陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

338.岡田啓介海軍大将(18)嶋田は東条と妥協して総長をごまかす

2012年09月14日 | 岡田啓介海軍大将
 「さらに要領(二)には、『帝国は迅速なる武力戦を遂行し、東亜及び南太平洋における米英蘭の根拠地を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域並主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整ふ』とある」

 「ここでは、戦争をどの辺で、どのように終結させるか具体的に書かれていない。この辺が日清・日露戦争と違う点である。どうするつもりか。戦争に関係のない国へしかるべき人をやって和平工作をなすべきではないか」。

 東条首相は散々に重臣たちに問い詰められて苦り切った顔で、「そんな手立てなど考えておりませぬ」と不愉快そうに言った。

 しかし、この重臣懇談会は岡田大将が予期していた以上に効果があった。近衛文麿の宣伝効果である。というのも近衛にはひとつの後悔があった。

 組閣後間もない昭和十二年の盧溝橋事件の時、蒋介石の国民政府の首都・南京占領に際して駐華ドイツ大使トラウトマンの仲介によって日中妥協ができるかに見えた時があった。

 だが、近衛は強行策を採って、「国民政府を相手とせず」と声明してしまった。事変解決に苦しみながらも誤って戦争への階段を作り、内閣を放棄し、そこから東条が戦争へと飛び込んだ形である。

 近衛としては責任上もなんとしても極力戦争拡大を阻止しなければならない。近衛は、重臣懇談会の席上の東条首相苦悩の様子を会う人ごとに吹聴した。

 議会まで言わず語らずのうちに反東条の空気が濃くなっていった。今まで東条首相が登壇するだけで拍手がわいたものであるが、東条首相が重々しく現れても手ひとつならない。

 答弁草案で(ここで拍手)と書いてあるのに拍手がない。「今やァ帝国陸海軍はァ」とやっても、各地で連戦連敗していることが分かっているだけに、東条首相が声を高めるほどしらけてくる。

 東条首相もこの状態を察し内閣の補強を考えた。まず国防と統帥の緊密化をはかるといって、自ら参謀総長をかねて首相、陸軍大臣の三者を一身に集め、独裁体制を完全に確立することにした。

 昭和十九年二月二十一日、東条首相兼陸相、嶋田海相は、参謀総長・杉山元元帥(陸士一二・陸大二二・教育総監・陸軍大臣・第一総軍司令官)、軍令部総長・永野修身元帥(海兵二八恩賜・海大八)を罷免して、現職のまま参謀総長、軍令部総長に就任した。

 首相から参謀総長へ転身という岡田大将のねらいははずれたが、参謀総長兼務ということは責任がさらに重くなり、戦況不利の場合、内閣崩壊の一つの可能性を示したことになる。

 「東条英機暗殺計画」(工藤美知尋・PHP研究所)によると、岡田大将は三月七日、嶋田海相のパトロン的存在である元帥・伏見宮博恭王を熱海に訪ねて、米内光政大将の現役復帰を図り、海軍の建て直しを行いたい、との意見を述べた。

 岡田大将は伏見宮元帥に慇懃次のように切り出した。

 「本日は、とくと殿下の御意見を伺いまして思召しに従い、この戦局に善処して働きたいと存じ、伺いました。昨今、陸海の中堅のところでは首脳部に対して信頼を失い、また前線と中央とが離れているように見受けます。これは大変なことと思います」

 「嶋田は、私はよく知りませんが、善い人だと思っておりました。議会の答弁も初めは評判がよろしゅうございましたが、しだいに評判が落ち、朦朧であるとか、春風駘蕩であるとか、だんだん批判が出てまいりました。というのは霞がかかって先がはっきりせぬという意味らしゅうございます」

 「中堅のところで見ましたところでは、永野は、結果は出なかったが、努力しようといたしますが、嶋田は東条と妥協して総長をごまかすと見ているようであります」

 「嶋田に対する信頼は、かような次第で失われているようであります。また次長(伊藤整一中将・海兵三九・海大二一次席・第二艦隊司令長官・大将・勲一等旭日大綬章)、次官(沢本頼雄中将・海兵三六次席・海大一七・大将・呉鎮守府司令長官・戦後水交会会長)、軍務局長(岡敬純中将・海兵三九・海大二一首席・海軍次官・鎮海警備府司令長官・極東軍事裁判で終身禁錮・昭和二十九年釈放)にも不満があるようであります」

 「前線の将兵も中央に信頼を失いました。その理由はよくわかりませんが、私の聞きました一、二の理由は、アッツやギルバートの玉砕は、何とかならないかという前線帰りの希望に対しまして、嶋田は『島の一つや二つ取られても驚くことはない』と言ったとのことです。嶋田は上には当たりがよいが、下には強く出ているように思われます」