オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

主の受難と栄光

2015-03-29 00:00:00 | 礼拝説教
2015年3月29日 棕櫚の主日礼拝(イザヤ53:1-6)岡田邦夫


 「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」イザヤ53:5

 本日は棕櫚(しゆろ)の主日です。イエス・キリストがろばの子に乗って、エルサレムの都に入場します。人々が棕櫚の枝や上着を敷いて
、「ホサナ、ホサナ」と称えて迎えます。神殿で説教され、弟子たちとだけで過ぎ越しの食事=最後の晩餐をした後、ゲッセマネで祈ります。ユダの裏切りで逮捕され、不当な裁判にかけられ、十字架刑に処せられます。墓に葬られますが、週の初め、日曜日の朝、復活されます。この一週間を教会は受難週として、主の御受難を偲び、信仰を深めていく週です。言い換えれば、より深く神のみこころを集中して知ろうという期間です。
 その御受難は神のみこころでした。53章10節に言われています。「彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる」。何にもまして、私たちはこの神のみこころを知らなければなりません。

◇あとでわかる
 弟子たちはイエスと3年寝食を共にしながら、教えを請うたのに、神のみこころが、中々わからなかったのです。五千人に食べ物が与えられた奇跡を目の当たりにし、続いて、四千人にも同様な奇跡を体感していながら、その意味がわからないのです。主イエスから言われます。「まだわからないのですか」(マタイ16:9,11)。その後、一筋の光が差します。イエスがキリストであると信仰告白をします。
 それから、このイザヤ書53章にある受難の道に、主は自ら進んで行きます。最後の晩餐でも「わたしのしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」と告げます(ヨハネ13:7)。始めに話した、その一週間が繰り広げられます。ナザレのイエスはユダヤの宗教的指導者の陰謀、それに付和雷同する民衆、それを阻止できぬ総督、それらの罪人等の手の中に陥って行きます。しかし、それは神の手の中にあったのです。「主のみこころであった」のです。
 復活されたキリスト・イエスにお会いして、そこから振り返った時に、目撃した十字架の苦難の意味がわかったのです。それはこのイザヤ53章にある、救い主・メシヤが御苦難にあわれる預言が成就したことがわかったのです。エマオの途上で復活された主が聖書を解き明かされたときでした。同行してきた人が「キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」と言い、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かします(ルカ24:26-27)。しばらくして、目が開かれ、その人がイエス・キリストだとわかり、心が燃えていたことに気付きます。聖霊が降った時、その確証を得ます。
 後に振り返った時にわかったのです。目の当たりにした十字架の苦難と「苦難のしもべ」の預言がぴったり重なって、わかったのです。神のみこころが、すじが通ってわかったのです。ペテロがそれをそのまま記しているところがあります(1ペテロ2:24)。
 メソジスト教会の創始者ともいうべきジョン・ウェスレーは牧師の家庭に生まれ、自らも牧師になった人です。しかし、牧師でありながら、救いの確信がなかったのです。例えば、死刑に処せられる直前に、「あなたはわたしと一緒にパラダイスにいる」とみ言葉を告げると、罪の赦しと天国の確信を得て、輝いて死んでいくのですが、自分にはその確信がないのです。友人にそのことを話すと、後でわかるから、牧師を続けるように諭されます。アメリカに宣教に行き、挫折して帰ってきて、ある集会に出て、ルターのローマ人への手紙の説教の序文を読んでいる時にわかったのです。「心が燃えた」と証ししています。そこから、メソジスト運動が展開されていくのです。
 みこころはあとでわかるのです。

◇痛みでわかる
 イザヤ53章は救い主・メシヤの「しもべの歌」と呼ばれるものです(52:13-53:12)。700年前に書かれた預言書ですが、まるで十字架の出来事を見てて書いたようです。もっとも肝心な神のみこころだから、そのように啓示を受けたのでしょう。より深く、心に届く「歌」(詩文)で表現されているのです。これを読むキリスト者もそこにいたかのように読むのがよいでしょう。新聖歌113、ゴスペルの「君もそこにいたのか」はそういう歌です。
  君もそこにいたのか 主が十字架に付くとき
  ああ何だか心が震える 震える 震える
  君もそこにいたのか
 作者は自分の苦しい、辛い体験に重ね合わせ、イエス・キリストの受難、痛みを感じ取って、御受難に思いをはせ、自分が救われたこと、神に愛されていることをしみじみと霊に感じて作ったのでしょう。
 君もそこにいたのかの心境で、この章を朗読します。これが悲惨に見えて栄光であることがその出だしに歌われています。

