世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

ふらりと一人旅への衝動は安やぎと癒しへの旅路!

2012年01月31日 | Weblog
kijhy
時間を断ち、情報を一切シャットアウトし、一人、幽玄の世界に浸る衝動に駈られるのは強ち私一人ではあるまい。情報過多にドップリと漬かった日々を送っている現代人には必要、最小限の心のケアなのではなかろうか・・・。――心の安らぎと癒しが清新な心を取り戻す!!――・・・かつて数十年前、仕事で沖縄 八重山に赴任したことがある。あの雄大な大自然に鎮座した陸と海との見事な調和、自然の造形美が醸しだす不思議な光景は今でも私の脳裏に鮮やかに浮かび上がる。裏石垣への道すがら飛び込んでくる絶景は大陸的な雰囲気さえ感じさせる。見渡す限り山間(やまあい)の麓まで続く田畑は、今では沖縄本島には見られない田舎の原風景となって郷愁を誘う。かつての想い出を想像反芻するだけで身の震えを覚える。今年の夏あたり、ふらりと一人旅にでも出かけようか、と決意をする心境になる。裏石垣の<野底マーペー>には数回、登頂した事があるがそこから見渡す眼下の光景は筆舌に尽くしがたい程、形容しがたい光と風と海・陸との見事なハーモニー・調和に言葉を失う。神の贅沢な造形に又もや身震いする。そこに選ばれた祖先伝来の八重山の民は選民として大いなる誇りを誇示し謳歌してもいいのではなかろうか、と進言したいくらいだ!その事をかつての同僚・親友に伝える旅にしようかと今からワクワクしている。T・Z、M・Kなどの友人と酌み交わす酒の味に舌鼓をうちながら四方山話に時空を超えて思いっきり時を浪費したい。現代人の心のケア、命の洗濯だ!! 心意気の合う親友も連れ添って馳せ参じ様かと思う。全てにチャレンジャーで好奇心旺盛な輩のこと、かつての滞在地、西表舟浮きの宿舎を訪問するのもこれ又、旧交を温める機会になろう。空虚な心に郷愁を駆り立てられながら今夏の旅を待つ事にしよう!!  

石原新党?に視界不透明!

2012年01月30日 | Weblog
ijuyt
石原都知事が79歳の老体に鞭打って政界最前線に打って出る?! 日本の政治家の不甲斐なさを露呈した態様だ。予てから色目旺盛な亀井国民新党党首が石原都知事の担ぎ出しに成功?した様な様相になってきた。平沼 たちあがれ日本代表との三巨頭を中心に民主党・自民党有志が構成メンバーに名を連ねる構想である。何故、今、現時点なのか! 捻じれ国会の二進も三進もいかない現状に業を煮やした亀井氏が仕掛けたのである。自民党の不甲斐ない体たらく、内部抗争、若手中堅と老練ベテランとの世代間の乖離でバラバラの党内事情、マニフェスト違反の攻めの一辺倒で衆院解散総選挙を絶叫するだけの政策無き貧弱な態様、それでは国民は着いてこない。他方、与党民主党・内閣はどうか、負けず劣らず消費税増税(8%→10%→17%→無制限?・・・)と社会保障と税の一体化をゴリ押しする一方で斬新な展望ある政策がない。それでは国民はウンザリ辟易するのが関の山である。・・・そこに業を煮やした憂国の士?が登場した、という構図になった。・・・さて、石原新党の前途はどうか?! それも視界不透明である。民主党・自民党の有志が構成メンバーになる可能性は皆無に等しいからである。―― 選挙と絡んでいるからである ―― 因みに「政界再編」を睨んでの打ち出の小槌(70~80議席)であるが、とらぬ狸の皮算用である。大阪市民から絶大な人気で台頭した大阪維新の会の橋下市長を取り組んでの構想もあるが、橋下市長は寧ろ、小沢一郎氏に傾斜している。4月の判決待ちというところである。従って「石原新党?」の前途は暗雲立ち込める視界不透明が現状である。

