2016年9月25日(日)伝道礼拝(ヨハネ3:1~8、16)岡田邦夫
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。ヨハネ3:16
中高生キャンプにスタッフとして参加した時のこと、講師の先生がこんな話を始めました。「ある人が初めて教会に行った。この人、キリスト教のキの字も知らない。宣教師が講壇から、たどたどしい日本語で話をしていた。ネコデモ救われます。ネコデモ救われますと一生懸命だ。へえ、教会というところは、「猫」でも救われるのかと彼は感心した。後でわかった。アクセントの関係でニコデモが猫でもに聞こえたのだ」。聴衆は爆笑で、その後のヨハネ3章のメッセージに引き込まれていきました。私もたいへん感動して聞いていたのですが、覚えているのは、猫でも救われます、だけとはなさけないです。
◇見えないものが分かる
さあ、そのニコデモ、ユダヤ教の教えを守り、規律正しい生活を送っているパリサイ派の人で、しかも、ユダヤ人の指導者、今でいう国会議員です。夜、イエスのもとにやってきたのですから、何か深刻な悩み事でもあったのでしょうか。聖書はそのことは何も触れておりません。立派な先生だとほめたたえて、あいさつすると、いきなり、主イエスが「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言うではありませんか。ニコデモはとんちんかんなことを言います。この老人が母の胎に入って生まれるのですか、そんなばかなと(私の言い方ですが)。
そこで、イエスは霊的な生まれ変わりが必要だと言われます。私の解釈を加えて申します。教えを守り、規律ある生活をしていることはいいことですが、それで救われるのではない。霊的に生まれ変わらなければ、救われ、神の国に入れない。言い換えれば、新しく生まれ変わりさえすれば、立派なパリサイ人、議員でなくても救われる。誰でも救われるのです。自分の罪を悔い改めて、十字架にかけられた人の子イエスを救い主と信じることで新しく生まれるのです。
この霊的なことは分かるようで分からない、分からないようで分かる。それを3章8節でこう述べています。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」。
辻井伸行さんという全盲の方がアメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝されたことがニュースになりました。生まれた時から目が見えません。生後8カ月のとき、お母さんが音に対する特別な感性があることに気付きます。CDで『英雄ポロネーズ』の音楽を聴くと、手足をバタバタさせてとても喜ぶ。毎日かけている内にCDが痛んでしまったので、同じ曲の新しいCDを買ってきかせた。しかし、機嫌が悪い。前のCDと比べたら、ピアニストが違っていたのである。同じピアニストのものを買って聞かせたら、上機嫌なのである。そうしたことから、ピアニストになっていくのである。
といって、ピアノだけさせたのではなく、他の子と同じように、何でもやらせたそうです。小さい頃、色が見えませんから、色を理解させるために、「りんごの赤」「バナナの黄色」などと教えていた。ある時、彼が「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきた。大好きな食べ物に色があるなら、同じく大好きな風に色があっても不思議はない。思えば、音色という言葉は音の色と書く。風にも色があってもいいわけ。素晴らしい豊かな感性です。(お母さんは彼の成長記を本にした時、『今日の風、なに色?』のタイトルにしたと言います。)
イエス・キリストの救いのみ言葉をいただくことによって、風があなたのところに吹いてくるように、霊によって生まれ変わるのです。神の言葉があなたの中に受肉するのです。
◇見えない方が分かる
このニコデモとイエスの対話の最後に信じれば永遠の命が与えられるとしめくくられて、聖書で最も有名なみ言葉がきます。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(3:16)。
最近、こんなCMがありました。「いのちは大切だ。いのちを大切に。そんなことを何千回何万回いわれるより、“あなたが大切だ”誰かにそういってもらえるだけで、生きていける」。渡辺和子さんが若い時、戦後、教務のアルバイトをしながら、駐留していたアメリカ人のための夜学に通っていました。英語力のなさもあり、劣等感もありで、実に大変でした。そんなある日、アメリカ人神父が「あなたは宝石だ」といってくれたのです。イザヤ書の「私の目に貴い」をいってくれたのです。ずっと励まされ、力になっていったとのことです。
日本に最初に宣教師が来た時、神の愛を「御大切」と訳しました。そのつもりでこの句を読んでみましょう。「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、あなたを御大切にされている。それは御子を信じるあなたが、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。まさに、 “あなたが大切だ” と聖霊によって呼んでくださっているのは神です。御子を犠牲にしてまで大切な人だという思いで、呼んでくださっているのです。
