オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

めざめよ、わが霊(たま)

2015-01-11 00:00:00 | 礼拝説教
2015年1月11日 主日礼拝(使徒の働き7:54-60)岡田邦夫

 「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。」(5:41)

 NHK朝ドラで前回の「花子とアン」も、今回の「マッサン」も、そのヒロインはキリスト者がモデルです。花子は赤毛のアンを翻訳した村岡花子さん。エリーは日本ウィスキー創業者の妻、竹鶴リタさんです。この両ドラマでスコットランド民謡「深い河の岸辺」が歌われていましたが、私、この曲どこかで聞いたことがあるなと思っていると思い出しました。讃美歌21の104番「愛する二人に」というキリスト教の結婚の歌でした。
 エリーがもう一つ歌っているスコットランドの歌は皆さんご存じの曲、「蛍の光」です。それは「オールド・ラング・サイン」という民謡、非公式な準国歌で、歌詞はロバート・バーンズがつけたもの。旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容です。この原曲は1881年(明治14年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集に載せられました。歌詞は稲垣千頴(ちかい)が独自に作詞し、今歌われている「蛍の光」となったのです。現在も卒業式を始め、あらゆる所で別れの歌として歌われています。2節までしか歌われませんが、本来は3、4節がありました。それは「ひとつに尽くせ、国のため」など時代的色彩が強いので、戦後、学校では教えなくなったとのことです。
 ところが「蛍の光」の曲は讃美歌370番「目覚めよ我が霊(たま)」にあります。バーンズの詩よりも33年も前の1775年にフィリップ・ドッドリッジが作詞した讃美歌です。1節はピリピ3:14のみ言葉を思わされます。
  1.めざめよ、わが霊(たま)、こころ励み、ちからの限りに いそぎ進め
  いのちの冠(かむり)は わがためにぞ、天(てん)にゆく馳場(はせば)に そなえらるる。
この1節のような生き方をしていたのが、二千年前の初代教会の人たちだったのだと思います。

◇めざめよ、わが霊(たま)、こころ励み、ちからの限りにいそぎ進め
 イエス・キリストが昇天される時にエルサレムに留まり、聖霊が降るのを待っているようにと最後の言葉を聞きました。そこで「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた」のです(使徒1:14)。すべてはこの心を合わせた祈りから始まったのです。10日後の五旬節の日に聖霊がくだり、使徒と仲間たちは目覚めたのです。これまで師と仰いだナザレのイエスは本当に聖書に預言されていた救い主、メシアであると聖霊による確信をえたのです。十字架と復活の福音が鮮やかに見えてきて、救いの感動がわき上がり、霊に燃え、語らざるを得なかったのです。
 そうして、語り出された福音説教で三千人が洗礼を受け、仲間に加わり、教会共同体が生まれたのです。その姿はモデルとなるべく、教会の原型でした。2:42-47にあります。使徒たちの教えを守り、聖徒の交わりをし、聖礼典(洗礼と聖餐)がなされ、心を合わせた祈祷がなされていました。敬虔と奇跡と分かち合いの愛と賛美にあふれた礼拝がありました。実に「毎日、心を一つにして宮に集ま」っていたのです(2:46)。
 個人の救いだけでなく、キリストの体として一つになることが救いなのです。最後の晩餐で主イエスは祈られました。「わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです」(ヨハネ17:11)。三位の神が全く一つであるように、キリストの体である教会が一つになるというのが究極の救いであり、主のみこころなのです。父なる神を怖れ、キリストを中心にした、聖霊による一致の姿が現に初めの教会にあったのです。
 その後にも出て来ます(4:32-35)。「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである」。
 ところがそれを揺るがすことが起きてきます。5章です。「アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」。献金は良かったのですが、一部であるのに、あたかも全部であるかのように差し出したのです。その心が使徒ペテロに見破られます。「神、聖霊を欺いたのだ」(5:3-4)。何とこれを聞いてアナニヤは倒れ息絶えてしまうのです。3時間後、これを知らずにやってきたサッピラも夫と同じように、聖霊を欺き(主の御霊を試み)、倒れ息絶えてしまいます。心と思いを一つにしていた信者の群れが聖霊を欺くことで、壊れてしまうのです。この事件の後、教会に恐れの念が生じます。
 そして、再び、「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた」のです(5:12)。今度は教会を乱す別の問題が起こります。6章です。「弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである」。ここで基本に帰り、新たな対策を打ち出します。そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言いました。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします」(6:2-4)。そこで信仰と聖霊に満ちた役員が選ばれ、役割を分担し、教会の働きが健全になされ、神の言葉はますます広まっていきました。
 たとえ、教会の一致を乱すことがあっても、知恵と信仰とによって、基本に帰らせ、新たな展開へと聖霊が導いてくださるのが教会というものです。

◇いのちの冠(かむり)はわがためにぞ、天(てん)にゆく馳場(はせば)にそなえらるる
 心を一つにすること、すなわち、シンプルマインドがいかに教会の群れに勇気をあたえるか、そのことも初代教会にありました。ペテロがその一人。めざましい使徒たちの働きに、妬んだ大祭司と仲間たちが使徒たちを捕らえ留置場に入れてしまいます。しかし、主の使いが牢の戸を開いてしまい、彼らはまた、ひるまず人々に伝道するのです。また、使徒たちを最高法院(議会)に引き出し、教えるなと命じまが、ペテロと使徒たちは答えます。「人に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、
ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です」。実に大胆。聖霊の確証があるものですから、動じないのです。ガマリエルというパリサイ人がこの解決策を提案し、ことは治まります。
 この時の使徒の態度が印象的です。「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた」(5:41ー42)。御名のために好感をもたれることもあり、御名のためにずかしめられることもあります。聖霊によって「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜」んでいたのです。聖霊は私たちにもそういう境地を与えられに違いありません。
 役員に選ばれたステパノが伝道していますと、彼も議会に引き出されます。するとどうでしょう。「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた」とあるから、素晴らしいです(6:15)。そこで、ステパノは聖書から忠実に証詞=説教をします。アブラハム、ヨセフ、モーセ、ダビデを話し、「正しい方」イエス・キリストを証詞し、悔い改めを迫ります。使徒の働きの最も長いみごとな説教です。
 「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた」(7:54ー60)。決してステパノはがんばってはいない。聖霊に満たされていただけです。しかし、輝いていました。イエス・キリストと同じ召され方をしたのです。
 キリスト教で使われてきた「殉教」(ギリシャ語:Martyria)の語は「証人」という言葉に由来しています。すなわち、殉教とみなされるためには、その死がその人の信仰を証していると同時に、人々の信仰を呼び起こすものだったからです。この着物の番をしていた青年はステパノの殉教を目撃していたことが心に深く残ります。後に信仰を呼び起こし、復活の主に出会い、救われ、召され使徒パウロになっていったのです。自分の心を一つにしシンプルマインドで生きることが証詞となり、天の冠が待っているのです。

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