世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

独断と偏見による私の「人生哲学」

2012年12月14日 | Weblog
20代~30代にかけて仕事の研鑽に励む傍ら人生の土台づくり、基礎固めの為、<哲学と宗教>を渉猟した。私なりの人生哲学を構築するには、その土台となる基底部分は“哲学”と“宗教”だと確信したからである。今にして思えば(振り返ると)、あながち無駄ではなかった、と思っている。古今東西の<哲学>と<宗教>を理解するのに没頭した。・・・その土台づくりは成し得たと思っている・・・その土台の上に日本古来の伝統文化、魂の故郷が構築される、と思っている。さて、卑近な例として<真理>と<真実>を例に考察してみよう。・・・

◎1+1=2である。誰も否定できない公理であり論理である。その事を「真理」とするならば、他方に「真実」があるはずである。真理と真実はどう違うのか、私なりの独断と偏見で解釈するならば、以下の通りである。・・・
◎現実世界の動きは、現実の世の中を突き動かしているのは、1+1+αであり、1+1=3にも4にもなる、ということである。そのαを含めた1+1+α=3であったり4であったり5であったりする、それが“現実の世界”であり、私なりの解釈で「真実」と捉えている。つまり決して理屈どおり論理どおりの、1+1=2 である、とはならない、ということである。・・・1+1+α=真実 であり3にも4にもなる。それが“現実の世界”である。・・・

●その α に当たる部分が日本の伝統文化に根差した日本人の魂の故郷、源郷、農耕社会の相互扶助を土台にヒフティヒフティではない“利他に徹する”、そこから“わび”や“さび”に行き着き、幾多の風雪を経て、“義理”と“人情”の世界に辿り着いた、と、私は、考えたのである。あの「浪花節」だよ、人生は!の<浪花節>の“義理と人情”の世界だ。・・・“人情の雨”が「涙」であるなら<血も涙のない>人生なんて干からびて味気ない無味乾燥の砂漠の様な世界になる。人の情けに絆(ほだ)され、人と人との温かい繋がり、義理、・・・それなくしては、この<世は闇>なのだ!まさしく、あの「人生劇場」の世界に辿りつく。

          人 生 劇 場
一、やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨

二、あんな女に未練はないが 何故か涙が流れてならぬ 男心は男でなけりゃ 解かるものかと諦めた

三、時世時節は 変わろうとままよ 吉良の仁吉は 男じゃないか 俺も生きたや 仁吉の様に 義理と人情のこの世界

※戦後の民主主義の導入で「個人の尊重」が声高に叫ばれ日本的伝統文化の美風が一掃された。何もその事を否定する積りはないが、先人・先達が営々として築いてきた日本的伝統文化に根差した日本人の魂の源郷まで否定する事はないのではなかろうか、その事を私は、憂えている。