オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

火をもって答える神

2010-08-29 00:00:00 | 礼拝説教
2010年8月29日 主日礼拝(1列王紀18:1~46)岡田邦夫


 始め、私が教会に行ったのは興味本位でした。西洋の映画などを見て、そこに出てくるキリスト教へのあこがれがどこかにあったからだと思います。何となく行ったので、何となくしか分からず、何となく行かなくなってしまいました。それでも、心に残った言葉がありました。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイ7: 7)。その後、私の魂が神を求めるようになり、イエス・キリストの救いが与えられました。このみ言葉が嘘ではなく、現実味をおびたものであることを知らされました。
 聖書の宗教というものが、決して、観念を積み重ねて、構築し、体系にした宗教ではなく、神が語り、事をなした歴史を積み重ねて、連鎖し、結集した宗教なのです。旧約聖書での救いというのは、イスラエルの人々が主を求めると、神がそれに答え、モーセを立て、主の奇跡によって救出された出エジプトという恵みの出来事です。新約聖書では主の十字架における救いの出来事です。そのことについて、事前に、イエスが山で輝く姿に変わった時に、モーセとエリヤが栄光の内に現れ、三者会談をしていたのです(ルカ9:30-31)。モーセと並ぶそのエリヤこそ、今日の話しの主人公です。次々に主の奇跡を起こし、主が現実に生きておられることを強烈に示した代表的な人物、行動預言者エリヤです。冒頭の言葉にそれがよく現れています。
 「『あなた方は自分たちの神の名を呼べ。わたしは主の名を呼ぼう。その時、火をもって答える神、その方が神である。』民はみな答えて、『それがよい。』と言った」(1列王18:24)。

◇チャレンジ…「雨」
 エリヤは主の言葉に従って、実に信じがたい奇跡を次々に起こしていきました。まず、アハブ王に大胆に告げます。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう」(17:1)。この預言のように、3年6ヶ月、干ばつが続き、再び、彼が祈ったところ、大雨が降りだしました(18:41-46)。その干ばつの間、彼自身はカラスの運ぶパンと肉で養われ、食糧が尽きようとしていたやもめのところで、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならないという奇跡で養われました。また、やもめの子が死にますが、彼が祈るとその子が生き返るという奇跡が起こり、彼女は素直な告白をします。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました」(17:24)。

◇チャレンジ…「火」
 この素直なやもめとは対照的なのが、アハブ王とイゼベル妃です。彼らへの聖書の評価は最悪です。「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった」(16:30ー33)。
 バアルはカナンの偶像神で、主とか、所有者という意味ではありますが、豊穣(ほうじよう)の神で、天候を司り、植物を育てる神として、女神アシェラと共に祭られることが多かったようです。そして、豊穣と生殖が結びついて、神殿娼婦が置かれ、神々の像の前で香をたき、酒を注ぎ、犠牲の動物を焼き、性的放逸にふけり、ときには息子や娘を火で焼いて捧げることさえ行ったのです(エレミヤ19:5)。世界には豊穣繁栄を求め、それが性と結びついた宗教というのが共通してあったでしょう。このような偶像とは欲望の化身と言えましょう。そこで、預言者エリヤが問題にしたのは、イスラエルの王がそれを導入し、民が真の神、主を忘れ、豊穣繁栄を求めて、堕落の道を進んでいることでした。そして、「イゼベルが主の預言者たちを殺した」のですから、もう黙ってはおられません。エリヤは主に示されて、アハブ王に会い、一人で挑戦状を突きつけるのです。
 「現にあなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルのあとについています。さあ、今、人をやって、カルメル山の私のところに、全イスラエルと、イゼベルの食卓につく(イゼベル直属のえり抜きの)四百五十人のバアルの預言者と、四百人のアシェラの預言者とを集めなさい」(18:18ー19)。そして、二頭の牛をそれぞれ切り裂き、バアル用とエリヤ用の二つのたきぎにそれを載せ、「『あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。』民はみな答えて、『それがよい。』と言った。」のです(18:24)。実に真剣勝負です。命をかけた戦いです。しかし、「主は生きておられる」という信仰と確信があってのチャレンジです。
 バアルの預言者たちは朝から昼まで祭壇のまわりで、バアルの名を呼び、踊りますが、何も起こらないので、剣や槍で、身を傷つけ、大声で呼ばわりますが、それでも、何の声もなく、答える者もありませんでした。真実という字は、まことの実と書きます。バアルは実がない、虚実だったのです。バアルはいなかったのです。今度はエリヤの番です。預言者の言葉は真実なのか。主に導かれて、祭壇を築き、切り裂いた雄牛を載せ、その上に、水を三度もたっぷりと注いで、真実に祈りました。「…あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻(ひるがえ)してくださることを知るようにしてください」(18:36ー37)。
 すると、現に火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまったのです。これを見た民はたまらず、ひれ伏して「主こそ神です。主こそ神です。」と告白したのです。この後、バアルの予言者たちを処分します。エリヤの宗教改革でした。

