オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

主に向かって手を上げているときは

2009-08-30 16:00:27 | 礼拝説教
2009年8月30日 主日礼拝(出エジプト記17:8~16)岡田邦夫        


「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」エペソ6:18

 視聴者の投稿による「ぼやき川柳」には日常のユーモアが見られます(NHKラジオ・かんさい土曜ほっとタイム)。このようなのがありました。
 「ゴミ持って 出かける朝に 存在感」…山梨県・豆しぼり
 「頼りない 亭主に私が ついてます」…大阪府・おかめ
 「ほんとうに 空気のような 人だった」…福岡県・尾上政代
存在感のなさを笑っていますが、ほんとうはそうではなさそうな有(あ)り様(よう)が感じられます。今日の聖書の話はイスラエル人がアマレク人と戦うところ、指揮官モーセの存在感は重く、こう記されています。「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった」(17:11)。私は思いました。牧師が手をあげて祈っているときは、教会は優勢になり…と言えるほど、自分は祈りの人だろうか、それほど力量も存在感もない、空気のような人だ、がんばってモーセのような指揮官にならなきゃ…と。しかし、聖書はそのようなことを言っているのだろうか、もっと恵みと祝福が告げられているのではないかと読んでみました。

◇神の杖をもって
 イスラエル人がエジプトを脱出した時は、民は武器を持って戦うことは泣け、神ご自身がナイル川を血に変えるなど、力強いみ手をのべ、自然界を武器にエジプトの王と戦い、奴隷の民を解放されました。しかし、出エジプト後、神の民は迫り来る敵に対して、武器を手にして戦わなければならないこともありました。今日の敵はアマレク人。「さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。」と書き出されています(17:8)。
 イスラエルの戦法はこうです。「モーセはヨシュアに言った。『私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。』」(17:9)。そうして、アマレクと戦っている間、モーセとアロンとフルは丘の頂にいました。指揮官の采配が兵士の士気(やる気)に影響を与えます。事実、モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になったのです。
 長時間だと、人は疲れるもの、モーセの手が重くなりました。それでは負けるかも知れません。そこで、アロンとフルが石を持ってきて、モーセをそこに座らせ、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえたのです(17:12)。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであったので、ヨシュアはアマレクの民を剣の刃で打ち破ることができたのです(17:13)。

◇主の旗をもって
 私たちにもアマレクのような敵がいます。生活の戦いがあり、霊的な戦いがあります。モーセが手を上げたように、教会の群の戦いに牧師が手をあげて祈らなければなりません。アロンとフルがささえたように、教会員が支えて祈らなければなりません。教会は「祈りの家」だからです(マタイ21:13 )。そうして祈る時に、神が勝利に導かれます。
 それと共に「万人祭司」、一人一人がモーセです。あなたの生活の最前線で繰り広げられる戦いに、あなたは祈りの手をあげます。しかし、疲れて、手が重くなってきます。アロンとフルという教会の友が日が沈むまで、支えてくれます。祈って共に戦います。霊の勝利、み言葉の勝利、信仰の勝利がきます。そのように、皆がモーセであり、皆がアロン、フルだと思って、アマレクという、今の「悪い時代」と戦っていきましょう(エペソ5:16)。そうすれば、祈りが聞かれたという感謝の祭壇を築くことができるに違いありません。そのような信仰の戦いは一般の新聞や歴史書に載らなくても、記録として(17:14)、天に書き記されるのです。

