世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

わが母の人生行路!(その2)

2012年02月29日 | Weblog

私は中学1年まで伊平屋島で過ごしたが、母は私を連れて沖縄本島の石川へ移転した。そこでは“飴玉作り”と“ハチャグミ”(沖縄方言・・・小麦に強烈な圧力をかけて膨らまして黒糖で練って小さなボール球くらいにした沖縄お菓子)作りで生計を立てた。毎日、飴玉をむさぼり、ハチャグミを食べて登校した。とても美味かった。友達に飴玉とハチャグミをあげて得意になった日々であった。元気者の母は疲れも知らず毎日お菓子作りに勤しんだものである。50代の頃である。まさか、そういう母が認知症になるとは夢にも思わなかった。石川では数十年、過ごし、私が高校生になるのを見込んで中学3年の2学期には那覇へ転校させた。石川中学に3年の1学期まで在籍した。城岳中学校(私達が3期生で廃校になった)から受験し那覇高校へ合格した。その頃は天下の優秀校で沖縄では第一級の進学校でもあった。那覇高校生というと他高校生が羨ましがった位、羨望の的の高校であった。私たち那覇高校生は意気揚々と闊歩したものである。それから3年生になり大学受験を控え朝夕・夜中まで受験勉強に明け暮れた。そのあおりで、私は肺結核に罹ってしまった。闘病生活2か年。無事、退院し日々の日常に戻った。卒業は2期下の1年生(1年生が3年生になり)と共に卒業した。それから私の波乱に満ちた人生が始まるが、母の人生行路がメインだから割愛する。那覇では10名くらいの炊事の仕事をして生計を立てた。母の手、一つで私を育ててくれた。今、認知症の母を思うと独りでに涙が出てきてやるせない思いがする。

わが母の人生行路!(その1)

2012年02月28日 | Weblog

北緯27度、東経127度に位置する沖縄諸島、最北端の島「伊平屋島」に私の母は生を受けた。大正10年12月10日である。伊平屋島の北端、“田名”が母の故郷である。伊平屋島は南北に細長いエンピツ状の山地の多い緑豊かな島である。現在も自然の原風景が見られる山紫水明の島国である。そういう処に生まれた母が羨ましい。・・・さて、現在は「認知症」で施設の世話になっているが、若かりし頃は男勝りの女傑であった。この回想は長男である私が有りのままの母の追憶を辿りながら認めることにする。・・・運動は幼少から得意ではなかったが水泳だけは、上手かったと自慢していた。貧しい農家に生まれた母は、沖縄本島の某所に身売りされた(詳細は省略する)。そこで、ある男と知り合いになり僕が誕生したことになる。これからが波乱に満ちた母の人生が始まる。・・・

わが血族 叔父(母の弟)の追憶!

2012年02月27日 | Weblog

母の弟の叔父は船長であった。鹿児島行の大型旅客船の船員で経験を積み、数十年後に晴れて故郷 伊平屋島の船長となった。船名は「伊平屋丸」。120トン余の小型船である。でも当時の離島航路では唯一、無くてはならない客船であった。人命を預かる重大使命を担う貴重な職責である。小中学の頃の私は、そういう叔父を誇らしく思った。・・・余談だが・・・母の兄弟姉妹は皆、出世頭である。私の母だけが普通の典型的な沖縄女性であった。―― 叔父は在職中、一人の事故者も出さず離島航路の安全無事を果たし目出度く引退した。中学卒であったが自力で独学し船長にまでなったのである。5人の子供のうち男2人は、大学まで卒業させた。女2人も高校を卒業させた。天晴れ!というほかはない。そういう叔父も私は尊敬している。退職後、数十年して階段から落ちて寝たきりになり、回復の見込みもなく、あの世へと旅立った。今では叔父の子供たち、私の従兄弟姉妹どうし年に数回、逢って雑談を楽しんでいる。わが血族は、永遠なり!である。
※付記:現在は500トン余の大型フェリーとなっている。少々の強風でも、ゆったりと運行している。

わが血族 叔父(母の兄)の追憶!