◇チャレンジ…「主」
 私たちは偶像信仰を警戒しなればなりません(1ヨハネ5:21)。豊穣、繁栄、成功を求めることは自然かも知れませんが、求めるあまり、いつのまにか、私たちの中でその欲望が化身となり、有形無形の偶像となり、それが支配するようになり、真の神を脇に置いていってしまうということを警戒しなければなりません。偶像信仰が侵入してこないように、良心という監視カメラを作動させていましょう。もし、入り込んだことに気付いたら、救い主イエス・キリストを呼んで、信仰によって締め出し、「主こそ神です。主こそ神です。」と告白しましょう。
 さらに大事なことは、主は呼べば答えてくださる生ける神だということを知ることです。聖書の知識もキリスト教の思想も、正しく生きるには大いに必要ですが、生き生きとクリスチャンが生きるには主を呼べば、必ず答えてくださる生ける神だということを知ることです。主を呼びましょう。父・子・聖霊の神を呼び求めましょう。三一の神は言葉をもって、行為をもって答えられるのです。それがクリスチャンの生涯学習です。先輩エリヤに習っていきましょう。「わたしは主の名を呼ぼう。その時、火をもって答える神、その方が神である」。

ああ、天の故郷(ふるさと)

2010-08-22 00:00:00 | 礼拝説教
2010年8月22日 伝道礼拝(ヘブル11:13-16)岡田邦夫

ああ、天の故郷(ふるさと)

 「事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。」ヘブル人への手紙11:16

 先日、妻の母が98才で天に召され、葬祭場でキリスト教の葬儀がなされました。葬祭場は東京の深川、その場所を調べてみると、近くに、私が通っていた高校があることがわかったので、時間を見つけて行ってみました。しかし、母校は廃校となり、別の場所に新設校として移転し、元の場所には全くの新設校が立派に建っていました。50年も経っているのですから、高層マンションが建ち並び、当時の面影はありませんでしたが、先生や友人、また、エピソードを思い出して、たいへん懐かったです。

◇ああモンテンルパの…
 故郷を懐かしいと思う人もいれば、思い出したくないという人もいるでしょう。ただ、極限状況におかれれば、ひとしおに懐かしく慕い求めることでしょう。第二次世界大戦で日本軍は連合軍に敗戦、日本のA級戦犯は東京で軍事裁判、他の戦犯は7ヶ国で裁判を受けたのです。その中で、フィリピンのマニラ郊外のモンテンルパの丘にあったニュービリビット刑務所には100名以上の日本人が収監されていました。戦争裁判のこと、中には正当な裁判ではなかった人も多くいたようです。死刑判決を受けていた代田銀太郎が作詞、伊東正康が作曲した「歌」を獄中から、歌手・渡辺はま子の自宅に送ったのです。1952年(昭和27年)、すぐにほとんど修正無しでレコーディングされ、『ああモンテンルパの夜は更けて』と名付けられ、世に出ると、大ヒットでした。日本人111名の望郷の念を込めた曲であったからです。
 「モンテンルパの夜は更けて/つのる思いにやるせない/遠い故郷しのびつつ/涙に曇る月影に/優しい母の夢を見る」、2節、3節と続きますが、最後は「強く生きよう倒れまい/日本の土を踏むまでは」です。
 この「つのる思いにやるせない」という思いは戦後の人々の共通感覚であったのでしょう。「やるせない」は物質も情報も豊かな今の時代では薄らいでしまった感覚でしょう。個々にはあるかも知れませんが…。