モーセは祭壇を築いた時、「アドナイ・ニシ」(主はわが旗)と呼びました。その説明が翻訳によって違います(17:16)。
 新改訳「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」
 口語訳「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。
 新共同訳「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」 きっと原語はそのように幅のある訳ができる言葉なのでしょう。明確な言葉は「アドナイ・ニシ」(主はわが旗)です。これまで話してきました私たちの戦いの、その指揮官は主イエス・キリストです。その軍旗は「アドナイ・ニシ」(主はわが旗)です。日本の戦国時代の武将・直江兼嗣の甲に「愛」の字が掲げられていることは良く知られています。私たちが振る主の旗には「愛」の文字が記されています。「見よ、神の小羊」と言われた、十字架を背負う小羊の絵が描かれています。「イエスは勝利をとられた。十字架の上で」(赤P&W60)の御旗です。
 今日は衆議院議員の選挙の日、国の指揮官を選ぶ日です。国の方向性を左右します。市民として、私たちは参加します。しかし、私たち、クリスチャンは霊の戦いのために、モーセやアロン、フルのようにすでに選ばれているのです。私たちの祈りはこの勝敗に左右するかのように、大事なのです。愛の旗を振って祈ろうではありませんか。あなたの存在は重いです。

休ませてあげよう

2009-08-23 15:55:27 | 礼拝説教
2009年8月23日 伝道礼拝(マタイ11:25~30)岡田邦夫              


 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ福音書11:28)

 東洋医学ではからだには「つぼ」というものがあって、そこを押さえたり、刺激すると病状が和らぐといいます。ものごとにも、そこを押さえればわかるというようなつぼがあります。聖書にもここがわかれば、聖書のメッセージがわかるという一句があるとマルチン・ルターが言いました。ヨハネ福音書3章16節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。ルターはこの箇所を「小聖書」とか「黄金の聖句」と呼び、何度もこの箇所から説教をしました。
 そして、多くの教会が福音のメッセージのつぼはここにあると認めてきた聖書の箇所が、マタイ福音書11章28~30節です。私がイエス様を信じるようになった時のメッセンジャーは平松実馬という日本国中だけでなく、東南アジアを巡回する伝道者でした。彼は福音の神(しん)髄(ずい)がここにあると言っていました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。

◇休むことはいいこと
 人は心身共に疲れたら休みますし、休まなければなりません。私が若い時に勤めていた研究所の所長が雑談の時に、都会人は働きすぎて疲れているから、町中に休憩所を作ったら、はやるかも知れないと言っていました。小さなスペースで良い、ゆったりできるソファーがあって、部屋を薄暗くし、心地よい香りとBGM、快適な温度と柔らかな毛布、30分とか1時間、希望の時間で起こしてくれるというもの。ハードな仕事の合間、一休みすれば、仕事がはかどるので、利用するビジネスマンが多いだろうと…。
 人は人生に疲れきることがあります。人生の重荷に耐えられなくなる時があります。そのような時に、人生の休憩所が必要です。旅行に行ったり、好きなことをしたり、気分転換もよいでしょう。さらに、「魂」が本当に安らぐ休憩所はイエス・キリストご自身の所だと聖書は告げています。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」。
 仕事をするため、生きていくために、安息すると私たちは思ってしまいますが、聖書では「安息」そのものが大切だと言っています。創世記には神は天地を6日にわたって創造され、「第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。」のです(創世記2:2-3)。十戒のなかの一つが、それを根拠に6日働いて、7日目、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」です。
 安息というのは聖なるもの、特別なもの、価値あるものなのです。それは神から与えられる最高の賜物なのです。私たちは安息日=日曜日、どれほど、この安息を感謝しているでしょうか。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」というイエス・キリストの言葉に招かれて、安息日、礼拝に集まりましょう。

◇たましいにやすらぎが
 アウグスティヌスのこの言葉もまた有名です。「人は神に造られたのだから、神のもとに帰るまでは決して安らぎはないであろう」。神のもとというのは単なる休憩所ではなく、私たちのたましいが本来いるべき場所です。イエス・キリストが「わたしのところに来なさい。」と言われる時、本来あなたがいるべき所に帰ってきなさいということです。
 お金がなければ不安ですが、あっても、人はどこか不安です。地位でも、名誉でも、健康でも、人との信頼でも、何でも、なければ不安ですが、あっても、人はどこか不安です。財産があれば、かえってそれが負担になりますが、ないこと自体も、重荷です。真の安らぎはないのです。悪いことをしたり、思ったりするとたましいに責めを感じます。良心の呵(か)責(しやく)というものです。それが人を魂の深い所で不安にさせるのです。また、それはまたおろすことのできないたましいの重荷なのです。
 イエス・キリストはそのような私たちのために、十字架にかかり、私の罪の責めを代わりに受けて下さり、信じる者が責められるところのない者となるようにしてくださるのです。また、私の全ての重荷、特に、罪の責めの重荷を負って、身代わりに死なれたのです。そう信じる者には、この世にない、天にある神の平安が新しく与えられるのです。その平安は天の賜(たま)物(もの)です。それは経験できるものです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」のイエス・キリストの声を聞いて、きょう、この天の賜物をいただきましょう。
 そして、新たな使命に生きるのです。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(11:29-30)。

