世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

車両運転の鉄則―《事故防止の誓い》―

2006年01月31日 | Weblog

心を痛める事故の多くは、ふとした不注意と心の緩みが引き起こす。一旦ハンドルを握ったら人命を預かっている自覚で運転したい。運転の鉄則を記載する。

 ―《事故防止の誓い》―

1.運転は確認の連続である

2.譲り合いはマナーの基本

3.制限速度を守ろう

4.ルールー違反はプロの恥

5.交差点は、いつも警戒姿勢で

6.「~だろう運転」は絶対しない

7.一時停止は確実に

8.優先権にこだわるな

9.車間距離は十分保とう

10.カーブの手前では十分、減速しよう

11.安全運転は無言のPR

12.思いやり、気配りを大切に

13.巻き込み防止、左折時の注意

14.防衛運転に心掛ける

15.後退は安全を確認してから

16.あせるな、いらいらするな

17.ブレーキは常に滑らかに

18.進路変更は左右を確認してから

19.常に危険を予知した運転を

20.急ブレーキ、急発進の危険を知れ

21.合図は早めにハッキリと

22.狭い街では看板と屋根に注意

23.サイドブレーキは確実に

24.自分の能力を過信しない

25.脇見運転は「めくら運転」

26.マイペースで安全運転

27.自転車とバイクには警戒運転

28.子供と老人には特に注意

29.見通しの悪い交差点では徐行しよう

30.車のハンドルは「人生のハンドル」

以上の鉄則を守って安全運転を実践しよう!!

 


米政府 ハマス政権ならパレスチナ支援打切!

2006年01月30日 | Weblog
変転きわまりない中東和平に新たな危機が到来した。ハマスの台頭である。パレスチナ自治評議会選挙で132議席の内76議席を制したからだ。イスラム過激派「ハマス」が勝利した。米政府はハマスがイスラエルとの共存を認めず、テロなどの武装闘争を放棄しないならパレスチナ支援を打ち切るとの方針。国際的な依存度の高い経済援助にパレスチナ経済は、もろに影響力を受ける。武装闘争を放棄しない限り支援打ち切りが確実となった。米政府のマクレラン報道官は「我々はハマスとは交渉しない。なぜならハマスはその綱領にイスラエル破壊を掲げるテロ組織だからだ。我々が供与している援助に関していえば、もしハマスが政権に入れば、我々には、検討しなければならない政策と法的枠組みがある」と記者会見で述べた。マコーマック報道官も同様の趣旨で「パレスチナの人々に人道的な支援が必要だということは国際社会も理解している。しかし、米国の法律と政策では、我々はテロ組織に資金を供与しないし、ハマスはテロ組織だ。ハマス政権が誕生すれば、我々の援助計画のあらゆる側面を、この政策と法律に基づいて見直さなければならないだろう」と指摘した。05年の米国の対パレスチナ経済支援は総額約<3億8,300万ドル(約440億円)>で、うち7,000万ドルが直接援助である。パレスチナ自治政府に直接支払われているのは、イスラエルからの電力などに対する支払いに充てられる2,000万ドルだという。米ブルッキングス研究所のタマラ・ウィッテス研究員は「国際社会からの経済支援が断たれれば事実上、まともな政権運営はできず、人々に約束した生活水準の経済もおぼつかない。ハマスもそのことは理解しているはずだ」と指摘する。しかし、援助を使った圧力が「脅し」と受け止められれば、逆にいっそう過激化を招く可能性もある。経済的に孤立したパレスチナが他地域のイスラム過激派と絆を深めるようでは完全に逆効果になり、そのジレンマに米政府は慎重な対応を求められている。(新聞報道より要約した)



「小さな政府」と「市場経済」(2) 

