陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

370.黒島亀人海軍少将(10)失念とはまたおそれいるね。私はGF参謀の頂点に立つ者だぞ

2013年04月25日 | 黒島亀人海軍少将
 宇垣少将は佐伯に碇泊中の、戦艦「長門」に赴任してきた。後甲板で着任式があり、夕刻、長官公室で歓迎夕食会が開かれた。

 先任参謀・黒島大佐は例によって、穴倉のような自室に閉じこもったきり、着任式にも歓迎夕食会にも顔を出さなかった。

 歓迎夕食会では、山本長官と参謀たちは談笑しながら食事した。参謀は全員、山本長官着任後まもなく招かれて、連合艦隊司令部に着任した者ばかりだった。長いもので二年、短いものでも一年は山本長官に仕えてきていた。

 そのような夕食会の、談笑にもはいることなく、宇垣参謀長は黙々と食事をしていたという。これまでと全く違う文化圏の中で、浮いている自分の立場を痛いほど意識せざるを得なかった。

 宇垣参謀長着任の翌日、黒島大佐は洗面、朝食を自室で済ませて幕僚室へ出向いた。例によって汚れた略衣に草履ばきだった。

 幕僚室へ黒島大佐が入ると、デスクに向かう参謀たちの奥に見慣れぬいかめしい顔がある。新参謀長・宇垣纏少将が赴任したことを、ようやく黒島大佐は思い出した。

 黒島大佐は宇垣少将の前に行き、挨拶した。

 「先任参謀の黒島であります。よろしくお願い申し上げます」。

 すると宇垣少将はいきなり切り込んできた。

 「君が黒島大佐か。着任式にも夕食会にも出てこなかったね」。

 黒島大佐は無表情に答えた。

 「申し訳ありません。軍務に気をとられて失念しておりました」。

 黒島大佐は、他意あって欠席したのではなかった。作戦の仕上げに熱中して新参謀長のことを忘れていた。だが、宇垣少将はそう受け取っていなかった。

 そのとき、作戦室には八名の参謀がいた。鳴りをひそめて二人の問答に聞き耳を立てていた。黄金仮面とガンジーの対決だった。

 宇垣少将の声は少し大きくなった。

 「失念とはまたおそれいるね。私はGF参謀の頂点に立つ者だぞ。諸君の意見を汲み上げて長官にお伝えし、長官のご意向を諸君に伝える。両者に食い違いがあれば調整する。先任参謀の君は、誰よりも私との連帯を密にせねばならぬはずだぞ」。

 黒島大佐は黙って宇垣少将を見つめていた。宇垣少将が単に着任式や夕食会への欠席を怒っているのではないのに気づかされた。

 宇垣少将はさらに追撃してきた。

 「諸参謀の意見のとりまとめと情報の伝達は先任参謀の役目だ。私は君の報告を聞き、必要な情報を君に与える。まあ、いわでものことだろうが」。

 ようやく黒島大佐は説明の必要に気づいた。

 「いや、それは違います。GF司令部では意見の取りまとめや情報伝達は戦務参謀の渡辺中佐がやっております。私は作戦立案に専念しています。渉外が苦手なので」。

 聞いて、宇垣少将は鼻白らんだ顔になった。異なる文化圏に足を踏み入れた重いがいっそう濃くなった。

 黒島大佐は続けた。

 「作戦面に関しては、私は直接長官に報告し意見をうかがっております。渡辺参謀も同様であります。前任の参謀長は、渡辺参謀や私が長官と面談するさい、時々立ち会われただけでした。新参謀長も同じようにしていただくよう、お願い申し上げます」。

 宇垣少将は怒った。

 「何を言うか。君は参謀長を……」。

 黒島大佐は毅然として言った。

 「ないがしろにするわけではありません。ハワイ作戦は長官と我々参謀の手ですでに八割がたできあがっております。このまま一気に完成へもっていったあとで、参謀長のご意見を伺う方が自然だと思います」。