 坂(さか)寄(より)衆(ひろ)子(こ)さんという日本基督教団韮(にら)崎(さき)教会員の話しをいたしましょう。彼女が5才の時、1954年のことでした。2才下の弟が頭痛、吐き気を訴えました。高熱、吐き気、けいれんの繰り返し、近くの医院では対応できず、阪大病院に入院。「日本脳炎」でした。父母は病院に詰めっぱなし、幼いながら、彼女は家で自分のことは自分でやり、家族の帰るのを待ち、半年後、帰ってきました。
 しかし、その日から衆(ひろ)子(こ)さんの戦いが始まりました。弟は言葉をすべて忘れて、目にする物すべて投げる、かむ、口に入れる、叫ぶ、そして、動き回る、彼女はすべての時間を彼と共に過ごしました。運命と思い、夢中でした。安全を考え、興味を持つ言葉を使い、理解できる遊びを考え出しました。十分が小学校に入ったが、弟は荒れ狂う「物」でしかなかったと彼女は言います。しかし、彼女はあきらめず、何とひらがなを教え始めたのです。3年目で読めるようになり、数字にも挑戦しました。それは奇跡でした。
 ある日、友人のピアノのレッスンを見に行った時に、先生に月謝を渡しているのを見ました。その時、ピアノを教えれば弟と生活できると直感しました。帰宅して母に「ピアノを習いたい」と言って、レッスンを始めました。弟がいるので練習は無理でしたが、それでも続けました。学校以外はすべて寝食、弟といっしょ、勉強もピアノも難しくなり、もう、生きるのに疲れ、何か別の力に飢えていました。
 弟は就学年齢となり、「学芸大学付属小学校付属養護学校」に入学しました。しかし、母が毎日、一日中弟に付き添うことが条件でした。それで、彼女は家事をこなし、認知症の祖母の面倒を見、勉強とピアノ、弟が帰ればその面倒…。明るく振る舞っているものの、肩をいからせ、下を向いて歩いていたと言います。心は疲れて汗にまみれていたのです。
 隣が敬虔なクリスチャンで、家庭集会をしており、彼女と弟をよく呼んでくれました。心静まる時でした。神学校の学生が来れば、時に弟を見ていてくれるので、それは貴重な時間でした。賛美歌や説教が知らず知らず、心の拠り所になっていきました。
 数年後、父の転勤で、大阪の池田に転居。弟は多動性で情緒不安定、彼女にはもう大きな負担で疲れ果てていました。家庭集会のことが忘れられず、弟を駅前の教会に連れて行きました。牧師は優しい笑みで「いつでもいらっしゃい。日曜日に必ず来なさい。」と言ってくれました。弟が困らせるだろうとくどく言っても、答えは同じでした。弟と行きました。日曜学校から大人の礼拝に出ました。
 その日、牧師の説教でこう言われました。
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイ11:28-30)。
 これを聞いた時、彼女の心で何かがはじけました。心の渇きをしのげるものが見つかったことを感じました。身体が震え、涙があふれました。私を見ていてくださる方、私の心の渇きをいやすことのできる方がいることを感じました。何かわからないものが噴き出し、救われたと思い、うれしくかったと言います。体中で感じました。
 それから、父の転勤で東京に。今の韮(にら)崎(さき)教会に行っています。弟も韮(にら)崎(さき)に来ると一緒に行きます。「アーメン」と祈り、神様が見えると言います。今、福祉作業所で働き賃金を得、陶芸を趣味として、全力を尽くして生きています。イエスのもとに行くまで長い長い道のりと葛藤がありましたが、今はどれも無駄ではなかったと思うと言っています。また、あの時のマタイ福音書が礎となっており、弟は神が与えてくれた賜物と思っている、ここを読むたびに心が熱くなると言っています。…「私を変えたせい聖書の言葉」(日本キリスト教団出版局)より抜粋。

