2010年6月20日 ファミリー礼拝(1サムエル記8:1~11:15)岡田晴美
「その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。」詩篇24:10
今日はサムエルさんの続きです。
この前は少年サムエルが寝ている時、神さまが3度も「サムエルよ、サムエルよ」とお呼びになって、やっと、神さまがお声をかけたことが判って、4度目に「しもべは聞いております。主よ、お語りください」とお答えしたお話しでした。やがて、少年は成長し、サムエル先生となって、イスラエルのリーダーとなりました。そして、いつも神さまのみことばに聞き従う預言者として、すばらしい働きをしていました。
でも、だんだん年をとり、イスラエルの人々は不安になりました。サムエル先生はたしかに立派な預言者ですが、彼の息子たち(ヨエル、アビア)はわいろをとって、不正を行い、イスラエルのリーダーとしてふさわしくありませんでした。そこで、長老たちが全員集まって、サムエル先生のところにやってきました。「あなたは年をとり、あなたの息子たちは悪いことばかりしています。まわりの国々は強い国ばかりです。きっと国を治められる王さまがいるからです。私たちの国にも、他の国々のように王さまを立ててください。」とサムエル先生にたのみました。
サムエル先生は「私は王さまを立てることは反対です。なぜなら、このイスラエルの国では天地万物を創造された神さまこそが王さまだからです。イスラエルの国が弱くて、まわりの国々に負けてしまうのは、王さまである神さまのいうことを聞かないからです。あなたたちはあなたたちの先祖がエジプトの王さまのもとで、奴隷になり、苦しんだことを聞いてきたはずです。王さまが立てられたら、どうなるか?判っているのですか?王さまは権力をもち、あなた方の息子たちが兵隊として集められ、軍隊が組織されるでしょう。また、王さまのために田畑を耕し、武器や戦車を作るために働かされるのですよ。女の人たちは召使いになって、王さまに仕えるのです。王さまは税金をとりたて、やがて、あなた方は王の奴隷となり、王さまを選んだことを後悔するでしょう。」
でも、人々はサムエル先生のことばが耳に入らず、「王さまが必要です。他の国々のように王さまを立ててください!」と言い続けました。サムエル先生はこのような民の要求を神さまに申しあげました。すると、神さまは「今は彼らのいうとおりにしてあげなさい。彼らに王を立てなさい。」と言われました。
サムエル先生は悲しい気持ちでした。それは人々の心が自己中心となり、神さまに従おうとせず、また、指導者にも従う気持ちがないことがわかったからです。民の心は決まっていて、神さまのみことばに対して、聞く耳がありませんでした。
このような時代背景の中で、ベニヤミン族にキシュという勇敢な男の人がいました。その息子にサウルという人がいて、背が高く、とてもハンサムな若者でした。ある時、キシュのろばが数頭いなくなってしまいましたので、キシュは息子を呼び、若者をひとり連れて、ろばを探しに行ってくれと言いました。山をこえ、谷をこえ、あちらこちらを探しましたが、見つかりません。サウルは仕方なく、「もう帰ろう。あまり帰りが遅いと、お父さんが私たちのことを心配するといけないから。」すると、若者は「待ってください。この町には神の人がいます。そこへ行って、私たちがどこへ行ったらいいか、教えてもらいましょう。」そう言われて、サウルは若者と二人で、サムエル先生に会いに行きました。
さて、一方、サムエル先生はサウルが来る前の日に、神さまからサウルのことを聞いていました。「あすの今頃、一人の人をベニヤミンの地から、あなたの所に遣わします。あなたは彼に油を注いで、イスラエルの王さまにしなさい。彼はわたしの民をあの強い外国・ペリシテ人の手から救ってくれるでしょう。」サムエル先生はサウルを見た瞬間、この人だと判りました。なぜなら、神さまがこの人だよと教えてくださったからです。サムエル先生はサウルがろばを探していたことを知っていて、「あなたが探していたろばはもう、見つかって、家に帰っています。」と教えてくれました。そして、お食事をし、お話しをしました。
