三人の元帥は、加藤全権を囲んで、その労をねぎらいつつ、親しげに、加藤全権の土産話に聞き入った。この明るく楽しげな光景の中には、軍縮協定の内容について、非違をあげつらう声は一言もきかれなかった。
ところがその東郷元帥がロンドン協定案には、明白な反対意見を表明した。あらゆる機会に反対の意見を述べ、財部海相の進退にまで批判の言葉をかけている。
これについては、元帥側近その他身辺の人々が提示した情報等が元帥の考えを左右したことも想像されるが、元帥のロンドン会議問題に対する強硬態度は、問題の紛糾を大ならしめたことは確かである。
伏見宮の態度は、それほど始終一貫ハッキリしたものではなかったが、いずれかというと強硬派に属していた。この伏見宮と東郷元帥の協定案に対する批判的態度はいろいろと強硬派によって利用される嫌いがあった。
一方、海軍省および岡田ら、妥協案を取りまとめてロンドン会議を成立せしめようと考える人々を支持するものは、元老・西園寺公望、牧野伸顕内大臣、斎藤実朝鮮総督、鈴木貫太郎侍従長がいた。
鈴木侍従長が陛下の側近にあっての挙措は、加藤寛治軍令部長を怒らしめ、その神経を刺激し逆効果的な結果を齎(もたら)す場合がしばしばあったようである。
三月二十四日軍事参議官会合が行われ、伏見宮、東郷元帥、岡田大将、加藤軍令部長、山梨海軍次官、末次軍令部次長、堀悌吉(ほり・ていきち)軍務局長(大分・海兵三二首席・海大一六恩賜・戦艦陸奥艦長・レジオンドヌール勲章・第一戦隊司令官・中将・勲二等旭日重光章・日本飛行機社長・浦賀ドック社長)が出席した。
この会合では経過報告、回訓案の説明があり、各参議官の同意を得て、決裂には至らず、比較的簡単に会を終わった。
三月二十五日、海相官邸に、岡田大将、加藤軍令部長、山梨次官、末次次長、小林艦政本部長、堀軍務局長が参集した。
この会議でロンドンの随員・左近司政三中将が、全権・財部海相の意思を次のように通達してきているのを議題として話し合った。
「米国案には不満足である。しかし全権として署名した。新事態の起こるを望む、目下苦慮中である」。
これに対し、岡田大将は中間案を議したが、纏まることなく散会した。
三月二十六日、岡田大将は海相官邸で山梨次官と話し合った。この際中間案を出すべきや否や、これを出すには非常な決意を要する。山梨次官は次のように述べた。
「今や海軍は重大なる時機に際会している。この際、海軍の高官が濱口総理に対して意見を申し出ないのは、いかがなものでしょうか、ひとつ総理に会って下さい」。
そこで、岡田大将は加藤軍令部長と同行して濱口総理に会うことにした。折から財部海相から濱口総理、幣原外相あてに「回訓案は中間案にて決意を附されたし」との電報が来ていた。
岡田大将は加藤軍令部長に「協議の結果、大臣の意思が明瞭となった上は、軍令部から中間案を出すよう尽力されたい」と忠告した。
だが、この日、濱口総理の意思が明らかになった。「この内閣は、ロンドン会議は決裂せしむべからず、中間案も決意を附するものならば、政府として考慮しがたい」というのである。
三月二十六日午後三時、岡田大将は海軍最高官として、濱口総理を官邸に訪ねた。
少し遅れて、加藤軍令部長がやって来た。加藤軍令部長は鈴木富士弥(すずき・ふじや)書記官長(大分県・東京帝国大学法科大学・弁護士・衆議院議員・民政党政務調査会長・党総務・鎌倉市長)に「総理が来いというので、やって来ました」と言った。
すると鈴木書記官長は「いや、そうではありません。貴方のほうで来るということだから、総理は待っていられるのです」と言った。