きょう、主の救いを見なさい

2009-08-16 15:46:17 | 礼拝説教
2009年8月16日 主日礼拝(出エジプ記14:1~15:21)岡田邦夫


 「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。」出エジプト14:13

 昨日は終戦記念日でした。戦争のもたらす悲惨さを決して忘れないために、重要な記念の日です。しかし、そういう戦争とはまったく違う戦いが、紀元前13世紀、エジプトに起こりました。

◇「これでもか、これでもか」のパロ王
 世界遺産のピラミッドなどを見る時、エジプトの王は私たちの想像を絶するような権力を持っていたでしょう。そのエジプトでイスラエル人は奴隷として、過酷な労働を強いられ、それが耐えられないまで、限界に達していました。そのような絶望の淵から、神に叫び求めますと、神は4世紀前に族長たちと約束したことを思い起こされ(2:24)、ナイル川が血に変わることから始め、初子が死ぬということまで、10の災いをエジプトに下し、イスラエルを奴隷から解放させました(12:41)。
 モーセが神に召されて、エジプトのパロ王の前に立って対決したのですが、モーセは決して、武器を持って戦ったわけではありませんし、パロ王も剣を抜くことはありませんでした。エジプトで神と崇められたパロと、主である神との対決でした。パロ王はこの見えない敵には抗しがたく、敗北。ついに「エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から、追い出した。人々が、『われわれもみな死んでしまう。』と言ったからである」と記されています(12:33)。全イスラエル人は神とエジプトに押し出されて、奴隷の家=エジプトから脱出し、独立しました。
 ところが、パロはまたまた、かたくなになり、考えを変えて言いました。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは」(14:5)。奴隷は自分の所有物、手放したくないという強欲と、あれほど、痛い目にあったのに、主である神を認めようとしない強情と、何としてでも自分を通そうとする強引という、罪深さが、露呈されています。私はパロのかたくなさを他人事には思えません。東京聖書学院の学生の時に、舎監の先生から「岡田君は強情だな~。」と言われたことがあるからです。皆さんはいかがですか。神の前に立つ時、私たちは強い自我のかたまりの自分に気付かされるのではないでしょうか。自我が砕かれ、弱くなり、素直になって、み前に出たいと思います。

◇「それでもか」のイスラエル(神の民)
「パロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率い…追跡し、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いつい」きました(14:6-9)。前は海、後ろはエジプトの軍勢、イスラエルはその板挟み、袋のネズミです。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫びました。そしてモーセに言ったのです。 「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです」(14:11ー12)。
 エジプトであれほど、大いなる主の御業を見てきたのに、追い詰められて、じたばたしているとはいえ、何ともひどいつぶやき、苦情です。教会が借りている畑を耕していると、みみずが地表に出て来てしまうと、全身ばたつかせ、のたうち回ります。みみずは畑の働き手、私はそっと手で地中にもどします。そんなつぶやきをはきすて、のたうち回る民に、主である神の大きなみ手が差し伸べられます。
 モーセは民に言いました。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない」(14:13ー14)。
 主に命じらたように、モーセが杖を上げ、手を海の上に差し伸ばすと、大いなる奇跡が起こります。東風がふき、海が二つに分かれ、右と左で壁となり、海の真中に道ができました。120万人とも言われているイスラエルの民はかわいた地を進み行くように渡りました。
追いかけて来たパロとその全軍勢、戦車と騎兵があとから海の中の道にはいって行ったのですが、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱され、戦車の車輪をはずして、進むのを困難にしました。それでエジプト人は「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」と言ったのですが、もう、後の祭り。渡り終えたモーセが再び、手を海の上に差し伸べると、海がもとの状態に戻り、追ってきたエジプト人は海の真中に飲み込まれ、残された者はひとりもいなかったのでした。
 主の大きなみ手で押し出されるようにエジプトを出て来た民は、今度は主の大きなみ手で引っ張られて、海を渡り、エジプトを振り払ったのでした。荒野で死ぬより、エジプトの奴隷の方が良かったとモーセにつぶやいた、ひどい民にもかかわらず、「きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。」と主に告げられた通りに、救われたのです。「イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。」と記されています(14:31)。