次の日の朝早く、サムエル先生はだれもいない所で、サウルの頭に油(香水)を注ぎました。これは神さまが特別にお選びになった人ですよというしるしの儀式でした。(ある特別な職務に神から任命されて、着任し、そのために必要な力が神から与えられるということを象徴する儀式)「神さまはあなたをイスラエルの王としてお選びになりました。」そう言って、サムエル先生はサウルを家に帰しました。サウルが神さまに選ばれたことはまだ、だれも知りませんでした。
その後、サムエル先生はミツパという所に、イスラエルの人々を集め、「今から、神さまが王さまを選んでくださる。」と言い、分団ごとに主の前に出て、くじを引きました。くじはベニヤミン族のキシュの息子・サウルに当たりました。そこで人々はサウルを探しましたが、見つかりません。彼は何と荷物の間にかくれていたのです。人々は走っていって、そこから彼を連れてきました。サウルが人々の中に立つと、民の誰よりも肩から上だけ、背が高かったというのです。サムエル先生は皆の前で、「さあ、神さまがお選びになった王さまだ!」というと、人々は「王さま、ばんざい!王さま、ばんざい!」大合唱が続きました。こうして、イスラエルの初めての王さまが誕生したのです。
さて、この王さまの誕生という、イスラエルの歴史の中で、重要な出来事は、油注ぎとくじという「二段構え」の神さまの方法でなされました。
油注ぎ:それはサムエル先生とサウルと二人っきりで、「ひそかに」誰も知られずに行われました。
くじ:それは「公衆の面前で」公平に選ばれて任命されました。周辺の国々の専制君主とは違って、力のある者がその力によって王となるということではなく、「神」が必要な職務に適切な人材を選ばれるという形がとられました。
このことは信仰の構造を表しているように思います。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)とありますが、信仰は、“ひそかに”から、“公衆の面前”で、という二段構えといいますか、段階をふむのではないでしょうか。まず、見えない魂の領域でのイエスさまとわたしだけのやりとりがあります。「心で信じる」という霊の世界の出来事です。そして、口で告白します。公衆の面前で、信仰を言い表し、洗礼を受けます。また、何らかの心の決心を証詞します。神の語りかけをまず、聞き、応えていく、こうした、二段構えの積み重ねがわたしたちの信仰を成長させます。
わたしは高校1年生の時、キャンプでイエスさまを信じました。集会の中
で、わたしだけに語りかけるひそかな主の語りかけを聞き、信じる決心をし、キャビンに帰って、グループの中で罪を悔い改め、お祈りをしました。その後、聖書を読んでいる時、「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:10口語訳)という聖書のことばに出会い、ああ、このみことばの通りに、わたしは心にイエスさまを迎え、その後、口で告白して、お祈りをして、救われたんだと受けとめました。
24才の秋、失恋を契機に自分がこれからどう生きたらよいのか、悩んでいた時、神さまが聖会で語られました。「わたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ16:24口語訳)。ひそかに、わたしだけに語られた神の招きのことばに応答し、伝道者、牧師として献身する決心をしました。一ヶ月後、両親にその決意を伝えた時、父は「お前にはそういう生き方しか出来ないんだろう。」と言って、わたしを東京聖書学院に送り出すことを許してくれました。
その父は1995年、88才で洗礼を受け、その25日後に天に召されました。母は父が亡くなって、9年後に92才で洗礼を受けました。
さて、神さまはサウルを王としての職務に着かせるために、まず、ひそかに召しなさいました。そして、民がそのことを認めるために、公平な手段として、くじを用いられました。ひそかに語られる神の召しに信仰によって応え、それを告白していくことで、わたくしたちは信仰の段階を登って行けるのではないかと思います。
どうぞ、礼拝の中で、祈祷会や聖会やキャンプや日々のデボーションの中で、ひそかに、あなただけに語りかける主の声を聞き、信仰を公表することによって、前進して行くお互いでありますように。
