世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

クーニャン悲しや支那の夜!

2005年03月31日 | Weblog
70代の先輩が何時も口ずさみ歌っていた「支那の夜」。・・・若かりし頃の想い出は今も鮮やかに脳裏にこびり付いて離れない。チョンガーだった20代の独身時代、”チョンガー”なる言葉の意味も分らぬ侭に盛んに使っていた。正確には今だに不明で知らないが兎に角、先輩諸氏が使っていた用語をオオム返しに唯、面白おかしく使用していた。真夜中に叩き起こされてお説教も何度かされた。そんな長閑な田園風景が、かつては日本の僻地・辺地・離島には在った。そんな過去の想い出は世相がカオス的で不透明な今の世には尚更ある種の郷愁を想起させる。先輩曰く(記憶の襞を紐解くと)・・・<春は花咲くフランス租界、秋は落ち葉の南京堂、二人楽しく手を取りて、そぞろ歩きの想い出も今は遠い昔の夢、今じゃ涙があるばかりクーニャン悲しや支那の夜・・・>この歌詞は、たぶん間違っているとは思うが記憶の襞の所どころに今尚、点在する。戦後間もない小学低学年の頃、娯楽が皆無で又は乏したった時代に、本土・内地帰えりの青年達が田端義男の「かえり船」や「玄海ブルース」、リコウラン?の「支那の夜」等が盛んに歌われ、それが唯一の楽しみだった。今でも思い出してはカラオケ三昧で歌ったりしている。良きにつけ悪しきにつけ先輩達からの影響は強力で鮮やかに思い出される。そういう先輩達も一人また一人と彼岸の彼方へと浄土参りすると人の世の無常を感じずにはいられない。運命に翻弄されたあの頃を想起すると宿命の肯定、でも儚さがしみじみと身に染みて時には諦観的になったりする。3月も今日で終わり明日からは新年度がスタートする。職場変えも実施されるし新たなる気持ちで又精進しよう。・・・


もう、泳げるよ!!沖縄の海では!

2005年03月30日 | Weblog
沖縄の初夏の頃を”うりずん”と言い一名「若夏」とも言う。ぽかぽか陽気が射して庭の草花も新緑の芽吹きが映えている。新暦の4月末から5月の初めの頃をいい、「夏口」と呼称する人もいる。沖縄独特の季節感を表す言葉で本土の初夏では括れない。沖縄には”初夏”はないのだ。<うりずん=若夏>しかない。薄ら寒いが暖気が膚を刺すと自ずと海へと向かう。もう「海開き」が3箇所の海辺で実施され第1号が八重山石垣の海だった。恩納それから那覇の海辺だ。観光客も早すぎる「海開き」に戸惑いながらも歓喜の声、声で海辺は賑わいを見せている。やはり南国沖縄の魅力は何と言っても海だ。コバルトブルーの海原を水上スキーが波を切って疾走する。その爽快感は体験した人でないと実感できない。浅瀬ではエメラルドグリーンの海域で初泳ぎを楽しむ観光客。外国の方も大挙、来島し鳥肌を立てながらも泳いでいる。老夫婦は浅瀬で仲睦ましく英語で捲くし立てながら破顔一笑、泳ぎに余念が無い。地元の人は少なく、まだ寒いのか泳ごうともしない。観光客だけが元手を摂ろうとしているのか寒風を突いて泳ぎまくっている。例年の事ながら初夏の到来を実感する。暦が進み本格的な夏季になると水上バイク、スキー、ダイビング、ボートセーリング、カジキ釣り等々と多彩な水上ゲームが展開される。老若男女それぞれに合った海上、海中、海底の催しで海一色に染まる。東支那海を遠望するここ沖縄の若夏を満喫する為に、命の洗濯のために、いらっしゃい、めんそーれー。・・・貴殿も貴方もいらっしゃい健康長寿の桃源郷、沖縄の若夏うりずんの海へ・・・

”大人の知恵”に纏わる奇々怪々その行方は?

