世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡名所「ヒジ川ビラ」 

2005年12月21日 | Weblog

この”ヒジ川ビラ”が造られたのは16世紀から17世紀頃だと言われています。この辺は戦争前までは景色の美しい処だったそうです。道の両側は石垣と土の塀で造られていて松並木共よく調和しており、とても、美しいところの一つだったそうです。島尻(今の南部辺り)方面へ旅する人たちは三つの宿場の一つであるここを通って行ったのでしょう。識名園と御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)=かつての迎賓館・別荘―とを結ぶ環状線の一部だったと資料には載っています。 (6年K君)

 忘れられた名もなき坂にも、この様な歴史上の謂れがあったのかと、今更ながら昔を振返えると感慨深いものがあります。私たちの祖先の遺してくれた大事な文化遺産を今後も大事にしていきたいものです。 (父 K)

<学習の手引き>・・・この辺りを散歩して歴史というものを身近に感じてほしいと思います。前もって資料で調べてから出かけると、より一層、歴史の温もりを直に感じて興味が更に湧いてくると思います。 {参考資料}:金城ダムにあるヒジ川橋から首里城の守礼の門にかけて「ヒジガービラまーい」と言う散策の小道がある。ここは琉球王朝時代の古い道筋をたどりながら地域の歴史や文化遺産に接し楽しく散策出来る様に整備された散歩道である。1.8kmの道筋にあるヒジ川ビラ(石畳道)、「御茶屋御殿跡(王家の別邸)」、「雨乞い嶽」、「崎山馬場跡」などの史跡をたどる様に整備されている。道路に点々とした道標をたどると回れる様になっているので一度は散策したい処である。

備考:写真は「亀甲墓」と呼ばれるもので、お墓の形が”亀の甲”のようになっているので”カーミナクーバカ”と呼ばれている。中国南部のお墓の影響を受けた形で17世紀末頃から沖縄に普及した。墓の形には、この他に「破風墓」(はーふーばが)も多く見られるが、もっと古い形の「岩陰墓(チンマーサー)」や「掘込墓(フインチャー)」もある。

 


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