オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

急いで降りてきなさい

2009-07-26 16:26:42 | 礼拝説教
2009年7月26日 伝道礼拝(ルカ福音書19:1-10)岡田邦夫



 「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:9-10

 以前に、保育所をされている方にこのような話を聞きました。両親が働かなければならないので、3才位の男の子を預けにきました。ところがその子はすぐ「おしっこ」と言いだし、トイレに連れて行くのですが出ないのです。5分ぐらいするとまた、おしっこと言いますが、トイレで出ないか、出てもちょっぴり、それが一日中続いたというのです。保育士さんは母親に見捨てられたと思ったのかも知れない、家で愛情をかけるようにと、その子を返したそうです。
 子供は親の愛情を受けて育ちます。そのように、すべての人は、天地を造られ、人を造られた神の愛のもとにあってこそ、生き生きと人の本来的な生き方ができるのです。しかし、すべての人はその神から離れてしまい、勝手な生き方をしてしまっていますので、いつも何か欠けたものを感じ、どんなに金や地位や名誉があっても、いい知れない虚しさが根底にあるのです。それを聖書では「失われたもの」と言います。

◇降りて、尋ね出さなければならない人間
 イエス・キリストはその失われた者を救うために来られたのです。ザアカイという、日本名なら清(きよし)という人がいました。税務署の署長で金持ち。地位もあり、セレブ、今の日本なら、うらやましいのですが、当時のユダヤという国では、その正反対でした。ユダヤはローマ帝国の支配下にあって、税金をローマ政府に納めなくてはなりませんが、それを集めるのが取税人。ユダヤ人の間では「売国奴」と言って、三大悪業の一つに数えられていたほど、嫌われていました。差別されていました。
 お金があっても、全然幸せではない、虚しくなって、救いを求めていました。そこに、うわさで救い主だろうというイエスとその弟子の一行が来るのを知りました。すでに人垣ができていて、ザアカイには見ることができません。取税人なので差別されて、じゃまされたのでしょうし、彼はまた背が低かったので、なおさら見ることができません。そこで、一行が通る道をちょっと先回りして、葉の茂ったいちじく桑の木に登り、葉に身を隠し、葉の陰から見ていると、イエスが真下まで来られました。
 救い主を上から見下ろすとは何と失礼なことでしょうか。最近の言葉で、あの人は「上から目線でもの言うから嫌いだ」とか、上から目線という言い方があります。ザアカイは上から目線で主イエスを見下ろしたのです。上から目線の極みは人類をさかのぼるるとアダムとエバにありました。サタンがエデンの園でこれだけは食べてはならないという禁断の実がありました。サタンが誘惑しました。これを食べたら、神のようになりますよと。二人は誘惑に負け、食べてしまいました。神に造られた人間が神のようになろうとして、創造の神、愛の神を無視し、傲慢になり、神を上から目線で見るようになりました。それが人間の最大の罪なのです。
 木から見下ろすザアカイは上から目線の傲慢な人間の象徴かも知れません。しかし、それをとりまく、周りの人たちはどうだったでしょう。彼らも、こいつは本当に神の子なのか、本当に救い主なのか、本当に救ってくれるのか、と内側では上から目線で主イエスを見ていたのではないでしょうか。私は教会に行き始めた時、聖書に「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」という言葉に心がずきっとしました(マタイ7:1ー:2)。自分がこうなのは親が悪い、会社が悪い、社会が悪いと、人を裁いている自分の傲慢な罪に気付かされたからです。聖書やキリスト教が正しいのか、正しくないのか、上から目線で見ていました。それに気付いたのがクリスチャンになる私の第一歩でした。

