世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

戦略なき 東アジアEPA構想 に想う!

2006年08月31日 | Weblog

中国、韓国に全て出遅れている。そういう感触は否めない。虎視眈々と獲物を狙う眼光鋭く世界の隅々まで食指を伸ばす。一国の政治的リーダーの典型を見る思いがする。自国の未来と民の幸せを使命とし専念する、そのスタンスは見習うに値する。先のマレーシアでの二階経済産業相の経済閣僚会議での日本の正式提案についての感触であり感想である。即ち、 「東アジアEPA構想」(日本、中国、韓国、ASEAN<東南アジア諸国連合>の10カ国とインド、オーストラリア、ニュージーランドの計16カ国での <EPA=経済連携協定>)についてである。提案の理由は次の通り・・・

●目的・・・

1.工業製品・農産物等の関税撤廃 

2.投資の促進 

3・知的財産の保護等 で<自由化の促進>

●人口(域内)・・・31臆人(世界人口の半数)

●域内総生産(GDP)・・・約9兆ドル(世界の4分の1)

日本には5兆円のGDPを押し上げる効果があると試算されている。 でも各国の反応は今一である。考えられる理由は 日本市場の開放 についての疑念である。特に過去の事例からして「農産物」が槍玉に挙げられている。今回の構想は既に小泉首相の「東アジア共同体構想」とも重なっている。EDPにせよFTA(自由貿易協定<二国間、地域間の協定>)にせよ真新しい提案ではなく既に中国が先鞭をつけている。主流だったWTO(世界貿易機構)のドーハ・ラウンド<新多角的貿易交渉>が7月に決裂。そこで「EDP」や「FTA」にシフトし主流になりつつあるのが現状である。

■日本のEPDの合意・・・シンガポールを含む5カ国のみである。

■韓国・・・とは2,004年11月に中断。

■ASEAN・・・とは<農業分野>で難航しているが2,007年3月に合意の予定。

■中国・・・は先手を打って「ASEAN」と<ETA>を既に締結している。又、以前から「中国、韓国、日本」と「ASEAN」の13カ国で<EPA>を主張している(中国の「東アジア共同体構想」)。

―{今回の二階経済産業相の提案は、かかる中国の既提案に対する対案としての構想である様な気がするのだが}―。

今回の日本の提案に対し合意を困難にしているのは<市場開放への疑念>と他の一つは<農業大国オーストラリア>が含まれているからである。何れにせよ遅きに失した感はあるが誠意を尽くして取り組んでもらいたい。 「EU」「NAFTA」と同等の市場が形成されると世界の「通商交易」も更に活性化していくことになる。日本の近未来は資源小国であり、しかも「少子高齢化」<消費・労働人口の減少>で一単独国家では経済は成り立たない。どうしても近隣諸国は、もとより世界との「友好通商交易」で平和的に「経済外交」を展開していくしか道はない。その為には<強力な政治指導力>あるリーダーの出現が必須である。未来展望の「理念と戦略」の国策で国としての磐石の統一性ある方向で対処していくしかない。具体的には・・・

▲官邸主導(明確な<理念>とフロンテア的<戦略>の策定による)のリーダーシップの発揮・・・各省庁間との<理念と戦略>による統一ある調和と方向性の確立。

▲経済産業相・・・理念と戦略に沿った<政策目標>の策定で 関税撤廃、投資市場の開放、農水省との統一ある協力体制の樹立。

▲外務省・・・各省庁間の既得権と利害を超えた調整に努め国としての方向性の確立。

▲農水省・・・保護貿易と関税の数パーセントの削減を死守するより「知力ある考える農業」を目指す人材の育成、サービスの向上、投資環境の自由化等で<日本独自の農業体質の基礎的強化>が喫緊の課題であり構想提案への前提である。

▲その他の省庁・・・閣内主導による国としての統一ある行動。 以上の「理念と戦略」で国としての統一性あるダイナミックな「経済(資源)外交」で域内各国の理解を得る。 「東アジア・太平洋地域」は一つの<運命共同体>として共存共栄を追求してく。そういう真摯な努力が永代の繁栄に繋がる。力動的ダイナミックな「押しの外交」を強かに展開していくことである。

 


遅きに失した中央アジア外交!

