世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

野党の本意は後半2割にあり!

2011年04月26日 | Weblog
日本大震災という前代未聞の大災害に心を痛めている一人である。犠牲者には心からご冥福を祈り、被災者にはお見舞い申し上げます。日本中のボランティア、支援者が被災地の救助に馳せ参じ日本の潜在能力と奉仕の精神を世界中に示した。同胞として感動を禁じ得ない。“ありがとう”とエールを送る。日本の創造的復興は世界の注視の的になり必ず世界が眼をみはる復興を成し遂げるものと確信する。明治維新から戦後の驚異的経済復興、そして今回の甚大な被害と損傷に敢然と立ち向かい東日本が世界のモデルとなる先進地域となって再度の驚異を世界に与えることになると確信する。日本人の潜在力、魂は困難を極めると発揮する。信仰に近い発露である。・・・転じて野党に眼を向けたい。前半の8割は想定通りの被災地に対する冥福と見舞いの文言に終始する。(日本国民として当然であり本心だと確信している)、しかし後半は政府与党に対する批判に終始している。やれ「初動体制」がなっていないとか、と避難のオンパレードである。国民は、この国難に対して与野党が一丸となって復興に最大限の力を注いでほしいのである。党利党略に血眼を注ぐ場合ではない。そういう眼で国民は視ている。この非常時こそ与野党の垣根を越えて一致団結し早期の復興に心血を注ぐ時(時期)である。

上手な死に方・逝き方 を考える!(下)

2011年04月25日 | Weblog

共同体が薄れて機能しなくなって久しい。波状的に親類縁者、肉親の身にも及んできた。そういう悲しい現実を直視したい。肉親の死で埋葬に困り果てた挙句、{献体}という美名のもとに大学病院に寄贈?する(献体)。医学生の研究を終えて遺体を引き取ってください、と連絡すると、<お骨はいりません、よろしいです>、と拒否する。・・・ もう“何をか言わん也?!”である。 「身内だよ!肉親ですよ!?」。 もう、そこまで現実は進捗?しているのか・・・。これは一種の「遺体の合理的処理である」、と遺族は、割り切っているのか?! 悲しい現実である。斎場にもほぼ同様の事が起こっている、という。火葬場での遺体の「生ゴミ化」が著しいと聞く。 死者の処理場の絶対数が足りない。 海の向こうでは「エンバーマー」(死人に化粧する職業)、日本では、話題になった先の映画「おくりびと」と対極にある現実。・・・ 葬儀や葬式は「生と死」を考える契機にしたい、と私は考えている。考えようは各人各様であっていい。葬式するか、しないかも、各人各様であっていいと思う。葬式が経済的に実施困難の方も居られると思う。そこは自治体が考えてくれれば、いい。ただ言えることは意図的に葬式を実施しない人は「無縁社会」を擁護・容認している方だと断じていい。・・・身内や近しい人、友人・知人が死ぬたびに、世の無常観 に駆られる。 “人は死ぬ” この絶対的命題は、不変である。従って、夫婦、親子、孫、肉親等々・・・関わってきた諸々の知人・友人、職業仲間等々も ≪縁≫ あって、この世に、同時代 に 生 を受けてきた。神の導きによって≪縁≫が結ばれたのである。だから神の意志に従い、私は、命が尽きるまで、真っ当に「生」を心行くまで謳歌して生きていきたいと思う。・・・


コメンテーターは 最低2人は必要!

2011年04月24日 | Weblog
自公民・野党を擁護する1名の政権批判者と現菅政権支持者1人のコメンテーターの主張で中立を期すべきである。きょうも某テレビ局に出演を依頼者されたコメンテーター(1人のみ)は、かつての自公民の安全保障会議の責任者で、徹頭徹尾、菅政権批判に終始した(政権批判は誰でも出来る事を証明した様な印象を受けた)。 公平を期する意味で相反する意見・主張の2人で相互に批判させるべきである。テレビ局のコーディネーター(司会しながら議論を調整して方向づけする人)も解説めいた発言で世論<誘導>している印象を受けた。―― 報道機関は 公平 を旨とすべきである<中立の立場から> ―― 視聴者は一方的主張のコメンテーターに洗脳される危険を感じたからである。報道機関の世論<喚起>という使命が一方的な世論<誘導>になるのではと危惧した。番組責任者(担当者)及びアンカーマン・デスクの資質と見識を疑わざるを得ない。願わくば、報道機関の使命(最も擁護政党に偏したバイアスがかった報道機関もあるが・・・)を<中立>という立場で全うしてほしい、と思った。

震災は政府と被災民の両方の言い分を報道せよ!

2011年04月22日 | Weblog
政府与党の対応に苛立つ被災民。1か月余の疲れ切った不安と苛立ちは、心底、理解できる。―― 天災とは言え当事者になってみなければ分からない ―― 東電と政府与党に不満と怒りを ぶつけるのは当然である。しかし、傍目から視ても分かるように政府与党は死にもの狂いで対策と対応に全力投球し必死に取り組んでいる。余震と津波と原発の三重苦に想定外の未曾有の対応を迫られている。一国の最高責任者(収束と終結に向けての対策と対応に奔走すべき事が最優先事項である)が、いちいち被災民を訪問して見舞うのは不可能に近い(前記の様に最優先事項があるからだ)。激励の訪問が遅すぎる云々は、酷ではないのか?!・・・報道は被災門の不満と不安・苛立ちだけをクローズアップし報道している。被災民の心底は痛いほど、よく分かる。しかし、政府与党の収束への対策と対応する姿勢もコメントすべきだ。テレビのコメンテーターや解説者もバイアス掛かった見解を披歴している。両方の立場を公平にコメントしてほしい。(次回は原発を推進した当時の政府与党<自公民>の責任に言及したい。