オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

人は帆船によって、福音は使徒によって

2011-03-27 00:00:00 | 礼拝説教
2011年3月27日 主日礼拝(使徒の働き28:1~31)岡田邦夫

 「大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」使徒の働き28:31

 皆さまにお祈りいただきまして、3月23日に鼻の手術を無事終え、順調に回復しており、31日に退院予定です。外出を許され、今ここで説教をさせていただけますことはたいへん感謝なことです。私にとって、とても苦しかったのは、手術後、鼻の中にガーゼを詰め込まれ、口だけで呼吸しなければならないことでした。喉のほうに何かが流れ込むと喉がつまうのではないかと意識過剰になり、余計に苦しくなるという状態が24時間続きました。あの手この手で気を紛らわそうとするのですが、気晴らしに持っていった本も、そこにあるテレビも、しんどさを増すだけでした。
 ところが、私はそういう時に聖書を開いて、説教のための黙想と組み立てをしてると気が紛れたのでした。私はそれがいいこととは思わないのですが、そんな状態でした。こうしたことから、人はどこに気が向いているのか、どこに向かって生きているのかが、たいへん重要なことだということを知らされました。(※以下、もっていったのが新共同訳聖書でしたので、以下、聖書の引用は新共同訳のままにしてあります。)

◇一点に向かって
 パウロは一点に向かって生きていました。彼は伝道旅行中、エペソで「わたしはそこ(エルサレム)へ行った後、ローマを見なくてはならない」と聖霊に示され、決意しました(19:21)。それからは、何があってもローマに向かって行ったのです。ユダヤ人の殺害計画、主にある仲間の引き留め、また、暴風にあっての難破も、ローマ行きを止めることは出来ませんでした。彼は福音を異邦人に運ぶ「使徒」として召されていたからです。船がユーラクロンという大嵐にあい、絶望的状況の中で、カイザルの前に必ず立たなければならないから助かるのだと、使徒として神の言葉を告げました。マルタ島に流れ着き、全員助かり、それが真実であることが分かりました。島民が用意してくれたたき火にあたっていると、パウロがまむしに腕をかみつかれ、振り落としたので、島民は「正義の女神」のさばきに違いないと言ったかと思えば、パウロが何の害も受けないので、「この人は神様だ」と言うように変わりました(27:4-6)。また、パウロが病人に手をおくといやされたので、島民に敬意を表され、三ヶ月を過ごしました(27:9)。この奇跡も使徒のしるしだと思います(マルコ16:18参考)。
 そのようなことがあってから、航行できる季節となり、一行を乗せた船は出帆し、ついにローマに着いたのです。信者が迎えに来ていました。さまざまな障害がありましたが、ついにローマに着いたのです。こうして、神のみこころが成ったということに、パウロは感激したことでしょう。
 ここで私たちは一点に向かって全力で生きておられた「お方」を忘れてはなりません。主イエスはガリラヤ伝道から、向きを変えて、エルサレムに向かったことです。
 「イエスは、天にあげられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固めた」のです(ルカ9:51)。「イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ」たのです(新改訳)。そして、エルサレムへの伝道旅行を続け、ついにエルサレムに到着しました。人々は歓迎しますが、祭司長、長老たちはイエスが神を冒涜(ぼうとく)した(主は真実を証ししているのですが)という罪で死刑にしようとします。総督ピラトに執ように訴え、民衆の群集心理を利用して、ついに十字架刑にしてしまいます。むしろ、主イエスはそうなるために、エルサレムに向かったのです。人類を罪から救うために、犠牲となり、贖いとなられるために、この一点に向かわれ、ついにそこに着いたのです。

 イエスが向かった一点、エルサレムは、十字架と復活による救いの場として、永遠に変わらないものです。しかし、パウロが向かった一点、ローマは、彼が異邦人使徒として召されたための福音宣教の場としてのものでした。あとに続く私たちにとってのローマは、色々です。ある人は海外宣教の地、ある人は開拓伝道の地がそれでしょう。ここに集う私たちのローマは三田です。福音宣教における中心地は三田なのです。もちろん、機械的に場所を示すものではなく、気持ちや信仰なのです。皆さん、気持ちを向け、信仰を向けるのはこの教会です。