◇降りて、尋ね出されるイエス・キリスト
 イエス・キリストは決して、ザアカイをしかったり、裁いたりしませんでした。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と優しく言われたのです(19:5)。周囲からはまともな人間ではないとされ、きっと名前で呼ばれることはなかったでしょう。しかし、かけがえのない大切なひとりの人格として、主はザアカイと呼ばれたのです。汚れた者だから、だれも泊まりなど来なっかたでしょう。しかし、主はザアカイ(清いのもの)だから、泊まると言ってくださったのです。
 ザアカイは急いで降りて、大喜びでイエスを迎えました。家に招いたところで、ザアカイは立って、へりくだって申し上げます。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」(19:8)。これがザアカイの回心です。イエス・キリストの愛が飛び込んできて、180度変わったのです。
 そこで、イエス・キリストはこう言われたのです。。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子(=救われた神の家族)なのですから。人の子(=イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです」(19:9-10)。誰もがだめな人間、悪い人間と軽蔑し、侮辱し、差別し、社会ののけもににしていた者でも、いえ、のけ者だったからこそ、主イエス・キリストは神の家族に迎えたのです。そのように、今日もイエス・キリストは誰も決して差別することなく、どんな人でも、自分が神の前に失われた者だと気付いた人を迎えてくださるのです。そして、神の子供として、生き生きと生きさせてくれるのです。
 そして、人は何かを失った時に、自分が失われた人であることに気付くのです。北海道東部の酪農地帯の別海町(べつかいちよう)に九里(くのり)謙一という人がいます。彼は大動物の臨床獣医師として、この仕事が好きで働いていました。自然と人間が一体となって四季おりおりの美しさ、厳しさを体感し、病む患畜の前に立つ緊迫感と酪農家の心優しさにふれ、生活は充実していました。メノナイトの別海キリスト教会に通い、家族にも恵まれていました。
 ところが、1984年2月、先の目に眼底出血をおこし視力を失いました。その年の夏、猛烈な頭痛と左目の眼球の痛みに転がり込むように入院。そして、右眼の視力を守るための予防的治療を受けていたのですが、この「糖尿病性網膜症」の病の勢いはとどまらず、右眼の視力も失ってしまいました。48才の時でした。見える世界がすべて遮断。大変なショックでした。
 退院で、病院の玄関に奥さんの肩につかまりながら立ったとき、その一歩先にあるはずの石段が深い暗闇の淵ででもあるような恐怖感にとらえられ立ちすくんでしまいました。奥さんの運転で90キロの雪道を帰ったのですが、外気の痛さは感じても、雪景色は想像するしかありませんでした。
 年末で、大学生の三人と高校生の二人の子供たちが迎えてくれ、気が紛れていたのですが、新学期が始まると、奥さんと二人きり、玄関を一歩出るにも奥さんの介助なしでは動けないので、ほとんど家に閉じこもるようになりました。今まで当たり前にできていたことが、何一つできないのです。とてもつらく悲しくて、「見えるようになりたい」「本を読みたい。また自動車に乗れるようになりたい」などと言って奥さんを困惑させてしまいました。
 もっと苦しく心に問いかけ続けたのは「なぜ神さまはボクをこのように打ち倒されたのか」という問いでした。うめくような祈りが続きました。
 彼は1936年、神戸のある教会の牧師の家庭に生まれ、母方の祖父も牧師でした。6才の時に父親が天に召され、引退牧師であった祖父が、父親がわりになってくれました。空襲警報が鳴り、防空壕に避難すると、祖父は大声で「あめつちこぞりて…」と賛美歌を歌うのでした。子供心にも祖父が祈るそのすぐ近くに本当に神さまがおられのだと実感できたのです。
 母親はクリスチャン実業家と再婚しますが、すぐなじみました。やがて思春期から青年期。牧師の子、牧師の孫、「おりこうさん」であれという重圧から解放されたいと、北海道の大学に進学し、自分で自分の信仰に立ち、札幌の教会で洗礼を受けました。卒業後、別海町の獣医師として赴任され、その時に開拓伝道を始めたメノナイトの別海キリスト教会に所属し、前述のような充実した生活になっていったのです。
 しかし、突然の試練。「なぜ神さまはボクをこのように打ち倒されたのか」と問い、苦しみ呻くような日々の中で、幼いころに暗唱した聖書の断片を思い出したり、イエスと人々が出会った聖書の中の情景を思い起こしては、信仰に立っていったのです。ある日、書斎の座椅子に腰をおろして、ザアカイと主イエスとの出会いのシーンを思い浮かべていると、何度も読んだり、聞いたりしていた言葉が衝撃的に自分に語りかけてきました。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19:5新共同訳)。
 主イエスと彼の新しい出会いになりました。いちじく桑の木の深い茂みに身を隠してでもいるような自分に向かって、主イエスは近付き、足を止め、自分を指差しながら名指しして呼んでおられる…彼は目が醒(さ)める思いがしたのです。急いで降りていくつもりで、座椅子から立ち上がりました。その後も、いろいろなことに挑戦したり、挫折もしたりする中で、「今日はぜひおまえと共にいたい」と告げてくださる主イエスのみ声を聴きながら、今日までやってくることができました。今は別海の地で鍼(はり)・灸(きゆう)・按摩(あんま)の仕事をしています。…「私を変えたせい聖書の言葉」(日本キリスト教団出版局)より抜粋。
 主イエス・キリストはあなたの名を呼んで、「○○よ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と語りかけています。今すぐ心の戸を開いて、お迎えましょう。