52:13見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
52:14 多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。――
52:15 そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。
1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
2 彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

 もう一度、皆さん、それぞれ、聖書を黙読し、思いを巡らし、ここにいます主を信じましょう。

ごたいせつの愛

2015-03-22 00:00:00 | 礼拝説教
2015年3月22日 伝道礼拝(イザヤ書43:4)岡田邦夫


 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ書43:4

 牧師が話すのも何ですが、落語に「ぞろぞろ」というのがあります。寂れた神社があって、そばに荒物屋があり、信心深い父娘がおりました。わらじが売れるよう祈った。すると客がきて、つる下げてあったわらじを買っていった。次の客が来てわらじが欲しいと言うので、無いと断るが新しい一足、つる下がっている。無くなるとぞろぞろと上から下りてくるのである。そうして、店は繁盛していく。それを聞いた床屋、隣のように御利益をとお参りする。客がいっぱい来ている。親父がかみそりでひげを剃る。新しいひげが「ぞろぞろ」。
 落語には江戸の下町ことば、庶民のことばが残されています。一方、狂言など(室町時代)の流れをくむ、山の手ことば、武家のことばがありました。明治から昭和にかけて、全国統一のため、江戸のことばを元に標準語が定められていきました。私は下町育ちですから、東から朝日が昇るが「しがしからあさしがのぼる」になってしまいます。小学校が山の手だったので厳しく直されました。標準語化への途上でした。長いこと、話し言葉と書き言葉は別々でした。文言一致運動がなされ、今日のような口語が出来ました。

◇言葉の響き
 聖書も口語訳というのがそれです。武家のことばの名残が書き言葉で文語です。聖書も文語訳があります。ですから、口語(新改訳)の「愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」は軽く、文語の「神は愛なり、愛に居(お)る者は神に居り、神も亦(また)かれに居(い)給(たも)ふ。」の方が重みがあるというのもそのせいです(1ヨハネ4:16)。私たちはその両方のことばの響きを会得していくなら、幸いです。「神は愛です」から、たいへん身近な神の愛を、「神は愛なり」から、ずっしりと重みのある神の愛を感じ取っていくのがよろしいかと存じます。

 フランシスコ・ザビエルが日本に宣教に来た時代のことです。神は愛なりの「愛」をどう訳すか、知恵を用いました。日本語で愛という字は愛欲というよな、あまり良くない意味で使われていました。適切なことばが見つかりまして、「御大切」と訳しました。「たいせつ」というのは和語で、あとで漢字の音で当てはめたものです。意味はいとおしいとか、宝物のように大事という意味で、実に適訳でした。神は私たちをいとおしくてたまらない、宝物のように大事に思ってくださってる。そうしてくださっていると思うと胸が熱くなってきます。肌で感じられるような響きです。
 そのような、聖書の文言があります。神がこう言われるのです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」(イザヤ43:4)。文語の名残のある口語訳はこうです。「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える」。私たちはこの世で人から、どれだけ重んじられいるでしょうか。しかし、神はあなたを無くてならぬ者、代替えのきかないものだと重んじていてくださるのです。人の魂の重さは地球の重さより重いと言われるほど、重んじておられるのです。
 イエス・キリストは放蕩息子のたとえを話されました。財産をもらって家をでた息子は身を持ち崩し、金を使い果たします。こまって豚飼いの仕事に就くけど、空腹で豚のえさを食べたくなるほど惨めな状態。決心して悔い改めて父親の所に帰ります。父は走り寄って抱きしめます。「死んでいたのが生き返り、いなくなったのが見つかったのだから」と言って大喜び。父は神で、息子は私たち。神から離れた者をどれほど心痛な思いで帰ってくるのを待っているか、神に帰依すれば、神はかけがいのない息子が帰ってきたのですから、父なる神はどれほど喜んでおられるでしょうか。神にとって私たちは重んぜられるものなのです。