2012年02月26日 | Weblog

逝ってから既に数十年の歳月が過ぎた。私の母が一番 尊敬していた長兄である。幼い私にもその事が手に取るように分かった。何かにつけ母は長兄の叔父を褒めていた。一族ではただ一人の教員であったからだ。当時の離島僻地 伊平屋では大出世の部類に属する。そういう兄を持った母は何かにつけ誇らしげに自慢した(その母も今では93歳の高齢で認知症になっているが・・・)。叔父の記憶を辿ると、私が小学校5,6年生の頃、よく友達にいじめられた。「おい、君の家には、白紙とエンピツが、どっさりあるだろう? 明日、エンピツ3本と白紙30枚、持ってこい。持ってこないと許さんからなあ!」と脅迫とも苛めともつかない卑劣な言葉で私を苛めた。叔父が教員で私の家には唯一、学用品がある、と知っていたからである。叔父に気づかれない様に、コッソリと盗んで、その悪童にやったものだった。そういう日が、長く続いた。エンピツや白紙が少しずつ無くなるのを、叔父は、とっくに知っていたが、微塵にもそのことを私に言わなかった。当時の伊平屋は、赤貧洗うが如し、で疲弊し貧しい生活を強いられていたからである。“学用品がある”という事自体、大変なことであった。だから、叔父は黙視していたのである。その叔父も校長になってから数年後に58歳の若さで、あの世へと旅立った。人格円満、典型的な教員タイプの叔父であった。

肉親になる事は“摩訶不思議”青天の霹靂である!

2012年02月25日 | Weblog

肉親になる事は“摩訶不思議”、“青天の霹靂”である!
地球の誕生も、人類の誕生も、“摩訶不思議”の一語に尽きる。全ての誕生や生成、成り立ちの謎?必然等の因果関係は、<絶対者・神>のみぞ知る。38億年の地球史を得て人類誕生の5,6百万年史。そして遂に現代人の祖先が誕生して今日に至った。・・・さて、だ! 私の言いたいこと、胸中は、親となり子となり、孫が誕生し血縁関係が結ばれる。そして兄弟・姉妹となり肉親、親類、親戚縁者となって<血族の絆>が結ばれる。―― 親殺し、子殺し、肉親殺し等々は無視する ―― どんなに科学が発達し寿命が延びても、人は(生命)100年そこそこしか生きられない。誕生から死への道のりを、ひたすら走り続ける。それが我々人類の運命であり宿命でもある。生存期間の100年そこそこは気の遠くなる様な人類史から観ると、ほんの 点 (・)にしか過ぎない。世界を俯瞰しても、この「同時代」に生きてきた人々(チャーチルもヒットラーもプーチンも東条英機、小泉首相も野田総理も、そして君も僕も、親戚、知人・友人、同級生等々も、この同時代に共に生きてきた)は、何時か死別する(勿論、現在の生存者もいるのだが・・・)。身内に敷衍すると、肉親(親子、兄弟姉妹、孫)となる事は、必然であり、偶然であり、運命であり宿命である、とも言える。それは“赤い糸”で結ばれた固い絆の関係にある。その事は大事件に匹敵する。だから、そういう関わり、絆 を後生 大事にしなければならないと、私は強く思っている。たった 点(・)的短い生存期間でしかないこの肉親の存在を絶対者の意思に従って生きなければならないと私は思っている。従って、この生涯をお互い有意義に生きないといけない。親子の絆!孫との絆!兄弟姉妹との絆!この“摩訶不思議”な絆を、大事にしなければどうする!? 最近、頻りにそう考え思う様になった。


わが一族“おばー(祖母)”の想い出!

2012年02月24日 | Weblog

私のおばーは58歳の若さで逝ってしまった。今にして思えば当時の女性の平均寿命からしても早すぎた死だった。当時でも女は87歳の平均寿命であったからだ。人懐っこくて特に私を可愛がってくれた。記憶の襞をたどると、おばーは典型的な沖縄の女性特有の寡黙な人だったが、やさしく諭す孫への接し方は人一倍、愛情のこもったものだった。子供ながらに、よく分かった様な気がしていた。ある時、離島僻地の伊平屋島から都会の那覇に出てきた。私は母と那覇で暮らしていたからだ。そこへおばーが訪ねてきたのである。田舎者のおばーである。見るもの聞くもの、全て新鮮に映ったに違いない。あれは何だ?これは何?・・・と頻りに問うてきた。有りっ丈の知恵を絞って、私は、そういうおばーに、精いっぱいの持てなしで応えた。心地よかった。田舎者のおばーに応えてやる心地よさは今でも忘れない。もう遠い遠い記憶の彼方の出来事だが、今でも鮮やかに脳裏に浮かぶ。・・・私の“おじーよ!”、 私の“おばーよ!”有難う。生前の楽しい出来事に私は幸せいっぱいだった。時々、追憶を辿りながら、おじー と おばー との思い出を反芻するよ!