お祈りいたします。
「その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。」詩篇24:10
今日はサムエルさんの続きです。
この前は少年サムエルが寝ている時、神さまが3度も「サムエルよ、サムエルよ」とお呼びになって、やっと、神さまがお声をかけたことが判って、4度目に「しもべは聞いております。主よ、お語りください」とお答えしたお話しでした。やがて、少年は成長し、サムエル先生となって、イスラエルのリーダーとなりました。そして、いつも神さまのみことばに聞き従う預言者として、すばらしい働きをしていました。
でも、だんだん年をとり、イスラエルの人々は不安になりました。サムエル先生はたしかに立派な預言者ですが、彼の息子たち(ヨエル、アビア)はわいろをとって、不正を行い、イスラエルのリーダーとしてふさわしくありませんでした。そこで、長老たちが全員集まって、サムエル先生のところにやってきました。「あなたは年をとり、あなたの息子たちは悪いことばかりしています。まわりの国々は強い国ばかりです。きっと国を治められる王さまがいるからです。私たちの国にも、他の国々のように王さまを立ててください。」とサムエル先生にたのみました。
サムエル先生は「私は王さまを立てることは反対です。なぜなら、このイスラエルの国では天地万物を創造された神さまこそが王さまだからです。イスラエルの国が弱くて、まわりの国々に負けてしまうのは、王さまである神さまのいうことを聞かないからです。あなたたちはあなたたちの先祖がエジプトの王さまのもとで、奴隷になり、苦しんだことを聞いてきたはずです。王さまが立てられたら、どうなるか?判っているのですか?王さまは権力をもち、あなた方の息子たちが兵隊として集められ、軍隊が組織されるでしょう。また、王さまのために田畑を耕し、武器や戦車を作るために働かされるのですよ。女の人たちは召使いになって、王さまに仕えるのです。王さまは税金をとりたて、やがて、あなた方は王の奴隷となり、王さまを選んだことを後悔するでしょう。」
でも、人々はサムエル先生のことばが耳に入らず、「王さまが必要です。他の国々のように王さまを立ててください!」と言い続けました。サムエル先生はこのような民の要求を神さまに申しあげました。すると、神さまは「今は彼らのいうとおりにしてあげなさい。彼らに王を立てなさい。」と言われました。
サムエル先生は悲しい気持ちでした。それは人々の心が自己中心となり、神さまに従おうとせず、また、指導者にも従う気持ちがないことがわかったからです。民の心は決まっていて、神さまのみことばに対して、聞く耳がありませんでした。
このような時代背景の中で、ベニヤミン族にキシュという勇敢な男の人がいました。その息子にサウルという人がいて、背が高く、とてもハンサムな若者でした。ある時、キシュのろばが数頭いなくなってしまいましたので、キシュは息子を呼び、若者をひとり連れて、ろばを探しに行ってくれと言いました。山をこえ、谷をこえ、あちらこちらを探しましたが、見つかりません。サウルは仕方なく、「もう帰ろう。あまり帰りが遅いと、お父さんが私たちのことを心配するといけないから。」すると、若者は「待ってください。この町には神の人がいます。そこへ行って、私たちがどこへ行ったらいいか、教えてもらいましょう。」そう言われて、サウルは若者と二人で、サムエル先生に会いに行きました。
さて、一方、サムエル先生はサウルが来る前の日に、神さまからサウルのことを聞いていました。「あすの今頃、一人の人をベニヤミンの地から、あなたの所に遣わします。あなたは彼に油を注いで、イスラエルの王さまにしなさい。彼はわたしの民をあの強い外国・ペリシテ人の手から救ってくれるでしょう。」サムエル先生はサウルを見た瞬間、この人だと判りました。なぜなら、神さまがこの人だよと教えてくださったからです。サムエル先生はサウルがろばを探していたことを知っていて、「あなたが探していたろばはもう、見つかって、家に帰っています。」と教えてくれました。そして、お食事をし、お話しをしました。