 うしろから、渡辺参謀も声をかけた。

 「先任参謀の言うとおりです。ハワイ作戦は長官と我々にお任せ下さい。航空主兵思想のもとで完璧に練り上げたいので」。

369.黒島亀人海軍少将(9)大艦巨砲主義という海軍中央の伝統的な迎撃作戦構想の壁は厚かった

2013年04月19日 | 黒島亀人海軍少将
 軍令部の参謀たちはハワイ奇襲作戦について、欠点を並べ立てた。だが、黒島大佐も一歩も引かずに、次のように応じた。

 「機密保持はもちろん大事です。万全を期す方策があるから心配無用。各空母の飛行長さえも、ハワイ奇襲のことなど全く知らずに訓練に励んでおるのです」

 「本作戦が投機的であることは認めます。だが、戦争に冒険はつきもの。リスクのない戦争なんてこの世に存在しません。ギャンブルを怖れていたら戦争はできない」

 「南方作戦に空母を使えれば、これに越したことはないでしょう。だが、ハワイ作戦に空母は絶対に必要。南方にまわす余裕はありません。ハワイ作戦が成功すれば、南方作戦は一気に有利になるのだから、それで良いではありませんか」

 「ハワイの米太平洋艦隊を潰しておかないと、連合艦隊はおちついて南方作戦を遂行できんのです。南方作戦に熱中するうち、米太平洋艦隊の空母に東京を空襲されたらどうするのですか。我々は全てに優先してハワイを叩かねばならんのです」。

 三時間激論をかわしたが、両者ともついに合意できなかった。このままでは帰れないので、黒島大佐は近く海軍大学校でハワイ作戦の図上演習をやりたいと申し入れた。

 海軍大学校における図上演習は例年十月か十一月に行われるが、開戦が近づいており、一日も早く実施される必要があった。

 富岡大佐は「分かった。図上演習は九月十一日から二十日までの予定だが、十六日、十七日をハワイ作戦にあてよう」と答えた。軍令部にできる精一杯の譲歩だった。

 黒島大佐は、またしても海軍中央に完敗した。大艦巨砲主義という海軍中央の伝統的な迎撃作戦構想の壁は厚かった。奇想に富む黒島大佐の構想の実現を阻む海軍中央の障壁は、あまりにも巨大だった。

 昭和十六年八月十一日、連合艦隊参謀長に宇垣纏少将が就任した。山本五十六長官は宇垣少将を快く思っていなかった。

 その年の春、参謀長に宇垣少将をどうかという話があった際、艦隊勤務経験の不足を理由に断った。だが、今回は宇垣少将が第八戦隊司令官を務めた以後の人事なので、受け入れざるを得なかった。

 昭和十五年の夏、海軍中枢部が陸軍から日独伊三国同盟への加入を迫られたとき、山本長官は米内光政大将、井上成美中将とともに生命がけで加盟反対を叫んでまわった。

 だが、第二次近衛内閣の吉田善吾海相が病気で退任し、及川古志郎大将が海相に就任すると、及川海相は陸海軍の協調を第一義とし、三国同盟推進派の豊田貞次郎中将を次官に据えた。

 さらに、軍務局長・阿部勝雄少将、軍令部次長・近藤信竹中将、第一部長・宇垣纏少将を次々に説得して賛成派に引き入れ、遂に三国同盟を成立させた。

 宇垣少将はもともと三国同盟反対派で、最後まで反対したのだが、次々に海軍首脳部が賛成に回り、最後に及川海相に呼びつけられ説得されたのだ。

 だが、山本長官にすれば、宇垣少将は三国同盟支持派の一員であることに違いはなかった。

 さらに、航空畑出身の山本長官は航空決戦主義だったが、宇垣少将は砲術の権威であり、大艦巨砲主義者の筆頭であった。

 また、山本長官は、米国ハーバード大学留学や米国駐在武官などアメリカ駐在の経験が多かったが、宇垣少将はドイツ駐在武官補佐官でドイツ駐在を経験していた。

 宇垣は頭脳優秀で切れ者との評判だったが、性格は倣岸不遜で、人前でもかまわず部下を怒鳴りつけた。部下思いの山本長官はそんな宇垣少将の性格を嫌っていた。

 山本長官は茶目で冗談も言い、賭け事が好きだったが、宇垣少将は、めったに冗談も言わず、趣味もなく、手の空いたときには机に向かって日記(戦藻録)をつけており、人とは打ち解けなかった。