2006年01月29日 | Weblog
結論から言うと人間の『欲望』の肥大化とその是非。その光と影を、どう調整しコントーロール出来るのか、宿命的な飽くなき「肥大化」の連鎖・循環と「抑制」との<調整>を、どうするかの鬩ぎ合いが各々個々のスタンスになる。卑近な事例では「携帯電話」を例にとると元々は、何時でも何処でもモバイルの<通話>の受信・送信が初期の機能だった。それで事足りた。ところが数多ある同業他社との熾烈な競争に打ち勝つには、生き残るには他者と異なる<付加価値>を付けないと市場のニーズに応える事が出来ない。と言うよりは「購買意欲を喚起」して、どんどん買ってもらわないと企業は生き残れない。・・・もっとも需要と供給の関係が前提ではあるが市場経済では<拡大再生産が必須>・・・使用者(消費者)も「送受信の機能」だけで満足していたのだが、 メーカーは永続的生き残り・サバイバルの為に資本蓄積と増加で販売を伸ばさなければならない。市場経済・市場原理の宿命である。(物も無形の文化的価値のあるものも<商品化・記号化>する)満足していた顧客は、これでもか、これでもか、とメーカーの宣伝・広告、キャッチコピー等で<付加価値>を付けた販売攻勢の仕掛けに、つい、ふらふらと2台目、3台目と買ってしまう。メーカーの生き残りに加担しているのである。と言うより資本主義市場経済の市場原理に則り無意識の内に食い込まれているのである。生活土台の基底である<市場原理>というメカニズムの上でメーカーと顧客が闘争を演じているのである。我々日本の経済社会の宿命である。<モッタイナイ>と言って無駄なものを一切、買わずに<欲望>を抑制すると、どうなるか。人間の「欲望」という本質を規制する事になる。その事は極端な例として<計画経済>の破綻に観る事が出来る。現資本主義の自由競争の市場経済の大原則を堅持し踏襲するには負の遺産としての「環境破壊」も、どうするかの対策も考えなければならない。いずれにせよ消費を控えれば市場経済は停滞する。経済が停滞し疲弊すれば我々の生活は、どうなるのか、我々は今その瀬戸際に立たされている。・・・


現代日本の異変・世相つれづれ散策!

2006年01月28日 | Weblog
耐震偽装があれ程、騒がれ喧しい喧々諤々の世相の批判に懲りない面々が又しても遣らかしてくれた。かの低価格の庶民派の全国チェーン120のホテルを有する「東横イン」の法令違反。二重の設計図を計画的に用意し「建築基準法」用と合格後の「実建築用」。合格後すかさず実用に転化して建築完成、オープンする。「弱者・身障者用」を義務付けた居間空間は年間数回しか稼動しないからと、取り壊し稼働率の高い客間・別室に置き換え建て直す、という。民間の経済優先がそこにも垣間見える。耐震偽装の渦中にある世相の批判が喧しい今日この頃、無感覚にも意図的計画的に施行するという無神経さが気になる。官が堕落したのか民が無自覚鷹揚になったのか日本のどこかが変であり狂っている。オリエモンに象徴される経済優先、効率優先、拝金主義の蔓延。そして弱者切り捨て、法の間隙を縫って我田引水を取り込む。勝ち組、負け組、上流、下流、格差拡大の現実現状。従来の「総中流意識」の階層が埋没し無くなった。二者択一の選択肢のどれか一つの片方になった。その格差は広がるばかりである。小泉構造改革の是非はさておき国家の進むべき方向・指標・指針と共に、かかる日本の現状を省みる時、各自個々のアイデンティを振返る時機に来ているのではなかろうか、と考える今日この頃である。・・・



ライブドア 平松・新経営陣 に期待!

2006年01月27日 | Weblog

創業の初心に還って全力で再建・復興に勤しんでほしい。社会の期待を裏切らない様に今度こそ正真正銘の社会的企業の使命を果たし過去の経済事犯・瑕疵を修復してほしい。新執行部経営陣には、その重大な責務が社会から負わされている。日本社会のみならず世界からも今回の件は注目されている。そういう意味でも 平松・新体制 は事の重大さを意識的に自覚して取り組んでほしい。今後の再興経過が注視されている。前・堀江経営陣は猪突猛進で短兵急に企業社会を擦り抜けて来た様な印象が 今にして診れば 拭えない。派手なパホーマンスで社会に自己・自社をアピールし民心を捉えた。特に若者の心を掴んだ。閉塞しきった日本社会にある種の救いの灯火を燈した。藁をも掴む思いで一億総動員で飛び付ついた。実態を省みる暇は無かった。政財界、マスコミも、挙って獲得、争奪戦を演じた。その時点での動向・言動を観れば一目瞭然である。今回の件で又新たな地平が拓かれた。政財界・官公庁、関連企業等は一億総懺悔的に再々度の法令順守、企業倫理、人倫・道徳等の順守を突きつけられた。観念的理解ではなく実行・実践で示し証明する事が責務として課せられた。平松・新体制は社会の期待に応えて創業時の初心(公正な取引で社会に貢献)の具現化に努める事が使命である。50余の関連会社と業界にはコツコツと無心に職務に励んでいる誠心誠意の従業員や社員が数多いる。トップ経営陣の経営理念を今度こそ下部まで浸透させ再興に邁進してほしい。それが社会への責務である。誠心から期待します。・・・

付則:堀江前社長の功績は縷々、このブログで開陳・提示してきた。功罪の ”功”を身内同然に擁護支援してきた。日本社会に与えたインパクトは新鮮だったし最大の魅力でさえあった。歴代の企業経営者にはない新地平を拓いた功績は特筆に価するものがあった。でも不正は許せないし法令違反は厳しく処罰されなければならない。罪が確定し、その非を認め償い今後は法令順守の誓い・実践が確約されたならば私達国民もその時点で温かく迎え入れてやりたい。少なくとも私はそう思う。挙って 「使い捨て」 の感がして、遣り切れない思いがするからである。一日も早く社会へ復帰して今度こそ<フェアな商い>で社会に貢献してもらいたい。切実な思いであり懇願する次第である。

 


落日の夕日は美しく哀しい!

