オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

私も変われるかも

2011-08-28 00:00:00 | 礼拝説教
2011年8月28日 伝道礼拝(ヨハネ福音書3:1-16)岡田邦夫


 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)

 「日はまた昇る」というタイトルの小説や歌など、いろいろありますが、私たちの感覚では、今の状況は暗い夜だが、きっと明るい明日がくるだろうという感じだと思います。しかし、ヘミングウェイの小説「日はまた昇る」はそれとは反対の意味合いです。第一次大戦後のパリで、戦争によって本質的に傷ついた人たちが集まり、虚無と歓楽の昏(こん)迷(めい)した生活を送っているというもので、題字に旧約聖書の伝道者の書1:4~7が引用されており、復活をかけるという意味ではなく、むしろ何も変わらない生活に対するやるせなさを表しているのです。
 「一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる」。

伝道者の書は神なき人生は「空の空、すべては空」、虚しいもの、来る日も来る日も何も変わらぬ日々だ、やるせないと書き出すのですが、途中のマッセージを省略して、結論を申しますとこうです。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。…12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」(伝道12:1-13)。神のある人生を楽しめといものです。
 さらに、新約聖書では冒頭の句のように、人生が変われるという福音のメッセージがあるのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コリント5:17)。

 イエスが伝道されていた時、ニコデモという人が尋ねてきました。彼はユダヤの指導者なのですが、イエスに指導してもらおうと、夜こっそりやって来たのです。ユダヤには70人で構成される議会があり、その議会は大祭司を議長とする、政治と宗教の両方の最高議会であり、最高法廷で、ニコデモはその議員の一人でした。しかも、モーセの掟をしっかり守って生き、人々を導こうとするパリサイ派という派に属する宗教的指導者でした。それなのに、イエスに会って「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」と言ったのでしょうか。
 ニコデモは神を求めていました。神の国を求めていました。聖書を調べ、永遠の命を求めていました。神の掟、律法を守って生きれば、神に義人と認められ、永遠のいのちが得られ、神の国に入れると思っていました。しかし、現実に「神がともにおられる」という実感のようなもの、手応えのようなものがないのです。今風に言えば、宗教をやっているが、リアリティが感じられないのです。先ほどの伝道者のメッセージのように、創造者を覚え、神を恐れ、神の命令を守って生きているはずなのに、現実は「空の空、すべては空」という虚無感がただよっているのです。いったい、この晴れ渡らないものはなんなのか、この悶(もん)々(もん)としたものはなんなのか、誰か教えてほしいと思っていました。
 ニコデモは指導的な立場にあるから、民衆に評判のナザレ村出身のイエスに白昼、会うわけにはいかないので、夜やって来たわけですが、気持ちの上でも夜の時がよかったのです。人はしばしば夜の帳(とばり)が下りると宗教的になるものです。夜、一人になると、昼、神の律法を人々に教え、厳格に律法の規定に従って生きる様を人々に見せ、それなりの満足を得ていたパリサイ人という服が脱がされるのです。そこに現れた心には虚しさがどんよりとただよっているのです。神の国とか、永遠の命とか、はたして、自分の手の中にあるのだろうか、自分の中にあるどす黒いが罪がはたして、神の前に義とされているのだろうか、あいまいな気持ちになってきます。何かにしがみつきたいけれど、魂は奈落の底に落ちていくようでたまりません。きっと、そのような切実な思いで、夜、イエスを尋ねたのだと思います。
