オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

何たる愛ぞ!愛ぞ!

2013-05-26 00:00:00 | 礼拝説教
2013年5月26日 伝道礼拝(テモテ1:14)岡田邦夫

「私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。」テモテ1:14

 今日、賛美します、新聖歌359「罪深きこの身を」の作曲者はスティーブン・フォスターです。彼が最初に作った歌が「おお ズザンナ」です。ひとりの少女が吹雪の夜、使いに出され、荷車にひかれて死んでしまい、それを知ったフォスターがその両親のそばに寄りそって慰めようとつとめました。この経験から生まれた哀歌が「おお ズザンナ」(Genntle Annie)でした。後にこの歌が評判となり、ゴールドラッシュで金を求めてカリフォルニアに向かう人たちに歌われていきます。その事があって、彼は音楽の道に進み、「故郷の人々」(スワニー河)、「主人は冷たい土のなか」「懐かしいケンタッキーの我が家」を作っていきました。ところが、南北戦争の影響で職を失い、借金と酒びたりの生活となり、事故により37才の孤独死でした。
 恵まれた生涯とは言えず、悲惨にも見えた生涯でしたが、歌は残りました。彼の死後、「ケンタッキーの我が家」がケンタッキー州歌となり、「故郷の人々」がフロリダ州の歌と制定されたのです。トルーマン大統領による、1月13日をフォスター記念日とするの提案が議会で決議されました。日本の私たちにも、フォスターは愛されています。苦悩の中で生まれた彼の歌がきっと心の琴線に触れるものだからでしょう。
 ですから、彼の曲は賛美歌の歌詞がつけられ歌われています。奴隷たちが死んだ主人を心から悲しむ歌、「主人は冷たい土のなかに」は、新聖歌426「世には良き友も」(ラドゲイド作詞)になっています。「オールド・ブラック・ジョー」は新聖歌424「この身を虜にせし」(作詞者不明)になっています。

◇ただ空しいだけだ
 世界中をめぐっても、ただ空しいだけだ。ほんとうに懐かしいのは、故郷の人々だけだと歌う「故郷の人々」(スワニー河)は、新聖歌359「罪深きこの身を愛して」(カーター作詞)になっています。原曲は黒人の英語で書かれておりますが、その訳文を1節だけ、大塚野百合師のものを転記しましょう。「スワニー河を下った遙かなかなたに 私の心がいつも慕っているところがある。そこは親しい人たちがいるところだ。造られた世界を私は悲しい思いであちらこちらさまよったが、その農場と故郷の人々が懐かしくてたまらないのだ。(折り返し)私がさまよった世界はどこの寂しく 空しいところだ。故郷の懐かしい人々と離れていると、なんと私の心は空虚なのか」。フォスターはスワニー河を見たことがなく、音の響きで入れたと言います。彼にとっては懐かしい故郷が現実のどこかというより、むしろ魂の故郷を慕う虚無感を歌詞にしたのでしょう。そこに心を打つものがあるのでしょう。
 明治36年の讃美歌317にはこの曲に別所梅之助が創作した「花よりも愛でに」があります。1節だけ見てみましょう。哀調をおびています。
 花よりも愛でにしわが子よ/残ししこころもだにいと懐し
 たのみなき旅路をいづこに/さまよへるか今は花ちる暮
(をりかへし)
 わが子よわが子よとくかへり/心ゆくいのりを共にせずや

◇ただ嬉しいだけだ
 そうした哀愁や虚無を越えて、イエス・キリストの愛に救われた喜びを歌ったのが、カーター作詞の「罪深きこの身を愛して」(新聖歌359)です。
 罪深きこの身を 愛して
 イエスは木に掛かられ いのち捨てぬ
 何たる愛ぞ! 愛ぞ! 涙に
 ただむせびて イエスを見るほかなし
(おりかえし)
 救いはこの身に 成就しぬ
 われいかで疑わん 主のみわざを