 同刑務所に駐在していた教誨師がキリノ大統領に面会し、ああモンテンルパの夜は更けてのオルゴールを聞かせると、「この悲しいメロディはどういう曲か」と尋ねます。大統領に、「モンテンルパの死刑囚が作った歌です」と答え、歌詞の意味を説明しました。この面会から1ヶ月後、全受刑囚の日本送還と死刑囚の無期への減刑が同国政府から発表されたのです。クリスチャン新聞によると、宗教宣撫班員だった藤田氏(もと東京YMCA主事)から、フィリピンYMCA総主事バスカラ氏が助けられたことから、日本人戦犯の釈放の減刑運動に立ち上がったというのです。「フィリピンはアジアで唯一のキリスト教国。キリスト者の憐れみにより、犯罪者を赦すことができないだろうか」と訴えたバスカラ氏の呼びかけに答え、キリノ大統領は日本人戦犯全員を赦免する特赦令に署名したと記されています。

◇ああエルサレムよ…
 旧約聖書の中にもユダヤがバビロン帝国に征服され、主立った人たちはバビロンに補囚されました。祖国を離れ、異境の地で生きていかなければならない、その辛い思いをうたった詩篇(137篇)があります。宴会の席で、酒の肴に賛美歌を歌えというのです。聖なる神殿で賛美をもって仕えていたのに、それを余興でやらせられ、あざ笑われるのは、何とも「やるせない」ことです。そして、望郷の思いを歌います。
 「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、『シオンの歌を一つ歌え。』と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。」

 このように話してきましたのは、人間として、魂の深みにおいて「やるせない」と感じ、思うことが重要なことだと思うからです。パスカルはこのようなことを言っています。気晴らしというものはたいへん良いものである。しかし、気晴らしで終わってしまって、人間の真の悲惨というものに気付かないことが問題だ。言い換えれば、何をしても、決して満たすことの出来ない心に空洞があり、神だけがそれを満たすのだ。この虚無を知ってこそ、神の実存で真に満たされるのだと言うことでしょう。

◇ああ天のふるさとへ
 裏返して言えば、私たちの魂の居場所は創造者なる神のふところであり、天の故郷なのだということです。妻の母は息子家族がスープの冷めない所におり、私たち以外は、割合近くに住み、絶えず、子どもたち、孫たち、ひ孫たちが出入りして、幸せな老後でした。それでも、家内のすすめで、イエス・キリストを信じ、92才の時に洗礼を受けました。なぜ信じたのか、不思議です。きっと、家族でも、経済でも、食べ物でも、趣味でも、それに満たされていても、魂にすきま風が吹き抜ける空洞があり、表現出来ない虚しさ、やるせなさを感じていたからこそ、それを満たす神を求め、イエス・キリストを受け入れたのだと思わざるをえません。なぜなら、洗礼式の時に、イエス・キリストを信じますかの質問に、「絶対、信じます」と信仰告白したのですから。
 それから、毎日、ヨハネ3:16の聖句を唱え、主の祈りを祈り、家族のために祈り続け、先日、98才で天に召されて行きました。私の感想ですが、死に顔は充分生きてきたという存在感がありと天国に絶対いくのだという凛(りん)とした様子でした。聖書に、神を信じた人たちの生きてきた総括が記されている所があります。ヘブル人への手紙11:13~16です。
 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」
 プロテスタントでは「召天」といいますが、カトリックでは「帰天」と言います。この文章から言うと、帰天となります。しかし、人には帰れない事情があります。神と人に対して罪をおかし、罪の思いがあるので、帰れません。神の前の犯罪者がおめおめ、帰れるわけはないのです。しかし、悔い改めて、それを精算し、イエス・キリストの十字架の犠牲、あがないによって、すべての罪が赦されたと信じるなら、大手を振って、神のふところに、そして、天に帰れるのです。イエス・キリストを通して、永遠の命と復活の望みが与えられて、帰って行くのです。そこには「やるせない」という言葉も、概念も、感覚もないのです。ああ、天の故郷…、私は慕います。


