2014年12月28日 年末感謝礼拝(使徒2:14-24)岡田邦夫
「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」使徒2:17
今年、最後の主日礼拝です。26日に夫婦で買い物に行きました。お目当ては売れ残ったクリスマス用品で半額になっているもので、来年のクリスマスに使うことを考えての買い物です。良い物がありました。教会員の中にはもう、来年はどんなクリスマスにしたいか、考え始めている方々もおられます。終わりは始めなのです。季節や年度はその繰り返しですが、信仰者の人生や聖書の歴史は一度限りの「終わりは始め」なのです。
◇十字架と復活
イエス・キリストが十字架上で「すべてが終わった」と言われました(口語訳)。それこそが終わりは始まりでした。神殿の幕が裂けて、十字架の福音を信じる者がだれでも救われ、御前に近づけるようになった始まりでした。主が墓に葬られ、これで終わりかのように見えて、三日目に復活されました。「今やキリストは、眠った者(主にあって死んだ者)の初穂として死者の中からよみだえられました」(1コリント1520)。復活の始まりです。
◇初臨と再臨
復活されたイエス・キリストは40日にわたって使徒たちに現れ、神の国のことを話され、ご自分が生きていることを示されました(使徒1:3)。そして、使徒たちが見ている間に天に昇って行かれました。これこそ、最後のお別れでした。しかし、み使いが告げます。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1:11)。雲に乗って再び来るという約束です。使徒たちだけでなく、信じるすべての者たちへの約束です。地上の歴史はその再臨の時に決定的に終わるのです。それも終わりであり、初めなのです。古い世界が消滅し、新しい天と新しい地が現れるのです。その時、神に選ばれた者たち、イエス・キリストによって救われた者たちが栄光の体に変えられて、入り、神が人と共に、人が神と共に永遠に住むことになるのです(黙示21:1-3)。有限の世界は終わり無限の世界が始まるのです。私たちはその救いの約束手形をいただいているのです。
◇旧約と新約
主の昇天の前に、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。……聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と告げられました(1:4、8 )。その通り、使徒たち等は祈って待っていると、約束通り、聖霊が下りました。聖霊の働く時代の始まりですから、そこには大きな衝撃がありました。「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」のです(使徒2:2-4)。
時は五旬節という祭りでエルサレムには大勢の人が集まっていたので、ペテロと11人の使徒たちが立ち上がり、聖霊によってわき出てくる言葉を語り出したのです(2:14)。聖霊の時代が来たという預言の成就と、イエス・キリストの十字架と復活の福音によって救われるという伝道メッセージをです(2:14-36)。これを聞いた多くの人たちが悔い改めて、信じて、三千人が洗礼を受け、愛と賛美に満ちた教会が始まったのです(2:37-47)。イスラエル中心の旧約の時代は終わり、教会中心の新約の時代が始まったのです。私たちは異邦人でも誰でも救われる、新約の時代に生きているのです。
◇終わりと始め
ペテロが最初に語り出したのが、聖霊についてのヨエルの預言の成就でした(使徒2:16-21=ヨエル2:28-32)。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる」。
この「終わりの日」は英語ではthe last days(ザ ラスト デイズ)、複数で、終わりの日々です。終わりの時代は始まって、前倒しで、聖霊が下り、臨んでいるのだということです。良い意味で大変なことです。
終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたがたの息子や娘は預言し、
青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
すると、彼らは預言する。
年の終わりに、人生の終わりに、時代の終わりに、キリスト者は聖霊に満たされて、幻を見、夢を見、預言をするのです。私はこの頃、ひとり静まっていると、ひとつのメロディが出てくるのです。何十回と思い巡らしたのですが、それがどこで聞いたものなのか判らないのです。それが最近判ったのです。目覚ましようにと内蔵メロディを聞いていたら、ブラームスの子守歌の一部分だったことが判明しました。その曲は全く聞いていませんので、どこで、どうして、私の脳にインプットされたのか、判らないのです。でも、脳がおかしくなったわけでもないし、作曲の才能があるわけでもないし、普通なのだということが解ったのでホッとしました。キリスト者は気づかないでしょうが、聖霊がインプットされているのです。それが普通のキリスト者なのです。聖霊は幻を見させ、夢を見させ、預言(神の言葉を聞き、証詞する)のです。普通でありながら、それはすごいことなのです。