2006年08月30日 | Weblog

28日~29日に小泉首相は中央アジアの カザフスタン と ウズベキスタン を訪問した。28日にはカザフスタンの ナザルバエフ大統領 と会談した。カザフスタン、ウズベキスタン両国と日本は1,992年に外交関係を結んでいる。それ以来、首相の同国訪問は小泉首相が始めてである。遅きに失したのは否めないが即、行動に移したのは評価したい。任期満了の 駆け足外交 で何を狙いとしているのか、首を傾げる識者もいるのだが・・・。後続の ポスト小泉 に 資源外交 を託してのことだろう。・・・日本の7倍のカザフスタンは中央アジア最大の国土を持ちウランとクロムの埋蔵量は世界第2位で石油も豊富だ。親密な外交を展開し日本の技術力の供与で埋蔵資源を発掘・開発し両国の経済的発展に貢献できればいい。平和と経済発展に寄与することになるからだ。翻って中国とロシアは例の国連安全保障委員会での経済的制裁に躊躇してイランや北朝鮮に慎重な構えをしているのも豊富な埋蔵資源が関係している。中央アジアにも食指を伸ばし同じスタンスで強か外交を展開している。その点、日本は一歩も二歩も両国や米国に遅れをとっている。強か外交の覇者、中国とロシア、米国に学ぶべき点は数多ある。熾烈な 資源外交 の展開は自国に豊富な資源を有しているにもかかわらず世界の隅々まで野望の制覇に狂奔している。資源小国の日本こそ負けず劣らずの「資源外交」を強力に展開すべきである。遅きに失した感はあるが外交力で挽回すべきだ。ポスト小泉も 平和的外交 と平行して 資源外交 も強力に展開すべきだ。・・・

 


サプライズなき総裁選 憲法改正 は既定事実か?!

2006年08月29日 | Weblog

9月20日の自民党総裁選は事実上、決定している。既に ポスト小泉 の閣僚人事にシフトした。投票日までの消化戦だと揶揄されている。噂の顔ぶれが虎視眈々と重要ポストを狙っているとか?サプライズなき総裁選は巷では 政策論 よりもワイドショウ的捉え方が専らの関心事となっている。日本の将来を方向づける、決定しかねない最重要事項だけに寒心に堪えない。自民党総裁選候補の三氏の政策の共通点は 憲法改正 と 教育基本法改正 である。スタンスの違いに温度差はあるが、押し並べて、その点は共通している。特に憲法問題の懸案事項は「<集団的自衛権>の行使」の捉え方である。谷垣氏「解釈(変更)ではなく、きちんと憲法改正で臨むべきだ」と主張。 麻生氏「自分は助けてもらって、相手を助けないというのが国際社会で通用するのか」と語ている。安部氏「日本を守るために何をすべきか検討しなければならない」と述べ、しかも一歩踏み込んで「憲法改正しなくても<集団的自衛権>の行使は可能」と自説を述べている。盟友の公明党「集団的自衛権」 は認めていないし断固、反対している。 ポスト神崎 の 大田氏 も同様、認めていない。自民党次期政権の前途は波乱含みのスタートとなる。その点、国民の関心は 小泉政権 の 劇場型 には成り得ないまでも、持続している。・・・再考する為にも「集団的自衛権」を再確認し再認識してみたい、と思う。・・・

●「集団的自衛権」・・・国際連合憲章第51条は、加盟国に対し安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間に限って自衛権の行使を認めている。そこでは1国による<個別的自衛権>のほかに、その国と密接な関係にある他の国が共同して自衛行動をとる<集団的自衛権>をも認めている。いずれの場合も武力侵害の事実の存在を前提としている点で従来の自衛権より制限的であるとされる。

付記:「集団的自衛権」・・・自国ではなく、自国と密接な関係にある他国(日本の場合は日米同盟の由縁から米国)が外国から違法な侵害を受けた場合に、共同して防衛のために必要な一定の実力を行使する権利をいう。因みに日本の場合は――「日本国憲法9条」によってこれが放棄されている――というのが一般的な考え方である。・・・この点が「日米安全保障条約」にもとづく米国との関係で<憲法上>大きな問題、懸案事項となっている。

■「個別的自衛権」・・・自国に対して外国が不法な侵害を加えてきた場合に、自国を防衛するために必要な一定の実力を行使する権利をいう。「個別的自衛権」は、独立国家が当然に有する権利だと、考えられている。

 


政策の根底に 国の容 に収斂する明確な論理を!