沖縄の「守り本尊・神社・拝所・寺院」全紹介

2012年01月29日 | Weblog
ikjhy
沖縄の民間信仰では身を守る<仏の守り本尊>がある。干支・亥年の守り本尊は年度によって異なる。那覇の習慣では<十二支ヌ御寺回り>と<十二カ所巡り>といって首里にある4寺院にある自分の<守り本尊>に健康・安全・繁栄を祈願する。"干支"と"守り本尊"と"寺院"を紹介する。

【守り本尊】
●子・千手観音菩薩(せんてかんのんぼさつ)慈眼院(首里観音堂)
●丑・寅・・・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)・・・慈眼院(首里観音堂)
●卯・・・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・・・西来院(だるま寺)
●辰・巳・・・普賢菩薩(ふげんぼさつ)・・・慈眼院(首里観音堂)
●午・・・勢至菩薩(せいしぼさつ)・・・慈眼院(首里観音堂)
●未・申・・・大日如来(だいにちにょらい)・・・盛光寺
●酉・・・不動明王(ふどうみょう)・・・安国寺
●戌・亥・・・阿弥陀如来(あみだにょらい)・・・西来院(だるま寺)

【神社・拝所】
○波上宮・・・那覇市若狭1-25-11・・・098-868-3697
○天久宮・・・那覇市泊3-19-3・・・098-863-3405
○識名宮・・・那覇市繁多川4-1-43・・・098-853-7225
○沖宮・・・那覇市奥武山町44・・・098-857-3293
○沖縄神社・那覇市首里鳥堀町5-62(弁が岳)098-868-3697
○八幡宮・・・那覇市安里3-19-14・・・098-863-8716
○末吉宮・・・那覇市首里末吉町1-8・・・098-868-3697(呼)
○沖縄県護国寺・・・那覇市奥武山町44・・・098-857-2798
○普天間宮・・・宜野湾市普天間1-27-10・・・098-892-3344
○泡瀬ビジュル・・・沖縄市泡瀬2・・・098-939-6265(呼)
○生天光神明宮・うるま市与那城字屋慶名945・・・098-978-7874
○宮古神社・・・宮古島市平良字西里1-1・・・0980-72-6137
○漲水神社・・・宮古島市平良字西里8
○下地神社・・・宮古島市下地字洲鎌571

【寺院】
△照太寺・・・伊江村字西江前1189・・・0980-49-2128
△観音寺・・・金武町字金武222・・・098-968-2411
△真常寺・・・読谷村字大湾464・・・098-956-2182
△成田山(福泉寺)・・・中城村字伊舎堂617・・・098-895-2076
△城徳寺・・・北中城村字安谷屋525・・・098-935-5309
△与勝寺・・・うるま市勝連平安名2884・・・098-978-2281
△桃原山球陽寺・・・沖縄市山里3-7-1・・・098-933-6431
△龍福寺・・・沖縄市泡瀬2-16-10・・・098-939-3167
△安国寺・・・那覇市首里寒川町1-2・・・098-884-2735
△護国寺・・・那覇市若狭1-25-5・・・098-868-1469
△真教寺・・・那覇市西2-5-21・・・098-868-0515
△西来寺(だるま寺)那覇市首里赤田町1-5-1・098-884-1077
△大典寺・・・那覇市松山1-9-1・・・098-868-3491
△袋中寺・・・那覇市小禄692・・・098-857-4984
△佛立寺・・・那覇市おもろまち4-15-1・・・098-860-6767
△万松院・・・那覇市首里当蔵町3-4-1・・・098-884-5629
△臨海寺・・・那覇市曙1-18-19・・・098-861-2009
△道心寺・・・豊見城市字翁長206-2・・・098-850-9783
△洪済寺・・・与那原町字板良敷1121-1・・・098-945-1018
△普照寺・・・八重瀬町字志多伯733-2・・・098-998-2883
△妙徳寺・・・南城市大里字古堅266・・・098-946-1719
△浄土寺・・・糸満市字阿波根562・・・098-992-2202
△龍宝山祥雲寺・・・宮古島市平良字西里4・・・0980-72-2393
△金剛禅寺・宮古島市上野字野原岳1189・・・0980-76-6060
△南海山桃林寺・・・石垣市字石垣285・・・0980-82-2142
△誓願寺・・・石垣市字大川821・・・0980-83-2279
△八重山本願寺・・・石垣市字登野城68・・・0980-82-8207
△冨崎観音堂・・・石垣市字新川1605・・・
△喜宝院・・・竹富町字竹富108・・・0980-85-2202

伝統文化の発掘と再生で地域の格差是正を!