わが一族 “おじー(祖父)”の想い出!

2012年02月23日 | Weblog

頑固で好々爺の“おじー”であった。わたしが小学校3,4年生の頃、寒い冬(沖縄の冬といっても本土のそれとは比べものにならなうくらい暖かい冬だとはおもうのだが・・・平均気温10度前後・・・)の最中、山にウシの草刈に行かないと夕飯を食べさせない。それ程、厳格な おじー であった。モッコ一杯にウシに食べさせる草を刈って担いで帰ると満面笑みを浮かべ喜んで迎えてくれた。夕食の膳では、おじーの子供の頃の苦労話に花を咲かせてトツトツと語ってくれた。又、その話が面白かった。寒い草刈りの辛さも忘れておじーの話に夢中になった。・・・想い出、尽きない幼少の頃の回想である。何故、今頃、おじーの想い出なのか、私にも分からない。偶然の思いつきである。数多ある中の一断面である。当時の田舎、沖縄の僻地・離島(伊平屋島)の生活は、裕福ではなかった。半農半漁が大半の生活の糧を得る術だったが、事業家の素養を持つ おじー は、当時としては、珍しいアイディアマンで「瓦工場」を創業した。売れに売れて、大儲けをしていた。子供の私にも分かった。事業家としての面目躍如であった。その他、多々あるが割愛する。次回は、おばー(祖母)の想い出を認める事にする。

小沢氏無罪で橋下維新会との連携が政局の大トレンド!

2012年02月22日 | Weblog

いよいよ大物の登場で政界が俄然面白くなってきた。無罪確定で実質稼働・行使・復帰?!で、あの石原新党?と愛知、名古屋の連合軍等々との群雄割拠の様相を呈してきた。久々に新風吹きすさび政界に政局を睨んでの深謀遠慮が展開される。やはり小沢一郎氏は、風貌豊かに大物で風情が有る。日本の真のカリスマである。政治とカネに塗れた代名詞の御仁であると一般化された方である。そういう風評をものともせず日本政界に君臨するあたり、やはり異色の傑出した人物である。裏街道を行く怪しげな政治家ではあるが、政治手腕は他の追従を許さない。その証拠に氏の信奉者が多勢を占め党内第一党の小沢派を形成している。・・・そういう氏のカリスマ性に憧れた人物が橋下大阪市長である。彼の率いる<維新の会>との連合軍が誕生したら、愛知・名古屋連合軍や石原新党?の敵ではなくなる。第三極の誕生で「政界再編」が視野に入ってくる。既成政党に辟易している国民には新鮮に映る。と言うより「第三極」の誕生を待ち望んでいる。4月のジャッジで無罪が確定した後の政界が魅物で眼が離せない。今後を注視したい。

若き日の記憶の彼方から!

2012年02月21日 | Weblog

若き頃、一途に認(したた)めた「私の辞書」の断片、懐かしく反芻しながら紐解いてみた。・・・

○party = 党、政党、組、一行、特に登山隊。宴会

○大義=国や君主に対してなすべき道。人のふみ行うべき重大な道義

○道義=人の行うべき正しい道。道徳のすじみち

○君主=世襲による国家の統治者。王。天子。皇帝

○天子(天皇・天帝の子)=天命を受けて人民を治める者。国の君主

○天帝=帝釈天<たいしゃくてん>仏教=天にあって宇宙を主宰する神

○君主制(政)=△皇帝・国王・大使などの君主が国家の主権者・統治者であり、常設的な元首である政治形態。しかし現代では、一般に、公選された大統領をもつ「共和制」に対置して用いられる