2006年01月26日 | Weblog
遥か水平線へ沈み行く茜色の太陽!全てを終え、明日の希望を宿しながら消えていく。自然のサイクルは刻一刻と刻みながら規則正しく正確に循環する。人生の喜怒哀楽には各々に違いがあるのだが、造物主の造り賜うた自然界は太古の昔から不変で今日に至っている。その自然に異変が起きた。未曾有の天災地変、異常気象、熱波・寒波、豪雨・豪雪・・・自然のサイクルが狂ってきた。波長を合わすかの様に人間界にも誤差が生じた。独自暴走という名の虚像・虚業・・・。一攫千金の野望を抱いて猛進した。結果は弱小の誤差が巨大な誤謬を生んだ。波紋は甚大だった。光は去り影が世界の隅まで投影した。全てに負の負荷を与えた。実像の無い虚像に彩られた「粉飾決算」。実態のない代物。民は漸く気付いた。その時は既に遅かった。株の乱売が始まった。下限すれすれの最安値の更新。ストップ安。未曾有の異変続出。ボタンの掛け違いで歯車が狂った。正に「想定外」だった。巨大偽造帝国が一瞬の内に瓦解した。ホリエモンという名の愛称が空しく音を立てて崩れた。飽くなき夢の野望は、その瞬間、断たれた。一介の若手野心家の負の軌跡は後代や法曹界に猛省を促した。改革・改正の機会を与えた。怪我の功名だ。人生の落差が巨大なだけに心の瑕疵も大きい。夢幻の瞬時の栄華も今は唯、恨み節に変わり人生の哀歓を奏でるだけだ。なのに涙だけが止めどもなく滴り落ちる。再起という名の<復帰船>は西の水平線に消えた。明日という「希望の船」に変身しシャバに還って来る。落日の夕日は空しくも儚く美しく沈んでいく。さらば、栄耀栄華よ!又の再起・再興を信じ、 確信して・・・


子供の観た史跡名所「仲島の大石」

2006年01月25日 | Weblog

那覇市の泉崎町(いずみさきちょう)バスターミナル内にある「仲島の大石」(なかしまぬうふいし)は、下の部分が波に洗われた跡があります。この岩は高さ6メートル、中央部の周りが25メートルあり根元は周囲18メートルの大きい岩の塊です。下の方が、丸くくびれているので昔は、この辺りは海だったことが想像されます。また久米村(くめむら=地名で今の松山町あたり)の人達にとても大切にされました。ここには「仲島の小矼」とか「仲島の小掘」とかがあって、とても賑やかな処であり、詩にも詠まれたりして、多くの人達に親しまれたとも言われています。この「仲島の大石」は昭和33年3月に県の史跡天然記念物に指定されています。 (6年 Y君)

 この辺りは、以前は「仲島」の<遊び場>として賑わっていた処です。今は今昔の面影も無く空しく片隅にひっそりと佇んでいるだけです。歴史の刻みと時間の遠近を思うと祖先の追憶が蘇ってくるようですね。 (父 Y)

 <学習の手引き>・・・”恩納ナビー”や ”吉屋チルー” の昔の女流歌人の歌も調べてみましょう。

{参考資料}:これは「琉球石灰岩」でできた岩で、高さが約6m、周囲は18mから25mくらいになります。岩の上にはアコウなどの植物が生え、バスターミナルの大きな盆栽のようにも見えます。岩の下のほうを注意してみると、丸くへこんでいるのがわかります。これは「ノッチ」といって、海水がけずった跡なのです。このことから、この岩のあった場所は昔は海岸であったことがわかります。この付近は、明治のはじめ頃に埋め立てられた場所なのです。この大石は、昔の自然の様子を伝える大切なものなのです。仲島の大石(なかしまのうふいし)泉崎村の仲島は<球陽八景>にも描かれた名勝の「仲島蕉園」があった所で現在、地名としては消えてしまっている。ここには明治の頃まで「仲島遊郭」があり、絵地図にも遊所と表記されている。現在の「大石」は明治期の埋立で完全に陸地の中にあり、泉崎の那覇バスターミナル構内となっている。ここは戦前の沖縄軽便鉄道の那覇駅のあった場所でもある。

沖縄県教育委員会(1993)「沖縄の文化財I-天然記念物編」より


哀れな結末のヒーローを救え!