◇無言の響き
 テレビで、公共広告機構が2005年、このような文言を流しておりました。「『命は大切だ』『命を大切に』そんなこと、 何千、 何万回言われるより、『あなたが大切だ』誰かが、そう言ってくれたら、それだけで生きていける。」この『あなたが大切だ』と言ってくれる誰かが、天地創造の神、私たちの父なる神、私たちを救うため、命の犠牲を払われたイエス・キリストの神であるとすれば、これは素晴らしい文章です。聖書は神と私たちの関係は一人称と二人称の関係、夫婦や親子のような密接な関係だと告げています。
 「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
 わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ」(43:1- 4)。

 この関係はいつまで続くのでしょうか。「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(1コリント13:13)。神の愛は決してさめることはない。きょうも、あすも、次の日も、そして、永遠に絶えることなく続くのです。足跡という詩があります。砂浜に足跡があった。二人の足跡だった。イエス・キリストが私の人生で共に歩んでくれた足跡だ。しかし、自分が一番苦しい時の足跡は一人分の足跡しかなかった。なぜかと問うと、声がした。私はあなたを背負って歩いたのだと。主は罪深いこのわたしを罪の中から救うために、罪の代価を十字架において御自分の命という最も高価な代価を払って、買い戻されたのです。それほど愛しておられることを折々に言葉で告げられます。時には語らずに無言の愛を示されます。私たちが大変な苦しい時に、背負っていてくださって、無言の愛で導かれます。落語の「ぞろぞろ」ではないが、神の愛は引っ張り出しても、また、絶え間なく出てくるのです。

告げられたとおりに

2015-03-15 00:00:00 | 礼拝説教
2015年3月15日 主日礼拝(使徒の働き27:13-26)岡田邦夫


 「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」使徒の働き27:13

 2011年のFIFA女子ワールドカップで「なでしこジャパン」が世界一に輝いた。キャプテンとしてチームを率いたのが、澤穂(ほ)希(まれ)選手。彼女の座右の銘が“夢は見るものではなく叶えるもの”だと言い、こうコメントした。「どんな人にだって、夢や目標はあると思う。その目標や夢が、どれだけ大きいか小さいかなんて、関係ない。その人の夢の価値は、他人が決めることではないからだ」。
 それとは全く比較にはならないが、私、小学生の卒業文集に、「空気中の窒素と酸素と炭酸ガスなどを合成して、食料を作る科学者になるのが夢だ」と書いた。空気で食料を作るなんていうのはそれこそ「空(そら)夢」だった。しかし、今は永遠の命の「糧」を取り次ぐ牧師をしているから、夢は叶ったのだ。ものは考えようである。

◇エルサレムから風が吹く…宗教の中心
 この使徒の働きは「夢」から始まる。復活されて弟子たちに現れたキリストは「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(1:8)。聖霊によって叶う確かな夢なのである。この著者のルカはその夢=約束がその通りに展開していったと述べる。
聖霊が臨むが2章、エルサレム宣教が3~7章、ユダヤとサマリヤ宣教が8~9章、(地の果てに向かう)異邦人宣教の始めが10~15章、その展開が16~28章。といった具合である。
 その夢実現の担い手は使徒。前半はペテロが中心で、1~15章で活躍。後半は復活後に選ばれたパウロで、9章~28章で活躍する。二人は9~15章で重なって出てくる。それぞれが別々に活動はしているが、見えない所では、一つの方向、地の果て伝道にむかっての、夢実現のバトンタッチである。16章からパウロの第二次及び第三次伝道旅行で、小アジアからギリシャまで進行拡大していく。その第三次伝道旅行の時だった。エペソでパウロは「御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。』と言った」(19:21)。かつて、彼はキリスト教を撲滅しようという押さえきれない野心で迫害していた。主に出会って変わった。聖霊による押さえきれない清い思いがわいてくるのである。どうしても、「ローマも見なければならない」のである。
 伝道旅行を終えて、エルサレムに向かう。途中、愛するエペソの長老たちに別れを告げる時、この任務が果たせれば命は惜しくないと覚悟の程を示す(20:24)。船がカイザリヤに着くとアガポという預言者がエルサレムで拘束され異邦人に渡されると告げるのである。これを聞いて、周囲は行かないでと止めようとするが、それでも、パウロは覚悟の上だと言って、情に流されずエルサレムに向かうのである。