2005年03月29日 | Weblog
所詮 莫大な金力が事を制する。そういう構図が観えて来る。乱舞する専門用語の定義、活用、援用等また新たに”グリーンメール”が登場した。何処まで続く株バトル。解説者も多士済々で教授、弁護士、証券マン、経営者・・・いやはや日本中の話題を一手に独占、茶の間に提供して賛否両論の論争に事欠かない。(新鮮な話題の長期化を更新中の様相を呈して来た)アポのキャンセルにも重大な賭けがあり静観するとか様子を観るとか、時間稼ぎ云々と。・・・何と言っても6月の定期株主総会までの動静が鍵を握る。それからが本格的な駆け引きの知恵が事態を収拾する。何千億と何兆の資本の差は歴然とし、その威圧は圧倒的な差がある。水面下であろうが白昼堂々とした表面への登場であろうがチラツカせるだけでビビッてしまう。現実の世界では金力が圧倒的支配の立役者、道義的道徳的な人倫の行為が最終的には勝利しようとも資本の論理、卑近な現実では当面の解決には、やはり金力が解決をみる。その調達に腐心し獲得するのも経営者の資質、運用如何が事態を左右する事が手腕の見せどころであれば尚更、東奔西走し調達して当面の課題に全力投球する事が勝利への方程式、最終的には利益を得る。動向を静観するのも賭けのうち、先手、先手で先を読み長期展望を有利に導き熟考しているのが当事者であろう。資金力が余裕を生み大所高所から思索して最終的には金力の側に落ち着く、そういう構図が観えて来た。第三者の我々国民は共存共栄の棲み分けで収拾してほしい事を期待する。最大の利益者リスナーや視聴者それから株主に眼を向けて今後は健全な経営に邁進してもらいたい事を切望する。・・・

沖縄スーパーバスガイド 観光客に大モテ!!

2005年03月28日 | Weblog
車内は一瞬、静寂に包まれた。微動だにしない観光客の眼には薄っすらと感動の涙が頬を伝わった。在りし日の親・兄弟・肉親を失った沖縄県民の悲痛の叫びを切々と静かな口調で訴えるガイド嬢の話術に引き込まれていった。水を打った様な静けさだ。「涙そうそう」を美声で奏でると最高潮に達し啜り泣きが彼方此方で聞かれた。・・・一転して晴れやかなアップテンポの軽快なリズムの乗って沖縄民謡、お馴染みの「安里屋ユンタ」の大合唱となる。ガイド嬢の誘導で車内は俄か”沖縄ツアー合唱団”に変身、辺りかまわず大声の一大集団と化した。沖縄旅行の醍醐味だ。満足気な顔、顔、顔・・・来て良かった、どの表情にも、ありありと、それが取って感じられた。「ひまわり観光ガイド紹介所」のバスガイドの崎原真弓さんの案内だ。黄色い制服の小柄な彼女は根からのウチナーンチュ(沖縄人)。<おはようございます・・・>・・・で始まるツアーの一日。屈託の無い天性の明るさに思わず引き込まれていく。緩急自在の語りの口調は口コミで瞬く間に日本本土にまで伝播していった。訪れる観光客は崎原真弓さんを指名するまでになった。あまりの名調子に満喫して行った客の宣伝が功を奏してか電話予約が殺到した。彼女の”語りと民謡”を手に入れたいとの要望で以前、”沖縄民謡と語り”のCDを発売、大好評の内に完売した。今回も観光客の再度の要望で第二弾としてのCDをリリースした。これが又版を重ねて飛ぶように売れた。リピーターも多くお馴染みの客は手土産を持ちつ持たれつの仲になった。”21世紀のガイド嬢は芸能人でないといけない”との彼女のコンセプトで今日もガイドに張り切っている。二人の姉妹で創業した会社は今、順風に走り出している。・・・

新地平の突破口を切り拓く若き企業家を育成・支援しよう!!