総理大臣私室で、岡田大将、加藤軍令部長、濱口総理の三者会談が始まった。まず加藤軍令部長が海軍の三大原則について詳説した。
ところがその東郷元帥がロンドン協定案には、明白な反対意見を表明した。あらゆる機会に反対の意見を述べ、財部海相の進退にまで批判の言葉をかけている。
これについては、元帥側近その他身辺の人々が提示した情報等が元帥の考えを左右したことも想像されるが、元帥のロンドン会議問題に対する強硬態度は、問題の紛糾を大ならしめたことは確かである。
伏見宮の態度は、それほど始終一貫ハッキリしたものではなかったが、いずれかというと強硬派に属していた。この伏見宮と東郷元帥の協定案に対する批判的態度はいろいろと強硬派によって利用される嫌いがあった。
一方、海軍省および岡田ら、妥協案を取りまとめてロンドン会議を成立せしめようと考える人々を支持するものは、元老・西園寺公望、牧野伸顕内大臣、斎藤実朝鮮総督、鈴木貫太郎侍従長がいた。
鈴木侍従長が陛下の側近にあっての挙措は、加藤寛治軍令部長を怒らしめ、その神経を刺激し逆効果的な結果を齎(もたら)す場合がしばしばあったようである。
三月二十四日軍事参議官会合が行われ、伏見宮、東郷元帥、岡田大将、加藤軍令部長、山梨海軍次官、末次軍令部次長、堀悌吉(ほり・ていきち)軍務局長(大分・海兵三二首席・海大一六恩賜・戦艦陸奥艦長・レジオンドヌール勲章・第一戦隊司令官・中将・勲二等旭日重光章・日本飛行機社長・浦賀ドック社長)が出席した。
この会合では経過報告、回訓案の説明があり、各参議官の同意を得て、決裂には至らず、比較的簡単に会を終わった。
三月二十五日、海相官邸に、岡田大将、加藤軍令部長、山梨次官、末次次長、小林艦政本部長、堀軍務局長が参集した。
この会議でロンドンの随員・左近司政三中将が、全権・財部海相の意思を次のように通達してきているのを議題として話し合った。
「米国案には不満足である。しかし全権として署名した。新事態の起こるを望む、目下苦慮中である」。
これに対し、岡田大将は中間案を議したが、纏まることなく散会した。
三月二十六日、岡田大将は海相官邸で山梨次官と話し合った。この際中間案を出すべきや否や、これを出すには非常な決意を要する。山梨次官は次のように述べた。
「今や海軍は重大なる時機に際会している。この際、海軍の高官が濱口総理に対して意見を申し出ないのは、いかがなものでしょうか、ひとつ総理に会って下さい」。
そこで、岡田大将は加藤軍令部長と同行して濱口総理に会うことにした。折から財部海相から濱口総理、幣原外相あてに「回訓案は中間案にて決意を附されたし」との電報が来ていた。
岡田大将は加藤軍令部長に「協議の結果、大臣の意思が明瞭となった上は、軍令部から中間案を出すよう尽力されたい」と忠告した。
だが、この日、濱口総理の意思が明らかになった。「この内閣は、ロンドン会議は決裂せしむべからず、中間案も決意を附するものならば、政府として考慮しがたい」というのである。
三月二十六日午後三時、岡田大将は海軍最高官として、濱口総理を官邸に訪ねた。
少し遅れて、加藤軍令部長がやって来た。加藤軍令部長は鈴木富士弥(すずき・ふじや)書記官長(大分県・東京帝国大学法科大学・弁護士・衆議院議員・民政党政務調査会長・党総務・鎌倉市長)に「総理が来いというので、やって来ました」と言った。
すると鈴木書記官長は「いや、そうではありません。貴方のほうで来るということだから、総理は待っていられるのです」と言った。
総理大臣私室で、岡田大将、加藤軍令部長、濱口総理の三者会談が始まった。まず加藤軍令部長が海軍の三大原則について詳説した。