オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

御目(おんめ)を開いてください

2018-06-10 00:00:00 | 礼拝説教
2018年6月10日(日)聖餐礼拝(イザヤ書37:1~7)岡田邦夫

「エルサレムから、残りの者が出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の主の熱心がこれをする。」(イザヤ書37:32)

 自然は良いといいと言いますが、生き物の世界は果てしない戦いが繰り広げられています。以前、原っぱや河川敷などに黄色いセイタカアワダチソウというのが生い茂っていたことがありました。花粉症の原因とされ、きらわれたのですが、そうではないことがわかりました。北アメリカ原産で、日本では切り花用の観賞植物として導入された外来種です。この植物が根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出すものですから、全国に広まっていきました。ところが、在来種のススキと競合するとススキの方が強く、3-4年で一面を覆ったセイタカアワダチソウが、3年でススキに劣勢となってしまったのです。聖書の歴史にもそれに似た戦い、逆転劇が見られるのです。

◇帝王がやって来る(36章)
 イザヤ書は預言書ですが、真ん中の36~39章には歴史の部分があります。Ⅱ列王記18~20章にもⅡ歴代誌32章にも同一の歴史記事がありますから、たいへん重要な出来事だったかを物語っています。
 アッシリヤ帝国が勢力を拡大していく中で、同胞の北イスラエルは征服され、いよいよ、南ユダにも侵攻してきました。町というのはそれぞれ城壁に囲まれているのですが、そのユダの町々は攻め取られ、ついに首都エルサレムまで迫ってきました。アッシリヤの王セナケリブはユダの王ヒゼキヤに帝国軍の力を見せつけ、降伏を迫ります。城外でアッシリヤの将軍がユダの重鎮に会って脅します。‘同盟を結んでいるエジプトも、お前がより頼んでいる神「主」も助けてはくれない。むしろ、この国を滅ぼすために遣わされたのだ…。’城壁の上にいる人たちに聞こえるように、ユダの言葉をもって大声で脅かし続け、恐れさせるのです。
 相手は圧倒的な大軍、こちらはわずかな兵しかいないし、騎兵隊すらない。戦えば、あっという間に全滅してしまう。力の差は目に見えている。強いものが勝つに決まっている。
∴強いものが勝つ

◇み使いがやって来る(37章)
しかし、その脅しに対しても、ヒゼキヤ王が答えるなと命じられていたので、人々は黙って答えませんでした。その王はというと衣を裂き荒布をまとうようなたいへんな嘆きようです。預言者イザヤに助けを求め、使いを遣わします。「きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がない(最も危険な状態)です。…アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼(将軍)を遣わしたのです。…あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください」(37:3-4略)。
イザヤはそれに答えます。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒涜したあのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」(37:6-7)。これを知って、敵はなお脅してきます。ヒゼキヤよ、お前の信頼して神にごまかされるな。アッシリヤの王はこれまで次々と諸国を絶滅させてきた事実があるではないかと…。ヒゼキヤはその手紙を神殿で広げ、祈るのです。
ヒゼキヤは創造の神を信じ、今ここに生ける神を信じ(ケルビムというのは契約の箱の上に翼をおおっている生き物の像で、神の臨在を示すものです。)、主に向かって鬼気迫る祈りをします。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳(おんみみ)を傾けて聞いてください。主よ。御目(おんめ)を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。…私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう」(37:16-17、20)。これは危急の時、危機の時の私たちの祈りです。
イザヤはヒゼキヤに主の答えを告げます。「あなたがわたしに祈ったことを聞いた」と。アッシリヤの王についてさばきのメッセージ「あなたはだれをそしり、ののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる方に対してだ」(37:23)。アッシリヤ軍は強大であったがイスラエルの聖なる方には勝てなかったのです。「主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰って」いったのです」(37:36-37)。
∴聖いものが勝つ

◇救い主がやって来る(37:32)
 この主の言葉の中に「ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。」とあり、続いて「万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。」と主なる神の思いがあふれ出ています(37:31-32)。私たちへの主の熱心です。耳を開いているよ、目を開いているよ、心を開いているよという「愛」です。ここで、新約聖書に飛躍してしまいましょう。「今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」で始まるローマ人への手紙8章を思い起こしましょう。読みます。
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。…罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。…しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:31-39)。
∴熱いものが勝つ

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