ソロモンの流儀「知恵」

2010-08-15 00:00:00 | 礼拝説教
2010年8月15日 主日礼拝(1列王紀3:3~4:34)岡田邦夫・みのお泉教会にて


 「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」箴言1:7

 自分が馬鹿だったなと思う出来事がありました。小学校3年生の一学期、校舎の外側についた階段で、昼休み、遊んでいた時のことです。友だちのマネをして、手すりを越えて4段とか5段から下に飛び降りていましが、友だちが急に最上段まで行って、ひらりと飛び降り、きれいに着地したので、自分もそれに続きました。しかし、着地の仕方がわからないから、ドスンと着地して、左足に激痛がおそいました。時間がたてば、なおると思って、その足でその階段を登り、2組の教室に行ったのです。授業が始まっても、痛みは増すばかり、校医のところに連れて行かれ、左足の太い骨が骨折してると言われて、私は骨折という事態を知ったのです。担任の女の先生から「馬鹿ね!」と言われるような私の行為でした。それでも、入院中に勉強したことが幸いし、算数好きの子になったことは加えておきます。

◇神はいないという愚かな道
 ダビデ家において、愚かな行為が取り返しのつかない事態を招くということがありました。王子たちの中に、アブシャロムという、その美しさをたたえられた男がおり、彼の妹タマルも美人でした。アムノンという異母兄弟の王子がタマルを恋したうようになり、策をめぐらし、彼女に迫ったのです。彼女は近親相姦のような「こんな愚かなことをしないでください。」と拒絶するのですが、彼は強引にはずかしめてしまいます(2サムエル13:12-13)。その途端、憎しみに変わり、彼女を追い出してしまうという卑劣な行為に及びました。これを知ったアブシャロムはアムノンを憎み、殺意をふくらまし、ついに2年後に殺してしまいます(13:28)。これもまた、愚かな行為…。
 このことで、アブシャロムは王を恐れ、ゲシュルに逃亡します。軍団長ヨアブのとりなしで、王はやっと彼への敵意を捨て、アブシャロムをエルサレムに迎えます。しかし、王とは会うことができません。その後、一応、王と王子は和解します。このように出来てしまった溝は埋められなかったのでしょう。とうとう、アブシャロムは王に謀反を起こしてしまいます。親子の戦いになります。対立の途上、「アブシャロムは騾馬(らば)に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。」のです(18:9)。そこに矢が射られて、彼はあえない最後をとげてしまいます。王は息子の死を嘆きますが、もう、戻ってはこないのです。
 後にダビデ自身も愚かなことをして、惨劇を招きました。それは人口調査です。神よりも、人の力を頼ろうとする高慢さからか、ダビデは悔います。「大きな罪を犯した。…私はほんとうに愚かなことをしました。」と(24:10)。しかし、神の裁きがなされ、多くの犠牲者をだすことになりました。
 聖書のいう人の愚かさというのは、これです。「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う」(詩篇14:1、53:1)。