2012年01月28日 | Weblog
kiuy
都市と地方、正規社員と非正規社員、中高年と若者、世代間の格差、勝ち組と負け組・・・と挙げれば限がない。官民挙げてその是正に奔走しているが成果が上がらない。市場原理・経済による規制緩和の負の遺産である。一部の識者の指摘ではネオコン・新保守主義は終焉を向かえ新たなる枠組みが登場していると。グローバルスタンダードは知のフレームの新生で激変すると先見の明を披瀝している。私も賛同する一人である。日米同盟を基軸とするスタンスには近未来、変更はないものと思うが軍事力、経済力、資源力等においてここ数十年は圧倒的に米国が優位を保持してきたが、台頭する中国やインド、ロシアの動向には看過できない情勢がでてきた。日本の経済水域にまで中国軍艦が平然と出没している。爾来の米国一辺倒の日本のスタンスは変更を余儀なくされる時期にきている・・・。知のアンテナを四方に広く張り巡らし日本の近未来に適合する枠組みを再構築する必要性が迫られている。政治家は右往左往する事なく熟慮・熟考すべき時期に来ている。一国独自の政経枠組みの構築では最早、通用しない。全ての枝葉末節に至るまで世界の事相・事象・事態に連動しているからである。何れにせよ資源小国の日本は加工貿易を堅持する事に終止符が打たれる。有能な人材育成とトップ技術・サービスで世界に打って出る<他国と自国>との“循環経営”で生き抜く構えを構築すべきである。そういうスタンスで世界と互角に渡り合わなければならない。諸々の手法を取り入れつつ生き残りを賭けなければならない。翻って国内の格差縮小も平行的に解決すべき喫緊の課題である。地方、過疎地でも生活はおろか生存さへ保障されない窮地に追い込まれている。政治はそこにこそ光を当てなければならない。同時に地域自体も自助努力で生活の糧を得るために生き残りを賭けて必死に開拓する智慧を出して新たなる地平を切り拓くべきである。その取っ掛かりが地域に埋もれた「伝統や文化」の発掘であり<再生・復活>である。どの地域にも祖先が営々として築き上げたその地域独自・独特の文化があり伝統がある。そのオンリーワンを目指して再生し復活させ全国にアピールして自地域に足を運んでもらう事である。<地域の再生・復活は地域の手で!>を合言葉に推進すべきである。全国に公募してアイディアを募り広告する。地方紙を駆使すれば記事として取り上げ無償で掲示してくれる。智慧の出しどころで勝負を賭ける。先進県の事例が数多あるので、それを参考にして活用すればオンリーワンの秀逸の事例を生み出せる。たとえば一事例として企業流出に悩む大阪府は「天満天神繁盛亭」をオープンさせて賑わいをみせている。これも観光客誘致の起爆剤となった(上方文化の伝統を取り戻した例である)。5000万人の観光都市 京都でも更なる誘致で工夫を凝らし商議所のハイテク企業が「小倉百人一首文化財団」を設立し「時雨殿」を嵐山にオ-プンした。地域の伝統的文化力に注目した創出である。過疎に悩み閉鎖寸前の村落が再生する切っ掛けは、その地域独特・独自の“伝統文化の掘り起こし”に賭ける情熱である。アイディアでの勝負である。もう一度見直そう!“吾が村の文化を!伝統を!”その復活の鍵は、そこ等に幾らでも転がっている。【掘り起こそう!祖先伝来の<吾が村>の希少価値の文化を!!】 離島・過疎地、山魚村出身の私の願いでもある。・・・


国会の質疑応答の揚げ足取りにウンザリ!

