パー72)2打差の3位から出た宮里藍がコースレコードタイの65をマーク、通算12アンダー、204で大会連覇を果たした。今季6勝目でツアー通算11勝目。宮里は優勝賞金1440万円を加算、今季の獲得賞金を1億1437万円余りとし、6位に終わった不動裕理を抜いて賞金ランキングトップに立った。宮里は次週の最終戦LPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップを欠場。21選手が出場する最終戦で不動が14位以内に入れば、不動が再逆転する。(不動との差は64万円・・・さあ、どうなる)
(参考資料・・・毎日新聞(2005年11月20日 01:30)
哲学・思想・宗教書等を渉猟しネットサーフィンしていると出典は忘れたが心に留まった事柄があったので私の辞書に書き留めて置いた。誰にも分かりやすくコンパクトに纏めてあったのでその中の一端を紹介します。
人は死んだらどうなるのか・・・死んだらどうなるのか、あるいは死んだら何処にいくのか、という疑問は実に素朴な疑問として、常に我々の関心のあるところです。ところが、残念なことに、我々には「自分自身の死」を経験することができません。生きている時点で想像している「自分自身の死」は、想像している自分自身からの視点である以上、どんなに考えても表現できることではありません。あるいは、自分自身の死後においても、肝心の経験するはずの自分がどうなっているのか、想像の範囲を越えることができません。結局、人間にとって、認識の限界を超えていることであり、認識できないものは、存在していないのと同じことであるようにも思えてきます。「死後のことは経験を超えているから、それがあるともないとも断定できかねる。芋虫は、さなぎとして死を迎える時、自分がその後、美しい蝶となって空を舞うようになるとは夢にも思っていない。われわれも、その芋虫のようなものかもしれない」、芋虫が本当にさなぎの時、蝶になることを夢にも思っていないかどうかは定かではないのですが、たとえ話としてはなるほどと思わせるものはあります。そして、確かにこの世を生きる我々は芋虫のようである、と思えなくはないのですが、だからと言って、死後に美しい蝶となれる夢ばかりを信じる気にもなれません。しかも、その美しい蝶ですら、死を免れる存在ではないはずです。死を考えることに意味がある。死んだらどうなるのかを考えることと、自分の死を主観的に知ることとを混同してしまえば、結局、自分の死を主観的に知ることはできないから、死んだらどうなるのかという問題自体ナンセンスに思えてしまいます。ところが、死を考えることは、生を考えることと同じくらい、意味を持つはずです。我々は、あるものごとを見て何かを考えるとすると、その対象に対して、まず心の中に勝手な想像を膨らませます。例えば、死に関しても、一言で言うならば、「全てを失ってしまう出来事である」というようにです。つまり、たいていの場合、自分の死を考えることとは、自分だけが消えてしまった世界のことを考えることです。これは、過去に自分以外の人々の死を経験し、その際に何事も変わらずに存在し続ける世界を見てきているために他ならないからです。しかし、自分の死を考えることとは、自分だけが消えてしまった世界のことを考えることなのか、もう一度考えてみて下さい。それは、むしろ遺された家族の視点に近いものがあります。おそらく、自分自身の死を、無意識に愛する家族に成り代わって想像しているのかも知れません。死を「全てを失ってしまう出来事」であると想像してしまうのは、死後にも自分自身を認識している何者かを存続させたいという欲望が作り出している思い込みではないか、そのように考えることがあります。つまり、死後にも存続するもの(霊魂)があると信じる人にとっては、「死とは、全てを失ってしまう出来事である」と言えるのかもしれないのですが、死後には存続するもの(霊魂)はないと信じる人にとっては、「死とは、決して自分だけが消えてしまった世界のことではなくなる」のではないでしょうか。 (参考資料・・・ネット検索による)
哲学・思想・宗教書等を渉猟しネットサーフィンしていると出典は忘れたが心に留まった事があったので私の辞書に書き留めて置いた。その中の一端を紹介します。
輪廻転生について・・・(仏教の死後観)・・・仏教の死後の世界観は古代インド人が考えたものです。インド人は現世を基本的には苦しみの多い世界と考え、以下の6つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)に分類し、死後はこの六道(ろくどう)を輪廻・転生すると考えたのです。お釈迦様は六道輪廻では永遠に苦しみから逃れることができないと考え、極楽世界(輪廻を超越した世界)である浄土を考えたのです。地獄の恐怖が浄土を生み出したと言っても過言ではないでしょう。故人は浄土に往生し阿弥陀仏のもとで仏に成るべく修行をし続けておられるのです。仏教の真の目的は浄土においても仏に成ることです。
(神道の死後観・・・次に、古代日本人(仏教伝来以前)の死後の世界観はと言いますと、神道のそれであります。神道では、死後は他界(たかい)へ行くのですが、そこは不老不死の世界であり、神々の世界であります。いわゆる黄泉(よみ)の国・常世(とこよ)の国であり、今尚大きな影響のある山中他界という考えを以下に記しておきます。神道では、我々は死後に死霊になり、穢れ(けがれ)を持ち、その穢れを浄化する為に祭祀を行い、次第に浄化され、祖霊を経て祖先神になると考えます。この間、約33年から50年と言われます。弔いあげの年数は山中他界観が根拠です。)