◇神を恐れる賢い道
 ダビデの後、王位継承のことで争いがおきますが、結局、バテ・シュバの子ソロモンが継ぐことになりました(1列王1~2章)。ソロモンに主が夢のうちに現れ、「あなたに何を与えようか。願え。」と告げられ、こう、求めます。父ダビデに主は大いなる恵みを施し、彼は誠実と正義と真心をもってみ前に歩みました。私は小さな者ですから、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と(3:9)。それは主のみ心にかない、答は「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。」でした(3:11-12)。そして、ダビデの道に歩むなら、願わなかった富と誉れ長寿を与え、あなたに並ぶ者はひとりもない王となるという、祝福の言葉でした。
 それを象徴するエピソードがこれです。二人の遊女が王に訴えてきました。二人は一緒に住んでいて、三日違いで子供を産み、片方が死んでしまったのです。一人が訴えます。「夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。この女は夜中に起きて、はしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って、自分のふところに抱いて寝かせ、自分の死んだ子を私のふところに寝かせたのです。朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると、どうでしょう、子どもは死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、まあ、その子は私が産んだ子ではないのです」(3:19-21)。もう一人が「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子です。」と言えば、先の女は「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」と言いあう始末です。王はこう命じます。「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい」(3:25)。いたたまれなくなった片方の母がわが子を彼女に渡してくれとすがります。ソロモンは子供は殺すな、彼女がその母親だと裁きます。「イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである」(3:28)。
 「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。」ので(4:29)、内政をかため、文化を豊かにし、貿易を拡大し、イスラエル王国をかつてない繁栄に導いたのです。ソロモンの知恵を集めた箴言に、真の知恵とはこうであると述べています。「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」(箴言1:7)。ソロモンの知恵は判断力です。判断をする時のものさしが「主を恐れること」なのです。アダムとエバは禁じられていた善悪を知る木の実を食べてしまいました。善悪を判断するのは創造者である神だけです。人が被造物でありながら、自分で判断する者になろうとしたところに、根本的な罪がありました。私たちは主を恐れることなしに正しい判断はできないことを魂にたたき込んでおかなければならないことです。
 逆にそれができていれば、自由な知恵が発揮されるのです。私たちはソロモンの流儀に学びたいものです。さらに、主を恐れることはキリストを知ることです。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(ピリピ3:8新共同訳)。この価値判断力こそ、信仰の知恵です。それがキリスト者を生き生きさせ、自由にするのです。十字架への道を判断して、あがないのみ業を全うしたキリストの心を心とし、私たちも十字架を負って従って行く道を判断して進んでいきましょう。

砕かれたタビデ

2010-08-08 00:00:00 | 礼拝説教
2010年8月8日 主日礼拝(2サムエル記11:1~12:25)岡田邦夫


「神へのいけにえは、砕かれた霊。、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」詩篇51:17

 東京大空襲を逃れ、田舎に疎開していた時のことです。母親が子供の私をおぶって、橋を渡っていたら、何かにつまづいて倒れて、その拍子に母のヘアピンが、私の鼻を縦に切ってしまいました。戦争中の物のない時代なので、母が新聞紙を小さく切って、つばをつけ、小さな鼻にはっただけの治療?でした。そのためか、傷は治ったのですが、傷跡は60年以上立っても消えていません。人生にも傷つくことがあり、癒されることもありますが、傷跡が残ることがあります。

◇ダビデの不始末
 ダビデという人は、神が選ばれた人で、御心にかなって、主が彼を神の民の王に導かれたのですが、人となりとしては、苦労と忍耐を積み重ねていき、ついにイスラエルの王にまで登り詰めた人だと言えます。そして、戦場には将軍と家来に行かせ、自分がエルサレムに留まっていても良いようなゆとりが出てきました。そういう時に心のすきが生まれるものです。
 「ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。…ダビデは使いの者をやって、その女(ウリヤの妻バテ・シェバ)を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。それから女は自分の家へ帰った。女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。『私はみごもりました。』」と、聖書は隠さず記しています(11:2-5)。
 ダビデのこの行為というものは魔が差したとか、出来心だったではすまされないことです。男には浮気心というものがあるものだ、諸外国の王にはよくあることで、権力のゆえに見逃されているではないか、人間、大目に見てもいいのではないかととも言えないことなのです。これは明らかに姦淫の罪です。ダビデはこれを隠そうと工作をします。彼女の夫、ウリヤを呼び寄せ、戦場の兵士の安否を問い、贈り物をもたせ、家に帰るように言います。
 しかし、彼は家には帰らず、他の兵士たちと一緒になって、そこで寝たのでした。彼はこう言うのです。「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません」(11:11)。その忠実ぶり、忠誠は見上げたものです。ダビデは実に良い家来を持ったものです。それでも、次の手をうちます。ヨアブ将軍に手紙を書き、ウリヤに持たせます。その手紙の内容はこうです。「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ」(11:15)。もし、私が将軍だとしたら、この王の命令はウリヤが気に入らないので抹殺しようとしているのか、それとも、戦略のミスだとして、自分を将軍の地位を失脚させようとしているのか、どちらなのか、疑ったことでしょう。使者を送り、最前線でウリヤが死んだことを王に報告すると、王は心配するなと将軍を力づけるよう伝言したのです。
 これで、ダビデは過ちをおおい隠せたわけです。夫ウリヤが死んで、いたく悲しんだバテ・シェバを、喪が明けた時、ダビデは妻とし、男の子が生まれてきました。一国の王だから、それも赦されて良いのでしょうか。聖書はこう記しています。「しかし、ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった」(11:27)。