2005年03月27日 | Weblog
旧来と新興の共存共栄を模索し最善の方策を構築しよう。それが真の「大人の解決策」だ。内圧外圧が入り乱れ錯綜する株バトルの争奪戦に、そろそろ終止符を打ってほしい。正直のところ心身共に疲弊した。第三者でさえ、そうだから当事者は尚更、極度に達しただろう事は想像に難くない。膨大な資本金の損出、浪費と徒労に終わらない為にも知恵ある第三者が仲介役を買って出るべきだ。しかし世間の目は、そう甘くはないし節穴でもない。どういう意図で、そういう解決策を講じたのか短兵急の姑息な解決では世間が許さない。まだまだ日本的資本主義は健在なので義理人情の浪花節的世界は生きているのだ。最先端を行く頭脳とスタンスの持ち主でさえ過去に”お世話になった・・・”と義理と人情のこの世界だ。表で勝って裏で負ける様な事だって有り得る。そうならない為にも世間を味方に付けておくべきだ。年季が入ったお偉方は、そんな事は朝飯前だ。海千山千の老獪の魔の手は既に打っているのだ。そういうところは見習うべきだ。だから内部で働く社員の心を掴む事も必須の条件だ。あの巨大企業AOLの破綻はスキル・先端技術そのものではなく一面は内部の人間関係の崩壊だった。歴史の教訓に学ぶべきだろう。どちらかが破綻あるいは失速し又は双方以外が漁夫の利を得たとしても同じ日本国内の事だ。長いスパンでは、何時かしっぺ返しを食う。その覚悟で望むべきだろう。・・・折角、旧来の閉塞的なコップの中の持ちつ持たれつの温床に活を入れ日本の株式市場に黎明期を齎そうとする矢先に杭を打ち込まれたら永久に文字通り老人支配の大国になってしまう。新進気悦の若手経営者を育てるのも官民の既存経営者の責務ではなかろうか。潰し合いの勝負ではなく漁夫の利も念頭に無く純粋に双方の円満解決に至る論議と利害関係をヒフティヒフティの成果でウィンウィンの到達になる事を切望する。・・・

60年前の「昭和20年3月26日」を風化させるな!

2005年03月26日 | Weblog
戦雲急を告げる昭和20年3月26日未明、沖縄の慶良間諸島に米軍上陸。日本国初の地上戦に突入、悲劇の幕開けとなった。それから6月までの雨季の4ヶ月間は地獄の連続、筆舌に尽くしがたい悲惨な死への道程となった。60年前の今日3月26日を風化させてはいけないと地方紙の「沖縄タイムス」、「琉球新報」は大々的に挙って一面トップに沖縄戦の特集を組んで報じた。沖縄には、”ぬちどぅたから”(命こそ宝)と言う至言がある。<何ものにも変えられない尊いのは人の命である>と。・・・悲惨窮まる戦争を体験し肉親を失った沖縄の人々の脳裏には、あの忌まわしい光景が今だにありありと夢の中にまで徘徊し焼き付いて現れる。恒久平和の願いを希求するのも、あの体験に基づいているからである。もう二度と戦争を起こしてはならないとの決意が沖縄人なら誰の胸の中にも深く秘められ刻まれている。憲法改正や9条が取り沙汰されているが沖縄人は全てNOである。現行憲法の踏襲こそ”平和への厳粛な道”であると固く決意している。世界情勢に連動し現実的に機能する憲法に改正していくべきだとの主張も心情的には理解できるが各人には、どうしても譲れない宝刀・宝物の一点がある。それが私には”戦争拒否”、”平和希求”である。今日一日は鎮魂の日とし在りし日の同胞に想いを馳せ冥福を祈りながら静かに愚居に鎮座し休日にしている。・・・
付則:私は昭和二桁生まれである。先輩諸氏の戦争体験を聴取し仮想追体験で再現想像した。

”棲み分け”こそ最善の解決策!

2005年03月25日 | Weblog
奇襲!?”何故 判決の翌日なのか”素朴な疑問が脳裏を翳めた。あまりにも速効的で、しかも新人が登壇したからである。又しても奇策が表明された事になった。巷では、いろいろな憶測が飛び交い囁かれている。両サイドに大物が存在し影で操り操作しているのではないのかと。表面上は双方のバトルに終始しているかの様相を呈しているが第三者が漁夫の利を狙って虎視眈々としているのだと。その前哨戦なのだと。・・・穿った見方と思うのだが一面そうも言えない様な気がする。過去に某大手にM&Aを仕掛け世論の総スカンを食って敗退した経緯があるからと識者や専門家は指摘する。素人には、あまりにも複雑怪奇で憶測すら出来ない。影の実力者は水面下で時機を窺っている。その山場が6月の定期株主総会までだと断定する。言われてみると、そうか、としか言えない。例の焦土作戦を仕掛け白馬の騎士が結果的には登場し現実となってきた。本丸の防衛には成功した事になった。餌にされた「ニッポン放送」が惨めに見えて来たし法的には勝利したものの窮地に追い込まれた「ライブドア」にも同情を禁じえない。SBI(ソフトバンクインベストメント)が双方にとっての文字通りのホワイトナイトになってくれればベターな解決策だと思うのだが無理があると思う。この際は双方(ニッポン・フジ、ライブドア)にとって”棲み分け”を模索し歩み寄って解決に至る事が、よりベターな方法ではないのかと切望するものである。・・・
付則:これからの日本には若手企業家の育成に(老舗)既存経営者や心あるメンター、官民は腐心すべきである。