神がきよいとされたから

2009-07-19 16:16:13 | 礼拝説教
2009年7月19日 主日礼拝(使徒の働き10:1~48)岡田邦夫


 「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」使徒の働き10:34-35

 「ユダヤ人だから」というだけで、ナチスドイツによるホロコーストが行われ、六百万人もの人々が虐殺されました。それでも、迫害に耐え、民族の団結を守れた理由の一つが、ユーモアでした。ユダヤのジョークにこのようなものがあります。痛烈なジョークでうっぷんを晴らしていたのでしょう。
 ナチスのヒトラー総督が山を散策中に過って川に落ちた。ところが、泳げない。「助けてくれ!助けてくれ!」と叫ぶと、森から現われた男が助けた。ずぶぬれなったヒトラーは「余は偉大なるドイツ民族の総統ヒトラーである。よく助けてくれた。礼を言うぞ。で、おまえの名は?」「イスラエル・コーエンです」「なに!ユダヤ人か。しかし、おまえが余の大嫌いなユダヤ人だとしても大変勇気のあるやつだ。願いを一つだけかなえてやろう」。すると、コーエンは「本当ですか。では、私の一番の望みを」「ん!何だ?」「ハイ、私があなたを救ったことは仲間には言わないでください」。

 ◇窓から見る恵みの景色
 ユダヤ人がヨーロッパにおいて、迫害されてきた理由は、彼らの独特な生活スタイルもありますが、キリスト教が公認された四世紀ごろから、ユダヤ人はキリストを十字架につけ、迫害した民族だからというのです。今日の目で見れば大変な偏見、差別です。人類の歴史というのは偏見と差別の歴史だといっても過言ではありません。
 そのユダヤ人自身も偏見の中に生きていました。旧約聖書にありますように、偶像礼拝、倫理的堕落につながるので、異教徒と交わるなという神の命令をゆがめてとり、異邦人とその生活をたいへん軽蔑するようになりました。イエスが選ばれた使徒たちは、そのような偏見からぬけられないユダヤ人でした。全世界に出て行って、福音を宣べ伝えよと命じられても、そんなに簡単ではありませんでした。彼ら自身の中にある偏見という壁はかなり厚い壁でした。
 私は窓から見る景色が好きです。小学生の時、窓際でミシンを踏む母の絵を描いて、それが入選しました。ここ相野で、私は朝起きて、三階の牧師室に上がり、東側の窓を開けると、田畑と山が見え、朝の空が見えます。良い景色です。窓を開けたまま、天の父よ…と祈り、わたしは全能の父である神を信じます…と告白し、心の窓を開きます。それはいいのですが、畑の野菜は、窓から眺めているだけではだめで、ドアを開けて出て行き、取ってこなければ、自分のものにはなりません。
 使徒ペテロは異邦人宣教という風景を窓から眺めてはいましたが、異邦人への偏見というドアが堅くて開けられない状態にいました。そこで神はみ使いを送り、幻を見させ、不思議な出来事をもって、その偏見という堅いドアを開けさせたのです。
 カイザリヤという港町、そこは俗に小ローマとよばれるような政治・軍事の重要都市で、ローマ総督の駐在地、そこにイタリア隊の百人隊長・コルネリオがおりました。「彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた」のです(10:2)。ある日の午後三時ごろ、幻の中で、御使いが現れ、「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。さあ今、ヨッパに人をやって、シモンとう人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」と告げました(10:4ー6)。しもべ二人と敬虔な兵士一人をヨッパへ遣わしました。
 一方、もれも港町ヨッパでは、昼の十二時頃、使徒ペテロが祈りをするために屋上に上ったところ、空腹のせいか、うっとりと夢ごこちになっていました。すると、何と不思議な幻を見ました。天が開け大きな敷布のような入れ物が四隅をつるされて地上に降りて来ました。その中には、何と、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいたのです。そして、声が聞こえました。「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」