■歴史的に君主制は・・・

●専制君主制(古代エジプト王国・ペルシヤ帝国・マケドニア王国・イスラーム諸国や、中国の秦以後の歴代王朝など)

●制限君主制(中世ヨーロッパの封建国家)

●絶対君主制(15世紀末から17世紀にかけてのフランス・スペインなど)

●啓蒙専制君主制(エカチェリーナ2世の統治したロシア、フリードリヒ2世の統治したプロイセン王国など)

●立憲君主制(名誉革命後のイギリスに始まり、現在はイギリス・オランダ・ベルギー・デンマーク・スウェーデン・ノルウェーなどにみられる)


■プレス=新聞、新聞社、報道機関

■深謀遠慮=ずっと先の事まで深く考えて計画を立てること

■春秋の筆法=春秋のように批判の態度が中正できびしいこと。間接の原因を直接の原因であるようにいう論法。厳格で公正な批判的態度のこと(「春秋」は五経の一つで、その書き方が、厳正だったことから)

■レアルポリティック=現実的な政治権力

■「国家の目的」・・・最大限の国益の追求のこと

■「名言三昧」・・・私は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。交渉に当たる者に与えられる任務は、いかにして相手を欺瞞するかにある。国家は極端なエゴイストであり、そのエゴイズムが、最も狡猾で悪辣な狐狸となることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗き見るならば、何人も戦慄を禁じ得ないであろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争なのである。」(「昭和の三傑」)・・・

■マッカーサーは軍人としては優れていても、虚々実々の外交交渉の場においては、<狡猾な老外交官幣原>に<負けた>のである。それから70年余、後代の日本人たちは、幣原の作ってくれた「憲法第9条」のおかげで、<歴史上未曾有の繁栄を楽しんできた>。そしていま、「愚かな政治家たち」が、この<最大の宝物を捨てる>のが「日本のためだ」というような<愚論>をならべたてている。・・・

エコロジー・生態学と環境保護等にまつわる相関性!

2012年02月20日 | Weblog

「エコロジー」を<生態>と<経済>と<経営>の視点から紐解いてみる。・・・

●“エコロジー”=(生態学)・“ecology”。“境保護”、“自然保護”、“ecology”。
ヘッケルの造語である。生態学の訳語は三好 学による。生物の生活を環境条件との関連で研究する学問分野。個体を対象とした生態学は動物行動学や動物社会学が扱う領域となり生態学は久しく群集生態学と個体群生態学が主流であった。群集生態学では遷移、食物連鎖、生態的地位などの概念を介して、生物群集の構造と機能が解析され、また生態系の概念を、物質およびエネルギーの流れによって裏付けられた。個体群生学は捕食者と被捕食者の関係などを中心とした個体群の動態を数学的手法を用いて解析することに力が注がれた。1960年頃から世界的に台頭しはじめた行動生態学(進化生態学、あるいは社会生物学)は行動や社会も含めて、群集や生態学を形作る生物間の関係を進化的な観点から総合する試みである。即ち~・・・→環境科学 →行動科学 →生物学へと~・・・。

●「経済」の側面・・・初期のエコロジーは植物を対象にした植物生態学だったが、その後、対象は動物、更に人類も含む生物全体に拡大し、20世紀初頭には生物学の総合分野としてエコロジーの基礎が出来上がった。最近では環境問題が深刻になってきたため、エコロジーの対象は生物学の研究室を離れて<全人類的な自然環境、社会環境の問題>に拡大してきた。現代のエコロジーは・・・
1.水、酸素などの無生物
2.草木、森林などの植物
3.肉食動物、草食動物などの動物
4.バクテリアなどの分解体
――の4要素で自然環境が調和を保っているとし、それが汚濁物などによって均衡が崩されたため、このメカニズムにメスを入れることが大きな役割とされている。1997年に科学技術会議がまとめた「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画」でエコロジーの研究は重点領域に指定された。

●「経営」の側面・・・生物集団とその環境との相互関係を総合的に研究する学問。公害問題がクローズ・アップされるのに伴って脚光を浴びるようになった。自然環境は水や大気などの無生物系、草木などの植物系、動物系、それにバクテリアなどの分解系の4つの系が1つの循環システムを作っており、それで微妙な均衡が保たれている、というのがその基本的な考え方となっている。