2006年08月28日 | Weblog

一国を方向付ける「根っこ」の部分の "原理原則" を明確に描いて提示し、表明して、そこへ収斂していく「この国の容(かたち)」は、こう、なんだ、という未来の「国家像」を示すのが総理に相応しい資格であり人物である、と一般的には考えられている。有り体に言えば、この国の最高法規の「憲法」に描かれている理念が、それに相当する、と。だから自己の人生哲学に基づく政治的信念・信条に悖るのであれば、反すれば、不備がある、と考えるならば「憲法改正」もあって然るべきとの理屈になる。憲法改正が、かかる自己(総理・総裁候補)の信念・信条の基に明確に根拠を置いての表明ならば信頼できる。一国の責任者は自己の政治的信念・信条が憲法改正にいたる根拠に根ざす信条(信念)から表出されたものであれば、それを根拠に独自の「政策」が生まれてくる。 "政策・マニフェスト" もその根底に「この国の容」へと収斂していく方策であるべきだと、考える。各自の政策の拠って立つところの 「この国の容」 への収斂を明確に描いての提示・表出・表明であるべきだと、思うのである。だから総理・総裁候補の方々は「日本国憲法」の理念・理想像を噛み砕いて分かりやすい言葉で、例の小泉流「ワンフレーズ」で表明してほしい。そして繰り返し、繰り返し、チャッチコピーとして宣伝して論戦を展開してほしい。現代選挙戦はテレビ・マスメディアを大いに活用するのが勝利に繋がる。自己のプリンシプルに基づく政策と宣伝方法の二大武器があってこそ勝利をものにすることができる。・・・でも、・・・と、私個人の心底では本音では 日本国憲法の理念(一般的了解が得られやすい日本国憲法に下駄を預けるのが無難だから) 以前の『日本民族の原初のDNAに基づく魂の故郷!この国の自然・風土・歴史・習俗等を網羅しての――必要なら<神道>をも動員して――情緒的・もののあわれ 的良さ<世界に類例のない>を決定的要素として取り入れ理念化する』、そういう作業を通しての『国家像』の確立を思念しているのだが。・・・見果てぬ夢なのか!!・・・

 


安部氏の恒久法 小沢氏の国連部隊の創設の是非!

2006年08月27日 | Weblog

都内での講演で安部氏は自衛隊の海外派遣について「恒久的な法律」が必要だとの認識を示した。時と場に応じて機動力を発揮できる体制が不可欠だとの持論を述べた。首相就任後、直ちに常時、出動を可能にする「恒久法」の制定を目指す考えである。事例として一緒に活動している外国の部隊が攻撃されたら自衛隊は黙視するのか、と指摘、サマワでの陸上自衛隊がイギリス軍の警護を受けた例を挙げ自衛隊の 武器使用基準 を検討すべきだとの認識を新たにした。原案は石破 茂元防衛庁長官の自民党 防衛政策検討小委員会 の協議を得て「安部政権」で具体化する見通すしを示唆した。従来、「テロ対策特措法」や「イラク復興支援特措法」など自衛隊の海外派遣が必要の度に「時限立法」で対処してきた。それでは機動力に欠け国際貢献の不備が指摘された。そこで「恒久法」の制定が必要不可欠だとの結論に至ったのである。・・・一方、民主党の小沢氏は自分の著書「小沢主義(オザワイズム)」で国際貢献を担う「国連専用部隊」を創設する必要性を強調し政権構想の柱に据えた。日本が国連中心主義の実践のため「世界に先駆けて国連に力を提供」する必要性を訴え指摘している。―即ち「日本国憲法」第九条と関わりなく―自衛隊とは別に「国連専用」の組織を編成し、その部隊は国連事務総長の指揮下で行動する。自衛隊はあくまで「日本国家の防衛」に専念する、との構想である。新政権下での国会論議がどう展開されていくのか、今後の成り行きを注目したい。

 


安部自民党総裁候補の 政権構想 が見えてきた!

2006年08月26日 | Weblog

小泉首相の 構造改革路線 を基本的には踏襲するものの独自色を打ち出した「政権構想」を講演で表明した。従来の官僚主導、党主導から "官邸主導" の実効性を重視した短期決着を旨とする方法に切り替えた。即ち、内閣法に基づき「首相補佐官制度」を活用して "官邸主導" の指導力の強化を図って運営。主な 改革 は次の3機関設置で実現する。・・・

1.「教育改革推進会議」(仮称) 

2.「国家安全保障会議」(創設) 

3.「経済財政諮問会議」(継続)である。

1.「教育改革推進会議」(仮称)・・・教育の再生を目指し首相の陣頭指揮でトップダウン方式を執り関係閣僚と有識者で構成。

●公立学校の学力水準や生徒の指導状況を国が評価する学校評価制度の導入

●問題教師対策として教員免許の更新性の導入

●生徒が学校を選択し自治体などが配布する利用券を授業料として納める「バウチャー制度」―の導入を検討(文部科学省や教育現場の反発が予想される)

2.「国家安全保障会議」・・・米国を手本とした日本版でNSCのような機能を創設し定期的に米ホワイトハウスと首相官邸が意見交換できる政務対話の仕組みをつくる。

3.「経済財政諮問会議」・・・経済財政運営を中心に据え継続審議で小泉構造改革の仕上げをする。等々・・・ 選挙期間中に熾烈な徹底論戦を展開し国民に分かりやすい「政権構想」としてほしい。自民党国会議員と党員の過半数で総裁が決まるが一国の総理も連動して決まる可能性もあるので、成り行きを注目・注視したい。

 


さらば冥王星!! 宇宙ロマンに見果てぬ夢!!