 ペテロはユダヤ人。これは死んでも出来ないことなのです。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」と言うしかないのです(10:14)。すると、きっぱりと告げられたのです。
 「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」(10:15)。
  これが三回もあったのですから、徹底しています。そして、その入れ物はすぐ天に引き上げられ、幻を通してのみ告げは終わりました。

 ◇外に出て見る神のみ業
 彼が幻について思い巡らしていると、御霊が彼にこう言われました。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです」(10:19-20)。そこで、降りていくと、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていたです。
 ペテロはヨッパの兄弟たち数人つれて、カイザリヤに着くと、コルネリオは親族、友人ら総出で迎えます。
 挨拶の後、ペテロが話し始めます。28 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです」(10:28ー29)。コルネリオも自分が見た不思議で、また、リアルな幻のことを話します。何と、二人が見たという幻は決して独りよがりのものではなく、何とも絶妙に符合することでしょうか。
 そこでペテロは、口を開きます。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです」(10:34-35)。そして、イエス・キリストの福音を筋道立てて述べます。そして、最後に「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」と招きます(10:43)。みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになりました。異言を話し、神を賛美がわき上がりました。そして、ペテロは彼らにイエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるよう命じたのでした。
 これが異邦人宣教の門戸の開かれた瞬間でした。聖霊は私たち、人の内なる偏見という堅い門戸、ドアを幻という潤滑油で軽くし、開けさせるのです。ドアを開けて行ってみると、現実に伝道の実りが待っているのです。
 神はかたよったことをなさらないのです。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」のです(10:15)。あなたは自分自身をかたより見てはいませんか。過小評価したり、過大評価したりしていませんか。人の目はなかなか平等には見えません。聖霊によって、神のかたより見ない神の平等に気付きましょう。他者に対してもそうです。過小評価したり、過大評価したりしていませんか。聖霊によって、神のかたより見ない神の平等の視点で人を見ましょう。あなたの内なる偏見という堅いドアをみ言葉と聖霊という潤滑油で軽くしていただき、開けさせていただきましょう。そうすれば、外なる伝道の門が開かれていくでしょう。



風に吹かれて散らされて

2009-07-12 16:11:56 | 礼拝説教
2009年7月12日 主日礼拝(使徒の働き8:1~40)岡田邦夫               


 「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」1ペテロ 3:15

 夏になると、ヨットが風を受けて、水面を走る光景を思い浮かべます。順風満帆(まんぱん)で快調の時もあれば、逆風の難儀な時もあります。でも操作の仕方で帆船は進めます。それを人生のたとえることがよくあります。