 そこで、その様に求めてきたニコデモに、イエスは余計な説明的な教説はいっさいせず、ずばり、こう答えました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(3:3)。ただ、生まれ変われば良いという答ですが、今まで努力し、積み上げてきた自分の人生はどうなってしまうのか、無駄だったのか、無意味だったのか、すぐ、「はい」とは言えません。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」と言うしかありません(3:4)。そこで、主イエスはていねいにメッセージを進めてくださいます。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水(生まれ変わりの儀式)と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません」(3:5)。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって(新しく)生まれる者もみな、そのとおりです」(3:8)。
 天にのぼって永遠の命を得た人はいません。しかし、天から下ってきた人の子=救い主が信じる者に永遠の命を与えられるのです。むかし、イスラエルが神の背き、滅ぼされそうになった時、モーセが神に命じられたように青銅の蛇を作り、旗ざおの上につけたのを人々が仰ぎ見ると助かったという事例があります(民数記21:9)。そのように、「人の子もまた(十字架に)上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(3:15)。
 ニコデモはこの時だったか、後になってか分かりませんが、風は思いのままに吹くという御霊の理屈を越えた働きにより、人の子・イエス・キリストを信じて生まれ変わったことと思います。律法を守れば神に義とされるのだという自分の偽善が砕かれて、神の御子が犠牲となって、その罪を贖い、赦してくださったと確信を得たのです。その御子を犠牲にしてまで、人類を救おうとされた神を思い、信じた時、心は永遠の命を持っているという霊的実感が起こり、奈落の底に落ち込んでいた魂が天も上る思いに変えられたのです。この手で何かを獲得したという感じではなく、何かとてつもないものが上から与えられたという感じでした。神が共におられるということがいきがらなくても感じられ、魂は何ともいてない平安を与えられました。
 イエスの弟子・ヨハネはこれを一句に濃縮しましたのがヨハネ3お章16節です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。ルターはもし、他の聖書が失われたとしても人はこの句さえあれば、救われる、全福音だと言いました。ニコデモが求めていたものを私たちも求めていると思います。ニコデモが得た永遠なるものを私たちも得られるのです。同じ、パリサイ派だったパウロも復活のキリストに出会って、同じ経験をしました。彼もこうメッセージを伝えています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コリント5:17)。
 今日、「信じてバプテスマを受ける者は救われる」の御言葉にもとづいて洗礼式がありました。御霊が働き、罪につける私が死んで、水と霊によって新しく生まれたのです。愛の神が導かれる神の国の門を入られ、神と共なる生活が始まったのです。教会は永遠の命の共同体です。ヨハネ3:16で結ばれて、共に祈り、賛美し、礼拝し、伝道し、奉仕をしてまいりましょう。新生した者たちには神と兄弟姉妹が共にいるという意味の「日はまた昇る」の生活があるから幸いです。



