高裁の判決は法治国家「日本の良心」!

2005年03月24日 | Weblog
地裁に続き高裁も類似の判決を下した。法治国家として当然の帰結である。シビアな世界の趨勢が漸く日本にも一周遅れで波及して来たのだ。資本の論理からして当然である。冷徹な非情な法一点張りの判決だと受け止めるのか、日本的体質が問われている事でもあった。但し“企業価値”については経営の判断に委ねられた面があり司法判断には馴染まない、と今後に余地を残した。経営陣、従業員、関連企業、利害関係者、視聴者、リスナー、地域・・・等々と総合的に“企業価値”は決定される、と判断したからであろう。その事に関連して過日に報じられた社員一同の意思の決議は、どう捉えたらいいのか。確かに企業価値の重要な側面であるからこの際、明確にしておきたい。メディア企業の目指すところは視聴者やリスナーに良いコンテンツを与える事に尽きる。だとするとトップや経営陣が変わろうと目指す目標は不変であるはずだ。新経営陣の所信や目指す目標についてトコトン話し合い相互に理解し合って視聴者やリスナーにより良い価値あるコンテンツを与える事に腐心すべきである。傍観者的に観ると大人気ないとしか映らない。過去の報道や言質のみを捉えて即断する誤解が相互を傷つける。話し合いのテーブルに着く事から全ては始まるのだ。メンツに囚われている時機ではないでしょう。日本中の耳目を集めている事を念頭に於いて今後の対応処遇を考えてもらいたい、と切望するものである。・・・

”上場”に纏わる企業価値と「メディアの公共性」

2005年03月23日 | Weblog
国営放送は国の政策や公告・国事等に利用されるのが通例だが民放のそれは一面、公的性格の面では“メディアの公共性”が問われている。不偏不党を掲げても企業であるからには利益関係者や株主の利益の擁護に寄与せねばならない。そういう性格を有している。一方、メディアは媒体企業としての性格上、“公共性”云々が喧伝される。・・・株式市場では誰でも多少を問わず大量にも「法の許す範囲」で“株”を買い占める事だって出来る。何故、人道上とか法の隙間を縫って買い占めるのか、と目くじらを立てる必要があるのか、筋違いと思うのだが。・・・そう言う事は機関投資家による持ちつ持たれつの日本的株式市場の旧慣例を踏襲している事に対して説明がつくのか、疑問と言わざるを得ない。「メディアの公共性」を前面に出し重要視するのなら資金調達が必要だから、さあ買ってください、と“上場している”のを止めるべきである。正攻法で堂々と、しかるべき金融機関から利息を払って借金すべきである。大手メディアは“上場してない”のが殆どではなかろうか。今回の件では現経営陣の責任も問われかねない、と思う。上場が来るべき地上デジタル波の施設等の増設の為の資金繰り、と言っても納得が得られないと思う。“上場する”と、どういう事態に直面するのか予想ができたはずだからである。国も企業・機関も、事ある度に後手、後手の対策の感を拭えない。・・・世界に冠たる日本の選良様、一般国民の絶大な夢と期待を壊さない様、頑張って下さい。・・・

福岡・佐賀の被災に心痛!!