 私はこの聖歌が好きでよく歌いました。私が生まれたのは東京の日暮里、第二次世界大戦中でした。アメリカから、B29の爆撃機が大量の焼夷弾を落としていきます。兄は特攻隊に志願、東京は危険と言うことで姉は学童疎開、それと一緒に母はおむつの取れていない私をつれて、田舎に疎開しました。その間に東京は焼け野原、終戦後に帰ったものの、どこがだれの土地だったかわからず、探し当てた我が家の後には他人がバラックを建て住んでいて、居場所が無くなっていました。やむなく、知人の紹介で亀有にある練炭工場の社宅の2階に間借りさせてもらいました。兄は出撃せず、終戦になったので帰ってきたのですが、どう生きたらよいか解らず、茫然としていました。しかし、食べていかなければならない、働ける者は必死に働き、少し余裕が出来、日暮里の長屋に越しました。私はおおむね小学6年間をここでそれなりに過ごしました。日が当たらない長屋、一家は日の当たる家に住みたいと願って働き、念願の庭付きの家を葛飾区に建て、移り住みました。
 私は中学生、この環境を喜び、一番生き生きしていたと思います。そのまま、高校へ進み、世は高度経済成長期、一発で就職が決まってしまいます。そこで考える時間が出来、人生を考えるなると、順調に望みがかなっていく面と、とてもかなわないことがあり、夕日を見ながら思いにふければ、たまらない寂しさと虚しさに襲われるのでした。
 好きな道、研究室に入って充実していたのですが、日本アルプスの山に登った後などに、楽しければ楽しかった分、それに比例して、何と言えない虚無感に襲われるのでした。フォスターの感じた、どこかにあるであろ心の故郷を、私も無意識のうちに求めていたのだと思います。東京大空襲で現実の故郷は無くなっていますし、日暮里に帰ったとはいえ、日の当たらない家、葛飾の日の当たる家も兄の家、いずれ出ていき、帰ると所はないのです。住めば都、そう生きれば良いのですが、魂はそうはいかないのです。聖書によれば、天の故郷があると言います。私の魂は求めていました。
 20才の時に、柴又教会に友人に誘われて、行きました。その時は私は一歩踏み出せばいい魂の状況でした。特別伝道集会の後、神を信じてこなかったことと神が見ていないからと、罪を犯してきたことを悔い改めて、イエス・キリストがこの私の罪を赦すために十字架で死んでくださったことを受け入れ、みことばを信じました。牧師夫人から「あなた、神の子になったのでしょ」とねんを押された時に、帰るべき所に帰ったということを実感しました。「わが子よわが子よとくかへり」という歌詞のようにです。帰るべき父なる神の懐に帰ったのです。
 それからです、自分のほんとうの姿が解ってきたのは。学生の時は手の込んだ不正乗車、実験でわざと爆発させて器物損壊、子煩悩の父親を蔑視、まじめそうで暴言、虚偽の数々、心の内にはねたみ、そしり、裁き…、実に罪多き者、罪深い者であることを知らされました。空しくさせている元凶は罪なのだと、わかってきました。すると、イエス・キリストの十字架の贖い、赦しがどんなに大きなものであり、どんなにか神に愛されているのか、解りました。愛されていることが解ると虚しさも消えていきます。パスカルの言う、人の心には神によってしか埋めることの出来ない空洞があると言うようなことを言いましたが、イエス・キリストを信じて受け入れると、その空洞、真空はうまるのです。逆に父の懐に飛び込むと満ち足りた、神の国の世界、虚無という怪物のいない居場所なのです。
 パウロは私たちを代表して、こう言っています。「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」(1テモテ1:13-15)。私たちも同列に神の前にいるのです。同じ罪人でり、同じあわれみ、同じ恵みを受けているのです。
 ごいっしょに「罪深きこの身を愛して」の聖歌をもって賛美しましょう。

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