◇一点から
 さて、福音は「よいおとずれ」であり、音という字を使います。音は空気を媒介に伝わっていきますが、福音は信者を媒介に伝わっていきます。イエスはエルサレムを福音の発祥地としました。全世界に出て行って、福音を伝えよと命じました。パウロをローマに送り、異邦人宣教のための中継所としました。パウロはローマで番兵一人つくだけで、自由に福音宣教が出来ました。重だったユダヤ人を集め、これまでの経緯(いきさつ)を証しし、イエスについて論じました。信じた者もいれば、反逆したユダヤ人も多くいました。そこで、使徒パウロは「この救いは異邦人に向けられた。」と宣言します(聖霊によってでしょう)。音が壁にぶつかり、向きを変えるように、ユダヤ人に向けられた福音が彼らの反逆という壁に屈折して異邦人に向けられたのです。(※それがどういう主のみ心なのかはローマ人への手紙9~11章に述べられています。)

 初めは軟禁状態で自由に福音を伝えられたのですが、皇帝ネロのキリスト教徒迫害が激化し、パウロもその中で殉教していきました。しかし、そのような中で、パウロはピリピ人への手紙でこう書いています。言い換えれば、「監房」という福音放送局から、世界に向けて福音を発信させていったのです。ピリピ1:12~14を見てみましょう。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、」とあり、さらに、「主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」と、驚くべきことが記録されています。
 監禁されているのはキリストのためだということが、この福音放送局から兵営全体に知れ渡っていったのです。パウロは決して強がりではなく、止めることの出来ない「福音の前進」の事実を言っているです。パウロが捕えられているのを見た兄弟たちが、励まされて、ますます勇敢に福音の言葉を伝えていって、なおもそのよきおとづれの音(ね)が増幅し、伝播していったのです。
 「監禁されているのはキリストのため」だということが広まったのです。私たちは病いというものに監禁されているかも知れない。あるいは障害というものに監禁されているかも知れない。困難だとか、失敗だとか、心配事とか、トラブルとか、何かしらに監禁されているのではないでしょうか。しかし、キリスト者が「監禁されているのはキリストのため」だと受けとめて、生きているなら、その生き様が証しとなり、福音が伝わり、福音が響き渡っていくのです。
 私たちの教会は、開拓にあたって与えられたみ言葉は「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」で、これは福音の一つの特徴です(エゼキエル47:9)。“この福音の音(ね)の流れる所では、すべてのものが生き返る。”と確信し、それぞれの監禁状態の中でキリストのためだと証ししていくなら、必ず、福音の前進に役立つものとなるでしょう。この三田泉教会が間違いのない、生きた福音放送の、しっかりした中継局になってまいりましょう。

告げられたとおりに・嵐の中で

2011-03-20 00:00:00 | 礼拝説教
2011年3月20日 主日礼拝(使徒の働き27:1~44)岡田邦夫

 「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」使徒の働き27:24

 「人生の海の嵐にもまれ来しこの身も、不思議なる神の手により命拾いしぬ。いと静けき港に着き、われは今安ろう。救い主イエスの手にある、身はいとも安し」(新聖歌 248番)。この新聖歌の引照聖句に詩篇107:23-30がありますが、それは船乗りの感謝です。
 「船に乗って海に出る者、大海であきないする者、彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。」