今日、神のふところから、あなたのところに吹いてくる風は何色でしょうか。神の愛が運ばれてきます。永遠の命が運ばれてきます。あなたの霊の手でそれを捕らえ、今日も生まれ変わりましょう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。ヨハネ3:16
中高生キャンプにスタッフとして参加した時のこと、講師の先生がこんな話を始めました。「ある人が初めて教会に行った。この人、キリスト教のキの字も知らない。宣教師が講壇から、たどたどしい日本語で話をしていた。ネコデモ救われます。ネコデモ救われますと一生懸命だ。へえ、教会というところは、「猫」でも救われるのかと彼は感心した。後でわかった。アクセントの関係でニコデモが猫でもに聞こえたのだ」。聴衆は爆笑で、その後のヨハネ3章のメッセージに引き込まれていきました。私もたいへん感動して聞いていたのですが、覚えているのは、猫でも救われます、だけとはなさけないです。
◇見えないものが分かる
さあ、そのニコデモ、ユダヤ教の教えを守り、規律正しい生活を送っているパリサイ派の人で、しかも、ユダヤ人の指導者、今でいう国会議員です。夜、イエスのもとにやってきたのですから、何か深刻な悩み事でもあったのでしょうか。聖書はそのことは何も触れておりません。立派な先生だとほめたたえて、あいさつすると、いきなり、主イエスが「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言うではありませんか。ニコデモはとんちんかんなことを言います。この老人が母の胎に入って生まれるのですか、そんなばかなと(私の言い方ですが)。
そこで、イエスは霊的な生まれ変わりが必要だと言われます。私の解釈を加えて申します。教えを守り、規律ある生活をしていることはいいことですが、それで救われるのではない。霊的に生まれ変わらなければ、救われ、神の国に入れない。言い換えれば、新しく生まれ変わりさえすれば、立派なパリサイ人、議員でなくても救われる。誰でも救われるのです。自分の罪を悔い改めて、十字架にかけられた人の子イエスを救い主と信じることで新しく生まれるのです。
この霊的なことは分かるようで分からない、分からないようで分かる。それを3章8節でこう述べています。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」。
辻井伸行さんという全盲の方がアメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝されたことがニュースになりました。生まれた時から目が見えません。生後8カ月のとき、お母さんが音に対する特別な感性があることに気付きます。CDで『英雄ポロネーズ』の音楽を聴くと、手足をバタバタさせてとても喜ぶ。毎日かけている内にCDが痛んでしまったので、同じ曲の新しいCDを買ってきかせた。しかし、機嫌が悪い。前のCDと比べたら、ピアニストが違っていたのである。同じピアニストのものを買って聞かせたら、上機嫌なのである。そうしたことから、ピアニストになっていくのである。
といって、ピアノだけさせたのではなく、他の子と同じように、何でもやらせたそうです。小さい頃、色が見えませんから、色を理解させるために、「りんごの赤」「バナナの黄色」などと教えていた。ある時、彼が「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきた。大好きな食べ物に色があるなら、同じく大好きな風に色があっても不思議はない。思えば、音色という言葉は音の色と書く。風にも色があってもいいわけ。素晴らしい豊かな感性です。(お母さんは彼の成長記を本にした時、『今日の風、なに色?』のタイトルにしたと言います。)
イエス・キリストの救いのみ言葉をいただくことによって、風があなたのところに吹いてくるように、霊によって生まれ変わるのです。神の言葉があなたの中に受肉するのです。
◇見えない方が分かる
このニコデモとイエスの対話の最後に信じれば永遠の命が与えられるとしめくくられて、聖書で最も有名なみ言葉がきます。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(3:16)。
最近、こんなCMがありました。「いのちは大切だ。いのちを大切に。そんなことを何千回何万回いわれるより、“あなたが大切だ”誰かにそういってもらえるだけで、生きていける」。渡辺和子さんが若い時、戦後、教務のアルバイトをしながら、駐留していたアメリカ人のための夜学に通っていました。英語力のなさもあり、劣等感もありで、実に大変でした。そんなある日、アメリカ人神父が「あなたは宝石だ」といってくれたのです。イザヤ書の「私の目に貴い」をいってくれたのです。ずっと励まされ、力になっていったとのことです。
日本に最初に宣教師が来た時、神の愛を「御大切」と訳しました。そのつもりでこの句を読んでみましょう。「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、あなたを御大切にされている。それは御子を信じるあなたが、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。まさに、 “あなたが大切だ” と聖霊によって呼んでくださっているのは神です。御子を犠牲にしてまで大切な人だという思いで、呼んでくださっているのです。
今日、神のふところから、あなたのところに吹いてくる風は何色でしょうか。神の愛が運ばれてきます。永遠の命が運ばれてきます。あなたの霊の手でそれを捕らえ、今日も生まれ変わりましょう。