◇ローマに向かって風が吹く…政治の中心
 エルサレムに着くとアジアから来たユダヤ人たちがパウロを殺そうとして大騒動になる。これも抗しがたい反対勢力なのだ。そこにローマ軍の千人隊長が来て、騒ぎを静めた時、パウロがローマの市民権を持っていたので、保護される。そのような時に主がパウロのそばに立ってはげますのである。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(23:11)。そして、パウロは皇帝・カイザルに上訴したので、囚われの身で地中海を渡り、ローマに行くのである。
 イタリヤに向けて、出帆するが、決して順風満帆という旅ではないのである。福音を前進させまいとするサタンの働きなのか、地中海に吹く風が阻止するのである。囚人を乗せた船は出帆した(27:2)。向かい風なので、キプロス島の島陰を航行。小アジアを右手にし、南西の端、クニドの沖に着いたが、風のためこれ以上進めない。沖合に出て、東西に細長いクレテ島に行き、その南側の島陰を航行する。良い港と呼ばれる所に着き、そこに留まった。
 パウロは航海士ではない。しかし、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と注意をした(27:10)。隊長は船長等、大多数がこの島の南端のピニクスで冬を過ごそうと言うので、その意見に従い出帆したのである。穏やかな南風も吹いていたからである。
 ところがである。地中海にはユーラクロンという嵐が暴れまくることがある。それが陸から吹き下ろしてきたのである(27:14)。帆船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進めない。クラウダという小島の陰に入ったものの、浅瀬に乗り上げてしまう危険がある。暴雨はおさまるどころか、激しくなる一方。船は翻(ほん)弄(ろう)されるばかり、やむなく積み荷を捨てる。船具までも捨てる。「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」と記されている(27:20)。このような絶望の状況で、パウロが立ちあがる。体は寒さで震えていたかも知れないが、魂は確信に満ち、こう語り出す。
 「皆さん、元気を出してください。船は失っても、命は皆助かります」。「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」(27:23-26)。
 船はどうにも操れない。流されるままだ。14日目の夜、陸地に近づいていたのである。またまた、航海士でもないパウロが助かるのだから、食事をとるよう指示をする。276人全員が食事をし、麦を海に捨て、船を軽くする。潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げ、座(ざ)礁(しよう)するが全員、泳いで陸に上がって助かった。パウロが言ったとおり、神が告げられた通りになったのだから、不思議である。その島はマルタ島であった(28:1)。
 この島でパウロは多くの人を救うことになるのである。まず、彼自身がまむしにかまれても、何の害も受けなかったので、島の人は仰天。「この人は神さまだ」というほど。島の首長に手をおいてその病をいやし、島の病人たちの病もいやしていったので、尊敬され、必要な品々を提供してくれたのである。三ヶ月後、この島で冬を過ごしていたアレキサンドリヤ(ナイル川の河口の大都市)の船で出帆した(28:11)。もう風に悩まされることなく、順風満帆、イタリヤに着いたのである。ローマに着き、軟禁状態で来る者に大胆に、少しも妨げられず、神の国の福音を伝えることが出来たのである(28:31)。それが使徒の働きの末尾である。
 短い言葉であるが感慨のある言葉が28章14節に記されている。「こうして、私たちはローマに到着した」。口語訳は「それからわたしたちは、ついにローマに到着した」。文語訳は「而(しか)して遂(つい)にロマに往(ゆ)く」。ローマの道は世界に通じると言われていた。世界の中心であった。パウロが行く前にすでにキリスト者はいたのだが、異邦人宣教の「使徒」が行ったことに大きな意味があるのである。自分が行く前に「ローマ人への手紙」で福音とは何かということをしっかりとしたため、世界に向けてのメッセージを届けていたのである。「而(しか)して遂(つい)にロマに往(ゆ)く」、ついにローマに到着したのである。

 反対勢力の向かい風、暴風に翻弄された様で、あるいは自然の向かい風、暴風に翻弄された様で、しかし、「聖霊の風」は人も自然も抗することの出来ない風である。聖霊の風が使徒パウロをローマに押し届けたのだと思わざるを得ない。「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます」。そう告げられていた。「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」と告白した。事実、而(しか)して遂(つい)にロマに往(い)ったのである。
 私たちはみ声を聞くのである。見える所は逆風が吹いたとしても、見えない所で聖霊の確かな風が吹き、信じる者の船を夢実現、み言葉実現へ導かれるのである。ついに、み言葉が実現したという時が来るのである。