◇パウロの言葉を聞かないで、嵐に
 パウロのローマ旅行にも、そのような出来事がありました。旅行と言いましても、囚人としての船旅です。パウロと数人の囚人が、親衛隊の百人隊長によって、護送されて、カイザリヤ(現在のイスラエルの首都テルアビブの北約50kmにある,地中海に面した町)を出帆しました(27:1)。向かい風なので、キプロス島の島影を航行し、ミロ(現在のトルコ西岸の港)に入港しました。そこにイタリヤ行きの船があったので、百人隊長は一行をそれに乗り換えさせました。船は西に向かうのですが、風のため、それ以上進めず、南下して、クレテ島の南側にまわり、ようやく、良い港と呼ばれるところに着きました。帆船(はんせん)ですから、風次第なのです。
 人生をよく航海にたとえます。追い風で順調な時、それこそ順風満帆(じゆんぷうまんぱん)の時もあれば、逆風でなかなか前に進めないという時もあります。嵐に見舞われることもあります。今、日本は地震と津波による、東日本大震災という戦後、最大の大嵐にあっています。私たちは被災者のために、救済と復興のために、真剣に祈ってまいりましょう。
 9月中旬以降、すなわち、ユダヤ人の祝祭・大贖罪日(断食の季節)が過ぎていた季節なので、海が荒れて航海は危険とされていました。そして、11月中旬から3月中旬までは航行は完全に中止されるのです。それで、この港がその冬を過ごすのに適さないので、百人隊長も航海士も焦って、出帆しました。パウロが「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言ったのですが、聞いてはくれません(27:10)。穏やかな風で出帆したのですが、まもなくすると、ユーラクロンという暴風が吹き荒れ、船は進めず、吹き流されるままにするしかなくなりました。小舟を船に引き上げ、船体がこわれないよう綱で巻くというように、出来ることはしました。さらに、船は暴風に激しく翻弄(ほんろう)されていたので、翌日、積荷を捨て始め、三日目には船具までも投げ捨てたのです。「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。」のです(27:20)。だれも長いこと食事をとらない状態でした。

◇神のみ言葉を聞いて、嵐でも
 この時です。パウロがこう言ったのです。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」(27:21ー26)。
 助かる最後の望みも今や絶たれようとしている時に、よくもこれだけのことが言えたと感心してしまいます。実に説得力のある言葉です。もし、許されるなら、これをギリシャ的に分析してみたいと思います。説得のあり方について、哲学者アリストテレスの弁論術によると、おおまかですが、言論(ロゴス)による説得と、感情(パトス)による説得と、人柄(エトス)による説得の三つの側面があると言っています。パウロの冷静な理性(ロゴス)によって、自分の忠告を聞き入れて、出帆しなかったら、こんな危害や損失はなくて済んだと伝えています。パウロの同船の人への熱意(パトス)をもって、「しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい」と励ましています。パウロの信仰から出てくる人格(エトス)によって、神のみ言葉があって、船は失っても、どこかの島に打ち上げられ、全員が助かるのだと証ししています。絶望的状況下で必要なことはこのエトスであり、パトスであり、ロゴスだと思わされます。主はそれらを総合して、パウロに与えてくださったのでしょう。しかし、ここで学ぶのは、そのような危機の時に、私たちにとって何よりも重要なことは、真実な神のみ声を聞くことであり、それを信じる信仰だということです。
 『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザル(皇帝)の前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです(任せてくださったのだ)』。「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」。
 そのように、神の書かれた台本のようになっていきます。14日目の夜、水夫たちがどこかの陸地に近づいたように感じ、暗礁に乗り上げないようにと4つの錨をおろします。水夫たちは船から逃げ出そうとしますがそれをとどめ、下ろされた小舟を流してしまいます。夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧め、再び、全員助かると励まし、パンを取り、一同の前で神に感謝をささげると、一同、元気づけられ、276人、全員が食事をとったのです。十分食べてから、麦を海に投げ捨てて、船を軽くし、錨を切り、舵の綱を解き、帆を張って入り江に乗り入れようとしました。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまい、へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めたのです。百人隊長はパウロをあくまでも助けようと思って、囚人たちが泳いで逃げないように殺してしまうということをやめます。各自、飛び込んで泳ぐとか、板きれなどにつかまって行くとかして、岸に向かわせました。それで、全員、無事に陸に上がったのです。その島はマルタ島で、割合シシリー島に近い島でした。シシリー島は長靴型のイタリヤ半島のつま先部分にあり、ローマという目的地に近い所に流されていたのでした。神に告げられた通りになったのです。神と神のみ言葉を信じた通りになったのです。
 私たちの信仰の船旅でも、聖霊の順風に進んでいるように見てる時もあれば、世の逆風でなかなか進めないと感じる時もあれば、試練の嵐にもみくちゃにされていると思わされる時もあれば、何かわからない暗礁に乗り上げて困難を覚える時もあるかも知れません。しかし、与えられた神のみ言葉をしっかり持っていれば、たとえ、何があっても、助かるのです。最終目的地の天国の港にたどり着くのです。イエス・キリストにおいて凱旋するのです。
 今日はみのお泉教会の礼拝で洗礼式がありました。それは信仰の船出です。私たちの罪のために死んでよみがえられた主イエス・キリストが宣言されました。「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。」と(マルコ福音書16:16)。信じた今、救われたのです。そして、信仰の船旅を終える時に、天国の港に着き、永遠の救いに与るのです。このみ言葉の通りになるのです。あるいは救いのみ言葉のようになるのです。私の場合は「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」が私の救いのみ言葉です(ヨハネ福音書1:12ー13口語訳)。私たちは、順風の時も、逆風の時も、主と主のみ言葉を信じていきましょう。聖霊によって「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」と告白させていただきましょう。主イエス・キリストこそ、永遠の航海士です。