2005年03月22日 | Weblog
新潟中越の被災の記憶も消えぬ間に今度は九州か、と心を痛める。被災者にしか分らない被災して初めて知り得る悩みは計り知れないと思う。当事者にしか知らない心痛は憶測の段階でしかない。でも、どんな困難にも立ち向かって頑張って下さい。口頭での激励しかできませんが心は、そちらへ飛んで艱難辛苦を共にしたい心境です。日本に生を受け共に生きていく運命共同体の私達は20世紀から21世紀を共に生き喜怒哀楽を分かち合って生きていく運命にあるのです。自分や家族、親戚、地域、社会、そして日本、世界へと連帯し、小さな足跡ながらも何らかの影響を相互に与え合って此処まで来たのです。頑張らなくちゃ!!・・・支援救援は公私共に実施されるはずです。国民として当然の義務です。・・・ところで日本列島は、何故こうも天災が多いのだろうか。ひょっとすると人災が多少あるかも知れない。防災(防衛・防御)が万全だったか、と思うからである。地震列島、火山列島、津波その他の天災が遥か昔から知られ、その対策の樹立が緊急を要すると指摘されていたからである。政治は無論、先行し法規上もそれなりに樹立されている。では何故、十全に機能しないのだろうか。国民の眼からは、どの事象現象事故等でも後手、後手にしか映らない。俄かに対策を立て実施している、としか思えないのである。・・・国、県、市町村、地域コミュニティーの末端まで縦横の総合的連携での対策を確立し過去の諸々の教訓を生かして瞬時に機能する計画を立て万全にすべきである。その事が現被災者に対する激励にもなると思う。・・・

芳醇な香り漂う沖縄シークァーサー開花!

2005年03月21日 | Weblog
純白の小さな花弁が咲き始めた。もう春だ。立春も到来し、ここ南国沖縄にも早、春が訪れたのだ。山路行くヤンバル(沖縄北部の別称)の風情は例年ながら感慨深い。365日のスパンは短くもあり長くも感じられる。芳しい芳醇な香りの愛おしい我がシークァーサー達!!今年も香りと食味に舌鼓を打ち、ほんのりと甘酸っぱい味は、お馴染みの味覚だ。そのシークァーサーにも最近健康の効用が再発見され俄かにクローズアップされて来た。ヴィタミンCの含有量は他の柑橘類より豊富だし、シークヮーサーは沖縄ミカンの代表選手。・・・以下詳細に紹介しよう。ヤンバル(沖縄北部にある密林地帯)に自生するミカン属の柑橘類で北は奄美から南は台湾まで分布し沖縄は柑橘類の栽培が盛んな大宜味村が主な栽培地。果実は熟すとオレンジ色になり直径約4cm、やや扁平なためヒラミレモンとも呼ばれている。未熟果(青切り)で収穫したものは非常に酸っぱくてそのまま食べる事はなく薬味としても使う。沖縄では刺身や焼き魚にかけたり酢の物にしたり醤油と合わせてお鍋のポン酢の代わりに使ったりする。黄色く熟したものは、そのまま食べても甘くて美味しい。ジュースなどに加工することが多い。栄養価は非常に高くビタミンC、ビタミンB1、クエン酸、ノビレチンなどを多く含む。ちなみにシークヮーサーは沖縄の方言、”シー”は「酸っぱい」、”クワーサー”は「食べさせる」。まとめると「酸っぱい食べ物」という意味になる。シークヮーサーの友達 沖縄ミカン、あまり知られていがシークヮーサーをはじめ沖縄には美味しいミカンが沢山ある。その一部を紹介しよう。
【タンカン】 タンカンはスイートオレンジとポンカンの自然交雑で出来たといわれており、中国原産の果実。果実は紅橙色、種子も少なく、甘みと酸味が見事に調和しジューシーでとてもおいしい。ビタミンCが温州みかんの約2倍と豊富に含まれている。
【カーブチー】 酸味が少なく素朴な味わいで強い柑橘系の香りがある。9月~11月の運動会シーズに収穫されるため県民からは「運動会みかん」と呼ぶ人もいる。皮は厚いが簡単にむける。「カーブチー」は、「皮がぶ厚い」という意味。ちなみに「面の皮が厚い」は「カーブチージラー」と言う。
【ノバ】 沖縄ミカンの新しい友達。姿形、味までもタンカンにそっくりなので素人では区別がつかない。10月下旬~12月ごろまで出回るらしい。
【ポンカン】 インド、台湾・中国南部原産のみかん代表選手。「みかん」といえば温州みかんではなくポンカンという人もいる。日本全国でも栽培されるが、沖縄産は糖度の乗りが良く、とても甘い。ノビレチン含有量はシークヮーサーに続いて2番目に多い。
【タルガヨー】 オートーとカーブチーの交配種。両親と同様にこれも未熟果を食べる。香り良く酸味があるのが特徴。収穫時を見計らって遠くから買いに来る沖縄ミカンフリークもいるらしい。栽培農家が、あまりいないので市場に出回る数が少ないレアな沖縄ミカンだ。
【オートー】 沖縄ミカン(原生種)の代表格の一つ。熟すとジューシーを通り越しておいしくなくなるため未熟果を食べる。種が多くシークヮーサーに似た素朴な香りとほどよい酸味。このミカンも根強いファンが多い。(参考資料・・・アフェリエイト提携「有限会社オキネット」より)