2006年08月25日 | Weblog

広大な銀河系! 無限に広がる宇宙の大海原! 人類の見果てぬ夢乗せて限りないロマンを駆り立てる! 神の摂理で無力な人類に広大無辺の宇宙銀河への夢乗せて希望の炎を与え賜うた。今、人類進化の野望の基に76年の時空を超えて宇宙体系の一角がまさに消え去ろうとする?!・・・夢馳せた星! 慣れ親しんだ一個の天体がこの人類・太陽系から儚くも消え去って往く!! さやば『冥王星!よ!!』、さらば! "冥王星" !! ・・・。きみの生命は儚く短く太陽系から消え去るが人類に与えた夢は "希望と言う名の星" だった!! 76歳の歳月を経て矮惑星になるとも君の記憶は人類の歴史と共に永遠である! さらば「冥王星」よ!さらば・・・。 当初3個の増加が逆に1個のマイナス。太陽系9惑星の君臨を定説としてきた天文界が真理の前に平伏し新たなる地平を切り拓いた。 ―「新太陽系8惑星」―誕生である。 科学の進歩が日進秒歩の現代 人類の叡智は限りなく無辺に進展する。 かつて無邪気に憧憬の眼差しで観詰めたあの星群!「キラキラ星よ、あなたは、いったい、だれでしょおー。・・・」未知への憧れを幼心に秘めて幼少時に歌ったあの歌が今、蘇ってくる! 限りない郷愁を秘めてノスタルジーの世界へと回帰する。今回の措置が天文界への宇宙への新地平を切り拓き後続への学問に対する情熱と好奇心を与えるであろうインパクトは計り知れない。便利さと利便性の飽くなき追究が物心を超えて純粋学問への方途を開拓した。正に「世界は一つ」を純粋に追究した”象牙の塔”勝利である。

 


自民党総裁選 選出方法 を理解しよう!

2006年08月24日 | Weblog

自民党総裁選当日の9月20日まで総力戦が展開されるだろう。各支部での候補者3氏の抱負等が開陳されたので概略が理解できた。安部氏は9月1日に正式出馬を表明することになる。新聞・マスコミ報道に見るかぎり政策のはっきりしない持論もあるが論戦は展開されていない。選挙期間中は 政策論議 を是非、展開してもらいたい。国民の目線に立った分かりやすい「政策」を公表してほしい。

                 ・・・選出までの過程を理解しよう。・・・

1.立候補できる条件・・・自民党所属の国会議員で自民党所属の国会議員の20人の推薦があること。

2.投票のできる権利・・・自民党所属の国会議員で1人1票(403人で403票)。

□自民党員(自民党の政策・綱領等に賛同し加入している人で年会費4,000円納入者)300票(党員122万人<平成17年現在>で{4,066人で1票} )。

3.総裁決定・・・得票数の過半数。過半数に達しなければ上位2人による再選挙(再選挙は自民党国会議員のみで投票)。

※403票(自民党国会議員数)+300票(自民党党員)=703票の過半数{352票}で決定。

●総理・総裁・・・内閣総理大臣は何故、与党総裁が即総理大臣なのか?・・・与党が全国会議員の過半数を占めるから必然的に選ばれる可能性がある。

■現国会議員の勢力分野・・・ 

□衆議院議席数・・・全体480人 自民党293人+公明党31=324人 

□参議院議席数・・・全体242人 自民党112人+公明党24=136人 

□合 計  全体722人       与   党(自公民)=460人

政治に関心を持つことは即私達国民の日常生活を規制する事に繋がる。大いに注視・注目したい、と思う。

 


最近 気になる連動語群 夜警国家・小さな政府 等々!

2006年08月23日 | Weblog

右傾化、ナショナリズム、(国家)神道、八百万の神、大和魂、君臣・忠義、武士道、伝統文化、愛国心、国の大義、アイデンティティ、異常な国、普通の国、品格ある国家、論理・合理と情緒・感受性の対比、靖国参拝の合祀・分祀、天皇メモ、・・・等々の意味深長な気になる語群。挙げれば限がない。何故に精神に纏わる語群が最近、頓に(とみに)頻出しているのだろうか?! 特に中国や韓国との利権に関わる懸案事項の未解決の現状に露出している気がする。そういう社会的諸相の真相を解明する或いは理解する前提に、かつての過去の歩みを振り返る事が、より真実に近づく方法だと考え、あえて「夜警国家」「小さな政府」を手掛かりに模索することにした。・・・

●「夜警国家」・・・ラサールは定義した。自由放任主義的な市民国家はブルジョア的私有財産を 夜警することを任務としている に過ぎない、と批判した。国家の機能は、外敵からの防衛、国内の治安維持など、必要最小限の公共事業にあるとする国家観で、国家の積極的役割を主張するために用いられる福祉国家等と対比される。ラサールは「福祉・文化における国家の積極的役割を強調した」。