私のようになってほしいとの証し

2011-03-13 00:00:00 | 礼拝説教
2011年3月13日 主日礼拝(使徒の働き24:1~26:32)岡田邦夫

 「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」使徒26:29

 アウグスティヌスの回心物語は昨年にも話しましたが、彼が古代キリスト教の最高の教父と評される人ですので、もう一度、話しましょう。アウグスティヌスは北アフリカの海岸の町で、熱心なキリスト教徒の母モニカと宗教に無関心の父の間に生まれました。彼は修辞学を学び、文学に関心を持ち、哲学者プラトンやキケロのものを読み、精神世界と真理探究の情熱にかられていきました。生活は若い女性と同棲し、彼女との間には息子が一人いるという状態でした。また、マニ教という色々な宗教を組合せ、世界を善と悪、光と闇の二元論にまとめた宗教(しかも禁欲的)にのめり込みますが、その限界を知ります。当時を回想して「私は肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた。」と『告白』で述べています。そこで、ミラノの司教であったアンブロシウスの説教を聞き、キリスト教にひかれて行くようになりました。転機がおとづれます。ある日、友人といた時、その話に感動し、庭に出て、罪からの救いについて考え込んでいました。どこからともなく「取って読め、取って読め」という声が聞こえてきたので、聖書を開き、「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲にために心を用いてはいけません」のみ言葉を読んで、回心しました(ローマ13:11-14)。それから、息子といっしょに32才でバプテスマを受けました。その後、北アフリカの小さな町ヒッポの司教となり、修道院を建て、そこで数々の著作を書き、最高の教父と後に評さるような生涯を全うしたのです。

◇下心で通す
 さかのぼって、時は紀元56年、ここはローマ帝国ユダヤ州の地中海沿岸のカイザリヤ、この州の政治の中心地です。総督に派遣されていたのがペリクスという人。パウロがエルサレムでユダヤ人の議会にて告訴され、騒動があまりにも大きくなったので、このカイザリヤまで移送されてきました。そこに、その議会の代表者たちが弁護士をつれて、総督に訴えてきたのです。「この男はペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。この男は宮さえもけがそうとしましたので…」(24:5-6)。総督にうながされて、パウロが話します。“自分は騒ぎを起こしたこともないし、訴えているその証拠もないし、良心に反することもしていません。ただ、義援金をもってエルサレムに帰ってきたのです。議会では、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです。』(24:21)と叫んだにすぎません。”ペリクスはこの道=キリスト教について相当詳しい知識を持っていたので、ややこしくなるのを避けたのか、裁判を延期しました。
 そして、友人たちが世話をすることのできる軟禁状態にしました。数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト教信仰について話を聞いたのです。「しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、『今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。』と言った。それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。」と記されています(24:25-27)。この総督を、皆さんはどう思われますか。