まじめな真理のことば

2015-03-08 00:00:00 | 礼拝説教
2015年3月8日 主日礼拝(使徒の働き26:24-29)岡田邦夫


 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。」使徒の働き26:25

 あるホーリネスの牧師が更に学びたいと思い、別の系列の神学校に行っておりました。ある時、早朝の集会で自分が説教することとなり、聖書を開き、自分の救いと献身の証詞をしました。ところが、集会が終わると他の神学生たちに個人的な話をしただけで、み言葉をとりついでいないと批判されました。ホーリネスでは始めて講壇に立つ時は証詞をするのが常ですが…。説教者が自分を隠して、み言葉を解き明かすか、説教者が自分をさらけだして、み言葉を鮮明にしていくか、それぞれ教派によって流儀があるようです。また、どちらでいくか、時と場合によるでしょう。

 ところで、パウロはどちらだったでしょう。時と場合によりますが、このアグリッパ王の前では自らの体験したことを中心に説教しております。
 ユダヤ人の宗教の厳格な派に従って、パリサイ人としてまじめに生活をしていた。復活をいう、ナザレ人イエスの派に対しては強硬に敵対すべきと考え、祭司長から権限を授けてもらい、彼らを投獄したり、殺害の賛成投票までしていた。正義感に燃え、怒りに燃え、国外まで追跡していった。そうして、ダマスコに行く途中でのこと、このような衝撃的なことが起こった。天からまばゆい光が照らしたので、地に倒れてしまった。そして、ヘブル語で語る声を聞いた。
 「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」。私が「主よ。あなたはどなたですか。」と言いますと、主がこう言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(26:14-15)。
 そして、復活されたイエスが現れ、わたしが見たこと、その復活の証人に任命された。この天からの啓示に従って、証しし、宣べ伝えているのである。
 その弁明の後のやりとりを見てみましょう(26:24-29)。
総督フェスト:「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている。」
パウロ:「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。」
アグリッパ王:「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」
パウロ「私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
 私のようになってくださいという証詞による説教なのです。

◇三度も…決定的
 この「使徒の働き」の著者は途中でパウロの伝道に加わった、同労者ルカです(16:11「私たちは」と記述されている)。ルカはパウロの回心と召命のストーリーを三度も載せています。
  9章ではダマスコの途上での出来事
  22章ではユダヤ人の前での弁明(エルサレム)
  26章ではアグリッパ王の前での弁明(カイザリヤ)
 肉体のとげのために「三度も主に願いました」。しかし、それは決定的に祈りに答えられず、全く別な、最良のみ言葉をいただいたとパウロは記しています(2コリント12:8)。三度とは決定的ということです。ルカはパウロの回心と召命の経験はイエス・キリストの福音が世界に拡大していくための決定的出来事、決定的瞬間だったというのです。この証詞はエルサレムではユダヤ人に向かってなされ、主は「わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」と命じられたと宣言しました(22:21)。カイザリヤでは異邦人に向かって、語られました。「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼ら(異邦人)のところに遣わす。」と命じられたと明言しました(28:17)。
 パウロは天からの啓示を受けて、決定的に「異邦人宣教の使徒」と召されたのです。それを証ししているのは召命の体験だということです。パウロは特別な使徒でしたので、特別な経験をしました。しかし、今日の私たちも主からお声が掛けられているのです。牧師は牧師として召されており、信徒は信徒として召されているのです。召しというのはもう一つの決定的なことなのですから、何よりも大事にしましょう。