◇「これでもう、お終い」のヤハウェ(主)
 「きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。」と言われましたが、「あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。」とも言われて、このみ業が起こりました。追っ手のエジプト人を永久に見ることはできないように、エジプトを完全に切られたのです。ここに主の愛があるのです。ですから、モーセとイスラエル人は主に向かって、15章にある歌を歌ったのです。賛美です。
 私たちにとって、エジプトはサタンの支配する罪と死の世です。イエス・キリストの十字架のあがないによって、罪と死の奴隷から解放されただけでなく、海を渡り、海がエジプトを飲み込んだように、十字架において、世との関係が切られたのです。世との絶縁と言ったらよいでしょう。ガラテヤ人への手紙にこう記されています。「わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである」(6:14口語訳)。罪と死の世に決別したのです。世とは手を切ったのです。そして、今や主である神の愛の手の中にあるのです。そう信じることが信仰です。
 私たちは十字架の救いを見ながら、今日のみ言葉を心にとどめ、主の愛のみ手の中に魂をゆだねましょう。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない」(14:13ー14)。

出て来たこの日を覚えよ

2009-08-09 15:31:12 | 礼拝説教
2009年8月9日 主日礼拝(出エジプト記7:1~13:22)岡田邦夫                


「奴隷の家であるエジプトから出て来たこの日を覚えていなさい。主が力強い御手で、あなたがたをそこから連れ出されたからである。」出エジプト13:3

 今週はお盆のシーズンで、多くの人が帰省します。宗教的には先祖を迎えて、また帰すということなのでしょうが、多くの人は自分が故郷に帰ることによって、気分を新たにしているようです。そのように、何らかの形で、人は原点に帰る必要があります。ある方は日本人の原点は自然と共生してきた「里山」にある、現代は都市化が進みすぎ、自然とかけ離れた不自然な生活になっていると主張しています。私もそれは人として重要なことだと思います。
 しかし、それにもまして、遙かに重要な原点が聖書に記されています。それは旧約に出てくるイスラエル民に対してであるともに、新約の私たち、キリスト者(教会)に対しいてでもあります。「奴隷の家であるエジプトから出て来たこの日を覚えていなさい。主が力強い御手で、あなたがたをそこから連れ出されたからである」(13:3)。この日を永遠に忘れない日として、原点として、覚えていなさいというのです。奴隷の家であるエジプトから出て来るためには、主である神がモーセをたてて、前代未聞のたいへん大がかりな奇跡を行われました。順をおって話しましょう。

◇出て来た事
 モーセはアロンと共に、イスラエル人をエジプトから出させ、荒野において主なる神を礼拝させてほしいとパロ王に交渉しますが、拒否されます(5章)。次に杖をへびに変えて見せ、交渉しましが、パロの心はかたくなで拒否されます(7:8-13)。そこで、イスラエルの神、主はしるしと不思議すなわち、災いをエジプト全土に下しては、本格的な交渉が進んでいきます。それは10回に及びます。箇条書きにしてみましょう。