◇主の始末
 王宮付きの預言者ナタンが主に遣わされ、王に告げます。たとえ話をもって、効果的に話します。「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、自分のところに来た人のために調理しました」(12: 24 )。
 王は憤り、そんな男は死刑だと言いますが、すかさず、ナタンは恐れず、ダビデの罪を指摘します。「あなたがその男です」。主の言葉を告げます。…私はあなたに油を注ぎ、イスラエルの王とし、サウルの手から救い、彼の家と妻たちを与え、イスラエルの家も与えた。求めれば、もっと多くのものを与えたであろう。「それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか」(12:9)。ウリヤをあなたの策略により戦場で死なせ、その妻を自分の妻にした。だから、剣はあなたの家から離れず、あなたの妻たちを白昼、あなたの友に与える結果になる。「あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なおう」(12:12)…。
 事実、神は侮られるような方ではありません。ダビデは隠れてした自分の罪は明るみに出され、その刈り取り、神の裁きを現実に受けなければなりませんでした。しかし、ダビデは一言のいいわけもせず、きっぱりと告白しました。「私は主に対して罪を犯した」(12:13)。
 ナタンは赦しのメッセージをダビデに伝えます。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」。同時に裁きも伝えます。「しかし、このようなことをして主を甚(はなは)だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」(12:13-14新共同訳)。裁きは現実に受けなければなりませんでした。生まれた子は病気で死んでしまいます。そして、次にバテ・シュバとの間に生まれたのがソロモンですが、王家に内紛が続いた後、彼が王位を継ぐことになっていきます。人間の罪と神の裁きの歴史の中にも、神の救いの歴史は展開されていくという主の導きを見るのです。
 預言者に「あなたがその男です。」と指摘されて、ダビデが「私は主に対して罪を犯した。」と告白した信仰こそ、ダビデの真骨頂なのです。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。」という主の赦しのきわみが、ここにあります。世においては傷跡は残りますが傷はいえるというものです。永遠においては傷も傷跡も消えるのです。ダビデの詩篇にこううたわれています。「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される」(詩篇103:10-12)。 また、この時の霊的な状況を詩篇32篇においてダビデは告白しています。「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。」で始まります。地位や名誉や財産や子孫が与えられる幸せよりも、罪跡が取り除かれる方が断然、幸せなのだというのです。彼は常に主を目の前におき、主の前に生きました。いい時もわるい時もです。姦淫と殺人と偽証の罪を犯したのですが、主の前にありました。ですから、平気ではおられません。「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです」(32:3-4)。そして、勇気を出して、ついに「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」のです(32:5)

◇永遠の始末
 これこそが、ダビデ王朝を築いたことにまして、後世に残す最大遺物でした。負の遺産も正の遺産も残したのです。イエス・キリストの十字架において、罪の赦しの救いは明確に実現しました。自分史を書き残すことが静かなブームですが、キリスト者の自分史のテーマは…私は主の前に罪を犯してきました。しかし、その罪責に苦しみ、主の前に告白しました。主によって、すべての罪を赦され、私は幸いな人生でした。やがて、主のみもとに迎えてくださる希望をもっています。…でしょう。本にするかどうかは別にして、私たちは自分の業績を残すことにまして、イエス・キリストの十字架による救いの業績を残すことが重要なのです。ですから、私たちは生きる限り、主の前に砕けた魂でありたいものです。「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51:17)。
 「天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に(無限に)大きい。」のです。「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから(無限大に)遠く離される。」のです(詩篇103:10-12)。神はイエス・キリストにおいて、私たちの犯した罪のすべてを赦し、無限のかなたに追いやって、私たちの不始末を永遠に始末してくださったし、主の再臨の時に永遠に始末してくださるのです。あなたも、砕かれて、「私は主に対して罪を犯し」ましたと言える、主の前の好人物になりましょう(12:13)。