◇真心で通す
 しかし、州総督がフェストに変わり、パウロに証詞のチャンスが訪れます。前回と同じで、ユダヤ人たちが多くの重い罪状を申し立てますが、それを証拠立てることはできず、パウロが弁明することになります。そこで、彼がローマ人として、上訴します。フェストは陪席の者たちと協議したうえで、「あなたはカイザル(皇帝)に上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」と申し渡します(25:12)。そこに、表敬訪問でやって来たのがヘロデ大王のひまご、ヘロデ・アグリッパ王とベルニケです。そこで、総督がパウロに関して、今までの経緯を話します。物語や舞台ですと“かくかくしかじか”となるわけですが…。すると、自分もその男の話を聞いてみたいと言うので、翌日、その場が設けられます。盛装したアグリッパ王とベルニケが千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて謁見(えつけん)室にはいり、パウロが連れて来られました。これこそ、パウロが証し出来るための舞台を見えないところで、主が用意されたのです。
フェスト総督はアグリッパ王とユダヤ人に、自分としてはローマの法律では彼は死に当たることは何一つないが、囚人を皇帝のもとに送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのだが、と切り出します。すると、アグリッパ王がパウロに「あなたは、自分の言い分を申し述べてよろしい。」と言ったのです。証しの絶好の機会がやってきました。
 パウロの回心の証しは、初めは使徒の働きで9章に出来事として記されていました。次は22章。エルサレムで、ユダヤの群衆に向かってなされました。今度は26章。3度目で総督、王、主だった人たちに向かってなされるのです。ここで、物語や舞台なら「かくかくしかじか」となるか、要約した台詞になります。ユダヤ教に対する熱心だったこと、キリスト教徒を迫害する急先鋒だったこと、しかし、復活の主に出会って回心し、異邦人宣教師に召されたことなどを証ししましたとというようになるのでしょうが、しかし、パウロの証しは長く詳しくなります(26:2-23)。
 1度目(9:4)と2度目(22:7)は同じ:彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
 3度目(26:14):私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』
 初めは省略していたのが、後のは重要なこととして、あったままを述べます。「ヘブル語で」み声を聞いたということ、「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」(‘すき、または車につながれた牛が、主人の制する鉄針のついた突き棒をけると痛い目にあう’で、私に反対することは無意味で、不可能であるの意味)という格言を聞いたことです。ユダヤ人の原点の母国語で聞いたこと、ローマ社会の文化であるギリシャの格言で聞いたことに意味があるのだと私は思います。「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」に通じることでしょう(ローマ1:16)。最後に「すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」と重要な福音を述べます(26:23)。
 私たちの救いの証しというものも、それが事実の経験であるなら、しかも、思い込みでなく、真実であるなら、後になる程、その証しは無駄な言葉は省かれても、実際には長くなり、詳しくなる傾向にあります。まさに「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」ということの証拠です(使徒4:20)。
 証しを聞いて、フェスト総督が大声で言います「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」。パウロは勧めます。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。…これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。…」。アグリッパ王にも勧めます。王は拒みます。「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」。パウロは大胆に言います。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」(26:29)。そして、みな退席し、彼は何も悪いことはしていないし、カイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうにとの声が上がるのでした。真実な証しを否定は出来なかったのです。
 「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」。これこそ、証しというものの本質を良く言い表しています。ことばが少なかろうと、多かろうと、劇的な回心であろうと、見た目は変わらない回心であろうと、熱心に求めて得た信仰経験であろうと、幼子のように素直な信仰経験であろうと、元気な中での証しであろうと、病気の中での証しであろうと、…どんな証しであっても、それぞれ、かけがいのない、貴重な証しなのです。立派に輝く証しに心引かれる場合もあれば、弱さをさらけ出した証しに心癒される場合もあります。神という演出家が、一人一人の個性を引き出し、最大限の証しが出来るように演出してくださるのです。代役はきかないのです。私たちは与えられた証しの適役を確信をもって、世という舞台で、真実に演じてまいりましょう。
 「私が神に願うことは…私のようになってくださることです」。パウロもアウグスティヌスも、あなたも、私も救われ方は違いますが、イエス・キリストの十字架による「救い」はまったく同じです。パウロの救いも、アウグスティヌスの救いも、あなたの救いも、私の救いも、イエス・キリストを信じて義とされる救いはまったく同じなのです。だから、言えるのです。「私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」。