→「積極国家」・・・国民の経済活動の諸過程にまで介入して、国民の福祉の向上のために積極的な役割を果す国家観=「大きな政府」=「福祉国家」。資本主義の発展に伴い社会にさまざまなひずみが生じ、その社会問題の解決のために国家が積極的な役割を果すべきであるという考え方で20世紀に支配的になった。

●「小さな政府」・・・「政府の役割をできるだけ小さくした方が経済の発展や国民生活の向上につながる」=「安価な政府」「安あがりの政府」、という考え方。政府の経済活動への介入は結局のところ<混乱と浪費>をもたらすだけで、経済の健全な発展にはむしろ害であるという考え方が18世紀―19世紀には支配的であった。これは「神の見えざる手」によって経済は自由放任のもとでも健全に発展するというアダム・スミスの考えが基盤になっている。第2次世界大戦後は<積極国家観>のもとで一般に「大きな政府」が求められるようになったが、イギリスにみられるように<福祉政策の優先><市場経済>の停滞をもたらしたため、その反省から1,980年には『小さな政府』を求める<サッチャー主義>が台頭した。同じ頃、日本では中曽根康弘元首相、アメリカのレーガン大統領が『小さな政府』を掲げて<市場経済重視策>をとった。このように現代でも「政策論」として『大きな政府』『小さな政府』か、各国でも絶えず議論のあるところである。・・・


熱闘甲子園! 両者が王者!! 爽やか敗者の夏 終わる!

2006年08月22日 | Weblog

高校球史に残る世紀の大接戦! 制したのは早稲田実業!! 両者がガップリ組んでの終始ハラハラ・ドキドキの大熱戦を展開。優勝戦に相応しい試合をみせてくれた。駒大苫小牧のエース田中投手の敗戦のあの爽やかな笑顔が印象的だった。早稲田実業の斉藤投手も全イニングを投げきり完投した。そして優勝をものにした。1,915年の第一回大会から数えて27度目の出場で「初優勝」を勝ち得た。20日の延長15回戦の0-0を再試合に持ち込み昨日21日の4-3の軍配で初勝利を手中にした! ”おめでとう!早実ナイン!栄冠は君達に!! ”  渾身の投打に数段秀でた結果だ!胸を張って凱旋するがいい!! 一方の雄!互角に組んで終始、好試合を大観衆に披瀝して見せてくれた駒大苫小牧も王者に相応しい実力を如何なく発揮し感動を与えてくれた。 ”ありがとう!苫小牧ナイン!” 爽やか敗者のあの笑顔が三連覇の予兆 来年の甲子園を又、感動の渦に巻き込むに違いない。駒大苫小牧よ!また帰って来るのだ この甲子園へ! 待っているよ!! 31-33年の中京商=現中京大中京=愛知、以来の73年ぶり史上、二度目の夏の大会での三連覇が懸かっていた。今大会は準優勝に甘んじたが来年こそリベンジだ! さあ、頑張れ!! 両ナインとも疲労困憊を微塵も見せず最後の最後まで全力投球して戦った雄姿は並居る大観衆の脳裏に焼きついて離れないであろう。「爽やかな感動!を ありがとう!!」。この純真無垢な一途な清い心を何時までも!! ありがとう! ありがとう!!・・・


"歴史は繰り返す" 復古調風潮に危機感!!

2006年08月21日 | Weblog

「温故知新」 古きを訪ねて新しきを知る! きな臭い風が巷に吹いている。波高し日本海! 波高し東シナ海! アリューシャンまでもか?! 四面楚歌! 周囲を見渡せば刃が向いている! 国防の要諦は戦略的外交を展開し永代まで安全・安定且平和を実現する事にある。 不安定の弧 の東端に位置し地政学的にも重要なキーポイントに在る。トランスフォーメーションでも基地機能が寧ろ強化されている。かかる周辺事情の状況下に、かつての日本人の血が騒いでいる。過去の禍根を払拭したはずの整理済みの歴史事実が蒸し返されている様で危機感!危惧の念を抱かざるを得ない。識者は嘯く!! 61年間、一発の銃声も発していない、専守防衛に徹してきた、と・・・。裏を返せば「現日本国憲法」を死守してきたからではないのか!!? GHQの「押し付け憲法」を独立国家として「自主憲法」の制定の時機・時期にきていると声高に喧伝している。憲法改正や教育基本法の改正の是非はさて置き、日本人の民族的習性?!が即ち 感情的に付和雷同して暴発する危険を感触する。庶民的感覚で感知する。嫌中、嫌韓、嫌北が感情的に一途に突っ走り盲目的に体当たりする。結果の是非は問わない短絡的行動が猪突猛進して暴発する危険を感じる。かような内外の諸情勢を鑑みると、内なるDNA的 血が騒いでいる 様な気がしてならない。為政者の二世三世議員の文字通り戦争を知らない世代が日本の舵取り、方向を決めて行こうとしている。そういう現実にも危惧と危機感を持っている。杞憂だと済まされない様な気がする。今こそ戦争体験者、なかんずく 政治の衝 にある方々の出番だと思うのだが・・・。学者・有識者の理論的位置づけとフォローは勿論、欠かせない。ポスト小泉にも連動する事柄だけに内政、外交の政策に一層、注視していきたい、と思う。