さあ主の宮を建てよう

2011-08-21 15:21:01 | 礼拝説教
2011年8月21日 主日礼拝(エズラ記6:13-22)岡田邦夫


「ゼルバベルよ、今、強くあれ。…エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。…仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。万軍の主の御告げ。」ハガイ書2:4

 スポーツ選手が活躍していたけれど、怪我をしてしまって、手術したり、手当をしたり、リハビリをしたりして、また、復帰していくという再建の話はよく聞きます。人生には再建ということが付きものです。東日本大震災で被災された方々がこれから、復興し、再建していくことは大変なことでから、長く、私たちは祈り、直接に間接にサポートしていきたいと思います。
 家を破壊され、神殿を破壊され、国を破壊され、異国の地に囚われの身となっていたイスラエル人たちが祖国に帰され、家を再建し、神殿を再建し、国を再建し、宗教を再建していく記録がエズラ記、ネヘミヤ記です。ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書の預言書もその時代のものです。これらの書には実に再建の情熱があふれています。

◇「それみろ」
 祖国の自分たちの町々に帰ったイスラエル人たちは、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来て、まず、ゼルバベルと大祭司ヨシュアがもと神殿のあった跡地に律法に従って、祭壇を築き、全焼のいけにえを献げました。それから、翌年の第二の月に、大祭司ヨシュアとレビ人が指揮をとり、石切工や大工ら建築士を雇い、神殿再建の工事が始まりました。主の神殿の礎(いしずえ)が据えられた時、祭司たちが楽器をならし、賛美しました。
 「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」
多くに人々は喜び叫びました。「そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた」ほどでした(エズラ3:13)。
 しかし、かつてアッシリヤ帝国に移住させられた人たち(サマリヤ人)が企みがあって、この建設に協力したいと申し出てきました。ゼルバベルと大祭司ヨシュアは「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」と言ってきっぱりことわります(4:3)。すると、サマリヤ人(その地の民)は神殿建設を反対し、ユダの民をおどし、気力を失わせ、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとしたのです。これが「ペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで」(BC536~520の16年)続いたのです(4:5)。
 さらに王が替わり、アハシュエロスの治世となった初めに、彼らはユダとエルサレムの住民を非難する告訴状を書いたのです。さらにです。ペルシヤの王がアルタシャスタの治世になっても告訴の手紙を書き送ったのです。しかも、当時の国際語のアラム語で公式文書として書かれたのです。要点はこうです。「ユダヤ人たちはエルサレムに行き、あの反抗的で危険な町を再建しています。その城壁を修復し、その礎もすでに据えられています。今、王にお知らせいたします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、彼らはみつぎ、関税、税金を納めなくなるでしょう。そうすれば、王の収入に損害を与えることになりましょう」(4:12-13)。王からの返書はそれを認める者でした。調べさせたところ、その町は昔から王たちに対して謀反を企て、その町で暴動と反逆が行なわれたことがわかった。…今、あなたがたは命令を下して、その者たちの働くのをやめさせ、私が再び命令を下すまで、この町が再建されないようにせよ」(4:19,21)。何とも悔しいことですが、神殿工事は中止されました。

◇「それでも」
 しかし、ハガイとゼカリヤという二人の預言者が預言し、神の言葉を告げると、ゼルバベルと大祭司ヨシュアが立ち上がり、神殿建設を再開します。預言者は彼らを助け、工事が進んでいきます。すると、総督がやってきて、だれが神殿建設と城壁修復を命じたのかと権限をもって尋問します。「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった」のです(5:5)。神の目が注がれていたので、やめさせることができなかったというのですから、不思議なことです。総督という権力者が注目しても、地の民という敵が注目していても、信仰によって、恐れるに足りなかったのです。神に注目さていると確信があったのです。間違ったことはしていない、神の約束がある、預言のとおりになるという神への信頼、神に注目されているという安心感が生まれていたのです。「神の目が注がれていたので」というのは擬人法、「彼の神、主の御手が彼の上にあったので」(7:6)と同じ表現方法で、意味合いも同じだと思います。
 そこで、総督と知事たちがダリヨス王に手紙を書き送ったのです。要約するとこうです。イスラエルの長老たちがこう言っています。「私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。…しかし、私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。そこで、彼はこの宮を破壊し、民を捕えてバビロンに移したのです。しかし、バビロンの王クロスの第一年に、クロス王はこの神の宮を再建するよう命令を下しました。…その時から今に至るまで、建て続けていますが、まだ完成していません」(5:11-16)。そこでバビロンにある王の宝物倉にエルサレム神殿建設についてのクロス王の命令文書をお調べて、王のご意見をお伝えください。

◇「それだから」
 そこで、バビロンの文書保管庫を調べると、その巻物が見つかったのです。「記録。クロス王の第一年に、クロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。…」と記載されていたのです(6:2-)。ダリヨス王はその公文書に従って、工事を続行させ、費用も支給し、必要ないけにえも与え、天の神に祈れるようにせよと文書で命じたのです。神はクロス王に感動を与え、神の民の帰還と神殿再建の思いを与え、「記録」させていたのでした。そればかりでなく、神の目は注がれていて、忘れたれていたその記録を発見させてくださったのです。
 そうして、神殿再建工事は再開し、ついにダリヨス王の治世第六年に完成しました(BC515)。こうみごとに総括しています。「ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた」(6:14)。そうして、補囚から帰還した民は神殿の奉献式で大いに喜び祝ったのです。