●「食物」ビジネスの側面・・・本来は環境や生態(学)の意味だが、公害や地球の温暖化・砂漠化、オゾン層の破壊、酸性雨などの自然破壊に対する消費者の関心の高まりを受け、環境保護への対象などを総称して用いることが多い。1992年にリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)をきっかけに、日本でも市民・企業レベルでの環境保護運動が活発化するなど、環境問題に対する関心が高まった。地球サミットで採択された地球温暖化防止条約は、97年の地球温暖化防止京都会議に引き継がれた。そこでは、2008年~2012年までに先進国全体で温暖化ガスを90年比で約5%削減することを決めた京都議定書を採択した。来年の洞爺湖サミットで更に深化される事になった。今や二酸化炭素の増加は地球の命運を左右する深刻な問題となった。世界的地球で取り組むべき人類的課題となった。公私共に地道に実践するしか解決の道はない。・・・
■付記:{参考事典:百科事典・その他}から引用

国の出先機関は廃止か統合で税金の無駄を省け!

2012年02月19日 | Weblog

国と地方の二重の行政が税金の無駄遣いの温床になっている。それを時の政権は改革しようと公約したのだが、一向に進捗していない。―― 国の出先機関とは、政府の省庁が地方に置いた行政機関 ―― 出先機関は、国家公務員33万人のうち、6割強の21万人が働いている。国が責任を持つべき機関もある。例えば「国税局・税務署」、「地方入局管理局」、「地方整備局(道路・河川の整備<公共事業>を担う)」、「経済産業局(地場産業を支援)」等々・・・。国と地方(都道府県)が重複している機関もある。そこを国に残すか、地方・都道府県に財源と権限を移管するかが長年の懸案となってきた(民主党の政権公約でもある)。「地方整備局」や「地方農政局」等の出先機関は、原則廃止すべき部署である。自公民政権が先送りして出来なかった案件でもあるのだが・・・。その精査は、民間の専門家・有識者や地方自治体の代表者で構成して当たらせるべきである。自公民政権が頓挫したのは自民党内の族議員と官僚が癒着して利権を温存する策略に出たからである。ここで大局的に見直し、統廃合して財源を生み出すべきである。試算では、予算規模が“10兆円”になる。国から地方へ移る国家公務員は2万3千人になる。今回、野田政権では国家公務員の削減を打ち出しているが、ただ、財源の見通しは立っていない。そこで政治主導を目指して本格的に起動し成果を上げるべき時期にきている。期待したい。・・・

※付記:二重行政が問題になっている主な出先機関
●国交省
◇地方整備局・・・・・64,047億円(支出総額)<21,567人>
◇北海道開発局・・・・・ 8377億円(仝)<5,648人>
◇地方運輸局・・・・・・・・・・467億円(仝)<4,418人>

●農水省
◇地方農政局・・・・・・・9,801億円(支出総額)<15,347人>

●経産省
◇経済産業局・・・・・・・1,295億円(支出総額)<1,886人>

●環境省
◇地方環境事務所・・・・・126億円(支出総額)<407人>

●厚労省
◇地方厚生局・・・・・・・・・・・66億円(支出総額)<1,520人>
◇都道府県労働局・・ 6,423億円(仝)<22,245人>

アンチ・エイジングVSエンジョイ・エイジング!

2012年02月18日 | Weblog

人間誰だって歳をとる。年齢には逆らえない。ならば少しでも実年齢より若く見られたいのが人情だ。そこでアンチ・エイジングが登場する。年齢に逆らって若く見られたい、その方途が講じられた。・・・でも老化は絶対に避けられないし進行する。それが科学の定説だ。でも努力によって“遅らせる”事は可能だ。規則正しい食生活と習慣、生活習慣病を無くす努力、適度な運動、ストレス解消の努力等々・・・とその方途は、類書に講じられている。地道に実行するか、どうかに懸っている。最近、そういうアンチ・エイジングもさることながら、「エンジョイ・エイジング」の考え方も注目されている。“年齢相応な老化の進行を楽しもう”という考え方だ。「老いを楽しむ」という事になる。自分の趣味を生かし大いに楽しむ。人生の節目、節目で獲得した経験を老後に生かして楽しむ、そういう生き方だ。――人生の節目とは(幼年期、少年期、青年期、壮年期、中年期、老年期)で得た知識や経験・体験等々)―― マズローの人間欲求の段階では、最終目標が「自己実現」とある。老年期は、正に、人生の集大成「自己実現」で終息する事にある、と私も思っている。貴方、貴殿、貴女は、どうでしょうか!