次の日の朝早く、サムエル先生はだれもいない所で、サウルの頭に油(香水)を注ぎました。これは神さまが特別にお選びになった人ですよというしるしの儀式でした。(ある特別な職務に神から任命されて、着任し、そのために必要な力が神から与えられるということを象徴する儀式)「神さまはあなたをイスラエルの王としてお選びになりました。」そう言って、サムエル先生はサウルを家に帰しました。サウルが神さまに選ばれたことはまだ、だれも知りませんでした。
その後、サムエル先生はミツパという所に、イスラエルの人々を集め、「今から、神さまが王さまを選んでくださる。」と言い、分団ごとに主の前に出て、くじを引きました。くじはベニヤミン族のキシュの息子・サウルに当たりました。そこで人々はサウルを探しましたが、見つかりません。彼は何と荷物の間にかくれていたのです。人々は走っていって、そこから彼を連れてきました。サウルが人々の中に立つと、民の誰よりも肩から上だけ、背が高かったというのです。サムエル先生は皆の前で、「さあ、神さまがお選びになった王さまだ!」というと、人々は「王さま、ばんざい!王さま、ばんざい!」大合唱が続きました。こうして、イスラエルの初めての王さまが誕生したのです。
さて、この王さまの誕生という、イスラエルの歴史の中で、重要な出来事は、油注ぎとくじという「二段構え」の神さまの方法でなされました。
油注ぎ:それはサムエル先生とサウルと二人っきりで、「ひそかに」誰も知られずに行われました。
くじ:それは「公衆の面前で」公平に選ばれて任命されました。周辺の国々の専制君主とは違って、力のある者がその力によって王となるということではなく、「神」が必要な職務に適切な人材を選ばれるという形がとられました。
このことは信仰の構造を表しているように思います。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)とありますが、信仰は、“ひそかに”から、“公衆の面前”で、という二段構えといいますか、段階をふむのではないでしょうか。まず、見えない魂の領域でのイエスさまとわたしだけのやりとりがあります。「心で信じる」という霊の世界の出来事です。そして、口で告白します。公衆の面前で、信仰を言い表し、洗礼を受けます。また、何らかの心の決心を証詞します。神の語りかけをまず、聞き、応えていく、こうした、二段構えの積み重ねがわたしたちの信仰を成長させます。
わたしは高校1年生の時、キャンプでイエスさまを信じました。集会の中
で、わたしだけに語りかけるひそかな主の語りかけを聞き、信じる決心をし、キャビンに帰って、グループの中で罪を悔い改め、お祈りをしました。その後、聖書を読んでいる時、「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:10口語訳)という聖書のことばに出会い、ああ、このみことばの通りに、わたしは心にイエスさまを迎え、その後、口で告白して、お祈りをして、救われたんだと受けとめました。
24才の秋、失恋を契機に自分がこれからどう生きたらよいのか、悩んでいた時、神さまが聖会で語られました。「わたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ16:24口語訳)。ひそかに、わたしだけに語られた神の招きのことばに応答し、伝道者、牧師として献身する決心をしました。一ヶ月後、両親にその決意を伝えた時、父は「お前にはそういう生き方しか出来ないんだろう。」と言って、わたしを東京聖書学院に送り出すことを許してくれました。
その父は1995年、88才で洗礼を受け、その25日後に天に召されました。母は父が亡くなって、9年後に92才で洗礼を受けました。
さて、神さまはサウルを王としての職務に着かせるために、まず、ひそかに召しなさいました。そして、民がそのことを認めるために、公平な手段として、くじを用いられました。ひそかに語られる神の召しに信仰によって応え、それを告白していくことで、わたくしたちは信仰の段階を登って行けるのではないかと思います。
どうぞ、礼拝の中で、祈祷会や聖会やキャンプや日々のデボーションの中で、ひそかに、あなただけに語りかける主の声を聞き、信仰を公表することによって、前進して行くお互いでありますように。
お祈りいたします。