第1 杖でナイルを打つと水が「血」に変わり、死の川となる。7:14-24
第2 杖を水の上にかざすと「かえる」の異常発生、家の中まで侵入。8:1-15
第3 杖を土にかざすと「ぶよ」の異常発生、人や獣につく。
第4 「あぶ」が異常発生、ただしイスラエル人の住むゴシェンはいない。8:20-32
第5 「疫病」により家畜が死ぬ。ただしイスラエルの家畜は死なない。9:1-7
第6 かまどのすすをまくと全土に広まり、人と獣に「腫物」。9:8ー12
第7 手を天に差し伸ばすと激しい「雷と雹」。人と獣と野を打つ。ゴシェンは降らず。9:13-35
第8 いなごの大群が風にのって襲来。草木と実を食い尽くす。10:1-20
第9 手を天に差し伸ばすと3日間真っ暗闇になる。10:21-29
第10 真夜中エジプトの王の子から捕虜の子まで全ての人と家畜の初子が死ぬ。ただし、羊の血を門柱とかもいにつけたイスラエルの家は災いが過ぎ越していく。11-13章
 これらの一つ一つがエジプト人にしてみれば、うんざりするような、恐れおののくようなことです。一つでも二つでも、この災いの元凶であるモーセと奴隷のイスラエルを追い出してもおかしくはないのですが、パロ王の心は「かたくな」で、何としてでも、奴隷イスラエルを手放そうとはしません。時にあきらめて出て行けと言うのですが、すぐにかたくなな心に戻ってしまうという有様です。ところが、聖書では神が彼の心をかたくなにしたとあるのです。それは二つの理由があります。

◇この日を覚える事
 イスラエルにとって、この救いの出来事が決定的な完全なものとなるためです。這々の体(ほうほうのてい)で逃げ出すとか、一部の人たちだけが逃げのびるとかではなく、堂々と全員が、しかも、家畜も着物も飾り物もエジプトから受けて出て行くためでした。事実、そうなりました。
 もう一つはさらに重要なことです。「主はモーセに仰せられた。『パロのところに行け。わたしは彼とその家臣たちを強情にした。それは、わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中に、行なうためであり、わたしがエジプトに対して力を働かせたあのことを、また、わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主であることを、あなたがたが知るためである」(10:1-2)。この救いの出来事を子孫に語って聞かせ、出エジプトの救いが自分たちの原点であることを告げ知らせなさいと言うことです。
 「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない」(12:13-14)。過ぎ越しの祭りが制定されました。決して、エジプトは故郷ではなく、帰るべき所ではありません。主なる神が災いを過ぎ越させ、奴隷から解放してして下さった救いの出来事を原点としなさいということなのです。
 私たちにとっての出エジプトはイエス・キリストの十字架の贖いによって、自分の罪の罰が過ぎ越されて、罪の奴隷から解放され、主にあって、自由にされた、その救いの出来事が原点です。それで、主は過ぎ越しの祭りの日に、これはわたしのからだ…これは契約の血である…記念として行いなさいと「聖餐」を制定されました。十字架の救い無くして、私たちの存在もありえなし、未来もありえないのです。生きがいも使命もありえないのです。また、十字架の救いがあるからこそ、私たちの存在もあり、未来もありえ、生きがいも使命もありえるのです。
 私たちは出エジプトの救いの向こうに十字架の救いを見ましょう。また、十字架の救いの向こうに出エジプトの救いを見ようではありませんか。イスラエルを救うためにエジプトに下られ、手を差し伸べられた主は、私たちを救うためにこの世に下られ、十字架において、全身を差し出されたのです。「奴隷の家であるエジプトから出て来たこの日を覚えていなさい。主が力強い御手で、あなたがたをそこから連れ出されたからである」(出エジプト13:3)。