メディア改革元年「日本ビッグバン」の夜明けだ!!

2005年03月20日 | Weblog
一言に尽きる“日本のメディアが世界メディアを先導し貢献する”、その為の第一歩である。硬く閉ざされた聖域にドカーンとインパクトのある鉄槌を打ち込んだのだ。日本中が右往左往し狼狽した。一例が関連法の俄か改正である。眠れる太平の夢を覚醒したのだ。張本人は平然として何でこんなに大騒ぎになるのか理解に苦しむ、と漏らす。株に纏わる諸々のあの手この手の姑息な戦術<新株予約権、時間外取引、ポイズンピル、スタガードボード、ゴールデンパラシュート、ティンパラシュート、スーパーマジョリティー(事前防衛策)・・・ホワイトナイト、パックマンディフェンス、クラウンジュエル、スコーチドアース、リバース・ベア・ハグ(事後防衛策)>が囁かれ暗躍し世間を賑わし牛耳っている。いやはや一般国民の間にも、お馴染みの用語が浸透してきた。知的レベルが否応無く上昇した。巷では、よく株を勉強すると経済が観えて来る、と言う。確かに一億国民は、この一月余に株や経済に造詣?が深くなって来た。ホリエモンが登場しないと、こうまではならなかったのだ。メディアや放送界が俄かに注目されて来た。司法判断に全ては委ねられるが、社員一同の意思とか関連業界・業種の反対表明とかに司法が左右されるのは皆無である、と思うし現行法に照らして判決が下る、と思う。旧来の企業価値の延長線上で改革するよりもグローバルスタンダードに乗っといて処していく事が将来の日本の利益(広義)に繋がると思うのだ。この現象は正に日本のメディアの夜明けであるし改革元年の第一歩である。衆知を結集して判断していきたいものである。・・・
付則:“上場”と“メディアの公共性”の是非は今後の課題だと思う。

”自分探しの旅”と「学びの意義」

2005年03月19日 | Weblog
時流に押し流されている自分に気付き慌てふためき狼狽する時がある。ふと自分を振返る日々が続く。人生の黄昏かなあ、と淡い感傷に耽る。若い頃から自分を叱咤激励し勤しみ見つめて来た積りだが今だに解答を得ていない。・・・自分とは何か。この根源的な問いに確固として答える事が出来ないでいる。自分を観つめる是非を、ある時はシリアスに、ある時点では自虐的に自問自答する。・・・かのヘルマン・ヘッセは“人生とは自分への旅だ”と言った。その意味が、この歳になって漸く解って来た様な気がする。即ち画家が自画像を描くが如く、彫刻家が自分像を彫り込む様に、自分の人生は自分が描いて来たデッサンなのだと。自分の永続的思い込みが現在の自分なのだと。自分が自分であり、他人が他人である様に、それぞれが自分の歩み、自分が創り上げた作品そのものである事を。・・・人間は誕生から終末まで“自分創り”の連続であり、その過程で自分と他人、家族、親戚、社会との相関関係を構築し何らかの影響を与えていく。良きにつけ悪しきにつけ相互に影響し合う。ある時は重大な意義を見出し“生きがい”を感じ又は失望し次第に経験則を身に付けていく。その対応適応が、その人の“人生そのもの”と成っていく。・・・「学びの意義」は狭義の知識獲得の読み書きソロバンや“学び方を学ぶ”の範疇に留まらず広義の、と言おうか真の“学び”は「人生への問いかけ」であり自分を見つめ直し“自己変容を遂げていく”事である。誕生から終末までに“何を学ぶべきか”を自己選択していき「どう生きていくか」を獲得していく事である。その事が自己確立に繋がっていく。自分の人生は自分で確定し意義を見出し終末へと大らかに謳歌しながら閉じていく。“我が人生に悔いなし”「我が人生に悔いが無かった」と人生を賛歌して閉幕したいものである。・・・