 以上のようなことで、山本長官と宇垣参謀長はどこまでも対照的で相容れなかった。山本長官は人の好き嫌いが激しく、気に入らぬ相手には口もきかなかったという。

 連合艦隊参謀長は司令長官の相談役であり、先任参謀の監視役でもある。司令長官と意志の疎通をはかり、先任参謀ら幕僚の仕事に司令長官の意向を正しく反映させるのが職務である。

 だが、山本司令長官と宇垣参謀長の間にそうした健全な関係は生じるはずはなかった。

368.黒島亀人海軍少将(8)却下されたら私はケツをまくって海軍を辞めるよ。その覚悟でやる

2013年04月12日 | 黒島亀人海軍少将
 横須賀から水上飛行機で黒島大佐は瀬戸内海の柱島に帰着した。戦艦「長門」の長官公室で、山本長官に報告した。

 「だめだったか、やはり……」。黒島大佐を見るなり山本長官は訊いた。「軍令部は強硬でした。同説得しても受け付けません。虚仮の一心というやつです。申し訳ありません」と黒島大佐は応えた。

 すると山本長官は「いや、ご苦労だった。孤軍奮闘で大変だったな」とねぎらった。黒島大佐は胸が熱くなった。山本長官は共感し、察してくれる。九歳年上なだけの山本長官に、黒島大佐は「親父」を感じていた。

 山本長官は「米英蘭との同時戦争などやっていいわけがない。しかし、向こうから仕掛けてくる場合もある。同時作戦計画を作っておく必要はあるだろうな」と言った。

 黒島大佐は「こっちも同時作戦計画を作成しましょうか。ハワイ作戦を入れて、軍令部のと二本立てになりますが」と訊いた。

 山本長官は「かまうもんか。こっちの計画ができ次第中央に乗り込んで、さあ二つのうちどちらかをとれと強要してやる。却下されたら、私はケツをまくって海軍を辞めるよ。その覚悟でやる」と静かに言った。

 黒島大佐は「分かりました。軍令部なんか問題にならない対三国同時作戦案をひねり出します」と答え、二人はうなずきあった。

 昭和十六年七月十六日、第二次近衛内閣が総辞職し、翌々日第三次近衛内閣が発足した。対米強硬論者・松岡洋右外相を排除してアメリカの態度をやわらげようとする政変だった。

 だが、閣僚十四名のうち陸海軍出身者は六名を数え、政党人は一人もいなくなった。いつでも戦争を始められる顔ぶれで組閣せざるを得ないほど、国際情勢は緊迫していた。

 連合艦隊は、猛訓練を行っていた。飛行機の艦攻、艦爆も固定された目標への攻撃練習を繰り返していた。ハワイ奇襲攻撃を隠しての訓練指導だったので、ベテラン搭乗員たちには不満だった。

 この時期、アメリカの石油の対日禁輸など封じ込め政策が露骨になり、「もう打って出るより仕方がないな」など連合艦隊司令部では開戦の決意がささやかれるなか、黒島大佐は、作戦計画作成に没頭していた。

 昭和十六年八月七日、連合艦隊先任参謀・黒島亀人大佐は、水雷参謀・有馬高泰中佐を伴って上京した。

 「連合艦隊作戦参謀・黒島亀人」(小林久三・光人社NF文庫)と「遥かなり真珠湾」(阿部牧郎・祥伝社)によると、上京の目的は、山本長官の命令を受けて、黒島大佐自身が書き上げた連合艦隊の真珠湾奇襲攻撃の作戦計画を軍令部に説明し承認させることだった。

 軍令部からは、第一部長・福留繁少将、第一課長・富岡定俊大佐をはじめ、神重徳中佐、佐薙毅中佐、三代辰吉中佐、山本祐二中佐(鹿児島・海兵五一次席・海大三二・ドイツ駐在・連合艦隊参謀・第軍令部第一部第一課・連合艦隊参謀・大佐・第二艦隊参謀・戦死・少将)の各参謀が出席した。