2006年01月24日 | Weblog
超現代の摩天楼の闇は空虚な帳に包まれた。午後七時を、とっくに過ぎていた。静寂な界隈は日本を象徴するセレブの館、文字通り日本の表看板・玄関だ。そのXデーを待ち構えていたかの様に報道陣が、ごった返していたとは想像すら出来ない。今は、ただイルミネーションが空しく点滅しているだけ。時折、そよぐ微風も無情な哀歓を醸して、すり抜けていく。天空を突き刺す巨大文明のシンボル「六本木ヒルズ」も仁王立ちに見えて、全て空しい。ガタガタと崩れいく物心の哀れさは人生の前途を暗示しているかの様で心寒に耐えない。バーチャルな架空の実態が暴かれ資本主義経済の終焉?相克と自己矛盾を露呈しているかの様で暗示的だ。サクセス・ヒーローの逮捕は大小を問わず甚大な影響を全てに与えた。<私個人の心情は至極、残念。その一語に尽きる>。未来の日本を背負って立つ若者に絶望感を与えた。サクセス・ストーリーの権化であり将来の日本の象徴の失脚・喪失・失態は、その波及は計り知れない。ボタンの掛け違いが重大な致命傷を齎した。証券業界や株主、政財界、関連業界に多大な打撃を与えた。諸外国のメディアや関連業界は、どう捉えているのだろうか、世界的にも激震を与えた模様だ。<負のオンパレードの現状に、少々の待った、をかける”少数派”の出現を期待する>し<株の上昇売買>をも期待する。手のひらをかえした様に別人になる御仁達の批判、パッシングの嵐に違和感を覚える(昨日まで<社長>呼ばわりが一転して<容疑者>の呼ばわりに変身するのにも違和感。当然とは思うが・・・)。最後まで温かく見守り支援してやる度量を持ちたいものである。人生経験の浅さと未熟さが齎した今回の事件は今後の関連業界に多大な影響を与えた事は否めないが、これからの日本の将来を担う若手経営陣の一人として期待し育ててあげる度量の広さをも持ってほしいものだ。勿論「コンプライアンス」の実行を徹底させる事は言うまでもないし大前提である。・・・
付則:この際だからこそ<政財界>に支援・救済の ”勇者の出現”を期待する!!日本的総右へならえ、の風潮に造反する勇者の文言を期待する。巷間、メディア間は総パッシングの嵐のオンパレードだからだ。悲哀さえ感じている。哀れ!


熱し易く醒め易い 日本人の性向!

2006年01月23日 | Weblog
《「小さな政府」と「市場経済」(2)》を今日(23日)のテーマとして開陳する予定だったが一連の”ライブドア叩き”の嵐!マスメディアの連続特集でのコメント・批判等に対して、私見を述べる事にした。・・・何と、伝統的日本人の体質というのか特質というのか「熱しやすくて醒めやすい」という得意・特異な面を露呈した。異色の新人・野人が現出すると猫も杓子も挙って<持てはやし>、マスメディアの恰好の餌食となる。時代の寵児にするのもメディアの影響力・威力である。ワイドショウでの満面の笑顔での歓待!?・・・あの威力は何処へやら?すっかり鳴りを潜め、真顔でパッシングと批判の嵐!手の掌を返した様な別人になる。その変身振りは超一流の役者以上である。島国根性の残滓を体現し「出る杭は打たれる」、同一歩調、総右へならえ、の伝統的体質を表示・誇示する。そうしないと異端視される。隣・近隣・地域等への配慮と保身の術である。 ”恥の文化”は厳然として生きている。 ”一億総~何とかやら”の表出である。私個人の訴・表明の意図は負の罪状等の羅列・・・袋叩き?法令違反、抵触、批判、指摘、法の目を潜る、違反擦れ擦れ、モラルの問題、前例・先例がない等々・・・「総じて負の羅列と指摘に終始し終わっている」。その事を問題としたい。<法令違反を指摘し関係法令等の改正を今後の課題>として討論し帰結したならば、その後の当事者の再起、社会復帰への道程をも示してやるのが日本人の最も得意とする義理人情というものである。仁義ではなかろうか。指摘が真相ならば法に従い、それなりの償いをして社会復帰すべきである。・・・短期にして一大企業に仕立てた豪腕は、むしろ賞賛されるべきであって非難のみに終始すべきではない。世界の大半の国の経済社会の基盤は「資本主義社会」を基としている。日本も欧米も、その範疇にある。その経済社会システムの維持・永続は「拡大の連鎖・循環のサイクル」が企業が生き残る為の宿命である。「投資・株」の拡大連鎖の運用も生き残りの手段としては一つの方便である。ただホリエモンは、その運用に瑕疵を生じさせてしまった。例の「証券取引法」の<偽計取引>と<風説の流布>(158条)の不公正な取引として禁じられ処罰の対象になる事例に抵触する疑い、というのが今回の事件にまで発展した真相である。今後は一から出直す積りで邁進してほしい。企業の法令順守で国民に情報を開示し再度、批判を乞い審判を仰いで再建に励んでほしい。一支援者として懇願する。・・・