環境問題&再生建築と循環型社会について考える!

2012年02月17日 | Weblog

「再生建築」の特集を放映していたテレビ番組があった。なるべく費用をかけずに元の形体に近い建物にし、予算を掛けずに現代風にリニューアルする、その道の建築専門家が模索し試案して設計図通りに建築した、という。私は見事な出来栄えに感嘆した(某氏の建築コンセプトの具現だという)。中心土台を補強・磐石にして外装外壁は現代風にアレンジし模様替えする、見違えるほど立派な建造物に仕立てた。その道のプロは、やはり、どこか違うなあと感嘆した(職人技である)。日本の伝統技法と現代技術が見事に融合し建築創出物として生み出したのである。翻って使い捨ての蔓延する現代社会に「もったいない」の日本語を世界に広めたマータイさん(先だって亡くなられたが・・・)。 ワシントンでも「もったいない」を紹介--全米記者クラブで講演した。数年前、毎日新聞社の招きで来日中に知った「もったいない」を紹介していた。一躍、世界の最新語となった。巨大な箱物の建造物でも「もったいない」をコンセプトに再生リニューアルする。耐震補強には縦・横に揺れない技法を取り入れ日本古来の伝統的技法で木材をふんだんに使用した柔らかくて温かみのある建物に変身させた。森林大国、日本の面目躍如である。そう観てくると少資源を有効に活かし山国日本の資源活用を今こそ真剣に考えるべき時期ではなかろうか、と考えた。鉄骨やコンクリートに取り囲まれた殺風景なタウン街では癒しの効果はない。生きる喜びは、ゆったりとした癒しの空間を確保し、その中に安らぎを得る事にも見出せる。「もったいない」を一人一人がコンセプトにし全ての面で実行する事から世の中全体を変えていく事ができる。「積少為大」や「塵も積もれば山となる」を実行し実現していきたいものである。捨てる前に、もう一度、再生し再利用できないか、と考えて実行する。その心構えこそ現代の私達に課せられた切実な課題なのである。「循環型社会」の実現こそ21世紀以降の未来社会の生き残りを賭けての志向すべき社会の姿なのである。関連するが大量生産→大量消費→大量廃棄からは次の社会問題が生じた。資源の制約と再利用、再生産(再資源)化し不法廃棄や環境破壊をなくし防護する事を目指す社会、だと。・・・その為の法整備が為された。・・・アンチテーゼ(最近、“捨てる”類書がブームになっているが貴殿はどう考えますか ・・・

一、循環型社会形成推進基本法(2,000年)この法律を基に次の様な法律が生まれた。

二、資源有効利用促進法(改正リサイクル法)が施行され個別に次々と制定された。

三、家電リサイクル法

四、容器リサイクル法

五、食器リサイクル法

六、自動車リサイクル法
等々の個別法律が制定されリサイクルは推進された。「循環型社会」を目指す為の企業努力として打ち出されたのが次の『3R政策』である。「3R」とは廃棄物の発生抑制(Reduce)、
再使用(Reuse)、再資源化(Recycle)である。企業のみならず個人家庭でも、「3R」は実践して来ている。使えなくなったものは別物に変えて再使用した。その精神が「もったいない」の心配りの実践に繋がるのである。

七、動脈産業・・・従来型の生産と流通に関わる産業。その処理から派生した産業が次の産業。

八、静脈産業・・・動脈産業から派生した製品の廃棄、再利用に関わる産業。つまりリサイクル産業である。21世紀型産業はリサイクルビジネスが台頭し隆盛になるであろう事が予測される。・・・以上を踏まえ私達一人一人に出来ることは何か、それは、かけがえのない、この地球をクリーンにして住みよい世界の推進に邁進することではなかろうか、そう考えて地道な小さな実践から積み上げよう・・・「積少為大」の精神を目指して・・・

大寒でも沖縄は断トツに暖かい!