◇一度で…根底的
 日本に住んでいるアメリカ人がこんな話をしていました。奥さんが妊娠し、陣痛が始まりました。彼は立ち会いました。出産の痛みは男には解らない。上唇と下唇を裂いて、ぐるっとひっくり返すまで裂く痛みだろうと想像していると彼は言います。いよいよ痛くなってきました。日本の病院なので初めは日本語で彼女はしゃべっていました。痛みが最高に達した時、「英語」で絶対、二度と産みはしないとわめき、叫びました。オギャー。生まれて、胸に抱いたら、弟か、妹がいるわねと満面笑みで言っていたとのことです。
 極限状況で、人は母国語に帰ります。パウロは召しの声を母国語のヘブル語で聞いたのです(狭義ではアラム語)。日常で呼ばれていたように、復活のイエスに「サウロ、サウロ」と身近に呼ばれます。ユダヤ教の伝統の中で生きてきたパウロ、なれ親しんできたことわざ「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いこと」を神の言葉として聞いたのです(26:14)。体に染みついていた伝統、それが日常となっている中に、神の言葉が入り込んだのです。人を根底から変えてしまう神のご意志でした。
 改心ではなく、180度の「回心」が起こったのです。熱血の反対者から熱血の賛成者に、迫害する者から迫害される者に、ガマリエルの門下生から、キリストの門下生に、罪人の頭から、聖徒の見本に(1テモテ1:15-16)、根底から変えられたのです。自己義認から信仰義認に生きるように、律法の奴隷から福音の自由に生きるように、人生の方向が180度変えられたのです。神の言葉、復活のキリストの言葉はひとたび臨むとそのように人を変えていくのです。
 キリスト者は表面的に劇的かどうかではなく、根底が変えられたのですから、それは確かなものです。臨まれた主は同じですから、パウロと同類の経験を持つ者なのです。私たちにもイエスがキリストとして、一度臨まれ、自分も主を信じたかぎり、「神の賜物と召命とは変わることが」ないのです(ローマ11:29)。イスカリオテのユダやパウロの同労者デマスのようになってはいけませんが…。私たちも証しするとき、決して気が狂っているわけではないのです。まじめな真理のことばを話しているのです。パウロが「私のようになってください」と証ししたように、私たちも証し出来るのです。

涙、涙、涙

2015-03-01 00:00:00 | 礼拝説教
2015年3月1日 主日礼拝(使徒の働き20:18-28)岡田邦夫


 「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです」使徒の働き20:28

 聖書にはたいてい、後の方に地図が載っています。パウロが伝道のため、旅したコースもていねいに線が引かれています。今、持っている先入観をカッコに入れて、聖書と地図を見ると当時の状況に思いをはせることが出来ます。そして、私たちの今の状況にそれを引き入れ、私たちの信仰の前進や深化に導かれますなら、幸いです。そういう風に聖書を読みましょう。
 地図といえば、視覚障害者の方はそれを理解できるでしょうか。生まれつきの視覚障害の6歳の少女に、先生が教えている映像を見ました。まず、先生が少女と向き合い、右手と左手を教えます。今度は向き合っている先生の右の耳はどちらか聞きます。向き合うと左右が反対になることを少女は知ります。次にいくつもの机が集められており、一つずつ触りながら位置を覚えるようにします。覚えたら、積み木で配置を再現させると、きっちりと出来るのです。今度は教室にどんなものが配置されているか、さわって覚えていきます。これも積み木で配置を再現します。次は校舎全体です。覚えてしまうと、廊下を走っても壁にぶつかりません。次は通学路、杖を使っての練習です。生徒に聞いてみると、心の中に地図が出来ているのだというのです。見えないのですが、そういう風に空間認識が出来ていくのだと思うと、何か感動してしまいました。
 では、どんな風にエペソの教会が出来ていったのか、言い換えれば、見えない神の国がどんな風にして、見える教会になっていったのか、「使徒の働き」から、見てきたいと思います。