株争奪戦後の”見果てぬ夢”・・・

2005年03月18日 | Weblog
時代を画する人間は何時の世でも風雲児であり革命児でさえある。一介の若造に日本中を席捲されている現実を突き出されると当事者は勿論、既得権者や大成した旧価値観の持主達は何らかのコメントを要求される。最早、当事者間の問題を超えて国民的社会現象にもなっているのだから・・・業界からマスコミから関係機関から関係社会周辺等から・・・そしてメディアに登場しコメントする。概して既得権の維持か日本型伝統的価値観を、とうとうと述べる。未来展望への新たなる挑戦で新分野を切り拓き開拓していく気概に欠ける既得権と非難のコメントで終始する。確固とした信念・信条・理念、将来像を堅持していないと非難、批判の集中砲火を浴びる。既存業界のコンセプト、コンテンツの既存的基礎体力の基盤の上に、その延長線上で新コンテンツを構築しようとする。時代は、世界の趨勢は、変化が著しくスピード化を要求している。既存の価値観で対抗出来るのか、その事が問われている。株争奪戦に一喜一憂する、その向こうに見え隠れする標的が本命である。即ち企業の既存価値の延長線上の新コンテンツの構築か、既存価値の長所を取り入れ又は並行しての斬新な未来志向的コンテンツの創出なのかのバトルである。閉塞的な現状を打開してくれそうな人は誰か。“見果てぬ夢”を見させてくれそうな人は誰か、どの会社か、の鬩ぎあいである。ミクロ的には法治国家なら法の裁きは当然でありコンプライアンスも問われてくる。その上での透明度の高い論戦であってほしい、と思う。・・・


抗告連続の様相を呈してきた経営陣(株)争奪戦

2005年03月17日 | Weblog
一喜一憂のバトルがメディアを賑わし国民の関心を暫時、高めている。テレビインタビューの主役が登場する度に今日は、この人か、あれー?見た事ないなー、どこの社長さんなのだろう?・・・一躍有名になった会社がある。ポニーキャニオンって、どこの業界の何をしている会社なのだろうか皆目知らなかったのに知名度が放映される度に上がる。社是やコンセプト、コンテンツ、陣容まで明らかに成りつつある。コメントする関係者や経営陣、会長、社長の面々の一言一句が会社の命運を左右する事態にまで深刻になってきた。不用意な言葉が司法判断の決め手にもなりかねない現状や様相になってきた。政治の世界は一寸先は闇、と言われているが経済界でも、その事が言えるのではなかろうか。地裁、高裁、最高裁と抗告される度に言葉の選択を迫られる。双方とも心してもらいたい、と他人事ながら、やきもきする。法治国家だから厳粛な法の裁きに従うのが国民の義務でもある。法の趣旨は公平普遍な裁きを目出すが裁判官だって人間である、過ちは時としてある。だから抗告も成り立つ。徹底抗戦の構えを双方、崩してない事態からすると長期戦に縺れ込む事が自明になって来た。・・・事ここに至っては、(かような現状に鑑みて)願わくば国民の一人として万が一の望みを託すとすれば日本の将来を見据えての大所高所からの解決策を見出し双方の歩み寄りによる最善の策を講じて貰いたい、と切望するものである。場合によっては政府も事態の解明・解決に仲介役としての機能を果たして貰いたい、と懇願するものである。双方の理にかなった主義主張も理念も国民の眼からしては時としてメンツに関わるとか意地の張り合いとしか映らない場合もある。現経営陣の保身の策とも。・・・今回はどうなのだろうか。・・・