1.この世を輪廻する 「人は死んだら、中有(四十九日)と呼ばれる期間内に必ず何かに生まれ変わる」輪廻転生の考え方から言えば、必ずこの世の何らかの生き物として、生まれていることになっています。六道(ろくどう)と呼ばれる六つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)を生まれ変わっている訳です。ここで、注意しておくべきことは、あくまでも「この世」での出来事であるということなのです。つまり、「死後の世界」というようなものが、この世とは別に存在しているとは考えていないということです。
2.何が輪廻するのか? 輪廻転生は、この世での出来事ですから、幽霊に関する話ではありません。念のため、霊魂と幽霊を辞書で調べてみます。新仏教辞典によれば、霊魂とは「肉体から区別された、精神的統一体」とあります。そして、幽霊は「死んだ人の霊魂が、この世に姿を現したもの」とあります。この説明では、輪廻転生した霊魂と幽霊の差がなくなってしまいます。そこのところをはっきりするために、幽霊とは「死んだ人の霊魂が、死んだ人と同じ肉体を持った状態のまま、この世に姿を現したもの」ということと理解して構わないのではないでしょうか。さて、本題に戻って輪廻転生ですが、再度何物かに生まれ変わると言うからには、生まれ変わっているものは何かという疑問が湧いてきます。通常の認識で考えれば、人間は、身体と、身体を司る精神とから成り立っているように思われます。身体とは、肉体のことですから、いわゆる死を以って火葬してしまいますから、「身体が生まれ変わる主体」とは考えにくいと思われます。次に、精神についてはどうでしょうか。精神とは、心と言っても差し支えないでしょう。もしも、輪廻する主体があるとすれば、心の部分に関わっているのではないかと考えることにしてみます。
3.輪廻する主体ミリンダ王は問う。 「尊者ナーガセーナよ、次の世に生まれ変わるものは何なのですか?」ナーガセーナ長老は答える。「大王よ、実に名称・形態が次の世に生まれ変わるのです」ミリンダ王「この<現在の>名称・形態が次の世に生まれ変わるのですか?」ナーガセーナ長老「大王よ、この<現在の>名称・形態が次の世に生まれ変わるのではありません。大王よ、この<現在の>名称・形態によって、善あるいは悪の行為(業)をなし、その行為によって他の<新しい>名称・形態が次の世に生まれ変わるのです。」「心のような言葉でしか表せない抽象的なもの」を「名称」とし、「身体のような具象的なもの」を「形態」と考えて良い、と続きます。つまり、輪廻転生とは、新しい心と身体を持つ「新しい存在」に変わることであると言えます。そして、「現在の存在」が行なった行為(業)は、「新しい存在」に影響を及ぼすと考える部分は、極めて仏教的ではあります。 (次回に続く。<2>)
新聞等を拝読していると過去に幾多と眼にした語句・用語が最近でも散見され認識を新たにする積りで、せっせと辞書を引いている。最新用語も頻繁に引用されているので書き溜めておいたそれ等を僭越ながら後輩の為に公開する事にする。さしあたって必要とした用語の一端をランダムに列挙してみた。・・・
●ああ火宅=〔仏〕〔A(譬喩品)〕三界に平安のないことを火事にあった家にたとえた語。苦に満ちた世界としてのこの世。現世。娑婆(しやば)。
●論難=相手の不正や誤りを論じ非難すること。「を加える」「相手の立論の矛盾を―する」
●思弁=(1)よく考えてものの道理をわきまえること。(2)〔哲〕〔(ギリシヤ) the ria; (ラテン) speculatio〕実践や経験を介さないで、純粋な思惟・理性のみによって事物の真相に到達しようとすること。理論。観想。実践や経験を重んじる立場からは、抽象的理論・空論の意となる。
●資性=生まれつきの才能や性質。資質。天性。
●キャッチ‐コピー=[日 <catch+copy] 特に人の注目をひくことを意図した短い広告文や宣伝文句.
●鷹揚(おうよう)=鷹(たか)が大空をゆうゆうと飛ぶさまから〕ゆったりと振る舞うこと。余裕があって目先の小事にこだわらないこと。また、そのさま。ようよう。 「―な態度」「―にかまえる」
●量刑=裁判所が、処断刑の範囲内で、刑罰の程度を決めること。
●心象=見たり聞いたりしたことが基になり、意識の中に現れてくる像や姿。イメージ。
●表象=〔哲〕〔(ドイツ) Vorstellung〕感覚の複合体として心に思い浮かべられる外的対象の像。知覚内容・記憶像など心に生起するもの。直観的な点で概念や理念の非直観作用と異なる。心像。観念。
●事象=(1)(認識の対象としての)出来事や事柄。「自然界の―」(2)〔数〕 確率論で、さいころを投げるというような、試行の結果起こる事柄。〔哲〕フッサール現象学の基本精神を表す標語。一切の先入見を排除して、意識に現れるがままの事象を直観し、記述しようとする哲学的態度を指す。
●積少為大=自然の素晴らしさを知るとともに、小さな努力の積み重ね が大切(積少為大)だと学び、その後の行いや考え方の礎となりました。 大人になった 金次郎(尊徳翁)は、己の存在が無であれば、生きていられることや。
●命題=(1)題をつけること。また、その題。(2)〔論〕〔proposition〕判断を言語的に表現したもの。論理学では真偽を問いうる有意味な文をさす。また、その文が表現する意味内容をさす場合もある。
●セレブリティー=セレブ[celebrity]名声.名士.