 


ナショナリズムの台頭を警戒する風潮に思う!(2)

2006年08月20日 | Weblog

●「ナショナリズム」= "nationalism" ・・・『自らの民族的立場を強調する主義。「国民主義」「国家主義」「民族主義」などと訳し分けられてきたが、近年は単に「ナショナリズム」と表記されることが多い。19世紀ヨーロッパでは、ドイツ、イタリア、続いて東ヨーロッパ諸国が統一された国民国家(民族国家)を形成するスローガンとして用いた。この意味では「国民主義」と訳される。19世紀末から唱えられた「ナショナリズム」は、独占資本主義の形成を背景にして用いられたもので、自国家の発展のためには、他国・多民族への侵略をも辞さない政策がとられた。この場合は「国家主義」と訳す。20世紀にはいると、ドイツ、イタリア、日本などでは自国の勢力拡大を求めるあまり、狂信的要素を加えた。このような場合はスーパーナショナリズム(超国家主義)といわれる。第一次世界大戦後になると、帝国主義諸国家の植民地・半植民地となっていたアジア・アフリカの諸民族が、植民国家からの解放・独立を求めて闘うようになる。また名目的な独立国であっても、完全な政治的・経済的独立を求める「ナショナリズム運動」が起こる。ラテンアメリカ・アフリカ諸国などはその例であって、この場合は、「民族主義」と訳すのが普通である。』・・・(世界史事典より)

□植民地・・・『colony ある国の海外移住者によって、経済的に開発された地域。本国にとって原料供給地・商品市場・資本輸出地をなし、政治上も主権を有しない完全な属領。』 (広辞苑より)

□植民地・・・『本国の政治的・経済的支配下に置かれた地域をいい、完全に本国の主権下にある領土(狭義の植民地)のほか、自治領、保護領、租借地、信託統治・委任統治領なども含まれる。植民地の歴史は古代ギリシャやローマ時代に始まるが(植民市)、現在では一般に15世紀の(大航海時代)以後、西欧諸国がアジア、アフリカ、アメリカに進出して割取した地域をいう。これは単なる移住地ではなく、本国の政治的支配下に置かれた略奪貿易の対象であり、資本主義の生成期における資本の原始的蓄積の要因となり、さらに進んで原料供給地および過剰資本・商品の投下・販売地となった。初めはスペイン、ポルトガルが中心であったが、16世紀末以降は英・仏・オランダが登場し、航路・貿易権の独占と植民地争奪をめぐって抗争が続いた。18世紀末―19世紀初頭にアメリカ大陸の諸植民地は独立したが、19世紀末以後の帝国主義段階に入ると世界の植民地分割は終了し、英国は最大の植民地帝国となり、中国などいわゆる半植民地と呼ばれる地域も生まれた。次いで日本、ドイツ、イタリアが新たに植民地獲得に参加するに及んで、いわゆる植民地再分割時代になる。この時期には一方で植民地をめぐる列強の軍事衝突が多発し、他方植民地諸民族の抵抗も激化した。両大戦を通じて民族解放運動は画期的な盛り上がりをみせ、第2次大戦後、東南アジア・中近東およびアフリカの諸植民地は次々と独立を達成した。しかし、現在もなお、英、仏、オランダなどは少数ながら植民地を支配していて、1,995年現在国連によって(非自治地域)とされているのは17地域である。』 (百科事典マイペディアより)


ナショナリズムの台頭を警戒する風潮に思う!

2006年08月19日 | Weblog

ある程度の欲望が満たされ中流意識を持った中流層(最も昨今は様変わりして中流以下を自らに言い聞かせている風潮だが・・・)からセレブまで物質的充足は世界でも類を観ない程、達せられ豊かさの実感を得ているはずだ。―勿論、比較の問題ではあるが―。(世界を見渡せば先進国でも上位に位置するものと思う。途上国の餓死状況も現実に在る事など勘案して思いを馳せると)。翻って我が国のニートやフリーターの深刻な問題の解決に政治は真正面から取り組まなければならない喫緊の課題が突き付けられている事も現実にはある。二極化とか格差拡大、上流・下流層の二分化、都市と地方の格差の二極化等々が喧しく喧伝されている。そういう現状の側面もある。・・・が衣にしても食にしても住にしても物質的欲望は世界の中での日本は程々に充足されている、と観るのが妥当である。・・・そういう物質的充足の対極にあるのが精神的充足である。ある程度の物質的な「ゆとり」がでると精神的「支柱・核」(心の拠り所)の確立を求めるのが人間である。昨今のナショナリズムの台頭に警戒感を喧伝するのも識者の憂慮の表れであり、この国の「かたち」の在り方への裏返しである。そういう喧しい現状で「ナショナリズム」とは何か、を再度、再確認したいと思う。端的に定義して盟友・読者の判断の基準に資したいと思う。念のため=再確認のために・・・