 これと似たような経験を泉教会グループがいたしました。箕面開拓が進められて、教会のない箕面市の東部に伝道の拠点を持とうというビジョンが与えられ、1993年に箕面市小野原の建て売り住宅を購入することになりました。しかし、広告がまだ図面だけだったので、一般住宅を教会堂に設計変更して建てることにしました。定礎式に泉教会グループの人たちが大勢来てしまって、近所迷惑だったようで、建設が始まってから、自治会から反対されました。そこの住民にとっては訳の分からない宗教がきたのかもしれないと思い不安だったのは当然かも知れません。近所の同意書がもらえず、建築は難しくなりました。何回も自治会が開かれ、最終的に私と新谷師が説明に行くことになりました。私は神に示されて、牧師の姿勢として、献身の証詞をし、新谷師は牧師をしている父親が京都教会で地域との関わりを証ししました。すると、変な宗教ではないことをわかっていただき、騒音を気をつけることを条件に同意書をいただくことが出来ました。反対、阻止されたことによって、地域の人に証詞ができたのです。また、自治会が反対の会合を重ねている間、梅雨時の長雨で実際には建築が出来なかったし、長雨の間、製材所で柱など切る作業をしていたので、同意を得た時に、雨がやみ、すぐ工事が再開出来たので、工事日程は少しも狂わず、予定通り、会堂は完成したのです。
 箕面開拓を始めるにあたって与えられたみ言葉が「シオンの義が朝日の輝きのようにあらわれいで、エルサレムの救が燃えるたいまつの様になるまで、わたしはシオンのために黙せず、エルサレムのために休まない。」(イザヤ62:1)でした。まさしく反対され、阻止されている間も、主は「シオンのために黙せず、エルサレムのために休ま」れず、ことを進めてくださったのだと思いました。「神の目が注がれていたので」、「彼の神、主の御手が彼の上にあったので」教会の建て上げをやめさせることができなかったのだと確信するのです。

さあエルサレムへ

2011-08-14 00:00:00 | 礼拝説教
2011年8月14日 主日礼拝(エズラ1:1-11みのお泉教会にて)岡田邦夫


 「あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。」エズラ記1:3

 慶応元年(1865)大浦天主堂で250年にわたる弾圧に耐えて信仰を守ってきた隠れキリシタンが発見されました。この時、プチジャン神父に会ったのは浦上の信者でした。このニュースは世界のキリスト教会に伝えられ、大きな感動を呼び、浦上に天主堂を建てようという声が国内外からおこりました。明治12年(1879)に最初の浦上天主堂が建てられたのですが、さらに東洋一の大聖堂を建てることになり、キリシタン弾圧の「絵踏み」が行われた跡地の庄屋を買いました。明治28年(1895)工事が始まり、寄付を集めてレンガを買い、信者たちが無償で運ぶというようにして、30年の歳月をかけて、大正14年(1925)にようやく完成しました。しかし、その20年後、昭和20年(1945)8月9日の原爆により壊滅してしまい、天主堂にいた信徒30数人が全員即死し、信徒12,000人中約8,500人が死亡したとも言われています。広島の原爆ドームと同様に、負の遺産として破壊の跡を保存しようとする声も高かったのですが、撤去して、以前と同じ天主堂を昭和34年(1959)に再建し、奇跡的に無傷で残った鐘が長崎の鐘と呼ばれ、右塔で今も鳴り響いています。
 近代史だけで見るなら、被爆の跡を保存したほうがよかったのでしょう。しかし、明治初期まで300年続いたキリシタン弾圧の跡地であり、多くの殉教者を出した聖地に、祈りに祈り、30年かけて建てた浦上天主堂だからこそ、またその信仰を受け継いでいくためにも、残骸を撤去して、そこに再建したのだと思います。