◇涙をもって(20:19)
 今日の舞台は小アジア、今のトルコ、その西の港湾都市「エペソ」です。ここに聖書(旧約)に精通した、雄弁なアポロというユダヤ人がやってきました(18:24)。そこで主イエスの道の教えを受け、救われました。それから、雄弁の賜物を生かし熱心に主の道を語り出します。そして、プリスキラとアクラの指導を受け、エーゲ海を渡って、コリントに宣教に行きました。
 そのエペソにパウロがやってきます。アポロによって導かれた12人に会い、イエスの名によってバプテスマをほどこすと、聖霊が降ります。ここから、目覚ましい神のみ業が起こっていくのです。
 ユダヤ人が集まる会堂で3ヶ月、伝道します。ギリシャ人が集まるツラノの講堂で、2年間伝道します。すると、「アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った」のです(19:11-12)。大変な現象が起きたのです。リバイバルです。魔除け師がこれを真似してやったら、とんでもない事態になってしまいます。それがエペソに広まっていき、イエス・キリストの御名が崇められます。それで多くの人が信仰に入り、「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」のです(1920)。実に快進撃です。
 こうなると、ギリシャ神話の女神アルテミスの神殿で商売をする模型作りの職人は商売が上がったりです。その一人が騒動を起こし、大勢の人が劇場になだれ込み、大混乱状態になります。そこへ町の書記役がこの事態を収拾させて、騒動は収まります(19:23--41)。そのため、パウロはこれ以上、エペソには留まれないので、エーゲ海を渡り、マケドニア、ギリシャを巡回します。そうして、来た時と同じ道を通って帰ります。海を渡り、小アジアの北西岸のトロアスに来て、更に船で南下し、ミレトの港まで来ました。
 パウロは以前、エペソにおいて、御霊の示しを受け、エルサレムに行くことを決めており、また「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」との思いがありました(19:21)。そして、この時もエルサレム行きは「御霊に迫られて」(心が縛られて)おりましたので、エペソにはよらず、ミレトの港でエペソ教会の長老を呼び、会うことにしました。そこで、心を注ぎだして、決別説教を致しました。かつての華々しく見えたエペソの伝道活動の、その陰には大変な苦労と涙があったことを告げるのです。
 皆さんは、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じですと話し始めます。「私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました」(20:19)。徹底して謙遜の限りを尽くされ、仕えられたのは主イエスご自身でした。パウロはそのイエス・キリストに倣(なら)って生きたのです。それは光栄なことでした。後にエペソ教会へ出した手紙で言っています。「神に愛されている子どもですから、神にならう者となりなさい」(5:1)。
 パウロの涙はイエスの涙からくるものでした。イエスと共に流す涙なのです。そういう涙が人を救い、教会を恵みの潤いで満たすのです。
 新聖歌382
  ①心から願うのは 主のようになること
  御形に似るために 世の宝捨てます
     主のように主のように きよくしてください
     この心奥深く 御姿を写して
  ③謙遜と忍耐と 勇気とに溢れて
  人びとを救うため 苦しみをいとわず

◇涙とともに(20:31)
 パウロは神の恵みの福音=神のご計画、み旨の全体を愛の涙をもって、余すところなく知らせたのです。「涙とともに蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」(詩篇126:5)。彼は涙をもって、恵みの福音の種を蒔いたのです。これからも、蒔いていくのです。ですから、「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言えるのです(20:24)。
 涙を流すだけでなく、主イエスは御自分の「血を流され」、私たちを罪の中から、贖い買い取られたのです。神の教会とは実に尊いのです。ですから、長老に向かって、くれぐれもこう言うのです。
 「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです」(20:28)。
 これは教会の役員だけでなく、教会員の皆が心がける大事なことだと思います。不信仰に陥らせたり、教えを曲げたりするものから、守られるように、自分自身と群れ全体への、主にある気配りをするのです。
 特に教会の気配りで大事なことを最後に語ります。「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、
私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」(20:35)。これこそが、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会の麗しい姿なのです。川柳を一句。「幸せは 得るものではなく 使うもの」
 エペソの人たちはパウロと二度と会えないと思うと、声を上げて泣くのです。実に悲しいけれど、清らかな涙なのです。この後、パウロはエルサレムに行き、そこで騒動に巻き込まれ、囚(とら)われ、裁判のために囚人船でローマ行き、監禁されます。その獄中で彼は「エペソ人への手紙」を書き送ります。そこには恵みにあふれた教会の「奥義」が記されています。格調高いメッセージです。あの長老たちがパウロの教えを守り、涙して牧会をしていて、もし、この手紙が読み聞かせられたとしたら、どれほど喜んだでしょうか。喜びの涙を流したことでしょうか。
 死んだラザロのために涙を流され、祈り、生き返らせた主は私たちが救われるために、どれほど、愛の涙を流されたことでしょうか。その愛に浸(つ)かった私たちは、涙をもって主に仕え、涙とともに群れに仕えていくのです。そういう風に仕えていくなら、神の教会が出来ていき、新天地が現れる時には、その涙も報われて、「神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」のです(ヨハネ黙示録21:3-4)。