声をかけてくださる神

2009-08-02 15:23:59 | 礼拝説教
2009年8月2日 主日礼拝(出エジプト記3:1~12)岡田邦夫

              
 「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」出エジプト3:12

 ものの見方、考え方ということで、このような話が高校の教科書にのっていたのを、私は憶えています。イタリア人は走ってから考え、ドイツ人は走る前に考え、イギリス人は走りながら考えるというものでした。それが国民性を言いあてているかどうかわかりませんが、面白いですね。日本人はどうでしょう。周りを見ながら、考え、走る…でしょうか。
 日本人はことあるごとに集まって打ち合わせをします。それは議論ではなく、周りを見て合わせようとする習性のようです。この「打ち合わせ」という言葉は雅楽の演奏からきています。笛などの吹奏楽器と太鼓などの打ち物とを事前に合わせる時に、打ち物に合わせて練習するので、打ち合わせと言ったのです。それが転じて、物と物とを合わすようにする、都合よく運ぶように相談しておくとなったのです。
 ところで、神が新しいこと、救いの業をなそうとする時に、人と打ち合わせをするのでしょうか。打ち合わせとは言わず、啓示と言いますが、打ち合わせのようなところがあります。神がある人に現れ、話しかけます。み旨を告げます。しかし、神の言葉を聞いた人は恐れたり、いやがったり、とまどったりするかも知れませんが、神のみ告げという「絶対音」に、人の心の「本音」を合わせ、従わなければなりません。そのような意味の打ち合わせが出来た時に、素晴らしい神の国の楽曲が響き渡り、救いの業という聖霊の感動の業がおこっていくのです。

◇救出されたモーセ
 きょうはそのような啓示を受けたモーセのことをお話ししましょう。モーセは逃亡者でした。彼がイスラエル人(ヘブル人とも言う)として生まれた時、ヘブル人はエジプトの奴隷でした。エジプト人の建物の建設のために、大量のレンガを作らされ、それが耐えられないほどの肉体労働なのですが、人口は増えていくので、エジプト人には脅威。パロ王はヘブル人の生まれてくる女の子は生かしておいても、男の子はナイル川に投げ込めという恐ろしい命令を出し、実行されました。そのような中で、あるレビ人の夫婦に男の子が生まれ、可愛かったので隠していました。しかし、三ヶ月して、隠しきれなく、かごを編んで防水にし、赤ちゃんをいれ、ナイル川の葦の茂みに隠しました。これが最初の逃亡です。
 しかし、水浴びに来ていたパロ王の娘がそれを見つけ、助け、名前をモーセ(引き出す)とし、王女の息子としました。エジプトの王子として育ったのですが、血はヘブル人。ある日、エジプト人を殺し、ヘブル人を助けたことがパロ王に知れてしまいます。モーセはパロの手を逃れ、エジプトから抜け出しました。第二の逃亡です。遠いミデアンという所にきまして、ここで結婚をし、子供も与えられ、羊飼いをしておりました。一方、エジプトでは「イスラエル人は労役にうめき、わめい」ていたのでした(2:23)。

◇救出に向かうモーセ
 そのような時、羊の群を追っていたモーセがホレブ山にやってきますと、柴が燃えているのを見ます。しかし、燃え尽きないのです。不思議に思って近づくと、柴の中から、神が呼びました。「モーセ、モーセ」(3:4)。「はい。ここにおります。」と答えますと、神は「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」と仰せられて、ご自分を名のり出ます。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(3:6)。モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠したのです。そのモーセに告げます。
 「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、…彼らの叫びを聞いた(今こそ届いた)。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地(カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所)に、彼らを上らせるためだ。…今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ」(3:7-11要約)。
 第三の逃亡です。それは自分自身ではなく、奴隷で苦しんでいる同胞の民をエジプトから逃亡させる、すなわち、脱出させるという、たいへん大きな使命です。もはや、エジプトの王子ではなく、ただ羊飼いをしている身、しかも、エジプトから離れた生活しているような者。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」と言うほかありません。
 しかし、そのようなモーセだからこそ、 神はこう仰せられたのです。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない」(3:12)。神の民を脱出させるのは神であり、モーセはそのしもべとして、遣わされるのです。しかも、どんな保障にもまして、最大の保障、「わたしはあなたとともにいる。」と約束されるのです。
 この後、まだまだ、啓示という意味での、神とモーセの「打ち合わせ」が念入りに続きます。それらの中心のみ言葉はこの「わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出す」だと思います。そして、モーセがパロ王の前に遣わされていくと、神は次から次にと、大いなる災いをエジプトに下し、イスラエルの民は剣を持って戦うこともなく、堂々とエジプトを出て行くことになります。モーセはただ神のみ旨を伝える器として、「モーセ、モーセ」と呼ばれたのです。これを召命と言います。
 クリスチャンは誰もが神の使命のために、神があなたの名が呼び、召されているはずです。日本の国技に相撲があります。力士が待っていると、行事の独特な口調のとても響く声の呼び出しがあります。「ひが~し、○○山」「に~し、◇◇川」。そこで、二人の力士は土俵に上がって、相撲をとります。呼び出されなければ、決して土俵には上がれません。また、土俵に上がらなければ、敗北です。大きい力士でも、小さい力士でも、呼び出されれば、土俵に上がれます。そのように、クリスチャンは救いのみ業が行われる土俵に、神が呼び出しておられます。大きいとか、小さいとか、出来るとか、出来ないとか…それは関係ありません。神はあなたを神のみ旨を遂行する、大切な器として、呼んでおられます。