 聖書にも復興の歴史がエズラ記、ネヘミヤ記に述べられています。バビロンに囚われの身となり、エルサレムの町も神殿も破壊され、荒れ果てていたのですが、その祖国にユダヤ人たちが帰っていき、復興、再建するという歴史です。その復興の原動力となったのは、「感動」です。前述の浦上のことも、キリシタンの発見に世界の教会が感動し、浦上に天主堂を建てようと動き出したのです。「感の道」が「行の動」になっていったのです。エズラ記の場合はバビロンを破って台頭したペルシャの時代の話で、こう記されています。「ペルシャ王クロスの元年に、主はさきにエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔(しよう)書(しよ)をもって告げて言った」(1:1)。BC538年のこと、約70年ぶりの帰還です。それは補囚前に預言者エレミヤを通して、神が約束していたことでした(エレミヤ25:11、29:10)。主は「心を感動された」を共同訳は「心を動かされた」、新改訳は「霊を奮い立たせた」と訳しています。人を動かすものはしばしば、感動です。
 最近の話では、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で、なでしこジャパンと呼ばれた女子日本代表が東日本大震災の復興への力になればという思い入れもあって、最後まであきらめずに粘って戦い優勝を果たしたものですから、その感動ははかりしれないものがありました。スポーツや芸術や芸能や出会いなどを通して、感動が生きる力になっています。
 主なる神は時の支配者の心を感動させるという不思議な方法で、神の民を聖都エルサレムに帰させようとされたのです。感動の内に聞いた言葉がこれです。「ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その所の人々は金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにまたエルサレムにある神の宮のために真心よりの供え物をささげよ」(1:2 ー4 )。
 さらに神は感動の輪を広げます。「そこでユダとベニヤミンの氏族の長、祭司およびレビびとなど、すべて神にその心を感動された者は、エルサレムにある主の宮を復興するために上って行こうと立ち上がった」のです(1:5)。何もないところに、何かを建てていこうとする方がゼロからの出発ですから、まだ楽でしょう。しかし、カルデアに住み慣れてしまっていて、遠い廃墟と化したようなところを復興していくというのは、かなりマイナスからの出発ですから、相当の心的エネルギーが要るわけです。だからこそ、神がその心を感動されて、アクションを起こさせたのです。心の深いところ、心の中心の霊を奮い立たせたのです。かれらの周囲の人々も心を動かしたのです。「その周囲の人々は皆、銀の器、金、貨財、家畜および宝物を与えて彼らを力づけ、そのほかにまた、もろもろの物を惜しげなくささげた。」のですから、ますます奮い立たされたのです。心と心の振動が共鳴し合ったのです。

 ここで更に、バビロン王ネブカデネザルが持ち去った、エルサレムの神殿の金、銀、その他の祭具類を、ペルシャ王クロスがその千単位のたいへんな数を数えさせて、返還しました。セシバザル(ゼルバベル)王が捕囚の民を連れてバビロンからエルサレムに帰った時、これらをことごとく携えていったのです。こうして、祖国の自分の町に神の民42,360人と使用人、詠(えい)唱(しよう)者(しや)と共に家畜を携えて帰り、そして、神殿再建工事が着工されました。その時、「もとの宮を見た老人たちがあったが、今この宮の基礎のすえられるのを見た時、大声をあげて泣いた。また喜びのために声をあげて叫ぶ者も多かった。それで、人々は民の喜び叫ぶ声と、民の泣く声とを聞きわけることができなかった。民が大声に叫んだので、その声が遠くまで聞えたからである。」と感動の嵐が巻き起こったのです(3:12-13)。

 話は先に進むのですが、ラザロが死んで墓に葬られたところにイエス・キリストが入られた時のことでした。「イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。」とヨハネ福音書11:38に記されています。そして、石を取り除かせ、天の神に祈り、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばれると、ラザロが生き返って出てきたのです。イエス・キリストがこの奇跡を呼び起こす時に、激しく感動されたのです。罪と死に人間が支配されている現実と、その中でただ絶望して泣き叫ぶことしかしない人間の有様を見て、心に憤りを覚えられ、涙を流したのです。それと同時に、その罪と死の絶望から私たちをあがない救うために、十字架において自らが苦しみのあまり、叫ぶのを先取りして、霊の感動が起こったのです。
 この激しい霊の感動がラザロを死の虜の中から解放し、生の世界に帰還させ、主イエスの激情が罪と死のもとにある私たちを神のもとに帰還させたと言えます。主イエスの言葉を聞いて信じる者は「何々よ、出てきなさい」と霊の感動をもって呼び出され、「永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているので」す(ヨハネ5:24)。主の再臨の日に、主の激しい霊の感動のみ声が鳴り響き、私たち、聖徒たちが死の世界から、復活の世界に、神が人と共に住み、人が神と共に住む新天新地に呼び出されるのです。もし、今、試練の中にあったとしても、復活の朝(あした)の感動を思い見ようではありませんか。また、みことばの感動、聖霊の感動を与えられ、心のエルサレム、主の臨在のもとに帰らせていただこうではありませんか。