●「ナショナリズム」・・・『ネーション nation が自らの一体性という意識に基づいて発展、独立をめざす思想・運動。 日本語では<民主主義><国民主義><国家主義>などと訳されてきた。ネーションとは、歴史の中で自生的に形づくられた抽象的な<われわれ>の共同体を他から区別して使うものである。政治的な運動としてのナショナリズムは、19世紀西欧の国民国家の形成とともに大衆運動の中で生まれた。20世紀に入ると、第1次大戦後、民族自決の原則に基づいて中・東欧地域に独立国家が誕生した。第2次大戦後は、アジア・アフリカにおける植民地が独立した。さらにソ連邦の崩壊後、自治政体を形成していた社会主義圏の多くのネーションが完全独立をめざした。同時に少数民族や先住民による権利要求運動も顕在化するが、この場合は エスノ・ナショナリズム とも呼ばれる。ネーションの範囲を拡大しようとするとき、帝国主義時代に見られたように対外侵略のイデオロギーとなる場合がある。逆にその範囲を限定しようとするときには排外的イデオロギーとなりうる。』 

(百科事典マイペディアより) 

次回は「世界史」の視野から紹介したい。・・・

 


大逆転勝利 智弁和歌山に高校野球の醍醐味を観る!!

2006年08月18日 | Weblog

特に今年の第88回全国高等学校野球大会は出色・異色・逸材の県選抜の出場校揃いである。どの代表校も個性的で特長を有している。連日の熱戦で郷土色豊な応援団の熱気で暑い真夏を吹っ飛ばす。時には悲鳴の嘔吐声?濁声!時にはトンキョウな歓喜の奇声!色とりどりの甲子園風景である。郷土の名誉を担って白球に青春の全てを賭けての熾烈な戦い!そこに忘れかけた大人のかつての純真無垢な郷愁を見る。球児の美技、全力投球の見事なプレーに賞賛の拍手を送る。一年間の総決算の練習の成果を憧れの甲子園で全国に披露する。一生一大の晴れの舞台でもある。春、夏連続出場を果した沖縄八重山商工の智弁和歌山との熱戦も賞賛以上の最高級の讃辞をあげたい。常連強豪の老舗の智弁和歌山を相手に堂々と引けをとらない奮闘振りは記憶に新しい。よくぞ、やった!ごくろうさま!と讃えてあげたい。ナインは今日、地元、石垣に帰る。来年、又、甲子園へ戻って来い! 県民は又の日を待っているよ・・・。その八重山商工との熱戦を演じた智弁和歌山が昨日、強豪の帝京との死闘は球史に残る高校野球の金字塔を樹立した!! 7回までは智弁8、帝京2のスコアで進捗、智弁、有利のうちに終盤の8回を迎える。帝京が2点追加、計4点。その差4点。―智弁8、帝京4―。4点差で智弁が勝利目前の9回終盤を迎えた。ところが奇跡が起こった! 何と帝京が一挙8点をもぎ取った! 奇跡中の奇跡である!! 智弁8点、対する帝京は12点! 試合は決まったかにみえた。誰もがそう信じて疑わなかった。ところが、 である!! 又しても信じられないミラクル!・大奇跡が起こったのである!! 同点に追いついた智弁! 戦況は曖昧模糊 混沌としてきた。帝京! 悲劇の投手となった渾身の1球がファーボールとなり押し出しの1点 智弁が追加!! その時点で全ては終わった。 あっ気ない幕切れだった。1点追加の智弁が13 対 帝京12で死闘の末、勝利をものにしたのである。球史に燦然と輝く大金字塔を打ち立てたのである!! 並居る観衆はここに高校野球の醍醐味を観た!! 智弁、帝京、本当にごくろうさまでした!! 猛暑の夏に一幅の清涼剤! ありがとう!!