惨めではない、気高い

2011-03-06 00:00:00 | 礼拝説教
2011年3月6日 主日礼拝(使徒の働き21:17~23:35)岡田邦夫

 「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。』と言われた。」使徒の働き23:11

 聖書の外典をもとに書かれた「クォ・ヴァディス」というキリスト教の歴史小説があります。作者はヘンリク・シェンキェヴィチ、刊行は1896年。題名はヨハネ福音書13章36節のラテン語訳「クォ・ヴァディス・ドミネ(主よどこへ行かれるのですか)」からとられました。時は1世紀のローマ帝国。皇帝ネロは自分の思い描く新生ローマを築こうとして、旧いローマを焼き尽くすよう命じて大火災を起こし、キリスト教徒をその張本人にでっち上げます。そして、彼らを捕らえ、競技場でライオンの餌食にさせるという迫害にでます。その中で若いキリスト教徒の娘と、ローマ人騎士の間の恋愛を描き、また、キリスト教徒の「敵をも愛せよ」との教えのもとに無償の愛に生き、殉教していく様を描いています。小説のクライマックスはローマを去ろうとするペテロの前に光の中にキリストが現れるところです。「クオ ヴァディス ドミネ」と尋ねると、主イエスは「おまえの代わりにローマで迫害をうけ、ふたたび十字架にかかる」と迫ります。ペテロは自分の行為を恥じて、再びローマへと戻っていくのです。何かとても気高いものを感じさせる作品です。
 これは歴史小説ですが、このネロの迫害時代に事実、パウロはローマに向かっていったのです。事実は小説より奇なりと言いますが、不思議な何かに導かれていったことが使徒の働きに記されています。

◇正義の名の下に不正義が
 御霊の示しを受けて、パウロはエルサレムにやって来ました。エルサレム教会は喜んで彼を迎えてくれ、ユダヤ人クリスチャンに誤解されないようにと勧められ、身を清めて神殿に行きました。そこへ、アジアから来たユダヤ人たちが、パウロを手にかけ、この男は律法と神殿に逆らう者だと群衆をあおり立てます。するとエルサレム中が大騒ぎとなり、混乱状態になってしまいました。事態を重く見たローマ軍が出動し、混乱を治めるため、とりあえずパウロの身柄を拘束しました。その時、彼は千人隊長に自分はユダヤ人だがれっきとしたローマ市民なので、人々に話をさせてくれと頼むと、そのような人なら良いだろうと隊長は許可を出します。パウロが階段の上に立って手を振ると民衆は静かになったので、今度はヘブル語で話し始めました。ユダヤ人の間ではアラム語を話しており、聖書のヘブル語で話せるのは学識のある人たちだけでしたので、ますます人々は静粛になりました。
 そこで、パウロは証しをしました(22:1-21)。自分がガマリエル大学で律法について厳格な教育を受け、熱心なユダヤ教徒だったこと。それで、キリスト教徒を熱心に迫害し、男も女も縛って牢に入れ、死に至らせることもあったこと。ステパノの殉教の時にも、迫害に同意していたこと。しかし、ダマスコに行く途中で天からのまばゆい光に照らされ、復活されたナザレのイエスに出会い、目が見えなくなったこと。アナニヤという人が来て導かれたので、目が開かれ、、バプテスマを受けたこと。エルサレムで祈っていると「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」との召命をうけたこと。……偽りのない、真実の証しでした。
 しかし、聞いた人々の反発は激しく、「こんな男は、地上から取り除いてしまえ」と叫び、着物を放り投げるは、ちりをまき散らすはで、手が着けられない状態になってしまいます。千人隊長はいったんはパウロを兵営の中に入れて、この場を治めます。パウロはローマの市民権を有するので、鎖を解きます。しかし、ユダヤ人の告訴がよく分からないので、ユダヤ人議会(最高法院)を召集して、はかってみることにしました(23:1)。その議会で、パウロは「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活してきました。」と語り初め、大祭司に向かって、イエスが言われたように「ああ、白く塗った壁。」と偽善をつきます。議員たちを発憤させてしまいます。更に、「私はパリサイ人であり、…死者の復活という望みのことで、さばきをうけているのです。」と叫んで、議題を復活にもっていこうとしたのです。すると、復活も御使いも霊もないというサドカイ派とそれはあるというパリサイ派で、意見の衝突が起こり、議会は二つに割れてしまって混乱してしまいます。中にはパウロに味方するパリサイ人も現れるくらいですが、パウロが引き裂かれてしまう危険があるので、千人隊長はパウロを議会から力ずくで引き出し、兵営に入れ、保護します。