ライオンの穴でも

2011-08-07 00:00:00 | 礼拝説教
2011年8月7日 主日礼拝(ダニエル6:1-28)岡田邦夫


 「そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」ダニエル書6:23

 先週のこと、私は説教の準備のために机に向かっていたのですが、疲れていたせいか、座ったまま眠ってしまい、夢を見ていました。あるセミナーに参加し、一人の教授の全体講義があり、そのあと、分科会で①家庭集会②教会学校③聖書研究でした。私は講師が気に入って、③聖書研究の教室に遅れて入っていきました。もう満席で、座りきれない人たちが後にも横にも立っていて、熱心に聖書解釈について、皆、熱心に聞き入っているというところで目が醒めました。何と、私は大きなスタディ版聖書を両腕にしっかり抱えて、椅子に座っていたのです。その時、私はダニエル書を読んでいたので、聖書の説き明かしの夢を見たのだと思います。
◇秘密を現す神
 ネブカデネザル王がユダ王国を攻め、エルサレムを陥落させた時、ユダヤ人をバビロンに捕虜として連れて来て、優秀な人材をみつけ、彼らを教育して国家を維持、発展するために登用しました。そのユダヤ人の中にダニエル(バビロン名ではペルテシャツァル)という「聖なる神の霊」の宿る人物がいました(4:8)。治世の第二年のある日、「ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心が騒ぎ、眠れなかった。そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた」のです(2:1-2)。しかし、王の見た夢を言いあて、それを説き明かす者はひとりもいません。王は勝手に激怒し、知者たちを殺せと命じます。それを知ったダニエルは王の前に出て、説き明かしますと申し出て、三人の同僚に知らせ、天の神に祈ると、幻の内に天の秘密の啓示を受け、王に告げます(2:17-19)。王の見た夢は正夢で「金の頭、銀の胸と両腕、青銅の腹ともも、鉄と粘土のすねと足をもつ巨大な像」が出てきて、それを人手によらない石が打ち砕くというたいへん奇妙な夢だったということです。その金の頭はバビロン(ネブカデネザル王)を指し、それに取って代わるのが銀の胸と両腕の国という風に順々に帝国が現れ、政権が代わっていき、最後に永遠に滅びない国が現れるという預言だとダニエルは説き明かします。そこでネブカデネザルはダニエルに「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ」と言って、ダニエルを高い位につけます。
 (同書の8:20-21、10:20と照らし合わせると後の歴史の展開と符合します。…金の頭はバビロン…銀の胸と両腕はメディヤ…青銅の腹とももはペルシャ…鉄と粘土のすねと足はギリシャ…そして、人手によらない石は神の国)
 4章で、またダニエルは王の見た「大きな木」の夢=幻を説き明かします。5章で、ネブカデネザル王に代わって、息子のベルシャツァルが王となって、宴会を開いていた時、不思議なことが起こります。突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の壁に物を書いたので恐れおののきます。ここでまた、ダニエルが説き明かします。文字は『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』。メネは神があなたの治世を数えて終わらせられたこと。テケルはあなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったこと。パルシンはあなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということだと…。そこで、王はダニエルを国の第三の位に就かせます。直ぐさま、啓示のとおり、歴史の現実となります。「その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」とあります(5:30)。啓示の神は歴史に働く神なのです。実に厳粛なことです。
◇奇跡を現す神
 そうして、王となったメディヤ人ダリヨスは「神の霊が宿り、光と理解力と、すぐれた知恵のある」ダニエル(5:14)を政治の中枢で用いようとします。王は全国に120人の総督(太守)を任命して国を治めさ、王に損失がないように、その上に3人の大臣をおくことにしました。その大臣のひとりをダニエルとし、彼がきわだって優れていたので、王国全体を治めさせようとしました(6:3)。それが他の大臣、総督たちには面白くありません。ダニエルを陥れる策略を持ってのぞみます。彼らは「今から30日間、王以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令」を制定することに同意したので、その文書に王が署名し、取り消しのできない法律にしてくださいと申し出ます(6:7)。王は署名しました。