「小さな政府」と「市場経済」(1) 

2006年01月22日 | Weblog

はじめに・・・「小泉構造改革」を理解するには、その基底になる「現・経済社会」の理念・構造を理解する必要がある。そこで吾が日本の社会に現出した事象(事例としての不公平、不平等、等々・・・)等の基底にある構造の理解なくしては真相の解明が出来ない。昨日(06/01/21)のNHKの”日本の、これから”を視聴して益々その感を強くした。そこで渉猟して得た結果を以下に援用し開陳する。

1.「小さな政府」・・・アダム・スミス以来の伝統的な自由主義に立脚した思想から生まれた「経済政策」。政府の市場への介入を最小限にし、個人の自己責任を重視し、国家による社会政策を最小限にする考え。それを徹底したものを夜警国家という。「安上がりの政府」とも言う。基本的に、GDPに占める政府活動の割合を低下させるために、低い税率と、より少ない歳出を志向する。主に古典派経済学者及び資本家が主張する「政府形態」である。

 ―概 要― 「小さな政府」は、経済全体に占める市場取引の割合を増加させる。インフラストラクチャーや公共サービスなどの公共財も、なるべく市場により供給されるような施策をとる。このような「市場主義」の背景には、「神の見えざる手」により市場がコストと価値に見合う最適な資源配分を達成するという期待がある。市場への依存は必ずしも、低価格化を意味しない。それは、今まで政府の支援により低価格で提供されていた財・サービスがコストに見合う価格へ調整される可能性があるからである。ただ、市場(民)での競争がコスト低減をもたらすことは期待されている。いずれにせよ、市場(民)に任せることで効率性の高い経済が実現されると考えられている。ただし、<公平性は保障されない>。所得再分配機能の低下による「格差の拡大」や「失業の発生」がありうる。「小さな政府」の政策では、そういった問題に対して最低限の保障を与えることで対応する。現実には「弱者保護を目的」とした「福祉の削減」により<貧困層が増大>し、階層社会として固定化する可能性が問題視される。しかし、「効率性を重視する」<小さな政府>の政策においては「格差拡大は是認される」。消費性向の低い高所得者層から消費性向の高い低所得者層への所得再分配機能が緩められるため<消費の停滞>が懸念される。

2・「市場経済(英 market economy)」・・・、市場機構(需要と供給)を通じて需給調節と価格調節が行われる経済のことである。対立概念は、<計画経済>である。また、市場機構を重視する経済のことを、特に「市場主義経済」とか「自由主義経済」などと呼ぶことがある。

―特徴― 市場経済を特徴づけるものとしては、次のものをあげることができる。分権化された経済主体・・・個人・企業などの経済主体は、<政府の指示ではなく>、「みずから意思決定」を行う。価格システムは財・サービスの価格および取引量は、市場機構と呼ばれる需給を均衡させるしくみで決定される。

 ―市場経済の利点と欠点― 市場経済は優れた経済システムであるが、「市場の失敗」と呼ばれる市場機構の限界が存在するため、これらの問題を解決するために「政府が必要」となっている。

●利点・・・市場経済は、何をどれだけ生産し、誰にどれだけ配分するかという経済の根本機能においては他の経済システムより優れている。市場経済においては必要で不足している商品は価格が上がり、利益水準が高まるため、生産が増加する。このため、経済的需要に応えやすいメカニズムになっている。また、より利益の出せる効率のいい生産体制を持つ企業がより強い資源購買力を持つため、効率的な生産を行える者へ自然と資源配分されるシステムになっている。このため、商品生産において過剰や過少が温存されることなく、効率的な経済となる。競争を促進する機構が働くため、生産力の増強・投資を誘発して経済成長が起きやすくなる。

●欠点・・・市場経済自体の欠点資源配分が効率的になるが、「公平になる」とは限らない。このため、<貧富の格差>が拡大する可能性がある。

{参考出典}フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用


子供の観た「新修・美栄橋碑」 

2006年01月21日 | Weblog

この碑は、かつての旧スーパーナハ跡地の近くに建っています。資料によると那覇が発展するにつれて川が浅くなり橋も狭くなったので川を浚い(さらい)橋を架けました。1,735年10月4日に工事が始まり、翌年2月6日に竣工した事が書かれています。この橋は明治25年に改修されましたが、去った大戦で破壊され碑だけが残っています。昔、那覇は、幾つかの島から出来ていて交通が不便であったので冊封使(さっぷうし=さっぽうし)が、来沖した時には船橋を架けて首里に迎えた様です。それで時の王が「長虹堤」(ちょうこうてい=海中道路)を築かせたのだそうです。 (6年 Y君)