2012年01月27日 | Weblog
kiuyt
言葉尻を捉えて追及するパターンに終始する野党、特に自民党のそれにはウンザリする。もっと建設的な意見対案はないのか、辟易する。内部抗争に明け暮れる自民、民主の与党、野党第一党にしては情けない。政治の劣化を具現している。世界の潮流に着いていけない日本の政治の稚拙さを露呈している。今日も昨日の質疑のオウム返しの重複質疑があった。もう何をか言わん也である。対案どうしで論戦を展開する健全な与野党攻防なら傾聴に値する。でも言葉尻の揚げ足取りでは、又か、でチャンネルを切り変えるか、スイッチをオフにするかの何れかである。私は途中からスイッチを切った。聴くに値しないと考えたからである。以下、省略。・・・

自民党 何でも“反対・反対党”になってしまった!?

2012年01月26日 | Weblog
kiuy
自民党に復活の夜明けは来るか??! 否である。大多数の国民は、そういうイメージしか持っていない。揚げ足取りの定番用語が「反対」。そういう様な党に受け取られてしまった。記者会見でも質問に対して想定内の応答が高確率で的中する。大半の国民は、又か!とウンザリする。他方、野田首相の施政方針演説は、具体的な数値目標や工程表に欠けている難はあるが迫力があった。市井の識者や評論家は、本気度に疑念を持って論評しているが根拠に説得力を欠いている。自民党の幹部も総花的で白々しいと扱き下ろしているが党内のコンセンサスも得ていないのは民主党と同列である。両党とも足元がグラつき揺らいでいる。批判するなら項目ごとに具体的な数値目標や工程表を示した対案を提示して本格的な論戦を挑むべきである。それが当面の野党第一党の責務である。それがないから「何でも<反対(党)>」というイメージを国民に植え付けてしまった。民主党同様、党内改革が先決である。

ニライの海に日は昇る !

2012年01月25日 | Weblog
ijuy
真紅に燃えた朝焼けの天空
日いずる島に日は又昇る 
島の風は嘆き地底の音色は響く
島の唄は悲鳴と悲痛の叫び
海上の小船は波間に揺れて
無力の民は精一杯のレジスタンス
声なき声は誰が聴く 
老母の細腕渾身の抵抗
あゝ!運命の島・島嶼よ! 
何時の日 晴れて笑顔が見られる? 
ガンジーの無抵抗の抵抗も 
類似のそれも弾丸となれないのか! 
粘りの連続が何時か日の眼をみる 
待とう待とう!その日の来るまで!!
・・・仮想――沖縄辞世の句――・・・


グローバル化の実態 その光と影! 

2012年01月24日 | Weblog
tghy
何時頃から「国際化」から→”グローバル化”へと変遷してきたのだろうか?東西冷戦の頃までは「国際化」の呼称が世界のトレンドだった。つまり80年代までだ。冷戦終焉後の90年代から俄かに「グローバル化」がクローズアップされ主流になって来た。有り体に言えば「国境を越えて人、モノ、商品、情報、労働力、サービス、資金、資源が自由に行き交い活性化する状況」になってきた。国家間の規制が緩和され市場をダイナミズムに推進する経済活動の方向に基軸が移ってきた。光の面が出て来た。その反面、世界的経済の熾烈な競争によって国家間及び国内の貧富の差が拡大され表面化してきた。同様な負の状況が自国の歴史、伝統・文化の面でも指摘され、その破壊に繋がりアイデンティティーの喪失の危機に晒される、と此れ又幾多の問題点が指摘されてきた。2,000年初頭の「イタリアG8サミット」で市民による大規模な”反グローバリズム”デモが展開された。グローバル化の推進によって派生する問題の除去・阻止、即ち<社会的格差を根絶しよう>、<環境破壊を阻止しよう>、<伝統文化の破壊を阻止しよう>等が叫ばれ提唱される様になってきた。現在の「グローバリゼーション」は米国を主流とするアメリカ化、国際通貨基金の”ワシントン・コンセンサス”に収斂されている。一国支配の米国化の潮流は、もう終焉に近い。世界のトレンドから乖離している。従って、新潮流が台頭してきても可笑しくはない。むしろ遅きに失するくらいだ。・・・私の考えるこれからの世界の潮流は、「進展する科学技術の成果と経済の正の面を摂取し如何に,<ローカル性>を取り入れて<国家の独自性>を発揮し発展させるか、に懸っている、と考えている。(その国の民族の伝統文化、風習、風俗、歴史、個々の地域に根差した文化等々の独自性を発揮して発展させるか、に、懸っている、と考えている)

沖縄丸ごと散策「沖縄年中行事」概観!

