2011年7月31日 主日礼拝(ダニエル3:1-30みのお泉教会にて)岡田邦夫
「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」ヨハネ第一の手紙5:21
最近、女性が歴史に興味をもち、ブームになっているところから、彼女たちが「歴女」と読ばれています。クリスチャンも聖書の歴史に興味を持つ、「歴ク」でありたいものです。
新バビロニヤ帝国のネブカデネザル二世がエジプトに向かって進軍する中で、紀元前586年、ユダ王国エルサレムを徹底的に破壊し、ゼデキヤ王以下主立ったユダヤ人たちをバビロンへ強制連行していきました。帝国は連行していった人たちの中から、優秀な人材を政治に利用し、役職につかせました。その中の一人がこの書の主要人物ダニエルで、今日の歴史の舞台に登場するのがシャデラク、メシャク、アベデネゴという三人のユダヤ人青年です。まず、バビロン市とはどこかというと今のイラクのバグダードに割合近いところです。歴史をさかのぼれば、ティグリス川とユーフラテス川流域に発達した世界最古の文明のひとつ、メソポタミア文明で知られているところです。また、アブラハムの家族はそこのカルデヤのウルから出て、カナンにまでやって来たのです。発掘調査によると、ウルには学校などあり、文明が進んでいたとことがわかります。歴史の舞台はこの新バビロニヤ帝国です。
◇圧倒的権力者の前で
ダニエル書にはこう記録されています。「ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。その高さは六十キュビト(27m)、その幅は六キュビト(2.7m)で、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。そしてネブカデネザル王は、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちを召し集め、ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした」(3:1ー 2)。そこで、召し集められた帝国の政治に関わる人たちはそれに応じ、像の前に立ちました。時に伝令者は大声に呼ばわります。「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と(3:4ー6 )。
楽器の音を聞くや、圧倒的権力をもつ王の命令に従って、諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだのです。帝国というものにはよくあることで、巨大な像は権力を誇示するものであり、帝国を統制させていく道具でもあります。近代においても、ナチスがそうであり、神国と名のった日本も例外ではありませんでした。このバビロンにおいて、金の像礼拝に従わない人たちがいました。あるカルデヤ人らが進言します。「ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、メシャクおよびアベデネゴがおります。王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にも仕えず、あなたの立てられた金の像をも拝もうとしません」(3:12)。
豊臣秀吉が治安維持のため作った五人組制(五保の制)は江戸幕府に引き継がれ、キリシタン禁制や浪人取締りのために使われ、上記のように訴えられて、多くのキリシタンが絵踏みによって、棄教するか、殉教するか、迫られ、多くのキリスト者が犠牲になりました。3人の青年にとってはバビロンにおける絵踏みでした。
ネブカデネザルは怒りかつ憤り、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。」と迫り、「拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか。」と問い詰めます。それでも、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王にこう答えます。それは信仰告白です。
「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(3:16ー18)。
彼らは「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」で始まる「十戒」を守ったのです。
第一戒:「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
第二戒:「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう」(出エジプト20:2ー6)。
◇絶対者なる神の前で
実にこの信仰告白は奇跡です。聖霊の業です。初代教会でも、キリスト者は迫害され、皇帝礼拝を強いら「イエスはのろわれよ」と言わせられた時に、キリスト者は「イエスは主である」と言ったのですが、それは聖霊によらなければ言えないのだとコリント第一の手紙12:3で言っています。シャデラク、メシャク、アベデネゴの単なる勇敢さではなく、聖霊が言わしめたのです。ですから、「わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。」と告白しても、さわやかだったでしょう。
また、信仰の確信と信仰の覚悟があったのです。「わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。…たといそうでなくても、…わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(3:16ー18)。きっとそこには先におられたという意味の「先在」のキリストがおられたに違いありません。使徒パウロが後継者のテモテに記した手紙にこういう文章があります。「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる」(1テモテ6:12ー13)。ピラトの面前であかしをされるところのイエス・キリストが見えないけれど、シャデラク、メシャク、アベデネゴと共にネブカデネザル王の前におられのではないかと、私は思います。
ですから、次の奇跡が起きたに違いないのです。聖書はこう証言しています。「そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。 そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、『われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか』。彼らは王に答えて言った、『王よ、そのとおりです』。王は答えて言った、『しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ』。そこでネブカデネザルは、その火の燃える炉の入口に近寄って、『いと高き神のしもべシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい』と言ったので、シャデラク、メシャク、アベデネゴはその火の中から出てきた。総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった」(3:19ー3:27)。
この第四の者は今申し上げた先在のイエス・キリストに違いありません。信仰を告白させ、事実、燃える火の中から、無傷で助け出したのはいと高き神・イエス・キリストです。ネブカデネザルは全国にシャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしってはならないとの命令を出します。ここにユダヤ人の信仰も身の安全も保障されたのです。
第二次世界大戦中、日本ホーリネス教団の教会は解散させられ、指導者たちが治安維持法で検挙され、「天皇が神か、キリストが神か」と問われ、キリストの王としての再臨を告白しました。獄で亡くなられた方々もおられました。ダニエル書の信仰に生きたのだ思います。信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのです。私たちの信仰の先輩がそうしてきたからこそ、今日のホーリネスの群があるのだと思います。
もし、私たちが同様の事態になった時に3人の青年のように信仰の確信と信仰の覚悟をもって向かいたいですが、必ず、主の助けがあるのです。「彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ10:19-20)。「あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主(すくいぬし)である」(43:2ー3 )