 安里(あさと=地名)から牧志(まきし=地名)までの間に三つの橋が架けられ、その中の一つが「美栄橋」(みえばし)だったそうです。昭和52年4月8日に那覇市の史跡に指定されています。 (父 Y)

<学習の手引き>・・・尚金福王(しょうきんぷくおう)の時代に造られた「長虹堤」(ちょうこうてい)とは、何だったのでしょうか。調べてみましょう。

{参考資料}:現在の道路から当時の長虹堤の姿を想像する事は出来ない。当時描かれた絵で、その姿を想像するしかない。15世紀半ばに作られた昔の海中道路が長虹堤。今の道路の両側が昔は海だったとは想像すら出来ない。道の両脇には建物が建ち並んでいる。旧安里橋から続く道である祟元寺橋は手前の道の右側にある。 長虹堤跡の道。突き当たりが祟元寺橋。現在の長虹堤、ここがかつて海中道路だったとは誰も信じないだろう。唯一痕跡を見せているものが民話「七ツ墓」に登場する岩礁。ダイナハの横に今もビルの陰に残されている。「七ツ墓」の前を通り過ぎると道は久茂地川に行き当たる。川には旧美栄橋が架かっていたが現美栄橋は北東側に移動している。この場所にはモノレールの美栄橋駅が出来ている。現在残されている「長虹堤」はここまでである。ここから先のイビガマまでは道筋は変わり全く残されていない。沖縄で海中道路というと、勝連半島の海中道路が有名であるが昔も昔15世紀すでに「長虹堤」という海中道路が築かれていた。現在は町並みの中に埋もれてしまい海中道路の面影は全くないが道筋そのものは残されている部分がある。「長虹堤」は、昔、那覇は浮島と呼ばれていた。15世紀半ばの第一尚氏の尚金福により首里と那覇を結ぶ長虹堤といわれる海中道路が造られた。これは那覇東村にある冊封使の宿泊施設である天使館と首里を結ぶ道(宿道)の一部で崇元寺橋(当時は安里橋)から松山のイベガマまでの道である。約1キロ程の距離があった。  (沖縄地理学会 資料より)


挫けるな!ホリエモン!難局を打開せよ! 

2006年01月20日 | Weblog

拡大(主義)手法の終焉!法律違反でなければ何でもやる!証券業界が正常に戻る契機!拝金主義の蔓延に喝!等々・・・ここぞとばかりに百家争鳴の乱打。日本的島国根性の残滓が窺える表出。特に功なり名を遂げた古い体質の御仁の常套語が羅列した。小泉流に演出すれば「古い権威や秩序をブッ壊してでも業界を刷新し世界のトップ企業に躍り出て世界をリードする」。そういう気概とスタンスで奮闘して来たはずだ。世界から「株・後進国」と揶揄され、その汚名返上に先駆的役割を果たして来た業績は不問にされた。時代は正に「スピード」が命運を決する。その先鞭をつけたのがホリエモンだ。IT業界を初め日本的伝統に胡坐をかいてきた業界(株式の持ち合いに安泰)に新風を巻き起こし世界に開眼させた先見の明は功罪の”功”の一端だ。市場経済・市場原理の経済圏にある日本は、生き残りの為の飽くなき循環で、その手段を「投資・株」に依存せざる得ない宿命にあるのもやむを得ない一面がある。マネーゲームと揶揄されパッシングを受けても不死身の権化で蘇ってほしい。多くのサポーター・支援者・影の応援団が控えている事を念頭に置いて難局を乗り切ってほしい。時価総額、億単位の損出、云々に一喜一憂する面々を、ものともせず公権力に立ち向かう粋な「若手経営者」の体面を堅持し、矜持し頑張ってほしい。例え、負の結果・結論が出ても「明日は明日の風が吹く」―Tomorrow is Another day―の気概で難局面を切り抜けてほしい。ホリエモンのサクセス・ストーリーは夢と希望を失い、ニートを多産出し閉塞しきった日本社会の若者に「やれば出来る」のチャレンジャー精神と創造的パイオニア精神を与え夢と希望を見出させた。その灯を絶やしてはいけない。法律違反の疑惑解明に努める地検も国民への義務である。と同時にメディアも功罪の”罪”に比重を置いて報道するのみではなく”功”の面をも強調して報道してもらいたい。他方、その渦中に「尊い人命を失った」事には痛恨の極みである。心底、冥福を祈りたい。・・・ホリエモンも人生は遠大?に長い。これからが正念場だ。日本の未来に光明を与える若手経営陣の一人として更なる奮闘を期待する。その意味でもコンプライアンス=法令順守に則り事の是非を白日に元に晒し国民に陳謝し真相を明らかにすべきである。再起は、それからでも遅くはない。長い人生を日本の為に頑張ってもらいたい。心底、エールを送り今後を見守っていきたい。頑張れ!!・・・・・付則:英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)は18日付の社説で、ライブドアが東京地検の強制捜査を受けたことに関連して、企業の主流派(エスタブリッシュメント)が、これまでの厚かましいまでの行動で頭痛の種となっていた同社と堀江貴文社長に対して、「報復」を加えていると論評した。一方で同紙は、日本は自由で開放的な金融市場を受け入れる必要があり、捜査の結果にかかわらず、今後も堀江社長のような型破りな人材が増えることが必要だと指摘している。・・・