 私は20才の時に信仰を持ち、洗礼を受けました。それから、1年ほどたった時のことです。化学会社の研究所に勤めていたのですが、会社の帰り、乗っていた電車の急ブレーキが掛かり、ググッと音を立てて止まりました。窓から首を出して見ていると、後ろの方から、車掌が車両の下をのぞきながらやってきました。ちょうど私たちの乗っていた下のところから、「ここだ、ここだ。」と言って、真っ赤なものを取り出し、むしろをかけ、電車は動き出しました。労務者風のの人が陸橋から飛び込んで自殺したようでした。
 家に帰っても、夕飯が食べられず、その夜、私はずっと泣いていました。「もし、誰かがこの人に福音を伝えていたら、自ら命を絶つこともなかったのに!」とつぶやいていました。私はこのままでいいのか、伝道者になるべきではないかと、思い詰めて、夜を明かしました。
 それから、しばらくして、勤めていた東京の研究所が縮小、移転することになり、その際、行きたい部署の希望を出すように言われました。私はすぐ、世界一純度の高い、半導体の原料・シリコンを製造している工場を希望し、それが受理されました。牧師にその報告に行くと、あなたが牧師になりたいのなら、この柴又教会で訓練を受けて、神学校に行きなさい。工場行きはやめなさいと言われ、素直に「はい、そうですか」と答え、さっそく、会社には辞表を出してしまいました。
 また、牧師に報告。「岡田さん、牧師になるための召命はありますか」。「召命って何ですか」。「牧師になりなさいと神からお言葉をいただくことです」。「それはありません」。「では、祈りなさい」。
 家に帰って、困りました。会社はやめたは、召命もない、祈れと言われても、雲をつかむようです。私は始めに話したイタリヤ人のようでした。行動を起こしてしまってから、考えているのです。心は暗闇に閉ざされたようでした。そのような日が7日たった時に、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」というみ言葉が心に響いてきました(マタイ4:19)。牧師になりなさいと聖霊がさとしてくれました。「主よ、従います。」と応答しますと、心の闇は消え去り、心はこれまで経験したことのないような晴れ晴れした気持ちでした。
 そうして、召命を受け、東京聖書学院に入り、牧師となって、今日まで、人間をとる漁師の働き=牧師の勤めをさせていただき、イエス・キリストの十字架の血によってきよめられた、世界一純度の高い魂の持ち主である教会の人たちに囲まれて生活できていますことを感謝します。
 誰もが牧師に召されているわけではありませんが、神の使命に生きるために召されています。呼ばれています。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプト(罪の奴隷)から導き出す」。神の呼び出しを聞きましょう。神のみ旨の響きにあなたの魂の響きを打ち合わせましょう。そうすると、神の救いの業の感動が起こってくるのです。