2012年01月23日 | Weblog
kjuyt
郷土を愛し愛郷精神に根ざし祖先の息吹を知るには、その土地の行事、とりわけ年中行事を概観するのが理解がはやい。古き良き村落共同体が原型に近い状態で残っている処も在るので其れ等を観る事によって行事の本質も見えてくる。

・2月
●お願解き(ウガンブトゥキ)新暦<2月2日>、旧暦<12月24日>、七曜「水」、六曜{大安}。
●節分 新暦<2月9日>、七曜「木」、六曜{赤口}。
●旧正月 新暦<1月23日>、旧暦<1月1日>、七曜「水」六曜{先勝}。
●火の神迎え 新暦<2月12日>、旧暦<1月4日>、七曜「土」六曜{仏滅}。
●初お願い(ハチウガン) 旧暦<1月中の吉日。
●トゥシビー(生年祝) 新暦<2月18日~3月2日>、旧暦<1月10日~1月22日
●十六日祭(シーミー・新仏)新暦<2月24日>、旧暦<1月16日>、七曜「木」六曜{仏滅}。

・3月
●春分の日(彼岸) 新暦<3月20日>、七曜「日」、六曜{赤口}。
●二月ウマチー 新暦<3月24日>、旧暦<2月15日>、七曜「木」、六曜{仏滅}。

・4月
●清明祭 新暦<4月中>。
●第21回全日本トライアスロン宮古島大会・・・新暦<4月中>。
●浜下り 新暦<4月11日>、旧暦<3月3日>、七曜「月」、六曜{大安}。
●三月ウマチー 新暦<4月23日>、旧暦<3月15日>、七曜「土」、六曜{大安}。

・5月
●那覇ハーリー 新暦<5月5日>、七曜「木」、六曜{大安}。
●沖縄復帰記念日 新暦<5月15日>、七曜「日」、六曜{大安}。

・6月
●四日の日(ユッカヌヒー)・ハーリー 新暦<6月10日>、旧暦<5月4日>、七曜「金」、六曜{友引}。
●五月ウマチー 新暦<6月21日>、旧暦<5月15日>、七曜「火」、六曜{先勝}。
●慰霊の日 新暦<6月23日>、七曜「木」、六曜{先負}。
●豊年祭(八重山) 旧暦<6月吉日>。

・7月
●宮古まつり 新暦<7月下旬>、旧暦<6月15日>、七曜「水」、六曜{友引}。
●六月ウマチー 新暦<7月20日>、旧暦<6月15日>、七曜「水」、六曜{友引}。
●与那原大綱曳 新暦<7月31日>、旧暦<期日変更あり>、七曜「日」。

・8月
●旧七夕 新暦<8月11日>、旧暦<7月7日>、七曜「木」、六曜{先勝}。
●アンガマ(八重山) 新暦<8月17日~19日>、旧暦<7月13日~15日>。
●旧盆 新暦<8月19日>、旧暦<7月15日>、七曜「金」、六曜{先負}。

・9月
●トーカチ(88歳の祝)新<9月11日>、旧<8月8日>、七曜「金」、六曜{先負}。
●トゥバラーマ大会(八重山) 新暦<9月16日>、旧暦<8月13日>、七曜「金」、六曜{友引}。
●八月十五夜 新暦<9月18日>、旧暦<8月15日>、七曜「日」、六曜{仏滅}。
●秋分の日 新暦<9月23日>、七曜「金」、六曜{先負}。

・10月
●那覇大綱引 新暦<10月9日>、七曜「日」、六曜{先負}。
●カジマヤー祝い(97歳) 新<10月9日>旧<9月7日>七曜「日」、六曜{先負}。

・11月
●首里文化祭 新暦<11月3日>、七曜「木」、六曜{大安}。
●石垣島まつり 新暦<11月上旬>。

・12月
●冬至(トゥンジー) 新暦<12月22日>、七曜「木」、六曜{先勝}。

“辺野古”の海鳴りが聴こえる丘に佇む!