 


仁義なきライブドア元幹部に激怒! 

2006年01月19日 | Weblog
登りつめた幹部の座を追われたのか、理由の是非は問わない。過去をベラベラ喋る節操のなさ、スタンスに憤りを感じる。いやしくも幹部まで登りつめた御仁だ。それ相応のキャリアと実力があったからこそ、その座を射止めたのだろう。大なり小なり相互に恩恵を与え、受けて来たはずだ。個人としての怨念とか怒り恨み、意見の相違等は、どの業界にもつきものだ。だからと言ってマスメディアに請われるままに鬱憤をはらす?節操の無さに義憤をおぼえる。所詮、人間は人間だ。神ではない。全てに万能な人は、いない。ホリエモンだって例外ではない。発端の帰結は日本の「市場経済」や「市場原理」に真因がある。その事は次回に譲るとして当面は捜査の途上にあるので事の成り行きを静観したい。現行法の全てに敷衍できると思うが(法改正の起爆剤として)「証券取引法」の<偽計取引>と<風説の流布>(158条)の不公正な取引として禁じられ処罰の対象になる事例に抵触する疑い、という。東京地検の捜査の結果を待つとして白黒は、はっきりさせてもらいたい。今回も関連法、証券取引・商法等に風穴を開ける結果が予測される。日本の業界に新風を巻き起し時代の寵児の座を不動にしたのがホリエモンだ。法の間隙を縫って錬金術・マネーゲームに明け暮れ巨大な富を短期に築いた。その悪しき帰結が今回の一連の騒動だと、ほくそ笑む輩もいる。従来踏襲の法体系に甘んじて来た関連業界に今回の件でも新局面打開に先鞭を付け、気付かせ、法改正に追い込むだろう。後手、後手の対策や狼狽ぶりの失態が予測される。卑近な例では来年5月から施行される「新会社法」だって、その発端はニホン放送・フジテレビとのホットな戦いの帰結なのだ。その張本人がホリエモンだった事は衆知の通りである。常に先手、先手の先見の明で時代を引っ張って来たのがIT関連業界をはじめ他業界の「若手経営者陣」である。閉塞した日本の現実に光明を与え若手・後続に希望を与え先鞭を付けたのがホリエモンなのだ。今回も何らかのポジティブな帰結を期待したいし、そう信じている。フェアで人倫に悖らず公平な富の蓄積を期待するのは言うまでもない。偏見と独断で一挙両断によって、負のイメージを与えた御仁にダメージを与えたい気持ちで一杯だ。贔屓目の贔屓倒れになってもいいのではなかろうか。ホリエモン頑張れ!挫けるな!若手・後続そして日本の憂国?の民が君の一挙手一投足を見守っている。君を目標に日々頑張っている後続が居る事をも忘れるな!!最後までエールを送り続けたい。・・・


子供の観た史跡名所「沢岻親方の墓」 

2006年01月18日 | Weblog

金城町(旧呼称=かなぐすく、現呼称=きんじょうちょう)の石畳を降りて寒川(すしんがー)通りを横切ると伝説で有名な遺念火(いにんびー=人霊)が出たという坂があります。そこを上って行くと左手に「沢岻親方の墓」(たくしえーかた、のはか)があります。沢岻親方は尚真王(しょうしんおう)の時代の三司官(さんしかん=大臣)です。彼は中国に渡って王の籠(かご)と竜樋(りゅうひ)を持ち帰った為、王に大変、喜ばれ、その功労・功績として、この墓地を与えられたとのことです。この墓は古い形式の面影を残している数少ないものの一つです。昭和52年6月27日に市の文化財史跡に指定されています。  (6年 K君)