◇世間の風に吹かれて散らされて
 キリスト昇天後、聖霊が使徒たちに下って、教会が始まり、キリスト教は何かに覚醒したかのように、目覚ましく広がっていきました。それに対して、ユダヤの当局は大変な危機感をおぼえ、使徒たちを捕らえ、尋問し、イエスの名を語るなと禁止します。しかし、ひるむことなく、宣教がなされていきました。
 そして、聖霊と知恵に満ちているということで“役員”(今で言うなら)、の一人に選ばれたステパノの働きは目覚ましいものがありました。そのステパノが今度はユダヤの当局に捕らえられますが、その議場で使徒たちと同様、臆することなく、聖書の歴史から始まり、キリストの福音を告げ、罪を指摘し、悔い改めを迫りました。これを聞いた人々は反感を示し、激怒し、よってたかって石を投げつけ、ステパノを殺してしまいました。
 この怒りは収まらず、より膨れあがり、「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」のです(8:1)。「サウロ(後、パウロに改名)は教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」というのです(8:3)。初めの説教で三千人もの人が受洗し、その出来た教会の群は主を礼拝し、共同生活をしていました。それは実にうるわしい交わりであり、日々加わる人も増え、「順風満帆」でした。しかし、激しいキリスト教の迫害という「逆風」に合い、おおかみに襲われた羊の群れのように、エルサレムの外に散らされていったのです。
 孫と公園を散歩していた時、孫がたんぽぽの綿帽子を取っては‘ふー’と吹き、綿毛が飛び、風に乗ってどこかに行きました。それを何度もして、遊んでいました。たんぽぽの種子の行き先は風まかせです。キリスト者たちは迫害の風に勢いよく吹き飛ばされれ、散らされていきましたが、風まかせ、行く先々で、福音の種を蒔いていきました。その一人、ピリポもその風に乗って、サマリヤの町に行きました。ユダヤ人はサマリヤ人とはひどくいがみ合う仲ですから、通常なら行かないのですが、この風が吹いたため、彼はサマリヤにとんだのです。彼がキリストを宣(の)べ伝え、神の国のしるしを行うのを信じた人々は男も女も洗礼を受け、その町に大きな喜びが起こりました(8:7,8,12)。
 サマリヤに新風が巻き起こったのです。そこで、それを聞いた使徒ペテロとヨハネが遣わされて来ました。二人が聖霊を受けるよう祈ると、受洗した人たちが聖霊を受けたのです。ペンテコステの日にエルサレムで聖霊が下ったように、このサマリヤにも下ったのです。
 もと、力ある魔術師でしたが、キリスト者になったシモンという人が、その聖霊を授けられる力、権威を金で買おうとします。彼はペテロにその不敬虔の罪を厳しく指摘されます。聖霊が下るというのはそのようなものではないのです。天から聖霊という風、すなわち、神の息吹がユダヤ人の軽蔑するこのサマリヤにも、エルサレムに臨んだと同じように臨んだ、歴史的に重要な出来事だったのです。
 ピリポとキリスト者たちは迫害の嵐にもてあそばれたのではありません。聖霊の風に吹かれて、散らされ、運ばれたのです。主が言われました。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」(ヨハネ福音書3:8)。聖霊は私たちを越えたところで、み思いのままに吹いておられるのです。そして、それは確かな導きの風であり、永遠の命にいたらせる風なのです。