◇不正義の下に正義が
 時代の流れと言いましょうか。勢いと言いましょうか。正義の名の下に人を抹殺しようとするサタン的な勢いにパウロは飲み込まれようとしています。イエスがそうだったようにです。しかし、主はパウロを守ります。その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」(23:11)と励ましたのです。
 振り返ってみれば、神のなさることは不思議なことです。主は反対者の攻撃を逆手にとって、公衆の面前でパウロに堂々と証しをさせたのです。また、パウロという器を最大限に用いました。反対者が騒ぎ立てたからこそ、エルサレムの住民が集まってきました。パウロが生まれながらのローマ人という上流の市民権を持っていたからこそ、ローマ軍に保護されました。彼が上級のヘブル語を話せたからこそ、大勢の人々を静かにさせて、証しができました。神は絶妙な方法で、証しのためのセッティングをされたのです。そして、パウロが復活の主に出会い、回心し、迫害者から宣教者に変わったという経験があったからこそ、内実のある証しができたのだと思います。神は説得力のある証しをも用意されていたのです。また、復活を信じてることを大声で証ししたからこそ、パリサイ派のある律法学者が立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない。」とまで言ってくれたのです(23:9)。そして、何よりも「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」という召命があったからこそ、何があっても想定外とは思わず、突き進んでいけたのだと思います。
 主はみ業がなされたとパウロに告げます。「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかしした」(23:11)。そして、今後の展望を告げます。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(23:11)。
 魔の手はなお迫ってきます。ユダヤ人の40人以上が徒党を組み、必死にパウロ殺害の陰謀を企てています。議会と組んで、詳しい審議が必要だからと見せかけて、千人隊長の手から離れたところで、殺そうというものです。しかし、この陰謀をパウロの姉妹の子が耳にしたので、隊長に密告したため、すぐ手を打ちました。「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ。」と命じ(23:23)、総督ペリクスへの書状をもたせ、出発させたので、パウロは無事、カイザリアに着きました。これから、まだ、証しの旅は続きます。それは初めにパウロについて、アナニアに示されたみ言葉、「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」のようになっていくのでした(9:15)。

 パウロがテモテに書き記した手紙に「万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。」とあります(1テモテ6:13新共同訳)。パウロの頭と心の中に、イエスがピラトの面前で証しされたことが、強くありました。証詞者イエスの御前に生きていたと思います。それはたいへん気高い生き方だと思います。パウロにはパウロという器の持ち味がありますが、私たち一人一人にはそれぞれの器の持ち味があります。主はそれぞれの持ち味を生かして、主を証しする器として用いなさいます。パウロが神によってお膳立てされた中で、証ししましたように、それぞれにも証しのできるようにとの神のお膳立てがなされています。ピラトの面前で立派に証しされた主イエスが共にいて、証しをさせてくださるのです。そこに証しの価値があるのです。それが気高い証詞者の生き方なのです。イエスの生き方の気高さは「イエスは神であるのに」という聖歌総合版198番で歌われています。※(旧ゴスペル歌集の"Jesus My Saviour to Bethlehem Came"の翻訳)
 ①イエスは神であるのに 人の子として生まれ 若き日をば大工で
  過ごしました この気高い救い主が 今も生きてわれらを救うのです
 ⑤ローマの兵はイエスをば 縄で縛り鞭打ち 衣服はいで木にかけ
  殺しました この気高い救い主が 今も生きてわれらを救うのです
 それぞれがこの気高い救い主を信じ救われ、それぞれの器の味を生かしてこの気高い方を証しする任務を果たしながら、この気高い方と共に、気高い人生を旅してまいりましょう。