鳳凰橋(ほうおうきょう)という王様の籠と瑞泉(ずいせん)という「竜樋」を持ち帰った方が「沢岻親方」(たくしえーかた)です。尚真王も大変、喜ばれたことでしょう。当時としては珍しく貴重なものだったからです。その功績で、この墓地が与えられたのでしょう。  (父 K)

 <学習の手引き>・・・この墓にも浦添(うらそえ)の「ゆうどれ」(王家の墓)にも覗き(のぞき)がありますが、何の為に在ったのか、調べてみましょう。

{参考資料}:古い時代のお墓で玉陵(たまうどぅん)と同じ頃に造られたお墓です。「沢岻親方」は尚真王代の「よあすたべ」で、その功によって生存中に、このお墓を賜ったとの事です。この「よあすたべ」という役職名は後の「三司官」の官名で大臣のことです。このお墓は現在、残っているのは第二の入口と墓庭で以前は第一の入口と墓庭があったのです。このお墓は「玉陵」似ていると言われています。玉陵は尚泰久王代に建てられた板葺きの首里城に似せて造られたが、その特徴が、よくわかるのは、屋根の部分です。お墓は石造りなのに板葺きの様に造られている。その特徴は、このお墓にもある。この板葺きの屋根は「園比屋武御嶽石門」(すぬふぁんうたきいしもん)にも観られる。この沢岻親方ですが首里城の「瑞泉門」(ずいせんもん)の龍樋を持ってきた事で知られています。この龍樋が瑞泉門という名前の由来となったようです。多少の修復はしたようですが基本的には変わっていない。「鳳凰驕」も持ち帰ったとありますが、これは国王が外出の際に乗る物のようです。路次楽<るじらく>の奏法(沖縄で演奏するが沢岻親方は演奏法も伝えていた)も持ち帰ったとの事です。高価な御土産を持ち込もうとしたために、怪しまれ一時、那覇港付近に留められた事もあったようです。新しい物好きと言いますか、文化的好奇心の高かった方だった事を思わせるエピソードの持ち主だった様です。

 


琉球王朝花絵巻「首里城 花まつり」 

2006年01月17日 | Weblog

海洋国家のかつての琉球王国!その絢爛たる古の息吹を今に伝える!首里城「花まつり」が草花の造形物により表現される。琉球王国は、その昔、約570年前(1,429~1,879)に成立。凡そ450年間、栄えた独特の文化を持つ王国だった。首里城は中国、朝鮮、日本そして東南アジアの国々と交流と貿易を盛んにし、栄華を極めた一大独立国だった。海洋国家として繁栄したのである。その間、芸能、・音楽が盛んに演じられ美術・工芸も華開き首里城は文化・芸術の中心だった。・・・

■蘇る 琉球王朝の美―紅型―王家一家の日常着、礼服、踊り衣装に用いられた紅型。その紅型を身に纏い琉球王朝時代の華やかさを再現する。

■ラン人形・・・王朝時代、政治や様々な儀式が行われた御庭(うなー)。ラン人形により往時の雰囲気を再現する。

1.進貢船・・・14~15世紀頃、中国との交易や使節を派遣する為に建造された船。(守礼門近くに展示)

2.出迎え・・・新たに国王となる王子は守礼門付近で中国からの冊封使を迎え城内へ案内する。(歓会門)

3.シーサー・・・琉球の守り神として信仰されてきたシーサー。歓会門にも守護神として置かれている。(歓会門~瑞泉門)

4.若衆踊り・・・若衆とは元服前の士族少年のこと。冊封使を歓迎する為に御庭において宴が催された。若衆はそれらの宴に舞を披露した。(瑞泉門~漏刻門)

5.冊封使(さっぼうし=さっぷうし)・・・新国王に任命する為に中国皇帝から遣わされた冊封使は轎(ちゅう)と呼ばれる御輿に乗って登城した。(瑞泉門~漏刻門)

6.琉球国王・・・新たに任命された国王。琉球王朝の象徴である龍を従えた豪華絢爛さで表現した。(下之御庭)・・・

■EVENT PROGRAM・・・《オープニング出発式》

○1月28日(土)・・・守礼門では獅子舞が登場し演舞、その後、紅型衣装の女官が来園者を歓会門から奉神門まで御案内。御庭では御座楽が演奏され国王、王妃が二階唐玻豊の御座に出御になる。

《古典芸能》

○1月28日(土)~2月26日(日)・・・琉球舞踊「舞への誘い」

《北と南の交流ステージ》

○1月30日(月)・・・北(北海道): 阿寒アイヌ古式舞踊、南(沖縄):古典舞踊、その他

●併設:「美ら海 花まつり」  「沖縄国際洋蘭博覧会」

●主催:内閣府沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所 独立行政法人 再生機構

  財団法人 海洋博覧会記念公園管理財団

●共催:沖縄県 那覇市