2012年02月16日 | Weblog

南北に弧状を描く細長い日本列島!その温度差も激しく大きい。極寒の北海道から南の亜熱帯沖縄まで領有面積を有し数十度の差は当然と言えば当然であり当たり前である。何しろ大寒だって他府県では6,7℃を記録したのに此処沖縄では最高温度が17℃だし最低温度でも13℃である。海上では波浪注意報が出る位で波も冬季にしては穏やかで落ち着いている。北国の街が雪降る白銀の世界を演出すれば此処沖縄は曇天の空模様で、さして寒さは感じられない。道行く人の群れも初冬と変わり映えしないし大寒という季節の折り目も実感できない。年間平均温度が20℃前後の亜熱帯沖縄では寒風に弱い性もあってかオーバーを着て通勤するサラリーマンを多く見かける。でも彼等彼女等でさえ、ちじ篭った表情はなく穏やかで初秋の頃と変わらずの姿態である。でも最近では毎年やって来る四季の移り変わりも変転異変が起きている様だ。最近の地球温暖化の成せる業か大寒でさえ寒さを実感できないくらい暖かい。人災としか言い様がない。自然に働きかけ耕作し生み出した“文化”と引き換えに、しっぺ返しを受けているかの様である。・・・ところが、ここ数年寒い北国から、この季になると暖を求めて暖かい沖縄に、どっと観光客が押し寄せて来る。毎年500万人以上の方々が南国の温暖を求めてやって来る。心行くまで堪能して帰郷したと報じている。今年は600万人を達成しようと県当局や関連観光産業・ホテルでは、その対策に東奔西走している様だ。目標達成の為に奮闘している様が眼に浮かぶ。<災いを転じて福と成す>・・・自然条件を最大限に生かして北国の同胞に亜熱帯沖縄の温暖な気候を満喫させたいものだ。・・・

時間を制する者が“人生を有意義に生きる”!

2012年02月15日 | Weblog

書店散策をしていると「時間活用術」の類書の多さに眼を見張る。それだけ時間の活用術の必要性を感じているのだろう。せかせかと時間に追われ仕事にその大半を費やす。自分の時間が生み出せない焦りを感じてのことだろう。店員さんの話でもよく売れているという。長い人生のスパンを視野に入れるとその時期に遣り遂げなければならない数多のことがあるに違いない。個々人の事情や背景があって一概には言えないが先人が悪戦苦闘して生み出した 時間活用術 なるものの定理みたいなのもがあるに違いない。類書も自己の体験や経験から生み出したハウツウであると思う。でも年代、事情、背景、職種に違いがあっても概して共通する時間活用のハウツウがあるはずだ。それを自分に引き寄せて参照すればよい。若い時は時間は無限にあるような錯覚にかられる。老いた人には時間が経つのは速い様に感じる。人間の生存期間は100年そこそこのスパンで限られている。だから老若男女、時間については錯覚している。ある説によると老境に入るに従って1日が1時間に感じられ、1年が1日の様に感じられるという。それは<発見の数が減る為に生じる錯覚>だという。・・・そこで時間の有効な活用の必要性がでてくる。私は若い時から如何にして時間を生み出すかに腐心し類書を渉猟してきた。私なりの帰結は「すきま時間」を如何にして生み出すか、という一語に尽きる。仕事中でも勿論、<ほどほど>にではあるが四六時中、「すきま時間」を探し出すことに専念した。なんだか悲壮感が漂うが、そうではない。リラックスしながら同僚と歓談しながら、一人になった時にまず 読書する時間 を生み出した。それから仕事、趣味、自己実現に必要な事柄の渉猟・散策に明け暮れた。実に充実した時間が持てた。このブログも一日も欠かさず記述公開しているが何の苦もない。下書きなしにパソコン上で主述だけ合うように気をつけて思いつくままに書き綴っているだけである。偶に後日、読み返してみると誤字脱字が、散見される。論理の展開も窮屈なところが目に付く。まあ、致し方ない、と諦めるしかない。兎に角、書き続けることに専念している。時間の活用は人それそれぞれに違うが自己の事柄の必要に応じて生み出していけばよい。<時間と人生>について論考も後日、認めたい。・・・