世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

「戦争の世紀」から”テロの世紀”へ一参考資料編― 

2005年12月25日 | Weblog
イスラム法(シャリーア)に基づいたイスラム国家の建設を理想としている。シャリーアは、アラー(神)の啓示である聖典コーランや、預言者マホメットの言行録ハディースなどに基づき、刑法、民法から生活上の規範まで規定している。シャリーアに従えば、既婚者の婚外交渉は石打ちの死刑に処せられる。未婚者の性行為や、飲酒も百回のむち打ち刑となる。植民地時代に西欧の法体系が入り込んだ穏健派諸国では、これらは犯罪にならない。現代のイスラム国家建設の例としてよく挙げられるのが、イランとサウジアラビアだ。政治と宗教が分離している西欧のキリスト教諸国とは違い、政教一致体制だ。1,979年にイラン革命を指導した故ホメイニ師は、世襲王制による世俗政権の腐敗を攻撃し、イスラム法学者による共和制を実現して周辺諸国の原理主義勢力を刺激した。81年にはエジプトのサダト大統領が原理主義組織「ジハード」(聖戦)に暗殺された。聖地メッカのあるサウジでは、18世紀にアラビア半島に興った厳格なイスラム改革運動(ワッハーブ派)と、大富豪のサウド家が結びついた。シャリーアが最も広く適用され、「原理主義国家」と呼ばれたりする。一方、サウジには湾岸戦争を機に「異教徒の軍隊」米軍が駐留し、原理主義者から指弾されている。ビンラディン氏がサウジ出身であることも偶然ではない。原理主義はインドネシアなどの東南アジアから、ウズベキスタンなどの中央アジア、アルジェリアなどの北アフリカ諸国までイスラム世界全域を覆う。非合法組織が多く、全体像は明らかでない。最大勢力のエジプトの穏健派「ムスリム同胞団」は第二次大戦後、100万人を誇った。 例えば「ムスリム同胞団」は福祉、医療サービスを手掛け、非暴力で理想国家建設を目指している。スポークスマンのフダイビ氏は「ひとたび暴力に訴えれば、コントロールできなくなることを知っているからだ」と話す。九二年のエジプト大地震の際、被災した貧困地区に真っ先に救援物資を届けたのは同胞団だ。去る総選挙では同胞団系議員が初めて当選した。組織に属さなくとも、コーランの教えに従って厳格な暮らしを目指す、武力闘争と無縁の人たちも多い。反対に、武力による政権打倒を呼び掛け、その後の過激派組織に大きな影響を与えたサイード・クトゥブ(,66年に処刑)という人物は同胞団出身だった。テロは「聖戦(ジハード)」と呼ばれる。エジプトの最高位法学者(ムフティー)、ナセル・ワセル師は「聖戦は自らに降りかかってきた攻撃を止めるための自己防衛の手段だ」と強調する。「ハマス」などパレスチナの原理主義組織の占領者イスラエルとの戦いは聖戦となる。戦闘機や戦車などを使うイスラエルの「国家テロ」に対する自己防衛とみなされるからだ。自爆テロも、パレスチナでは「殉教」とみなされ、「勝利者」として天国で最高の場所を与えられる。自ら進んで爆弾を体に巻き、殉教する若者が増えるのは不思議ではない。罪のない人々が犠牲になった米中枢同時テロの場合は自己防衛ではなく、「重罪だ」(ワセル師)というのが穏健派法学者の一致した見方だ。過激なテロがやまない背景には貧困や腐敗などの社会問題が存在するとの指摘もある。カイロの原理主義組織関係者は「公正な選挙がなく人権も守られない国で、変革手段としてテロ以外に何があるか。それはイスラム世界に限ったことではない」と話す。いずれにせよ、資本主義と社会主義の「冷戦」に刻印された20世紀が終わり、21世紀は人種・民族と並び、宗教が地域紛争の火種となりそうだ。
1  イスラム法に基づいた純粋なイスラム国家の建設を理想としている。現代国家ではイランとサウジアラビアが代表的だ。
2  武力闘争を支持しない穏健な組織もある。福祉、医療を手掛けたり、選挙など平和的な手段を通じて社会改革を目指す。
3  自爆テロは「殉教」とみなされ、天国で最高の場所を与えられる。背景には貧困や腐敗などの社会問題が存在するとの指摘もある。

付則:イスラム原理主義は、キリスト教のプロテスタント運動のひとつ「ファンダメンタリズム(根本主義)」をイスラム教に当てはめた言葉と言われる。このため、研究者の間では意識して「イスラム復興主義」「イスラム覚醒」などという言葉を使うことが多い。激派、テロリズムと同義と受け取られやすく、「怖い」「危ない」というイメージがつきまとう。しかし、「イスラム原理主義=テロ」ではない。ムスリム同胞団のフダイビ氏は「原理主義は、西側やイスラエルのメディアが、イスラム教徒を分断するために使っている。本来、イスラム教には存在しない言葉だ」と批判している。 {出典:ネット上の北海道新聞}