◇聖霊の風に吹かれて散らされて
 私たちは何か事が起こった後で、これは聖霊の導きだった、神のみ旨だったと気付かされることもありますが、先だって、聖霊がこのようにしなさいとみ旨を告げることがあります。
 使徒たちがエルサレムへの帰っていってから、主の使いがピリポに向かってこう告げます。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」(8:26)。彼は立って出かけました。すると、そこに、エチオピヤの女王カンダケの財産管理している宦官(高官)が馬車に乗っていました。彼はエルサレムで礼拝した帰りでした。すると、御霊がピリポにまた告げます。「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」(8:29)。走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえました。「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と聞くと「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」といって彼を馬車に乗せました。
 聖書の個所は、こうでした。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである」(8:32)。ちょうど、この聖句はイエスの受難による救いの預言です。
 ピリポは彼にこの聖句から解き明かし、イエスの福音を宣べ伝えました。道を進んで行くうちに、水のある所に来て、宦官がバプテスマを受けたいと信仰を表明しました。洗礼式が終わるか終わらないうちに、「主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った」のです(8:39)。それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行ったというのですから、まさに、彼は聖霊の風に吹かれて散らされての人生でした。それは最も有意義な旅人の人生だったと思います。
 私が愛媛県の壬生川教会におりました30年ほど前のことです。車で40分ほどの新居浜教会にCS(教会学校)教師研修会を頼まれました。週一回で四週、視覚教材を使ったお話しを紹介し、毎週、CSの牧会的な宿題を出しました。主の恵みによって、CSの教師の働きに成果が出て来ました。その教師に和田さんと上田さんがいました。
 それから、間もなくして、私たちは「あなたがたの新田を耕せ。」のみ言葉をもって(ホセア10:12)、開拓の使命を聖霊に示され、転任願いを出しました。1981年、豊中泉教会に赴任しましたが、そこは開拓教会ではありません。み言葉とかみ合いません。そして、宝塚で行われている家庭集会に出席したところ、不思議にも転勤で宝塚の社宅に来ていた和田さん夫妻と津根さん夫妻(奥さんが上田さんの娘)と出会えたのです。彼らから「宝塚にぜひホーリネスの教会がほしいです。長い間、祈ってきました。」と訴えられました。その時、私は「新田を耕せ」が示していたのは、この地なのだと聖霊のうなずきが与えられました。そして、宝塚泉教会の開拓が始まり、群も出来、会堂も建ち、三田開拓のビジョンが実現し、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」によって(エゼキエル47:9)、三田泉教会が今日あるを得ています。

 私たちキリスト者、また、教会が世間の風に吹かれて散らされたとしても、初代教会のように、福音の種がそこに蒔かれ、永遠の命の喜びがそこに起こってくるのです。福音の証しを用意していれば、聖霊の風に吹かれて散らされ、ピリポがエチオピアの宦官にしたように、福音を必要としている人たちの所に、届けられて、救いの業が起こっていくのです。

ステパノ・モデル

2009-07-05 16:07:55 | 礼拝説教
2009年7月5日 主日礼拝(使徒の働き6:8~7:60)岡田邦夫                


 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」使徒の働き7:56

 時々、教会で、その教会の牧師と、言葉の言い回しから、身の振る舞いまでよく似た青年がいて、つい微笑んでしまうことがあります。よほど、その青年、その牧師を尊敬しているのでしょう。尊敬する人との出会いというのは、その人の人生に大きく影響を与え、人生観まで変えさせることがあります。人生のモデルとして、ならいたいと思える人に出会えるなら、その人は幸いです。

◇古いモデルから新しいモデルへ
 聖書(特に旧約聖書)において、人間の理想像というのは、祭司、預言者、知者です。祭司アロン、預言者エリヤ、知者ソロモンなどがあげられます。それをあわせもった者こそ最高の理想です。信仰者の人生のモデルです。初代教会において、モデルがいました。その一人がステパノです。
 初代教会は財産を売ったりして、それを持ち寄り、共有して、生活していました。ところが配給のことで、もめる事態になりました(使徒の働き6章)。その時、使徒たちはこの問題処理に、七人の人を選出して、任せることにし、自分たちは使徒としての本来の仕事=祈りとみことばの奉仕に励むことにしました。御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち七人が選ばれ、その仕事にあたらせ、食卓の問題を解決したばかりか、それがかえって宣教の前進につながりました(6:5-6)。
 その中のステパノという人は「恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。」のです。しかし、それが素晴らしい働きであれば、ある程、それをよしと思わない人たちがあらわれるものです。「解放された奴隷(リベルテン)の会堂」に属する一部のユダヤ人が、人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせて、無謀(むぼう)にも、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行きました。そして、ひどいやり方をします。偽りの証人たちを立てて、こう言わせました。
 「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました」(6:13ー14)。ステパノも教会もそのような法に触れるようなことをしていません。しかし、その証言は霊的に言うなら、その通りなのです。主イエスは古いものをこわし、新しいものに変えてしまわれました。十字架、復活によってチェンジされたのです。古いモデルを新しいモデルに、フルチェンジされたのです。