2012年01月22日 | Weblog
nhyt
80余年の風雪に耐え、生き抜いた歴史の生き証人は年輪を眉間に深々と刻み、そのシワは一層、顔面全体に濃厚な谷間を形成する。沖縄のオバーの象徴が、そこには在る。無垢な純粋さが体感から滲み出て物事の道理を語っている。沖縄オバーの本質は理屈抜きに明るく、それは過去の長閑な歴史を想起する風貌である。同時に現状を憂うる眼もある。そこには過酷な歴史が在り、沖縄の現状・現在を象徴し代弁する顔である。・・・翻って自他が歴史を語るに過去の過酷さや残酷さを、よく披瀝するのが常套手段だ。異端的小島の土俗の民に同情の他国的視野での哀れみ的憐憫の眼差しを向け、そして語り時には同志的連帯を強調する(意識階層のヤマトゥンチューのそれ・・・)。自己をカムフラージュし地域に耽溺する事によって、その地域の市民権を得ようとする。そうしない事には自己存在の連帯的アイデンティティーの定義が証明できないし”生きる”テーゼも曖昧模糊となる。真の自己存在証明は土俗の地域に生き運命共同体の中で地域と命運を共にする覚悟が必須である。その覚悟が地域の民に歓迎され体感されて初めて本物になる。即ち、そういう“覚悟があるか、どうか”に懸っている。連帯し運命共同体の一員として土俗の民としての行動を共にするのなら地域から公認されるであろう。そこから本質的な連帯行動が本物として機能し大の魔物(日米両政府)をも突き動かす機動力となる。・・・運命に翻弄される“辺野古沖の海”は誰のものか。米国や日本政府のものではないはずだ。祖先伝来の土地や海は固有の土俗の民の物である。普遍的法的制度は人類の知恵の集積として定義され公認されて機能してきた。国際条約、その手続きの批准も世界的に承認され機能してきた。その範疇で解釈し援用しようとする。・・・関連する個々の法規や国際法、日米共同声明等々・・・数多在る国際上位法から各国の憲法・法令・法律~下位法、条例に至るまで法の網の眼に張り巡らされ見動きが取れない。識者や専門家は、特に官僚は、その範疇で解釈し援用しようと必死になる。かような官僚、評論家諸氏の言動は奇異に映ってならない。事は、もっと単純にシンプルである。原点に還る事に拠って解決を観ることが出来る。即ち、「民主主義」の原理原則に基づくならば単純明快に解決をみる事ができる。 あの沖縄オバーの眼差しと眼からは何と映っているのだろうか。かつてはサンセットの夕日を眺め一日の安らぎを得て家路に着いた。あの長閑な在りし日が取り戻せないのか、と嘆息混じりに辺野古の海を観つめ幼少の頃の遊び馴れた、この丘に佇み、沖縄のおばーは、嘆息する。あの頃の長閑な“辺野古の海”の潮騒を聞きながら感慨深げに沖縄おばーの一日は暮れて行く。・・・


脱原発:原発10.25円 火力9.91円 水力7.19円!

2012年01月21日 | Weblog
iuhy
現在でも原発は全国供給の3割を占めているが“脱原発”は不可能ではない。非現実的でもない。賛否両論があるが日本の科学技術の水準からして近い将来、再生可能エネルギーの3割水準を確保する日も否定できない。日進月歩・破竹の勢いで技術は進歩しているし展望が拓けている。政府は原子力発電の運転期間を40年で廃炉にし、例外的に20年延長を決めている。東電福島第1原発の教訓は、想定内・想定外を問わず<原発は破綻した>事を証明した。・・・にも関わらず経済界に配慮してか未練がましく継続を示唆している。私の結論としては、「脱原発」を目指して再生可能エネルギーの開発に、それこそ満身の力を込めて“ネバー ネバー ネバー ギブアップ”で、政府は最前線で音頭を取って推進すべきではないのか。・・・日本民族の子子孫孫の永続的繁栄の為に原発を廃止し、再生可能エネルギーにシフトするのが日本の執るべき方途であると確信する。・・・原発は、決して<コスト安>ではない(通説)

※附則:(1キロワット当<技術開発コスト、立地対策費を含む>)
・原発・・・10.20円
・火力・・・ 9.91円
・水力・・・ 7.19円
◎事故後の放射能被害の莫大な処理費用、被災地(民)の生活困窮の復旧・復興、風評被害等々を勘案すれば原発神話の崩壊は賛否を問わず是認できる。