 ダニエルは、その文書の署名のことを知って帰ったのですが、彼は屋上の部屋の、エルサレムに向かってあいていた窓辺で、ソロモンの祈りに従って「いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」のです(6:10、2列王記8:38-45、2歴代誌6:37-39)。ダニエルを陥れようとしていた連中がその現場を目撃し、王に訴え出ました。「このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた」のですが、もはや発布された法令を変えられません(6:14)。
 聖書はこう記しています。「そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。『あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。』一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人(貴族)たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。『生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。』」(6:16ー20)。
 すると、中からダニエルの声がしました。生きていたのです。奇跡です。考えられないことですが、ダニエルは王にこう答えたのです。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません」(6:21-22)。王は非常に喜び、穴からダニエルを出させます。訴えた者たちが今度は獅子の穴に投げ込まれ、かみ砕かれるという制裁が加えられます。そして、ダニエルの信じる神がたたえられます。
 ここで注目したい言葉は6:23です。「ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである」。新約聖書もこの信仰を評価しています。「預言者たち…は信仰によって…正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ…ました」(ヘブル11:33ー34)。神への信頼がどれ程奇跡を生むのか、教えられます。普通なら、獅子の穴に投げ入れられようとした時点で、神に見捨てられたと思うのでしょうが、彼に与えられた神の知恵の霊によって、神ご自身を信頼していたのです。王の方が動揺し、嘆き、うろたえますが、獅子の穴の中のダニエルは主のあわれみによって、あるいは聖霊によって平然としていたようです。「彼が神に信頼していたからである。」ということこそ、奇跡です。
 この「信頼する」(信じる)はヘブル語ですとアーマンで、その動詞から「アーメン」(本当に、まことにそうです)が生まれました。聖書で最初にアーマンが出てくるのは創世記15:6「彼(アブラハム)は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」です。ダニエル自身こう告白していました。「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです」。アブラハムに与えられた信仰と同質ではないでしょうか。他の大臣や総督がよってたかって、ダニエルの立場を「認めようとはせず」、その存在を抹殺しようとしましたが、ダニエルの信じる天の神はその筋書きをどんでん返しにし、神ご自身がダニエルの存在を認め、罪のない者と認め、義と認め、救われたのです。「彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」とは信仰の奇跡であり、神の恵みの軌跡です。
 私たちは日々祈り、イエス・キリストを主と信じていても、その存在さえ、飲み込まれ、砕け散りそうな苦しみや、悲しみや、迫害や虐待や疎外という獅子の穴に放り込まれるような時があるかも知れません。しかし、そこにこそ獅子の口をふさいでくださるお方、すなわち、黄(よ)泉(み)の穴からよみがえられたイエス・キリストがおられること忘れてはなりません。聖霊によって十字架にかけられたイエス・キリストへの信頼が与えられ、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」という信仰の原点に行き着かせるのです。この原点に立てば、私たちにとって何も恐れるものはないのです。

 オランダにテン・ブーム時計店があり、そこに敬虔なクリスチャン家族がいました。ナチス・ドイツがオランダを占領するとユダヤ人刈りが始まります。この時計店は信仰によってユダヤ人をかくまう選択をし、地下組織と協力して、多くのユダヤ人の救出にあたります。しかし、ついに秘密警察がやってきて、一家は収容所に送られます。ベッツィーは病弱なため苦役を果たせず、残酷にも余計にむち打たれます。しかし、妹に言います。「ベッツィーは…やせ細った手で、鞭のあとを隠しました。『コーリー、ここを見てはいけないわ。イエス様だけを見てちょうだい』」。やがて衰弱し、病室にいれられ、別れの時がきます。「わたくしたちが、ここで学んだことを、人々に知らせなくっちゃ…わたくしたちは、イエス様がおられない所ほど深い穴はないということを、ぜひ知らせなくっちゃ。コーリー…」。遺体は汚物であふれかえったトイレにおかれたのですが、顔は幸福で平和そのもの、天国のベッツィーだったとコーリーは見たのです。その後、奇跡的にコーリーは釈放され、慈善活動をし、この経験を「わたしの隠れ場」という書にして、証詞を残したのです(いのちのことば社)。