「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」ヨハネ第一の手紙5:21
最近、女性が歴史に興味をもち、ブームになっているところから、彼女たちが「歴女」と読ばれています。クリスチャンも聖書の歴史に興味を持つ、「歴ク」でありたいものです。
新バビロニヤ帝国のネブカデネザル二世がエジプトに向かって進軍する中で、紀元前586年、ユダ王国エルサレムを徹底的に破壊し、ゼデキヤ王以下主立ったユダヤ人たちをバビロンへ強制連行していきました。帝国は連行していった人たちの中から、優秀な人材を政治に利用し、役職につかせました。その中の一人がこの書の主要人物ダニエルで、今日の歴史の舞台に登場するのがシャデラク、メシャク、アベデネゴという三人のユダヤ人青年です。まず、バビロン市とはどこかというと今のイラクのバグダードに割合近いところです。歴史をさかのぼれば、ティグリス川とユーフラテス川流域に発達した世界最古の文明のひとつ、メソポタミア文明で知られているところです。また、アブラハムの家族はそこのカルデヤのウルから出て、カナンにまでやって来たのです。発掘調査によると、ウルには学校などあり、文明が進んでいたとことがわかります。歴史の舞台はこの新バビロニヤ帝国です。
◇圧倒的権力者の前で
ダニエル書にはこう記録されています。「ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。その高さは六十キュビト(27m)、その幅は六キュビト(2.7m)で、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。そしてネブカデネザル王は、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちを召し集め、ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした」(3:1ー 2)。そこで、召し集められた帝国の政治に関わる人たちはそれに応じ、像の前に立ちました。時に伝令者は大声に呼ばわります。「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と(3:4ー6 )。
楽器の音を聞くや、圧倒的権力をもつ王の命令に従って、諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだのです。帝国というものにはよくあることで、巨大な像は権力を誇示するものであり、帝国を統制させていく道具でもあります。近代においても、ナチスがそうであり、神国と名のった日本も例外ではありませんでした。このバビロンにおいて、金の像礼拝に従わない人たちがいました。あるカルデヤ人らが進言します。「ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、メシャクおよびアベデネゴがおります。王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にも仕えず、あなたの立てられた金の像をも拝もうとしません」(3:12)。
豊臣秀吉が治安維持のため作った五人組制(五保の制)は江戸幕府に引き継がれ、キリシタン禁制や浪人取締りのために使われ、上記のように訴えられて、多くのキリシタンが絵踏みによって、棄教するか、殉教するか、迫られ、多くのキリスト者が犠牲になりました。3人の青年にとってはバビロンにおける絵踏みでした。
ネブカデネザルは怒りかつ憤り、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。」と迫り、「拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか。」と問い詰めます。それでも、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王にこう答えます。それは信仰告白です。
「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(3:16ー18)。
彼らは「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」で始まる「十戒」を守ったのです。
第一戒:「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
第二戒:「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう」(出エジプト20:2ー6)。
◇絶対者なる神の前で
実にこの信仰告白は奇跡です。聖霊の業です。初代教会でも、キリスト者は迫害され、皇帝礼拝を強いら「イエスはのろわれよ」と言わせられた時に、キリスト者は「イエスは主である」と言ったのですが、それは聖霊によらなければ言えないのだとコリント第一の手紙12:3で言っています。シャデラク、メシャク、アベデネゴの単なる勇敢さではなく、聖霊が言わしめたのです。ですから、「わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。」と告白しても、さわやかだったでしょう。
また、信仰の確信と信仰の覚悟があったのです。「わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。…たといそうでなくても、…わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(3:16ー18)。きっとそこには先におられたという意味の「先在」のキリストがおられたに違いありません。使徒パウロが後継者のテモテに記した手紙にこういう文章があります。「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる」(1テモテ6:12ー13)。ピラトの面前であかしをされるところのイエス・キリストが見えないけれど、シャデラク、メシャク、アベデネゴと共にネブカデネザル王の前におられのではないかと、私は思います。
ですから、次の奇跡が起きたに違いないのです。聖書はこう証言しています。「そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。 そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、『われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか』。彼らは王に答えて言った、『王よ、そのとおりです』。王は答えて言った、『しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ』。そこでネブカデネザルは、その火の燃える炉の入口に近寄って、『いと高き神のしもべシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい』と言ったので、シャデラク、メシャク、アベデネゴはその火の中から出てきた。総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった」(3:19ー3:27)。
この第四の者は今申し上げた先在のイエス・キリストに違いありません。信仰を告白させ、事実、燃える火の中から、無傷で助け出したのはいと高き神・イエス・キリストです。ネブカデネザルは全国にシャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしってはならないとの命令を出します。ここにユダヤ人の信仰も身の安全も保障されたのです。
第二次世界大戦中、日本ホーリネス教団の教会は解散させられ、指導者たちが治安維持法で検挙され、「天皇が神か、キリストが神か」と問われ、キリストの王としての再臨を告白しました。獄で亡くなられた方々もおられました。ダニエル書の信仰に生きたのだ思います。信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのです。私たちの信仰の先輩がそうしてきたからこそ、今日のホーリネスの群があるのだと思います。
もし、私たちが同様の事態になった時に3人の青年のように信仰の確信と信仰の覚悟をもって向かいたいですが、必ず、主の助けがあるのです。「彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ10:19-20)。「あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主(すくいぬし)である」(43:2ー3 )