●ねはん(涅槃)=〔仏〕〔梵 nirva 吹き消すこと、あるいは吹き消された状態の意〕(1)あらゆる煩悩(ぼんのう)が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地。究極の理想の境地。悟りの世界。泥(ないおん)。ニルバーナ。寂滅。(2)死ぬこと。また、死。入寂(にゆうじやく)。
●入滅=一般に釈迦の死をいう。
●ぼんのう【煩悩】=〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。
●ないゆう-がいかん【内憂外患】=国内の心配事と外国からもたらされる心配事。内外の憂患。
●逡巡=決断をためらうこと。ぐずぐずすること。
●"Right time, Right Way" =“適材適所”
●領事=外国に駐在し、自国の通商の促進と在留自国民の保護にあたる者。通常、階級として総領事・領事・副領事などの別がある。
●コングロマリット=[conglomerate(集塊)] 【経】 複合企業.種々雑多な業種を次々に合併吸収して巨大化した事業集団(企業).〈現〉⇒カルテル,コンツェルン,トラスト.特に米国に多く,ITT社・キディ社・リットン‐インダストリー社などがその例.
●たいし-かん=【大使館】 駐在国において、大使が事務を執る館舎。国際法では、本国の領地と同一にみなされ、不可侵権をもつ。
●えげん=【慧眼】 〔仏〕 五眼の一。この世の空(くう)であるという真理を悟る能力をもつ目。二乗(にじよう)の修行者、菩薩、仏が備える。
●しねん【思念】=心に思うこと。常に心にかけること。「―をこらす」「天国を―する」
●サイバーファーム=沖縄県那覇市に本社。通販・物流業者向けのシステムインテグレーションとオペレーション業務、経営コンサルティングを手掛ける。ホテル運営など沖縄の観光産業も支援。IR情報
●公理=(1)一般に広く通用する真理・道理。 (2)〔axiom〕(ア)真なることを証明する必要がないほど自明の事柄であり、それを出発点として他の命題を証明する基本命題。
●実相 =(1)実際のありさま・事情。 (2)〔仏〕 この世界の真実でありのままの姿。法性(ほつしよう)や真如の別名とされる。
●不条理=(1)筋が通らないこと。道理が立たないこと。また、そのさま。(2)〔哲〕〔(フランス) absurdité〕実存主義の用語。人生の非合理で無意味な状況を示す語としてカミュによって用いられた。
●モラル・ハザードMoral-hazard=1.道徳的危機。特に保険加入により損害に無関心になり、かえって事故が多発する事から保険会社に生じる危険。2.倫理の欠如。倫理の荒廃。金融機関や預金者が節度なく行動すること。
●がしんしょうたん=ぐわしんしやうたん【・臥薪・嘗胆】=〔「史記(越王勾践世家)」「呉越春秋」などから。中国の春秋時代、越王勾践(こうせん)に父を討たれた呉王夫差(ふさ)は常に薪(たきぎ)の上に寝て復讐の志を奮い立たせ、ついに仇を報いた。敗れた勾践は室内に胆(きも)を掛けてこれを嘗(な)め、そのにがさで敗戦の恥辱を思い出してついに夫差を滅ぼしたという故事による〕敵を討とうとして苦労し、努力すること。目的を達するため苦労を重ねること。肝を嘗(な)む。嘗胆。・・・(その他、多々)
この放生橋(ほうじょうばし)は、守礼門(しゅれいもん)より80メートルほど坂を下った処に円覚寺(えんかくじ)総門があり、その内側に架けられています。この橋は1,498年尚真王(しょうしんおう)の時代に造られた日本で最も古い石造りの橋だと言われています。放生橋(ほうじょうばし)の形は長方形で切石積みになっています。池の底は羽目石貼(はめいしぬり)です。池の周囲は約1メートル内外の石畳が敷かれ、柱、欄干、中柱、羽目には鶴、亀、牡丹、蓮華などが彫刻(浮き彫り)されています。昭和47年5月15日に国の建造物として指定されています。 (6年 J)
橋の柱に「長史梁能及び通事陳義督造」(ちょうしりょうのう、および、つうじちんぎとくぞう)と書かれてあり羽目の彫刻は、この二人(梁能と陳義)の合作だと言われています。また彫刻した陳義は通事とあるので通訳をした人だとされています。 (父 J)
<学習の手引き>・・・閃緑岩(せんりょくがん)で造られた碑や欄干などを調べてみましょう。生産地等が分かると、その経路を辿る事によっても歴史的な意義が分かってくると思う。