◎ドイツの脱原発の教訓・・・再生可能エネルギーの割合は、2000年は、(6.4%)から2010年には(16.8%)に引き上げられた。“やれば出来る”事を証明した。あらゆる方途を尽くして困難を打開するのが政治の側面でもある。

リーダーの資質は他者への批評・批判の言質で決まる

2012年01月20日 | Weblog
yhgtr
不用意な言葉が命取りになった事例は過去に数多、例示された。官民、凡人を問わず目指す地位に手の届く処まで営々と辿り着きながら不用意な発言(失言)によって失脚した有能な人材の事例は多い。そのため将来、有望視されながら惜しくも失脚した方が何と多かった事か。現役の重鎮にある方でも例外ではない。言葉尻を捉えて批判するのは本意ではないが、凡人なので、この際、苦言を呈したい。全く同じ内容の意見や提言でも凡人のそれと違い、衆目の一致する、御偉方の(それ相応の地位にある方の特にマスメディアを通しての)意見表明、陳述、対話、評価、批評、批判等は国民注視の的であるだけに逆評価されかねない。野田政権の閣僚も、官民、政財界から苦言、批判が続出した。更迭された閣僚は、確固とした詳細な調査による批判は将来のため有益だが、ろくに調査もせずに推測で発言しているとしか受け取れない様な批判?が多かった様な気がする。私淑し尊敬の的だった方が、その様な有り体では憂慮される。批判の対象が企業ならば年商、数百億円で従業員、数百人、株式、上場しているか、社会的評価は、どうか等を加味しての総合的評価で断を下し批評、批判するのが通例だと思うが、そうではなかった。・・・因みに10年以内で年商、数千億円、従業員数、数千人、株式は上場している、国民的人気度も高い、となると業界では優良企業にランクされるのが普通ではなかろうか・・・。何々のせいだ、とする様な短兵急な批判は的を得てないが、リーダーたる者、自己の言質に責任を持って国民には開陳してもらいたい。・・・

「琉球王国のグスク及び遺産群」パート7(終章)

2012年01月19日 | Weblog
iuytr
八、「玉陵」(たまうどぅん)・・・沖縄最大の破風墓(はーふーばか)で尚家歴代の王族を祀ってある墓である。ここは守礼門から西へ下る、かつての綾門大道(あやじょううふみち)の左側、現首里高等学校の南隣にある。第二尚氏王統三代の尚真王が父の尚円王の遺骨を葬るために1,501年に見上森(みあげむい)から此処へ移したといわれている。高さ2メートルの石垣に囲まれた広さ2,400平方メートルの墓域である。戦前は、うっそうと茂った小森になっていた。第一門と第二門の間に琉球石灰岩の切石で組み立てられた台の上に閃緑岩の碑が建っている。これには「尚真王以下九人の子孫以外は、この墓に葬ってはいけない」と書かれている。又「玉陵石彫獅子」も在り沖縄の代表的な破風墓になっている。沖縄の埋葬の歴史は古く風葬から崖葬、火葬へと変遷してきた。「玉陵」は掘込墓で、その上に屋根を付けた破風墓の代表的な墓になっている。かつて柳 宗悦氏は「琉球最大の墓であるばかりか、その幽玄さに於いても世界で稀でいる。」と賛美し感嘆している。・・・

九、「「園比屋武御嶽石門」(すぬふぁんうたきいしもん)・・・守礼門から円覚寺へ向かって20メートル下った左手に在る。石門は中国風で琉球王家の拝所である。琉球王が外遊する時、旅の無事を祈って祈願し旅立った処である。扉以外は全て石造りの木造建築である。尚真王時代の1519年の建造で当時は中国との交易が盛んであった為、その影響を多く受け日本と中国の優れた技術を取り入れた琉球の代表的な石門の一つになっている。(八重山竹富島の石工“西塘”の代表作である)。アーチ門は2個以上で組み立てられるのが普通であるが1個で造られているのも当時としては稀代の作であった。恒例として“東廻り”(あがりうまーい)の時は必ず、ここ「「園比屋武御嶽石門」に祈願して旅の無事を祈って旅立ったのである。・・・
付記:“東廻り”(あがりうまーい)とは国王はじめ<聞得大君>(きこえおおぎみ――国王の姉妹――)が神聖な拝所を廻って旅の安全を祈願する為の儀式である。