「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」使徒2:17
今年、最後の主日礼拝です。26日に夫婦で買い物に行きました。お目当ては売れ残ったクリスマス用品で半額になっているもので、来年のクリスマスに使うことを考えての買い物です。良い物がありました。教会員の中にはもう、来年はどんなクリスマスにしたいか、考え始めている方々もおられます。終わりは始めなのです。季節や年度はその繰り返しですが、信仰者の人生や聖書の歴史は一度限りの「終わりは始め」なのです。
◇十字架と復活
イエス・キリストが十字架上で「すべてが終わった」と言われました(口語訳)。それこそが終わりは始まりでした。神殿の幕が裂けて、十字架の福音を信じる者がだれでも救われ、御前に近づけるようになった始まりでした。主が墓に葬られ、これで終わりかのように見えて、三日目に復活されました。「今やキリストは、眠った者(主にあって死んだ者)の初穂として死者の中からよみだえられました」(1コリント1520)。復活の始まりです。
◇初臨と再臨
復活されたイエス・キリストは40日にわたって使徒たちに現れ、神の国のことを話され、ご自分が生きていることを示されました(使徒1:3)。そして、使徒たちが見ている間に天に昇って行かれました。これこそ、最後のお別れでした。しかし、み使いが告げます。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1:11)。雲に乗って再び来るという約束です。使徒たちだけでなく、信じるすべての者たちへの約束です。地上の歴史はその再臨の時に決定的に終わるのです。それも終わりであり、初めなのです。古い世界が消滅し、新しい天と新しい地が現れるのです。その時、神に選ばれた者たち、イエス・キリストによって救われた者たちが栄光の体に変えられて、入り、神が人と共に、人が神と共に永遠に住むことになるのです(黙示21:1-3)。有限の世界は終わり無限の世界が始まるのです。私たちはその救いの約束手形をいただいているのです。
◇旧約と新約
主の昇天の前に、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。……聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と告げられました(1:4、8 )。その通り、使徒たち等は祈って待っていると、約束通り、聖霊が下りました。聖霊の働く時代の始まりですから、そこには大きな衝撃がありました。「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」のです(使徒2:2-4)。
時は五旬節という祭りでエルサレムには大勢の人が集まっていたので、ペテロと11人の使徒たちが立ち上がり、聖霊によってわき出てくる言葉を語り出したのです(2:14)。聖霊の時代が来たという預言の成就と、イエス・キリストの十字架と復活の福音によって救われるという伝道メッセージをです(2:14-36)。これを聞いた多くの人たちが悔い改めて、信じて、三千人が洗礼を受け、愛と賛美に満ちた教会が始まったのです(2:37-47)。イスラエル中心の旧約の時代は終わり、教会中心の新約の時代が始まったのです。私たちは異邦人でも誰でも救われる、新約の時代に生きているのです。
◇終わりと始め
ペテロが最初に語り出したのが、聖霊についてのヨエルの預言の成就でした(使徒2:16-21=ヨエル2:28-32)。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる」。
この「終わりの日」は英語ではthe last days(ザ ラスト デイズ)、複数で、終わりの日々です。終わりの時代は始まって、前倒しで、聖霊が下り、臨んでいるのだということです。良い意味で大変なことです。
終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたがたの息子や娘は預言し、
青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
すると、彼らは預言する。
年の終わりに、人生の終わりに、時代の終わりに、キリスト者は聖霊に満たされて、幻を見、夢を見、預言をするのです。私はこの頃、ひとり静まっていると、ひとつのメロディが出てくるのです。何十回と思い巡らしたのですが、それがどこで聞いたものなのか判らないのです。それが最近判ったのです。目覚ましようにと内蔵メロディを聞いていたら、ブラームスの子守歌の一部分だったことが判明しました。その曲は全く聞いていませんので、どこで、どうして、私の脳にインプットされたのか、判らないのです。でも、脳がおかしくなったわけでもないし、作曲の才能があるわけでもないし、普通なのだということが解ったのでホッとしました。キリスト者は気づかないでしょうが、聖霊がインプットされているのです。それが普通のキリスト者なのです。聖霊は幻を見させ、夢を見させ、預言(神の言葉を聞き、証詞する)のです。普通でありながら、それはすごいことなのです。