 軍令部の対米英蘭作戦計画案の内示を黒島大佐は求めた。目を通すと、ハワイ奇襲作戦は依然として織り込まれていなかった。

 黒島大佐は猛然と抗議した。「従来の迎撃作戦を一歩も出てないではないか」。富岡大佐が受けて立った。「その通り。それが一番いいと考えたからだ」。

 黒島大佐「今年の六月に、第一部がたてた年度作戦計画に目を通した。そこにあるのは迎撃作戦があるのみで、我々が伝えた開戦劈頭の真珠湾奇襲作戦など、影も形もないではないか」。

 富岡大佐「当然だ。あなたの言う真珠湾奇襲攻撃など、投機的で、冒険的であり過ぎて、とうてい賛同できる代物ではない」。

 黒島大佐「軍令部第一部は、連合艦隊を掌握下におこうとするのか」。

 富岡大佐「いや、そうは考えない。しかし海軍中央としては、日米戦争になった場合、陸軍との関係を調整したり、ジャワに進出して南方の油田を確保する任務を負わされているのだ。あなたのように、真珠湾一本に絞って考えることはできない」。

 黒島大佐「そうだとしても、真珠湾奇襲は、どうしても避けて通れぬものだ」。

 富岡大佐「なぜ」。

 黒島大佐「あなたは、アメリカとまともに戦って、勝ち目があると思っているのか」。

 富岡大佐「大丈夫。勝てる」。

 黒島大佐「本音か、それは」。

 富岡大佐「もちろん」。

 黒島大佐「私は、そうは思わない。アメリカと戦争を始めても、勝ち目はない」。

 冒頭から、二人はぶつかりあった。福留部長が「まあそう熱くならずにハワイ作戦を一項目ずつ検討してみようじゃないか。私もこの作戦は採るべきではないと思うが……」と、とりなしたので、二人とも冷静さを取り戻した。

367.黒島亀人海軍少将(7)激論は三時間に及んだ。昼食も取らずに一同は議論を続けた

2013年04月05日 | 黒島亀人海軍少将
 「よう先任参謀、久しぶりですな」。外出していた作戦課長・富岡定俊大佐(広島・海兵四五・海大二七首席・フランス駐在・ジュネーブ会議全権随員・大佐・第二艦隊参謀・海大教官・軍令部一部第一課(作戦)課長・二等巡洋艦「大淀」艦長・少将・南東方面艦隊参謀長・軍令部第一部長)が部屋に戻ってきた。

 富岡大佐は兵学校では黒島大佐の一期後輩で、神中佐を上回る艦隊決選派の論客だった。黒島大佐は「作戦課は変わった人間が多い。ここは奇人・変人の巣だ」と言った。

 「奇人・変人? こりゃ驚いた、あなたに言われるとはね」。富岡大佐は、あきれて黒島大佐をみつめた。

 「みんな、頭のネジが壊れている。日露戦争当時からちっとも進歩しとらんのだから」と黒島大佐が言うと、「冗談じゃない。作戦課員はみな頭脳明晰ですぞ」と富岡大佐は応じた。「その明晰な頭をちっとも使っておらん」と大声で言って黒島大佐は作戦課を出た。

 会議室での打ち合わせ会議には、富岡大佐をはじめ、神重徳中佐、佐薙毅(さなぎ・さだむ)中佐(東京・海兵五〇・海大三二・アメリカ駐在武官補佐官・水上機母艦「神威」飛行長・第五艦隊参謀・軍令部第一課課員・作戦班長・大佐・南東方面艦隊首席参謀・戦後自衛隊入隊・第二代航空幕僚長・水交会会長)、三代辰吉中佐(茨城・海兵五一・海大三三・国際連盟帝国代表随員・空母「加賀」飛行長・第二艦隊参謀・軍令部第一部第一課課員・南東方面艦隊参謀・大佐・横須賀海軍航空隊副長)ほか数名が出席した。