「琉球王国のグスク及び遺産群」パート6

2012年01月18日 | Weblog
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六、「斎場御嶽」(せーふぁーうたき)・・・知念村役場から東へ徒歩10分、北の山道を5分歩いた処にある。正面から観ると直角三角形で岩が岩にもたれ掛かった恰好になっている。国王は多彩な国事を、この聖地で催したが毎年旧暦2月と8月頃になると国王自ら“天の神”と“地の神”を祀ったとの事である。琉球王国第一の聖地である久高島への遥拝所になっている。ここは神聖なる処故、男子禁制、女性のみの立ち入りが許可されていた。琉球最高の女神官<聞得大君>(きこえおおぎみ)――国王の姉妹――が女神官になる時の儀式「御新下る」(うあらうり)もここ斎場御嶽で執り行なわれた。その時は臣民、農民にいたるまで沿道ぞいに多数、参列したという。今でも拝所の敷石下から勾玉(まがたま)、青磁器等が発見されている。平成13年6月に国の重要文化財に指定されている。・・・

七、「識名園」(しきなえん)・・・真地公民館横の十字路の信号灯を南に行くと左側に熱帯植物園の生い茂った処がある。そこが“識名園”であり“王家の別荘”である。1,800年の尚温王の築園で東苑の“崎山御殿”(さきやまうどぅん)に対し首里の南に位置するので南苑と呼ばれていた。広大な識名園は室町時代の心字方式の造りになっており中心には池を配し東西には二つの中島がある造りになっていた。中島と陸には中国風の橋も架かっていた。池の周辺には石灯篭や建物が在ったが去る第二次世界大戦の沖縄戦で灰燼に帰した。現今の「識名園」は教育委員界や関係者の渾身の努力で復元され当時の面影を今に伝えている。此処にある“育徳泉”は天然記念物のシマチスジノリの発生地でもあり碑も建立されている。・・・昭和51年1月30日に国の名勝に指定されている。・・・


「琉球王国のグスク及び関連遺産群」パート5

2012年01月17日 | Weblog
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四、「座喜味城跡」・・・読谷村座喜味城原の遠望のよい高台にある。県都那覇から約30km北上し国道58号線に沿って残波岬を目指して左折する途中に在る。西暦1,420年代読谷山按司、護佐丸が築いた城で約6,800平方メートルもある。城壁は中城城壁と同じ造りで石と石の間を隙間なく埋める<亀甲乱れ積み>、一名“あいかた積み”と<布積み>、一名“とうふ積み”から成っている。城門はアーチ型をした<アーチ門>である。30人~50人位が住んでいたと推察されている。良港の長浜港を有し中国はじめ東南アジアとの貿易を盛んにし一大富を築いたと言われている。尚巴志が北山を討伐した後に護佐丸は山田城から、この座喜味城へ移って来たと言われている。戦前は旧日本軍が高射砲陣地として戦後はアメリカ軍がレーダー基地として使用していた。現在は城跡広場でオペラやコンサートが開かれ“子ども芸術劇場”等が上演されている。平和の砦としての機能を今後も継続していきたいものである。昭和47年5月15日に国の史跡に指定されている。・・・

五、「今帰仁城跡」・・・北部の今帰仁村字今泊のハンタ原に在る。築城年代は不明だが西暦1,200年代末頃から1,300年代~1,400年代に完成したと推察されている。城壁は八つの城郭から成る多郭式の平山城である。城壁は全部、自然・天然のままの古生期石灰岩を積み上げて造られている。高さは5m~10mもあり城郭はほぼ完全に残っている。一部破損したところも修復され古い城の面影を今に伝えている。他府県の城郭・城壁の角は角ばっているが沖縄・琉球の城壁は丸みを帯び恰も平和の象徴でもあるかの様に屹立している。台風銀座、沖縄・琉球ならではの先人の知恵の結晶、象徴の具現であろう。昭和47年5月15日に国の史跡に指定されている。・・・