政教分離 と 神道 の基礎知識!(その2)

2006年08月17日 | Weblog

1.神道  

自然の理法、神のはたらきの意。日本古来の民族信仰。祖先神や自然神を崇拝する古来民族信仰が仏教(インド)、儒教(中国)の影響を受けて定着。

●平安時代には「神仏習合」、「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)が現れ "両部神 道" や "山王一実神道" が成立。

●中世にが、 "伊勢神道" 、 "吉田神道"

●江戸時代には 「垂加神道」 、 「吉川神道」 が流行。

■明治以降は「神社神道」(国教)と「教派神道」(神道13派)とに分かれた。「神社神道」は国教(国家神道)として国の厚い保護を受けた。―かんながらの道―。 (広辞苑より)   

神道の特性は現存する宮廷の伝承的神事や民族信仰に見られる。自然崇拝と祖先崇拝(人格神)が中心的である。古代より「陰陽(おんみょう)道」、「儒教」、「仏教」の影響を受け歴史的に変化し各種の『神道説』が成立した。

●奈良末~平安初期に「天台・真言」の思想と習合し「本地垂迹説」が出され「両部神道」が成立した。

●鎌倉期には「伊勢神道」が成立した。

●室町期には「吉田神道」が成立した。

●江戸時代には「儒家神道」、「垂加神道」が成立。中期以後は国学の影響で「復古神道」が成立した。 明治時代には国家神道として「神社神道」が確立した。国教(国家神道)の対にある「教派神道」も官許された。

●戦後は「神道」は国家の保護を離れ、民族的信仰を基盤に存続している。

■国教=国家宗教・・・国家が特定の宗教のみを公認して統制・保護を行い、制度的に不可分の関係を有する形態。国家はその教義を統治の根本原理とし、国家行事として儀礼を執行する。ローマ帝国におけるキリスト教やイスラム国家におけるイスラムがそれにあたる。近代国家では多くに場合政治と宗教の分離し(政教分離)、信教の自由を認めている。

■教派神道・・・幕末・明治に民間で発生した「神道教団」。国家神道=神社神道に対して明治政府に公認されたものが13あったので「教派神道十三派」といった。

□神社神道に近いもの・・・「出雲大社教」、「神道大教」、「黒住教」、「神理教」、「禊教」、「神習教」。

□山岳崇拝のもの・・・「扶桑教」、「実行教」、「御嶽教」。

□儒教的色彩の強いもの・・・「神道大成教」、「神道修成派」。

□天啓教的のもの・・・「金光教」、「天理教」。

1,945年宗教の国家統制解体後は、「宗教法人」の神道系として存続している。

 2.「神仏習合」と [本地垂迹説] に纏わる用語  

▲「神仏習合」=「神仏混淆」・・・神と仏とを調和させ同一視する思想。神道と仏教の同化を示す。奈良時代に起源、神宮寺の建立が行われ神のための納経があった。平安初期には「神前読経」や神に菩薩号をつけた。―八幡大菩薩―。中期には「本地垂迹」が成立した。神に「権現」(権<かり>の姿)の称号を与えた。神の解脱を祈念して建立された「神宮寺」に逆に鎮守を設ける風潮も生じた。「本地垂迹」思想の進展で天台では「山王一実神道」が真言では「両部神道」が成立した。鎌倉期では「復古神道」が提唱された。明治維新の「神仏離散」の政策まで続いた。 (百科事典マイペディア)  

仏教は神道と融合し奈良時代に神社に神宮寺が建てられた。平安時代になると個々の神が仏と結びついて「本地垂迹説」が現れ神社に仏像を置いたり寺に鳥居を建てたり「神仏習合」は約1,000年間続いた。ところが明治初期の「神仏離散令」によって否定された。 (日本史事典より)   

▲「本地垂迹」・・・神の本地(本来の姿)は仏であり仏が日本人を救うために神となって垂迹(衆生を救うために神の姿を借りて現れること)したという「神仏習合」の思想。平安時代に起こり鎌倉時代以後に盛んになった。「神号」にも「権現」「大菩薩」などが付けられた。熊野は「阿弥陀仏」、賀茂は「観音菩薩」、八幡は「釈迦」の垂迹とされた。しかし明治政府の「神仏離散令」によって衰退した。 (百科事典マイペディア)  

○「権現」・・・仏、菩薩が衆生を救うために種々の姿となって権(仮の)に現れること。神々は仏・菩薩の権化であるとされ11世紀初頭から「神号」となった。・・・

1.春日権現  2.熊野大権現  3.伊豆山権現  4.箱根権現  5.東照大権現  6.特に 7.白山権現や箱根権現は有名。   

○「無常」・・・仏教で、すべてのものが生滅を繰り返し、はかなく過ぎ去ること。世の中が変わりやすいこと。例(諸行無常)  

○「無情」・・・思いやりや情けがないこと。情愛がないこと。  

○「有情」・・・情け(心)があること。  

○「非情」・・・喜怒哀楽のないこと。人間味や思いやりがないこと。<仏教>では感情を持たないもの―石や木など―