◇理想のモデルから現実のモデルへ
 大祭司がそのとおりかと尋問すると、ステパノは弁明を始めますが、それは証しであり、説教です。父祖アブラハムから始まり、聖書の歴史を述べます。その中で、モーセが、イスラエルの人々に、「神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟の中からお立てになる。」と言ったと言って(7:37)、モーセを越える方としてのイエスを証しします。
 また、幕屋の建設から、ソロモンの神殿の建設を述べ、預言者の言葉から、「いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。」と証しします(7:48)。そして、鋭く指摘します。あなたがたは先祖たちと同様、聖霊に逆らっており、正しい方=イエスを裏切る者、殺す者となり、律法を守ってはいないではないかと…(7:51-54)。
 これを聞いた人々は悔い改めるどころか、激怒して、大声で叫びながら、ステパノを町の外に連れ出し、よってたかって石を投げつけ、殺してしまいます(7:54-60)。
 この証言から言えますことは、聖霊と知恵に満ちたステパノが、聖書に精通し、全体をよく把握していると共に、その中心的真理が何かを捕らえていと言うことです。その意味で彼は理想的な知者でした。
 また、大胆に神の言葉を語り、絶えざる神の愛と恵みを明らかにし、それに対して、不信仰で罪深い人間を明らかにし、人の魂に迫りました。決して、人々の理不尽な扱い、リンチも恐れませんでした。その意味でステパノは預言者のようでした。
 また、ステパノの最後はこうでした。「ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた」(7:60)。イエス・キリストと同じ言葉で、迫害する者のために祈り、とりなしをしたのです。その意味でステパノは真の祭司でした。
 祭司、預言者、知者の生き方をした彼はキリスト者としての理想の生き方をしました。新約時代の素晴らしいモデルです。しかも、「議会で席に着いた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」とありますし(6:15)、激怒する人々の前で、「聖霊に満たされたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』」とあります(7:55-56)。
 聖霊がそうさせたのです。人は愛され、愛している時、輝いています。聖霊によって、イエスに愛され、イエスを愛して、彼は御使いのように輝いたのです。キリスト者もイエスに愛され、イエスを愛して、輝くのです。ステパノに続くキリスト者も聖霊に満たされて、イエスを見つめ、イエスに見つめられ、天は開かれるのです。
 サウロという青年が着物の番をして、ステパノの殉教を見ていました(7:58)。そこで彼はキリスト教徒の迫害に走りますが、後に復活のキリストに出会って、回心し、キリスト教の宣教師になります。きっと、ひどい扱いをされながら、ステパノが栄光に輝いていた姿が目に焼き付いていたので、それが回心に導かれる導火線になったのだと思います。また、迫害されているキリスト者の多くがステパノのように輝いているの見たにに違いありません。この輝きは何だろうと求めた先にキリストとの出会いがあったのだと思います。
 私も若い時、殉教していくキリスト者が死を恐れず、平安で、輝いている姿が不思議で、また、そのような人にあこがれる気持ちがありました。初めて、教会に行った時に、メッセージや祈りがかいもく分からなかったのですが、このような人たちの仲間に入れてほしいと思いました。そして、主に出会い、神の子にされ、仲間に加えられ、どんなに嬉しかったことか、昨日のように思い出します。
 あなたが聖霊によって、イエスに愛され、イエスを愛して、輝いているなら、また、聖霊に満たされて、イエスを見つめ、イエスに見つめられ、天が開かれているなら、あなたもモデルとなり、証し人になるのです。