70代の先輩が何時も口ずさみ歌っていた「支那の夜」。・・・若かりし頃の想い出は今も鮮やかに脳裏にこびり付いて離れない。チョンガーだった20代の独身時代、”チョンガー”なる言葉の意味も分らぬ侭に盛んに使っていた。正確には今だに不明で知らないが兎に角、先輩諸氏が使っていた用語をオオム返しに唯、面白おかしく使用していた。真夜中に叩き起こされてお説教も何度かされた。そんな長閑な田園風景が、かつては日本の僻地・辺地・離島には在った。そんな過去の想い出は世相がカオス的で不透明な今の世には尚更ある種の郷愁を想起させる。先輩曰く(記憶の襞を紐解くと)・・・<春は花咲くフランス租界、秋は落ち葉の南京堂、二人楽しく手を取りて、そぞろ歩きの想い出も今は遠い昔の夢、今じゃ涙があるばかりクーニャン悲しや支那の夜・・・>この歌詞は、たぶん間違っているとは思うが記憶の襞の所どころに今尚、点在する。戦後間もない小学低学年の頃、娯楽が皆無で又は乏したった時代に、本土・内地帰えりの青年達が田端義男の「かえり船」や「玄海ブルース」、リコウラン?の「支那の夜」等が盛んに歌われ、それが唯一の楽しみだった。今でも思い出してはカラオケ三昧で歌ったりしている。良きにつけ悪しきにつけ先輩達からの影響は強力で鮮やかに思い出される。そういう先輩達も一人また一人と彼岸の彼方へと浄土参りすると人の世の無常を感じずにはいられない。運命に翻弄されたあの頃を想起すると宿命の肯定、でも儚さがしみじみと身に染みて時には諦観的になったりする。3月も今日で終わり明日からは新年度がスタートする。職場変えも実施されるし新たなる気持ちで又精進しよう。・・・







父は大12年生まれ。私は父が45歳の時の子供です。
万里の長城行った話、軍隊の厳しさ、中国の市場の話、お腹が空いて兵の倉庫の米をこっそりみんなで炊いて食べた話など聞いていると私もいつか中国に行ってみたいなと憧れたものです。春のフランス疎開や秋の南京路はさぞかし美しいんだろうなぁと。今はどうなっているのかわかりませんが。
懐かしかったです。
ありがとうございました!