 冒頭から激論になった。黒島大佐は軍令部(作戦課長・課員)を相手に、まず航空戦の重要性を次のように強調した。

 黒島大佐「貴公らは今がまだ明治時代だと思っているのか。目を覚ませ。艦隊決戦などもう起こらぬ。飛行機の前に大艦巨砲は、くその役にも立たぬのだ。航空部隊は訓練でそのことを証明しておる。飛行機をどう使うかで勝負は決まる。発想を変えろ」。

 軍令部「制空権の掌握が必要なのは認める。だが、飛行機は絶対ではない。演習では魚雷や爆弾を命中させるかも知れんが、実戦ではそうはいかぬ。敵の護衛戦闘機がいる。対空砲火もある。しかも、戦艦の防御力は大きい。少々魚雷を食っても沈みはせぬ。艦隊決戦の構想を変える必要などどこにもない」。

 黒島大佐「貴公らは正面からアメリカと戦って勝てると思っているのか。彼我の国力は隔絶している。飛行機や軍艦の生産能力は十対一と見てもまだ足りぬくらいだ。わが国としては開戦劈頭にハワイで奇襲攻撃を加え、大損害を与えて戦力の差を縮めるしか道はない。飛行機の時代だからこそそれが可能だ」。

 軍令部「かといってハワイ作戦はあまりにも投機的だ。飛行機による奇襲が可能な位置まで機動部隊が近づくには二週間もかかる。その間、わが機動部隊が敵に発見されずに済むと思うほうがどうかしている。敵は飛行機で厳重な哨戒をやっているはずだ。わが艦隊が洋上でどこかの船に出会う怖れもある。敵に発見されて空襲されたら大損害をこうむるのは必至だ。それを押してハワイを空襲しても、奇襲でなく奇襲でなく強襲だからたいした戦果があがるはずはない」。

 黒島大佐「敵に気付かれずハワイに接近する航路はすでに把握した。荒天つづきの北洋から大シケをついて南下するのだ。その方面は敵も哨戒しきれない。補給もうまくいく。絶対に奇襲をかけられる自信がある」。

 軍令部「そんな自信は机上のものだ。実行すれば必ずどこかに破綻が生じる。それに万が一ハワイに接近したとしても、真珠湾に敵艦隊が碇泊しているとはかぎらんではないか。彼らも毎日外洋へ出て訓練に励んでいる。せっかく奇襲をかけても、敵艦のいない湾へ爆弾を落とす結果になりかねない」。

 黒島大佐「バカな。情報蒐集はぬかりなくやっている。敵は外洋へ出ても土曜日には帰投し、日曜日は休養をとる。そこを狙えば百パーセント空振りすることはない」。

 軍令部「百パーセントだなんて無責任なことを言うな。ともかくこの作戦はリスクが大きすぎるよ。作戦というより博奕(ばくえき)だ。とても採用はできん。山本長官は博奕がお好きだが、真珠湾はカジノではないのだ」。

 黒島大佐「何を言うか。どんな作戦にもリスクはつきまとうんだぞ。貴公らの迎撃作戦は投機性は少ないかも知れんが、長い目で見れば必ず負ける。それよりは一か八かで大勝利を勝ち取るべきだ。発想を変えろ。わが国が勝利する道はほかにはないのだ」。

 激論は三時間に及んだ。昼食も取らずに一同は議論を続けた。作戦課で最も弁が立つのは神重徳中佐だった。チョビひげをふるわせて、速射砲のように議論を挑んできた。だが、どこから攻めても黒島大佐が動じないので、次第に口数が少なくなってきた。

 富岡課長の「ハワイ奇襲作戦に関しては、今日の黒島大佐の意見も加味して再検討してみよう。だが、今のところ軍令部作戦課としては、年度作戦計画にハワイ奇襲を取り上げる気はない。山本長官にそうお伝えしてくれ」との発言で、会議は打ち切りになった。

 無表情で黒島大佐は会議室を出たが、内心は怒りで煮えくり返っていた。伝統の迎撃作戦構想、艦隊決戦思想が軍令部には沁み付いていた。「バカは死ななきゃ治らない」。作戦課の人間を入れ代えない限り事態の動く見込みはなかった。