主の前に踊れ

2010-08-01 00:00:00 | 礼拝説教
2010年8月1日 主日礼拝(2サムエル記5:1~6:23)岡田邦夫


 「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。」詩篇149:3

◇主の前に生きる…信念
 ダビデの話しが続きますが、彼の生涯を通して、私たち信仰者の生き方を教えてくれます。固い信念を貫きながら、現実には柔軟な対応をしていることです。羊を守るために獣を撃ったことを応用して、ペリシテの巨人ゴリヤテを石投げ器で倒した話です。そこにはイスラエルの神を信じる固い信仰と、見た目で判断しない柔軟さが、勝利をもたらしました。その後、次々に、戦勝の結果を表していったため、サウル王に妬まれ、逃亡生活が始まります。ダビデはガトに逃げるのですが、アキシュ王を恐れ、そこで生き延びるために「人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした」ほどでした(1サムエル21:13新共同訳)。その後、ほら穴に隠れての生活が続きます。それでも、主に伺いをたてながら生きていきます(23:4)。
 そんな辛い逃亡の日々で、追ってきたサウル王を二度、撃つことが出来るチャンスがありました。しかし、部下にこう言って、信念を貫くのです。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」と(1サムエル24:6、26:9)。「主の前に絶対にできないことだ」と判断します。そう言っても、サウルにいつかは殺されるのではと恐れ、600人の部下と共にペリシテ人の地に逃れ、ガテの王アキシュに取り入り、イスラエルの敵のふりをして、時を過ごします(1サムエル27章)。この落ちぶれた生活が続きます。いつまで忍耐しなければならないのかと嘆いたかも知れません。
 しかし、この逃亡期間というのは救済のための準備期間なのです。モーセはエジプトからミデアンの地に逃れ、その後、イスラエルを出エジプトさせました。イエス・キリストはベツレヘムからエジプトに逃れ、その後、十字架にかかり、復活され、人類の救いのみ業を成し遂げられました。また、パウロはダマスコからアラビアに逃れ、そこで、福音の奥義を啓示されました。その意味で、逃れの生活が決して、落ちぶれていたわけではなく、その後のために、主が備えをしていたに違いありません。そして、1年4ヶ月後、転機が訪れるのでした。

◇主を前にして生きる…歓喜
 ペリシテ軍がイスラエル軍に戦いをいどみます。その時、裏切るかも知れないということで、ダビデはペリシテ軍として参戦は出来ませんでした。しかし、この戦いでサウル王とその息子たちは無残にも戦死してしまいまい、その時、ダビデは主を前にして「哀歌」を作ります。そして、ダビデは主に伺います。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか」。すると主は彼に、「上って行け。」と仰せられました(2サムエル2:1)。ダビデの一貫した生き方は「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」なのです(詩篇16:8)。いつでも、主を目の前において、生きたのです。巨人を倒した時も、荒野や敵地での逃亡生活の時も主の前に生きました。人間的にはサウル王を殺せたはずの時も、主を目の前において信仰の判断をしました。今、逃げ隠れせずに生きられるチャンスが来ましたが、主を前において、お伺いを立てました。
 ユダ族の人々がやってきて、ダビデをユダの王とし、7年半、ユダを治めます。その後、全イスラエルの長老たちが油を注いで、ダビデをイスラエルの王にします(2サムエル5:3)。ダビデはこの神の時の来るのを待ったのです。さらに、エルサレム、すなわち、難攻不落と言われたシオンの要害を攻め取り、政治の中心地とし、さらに、宗教の中心地にしようとしました。
 そこで、約11キロ離れたアビナダブの家に70年余り安置されていた「神の箱」をイスラエルの精鋭3万を集め、新しい牛車に乗せ、エルサレムに移すことにしました。「ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。」のです(2サムエル6:5)。実に盛大です。ところが、事件が起こります。牛がひっくり返しそうになったので、ウザが神の箱を手で押さえたところ、この不敬の罪に神の怒りがのぞみ、彼はその場で死んでしまったのです。ダビデは主を恐れます。「主の箱を、私のところにお迎えすることはできない」(6:9)。オベデ・エドムの家に3ヶ月とどまってから、「ダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。」のです。

 その様子はいきいきと描写されています。「主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。主の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。こうして彼らは、主の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真中の場所に安置した。」(6:13-17)。全焼のいけにえと和解のいけにえをささげられ、万軍の主の御名によって民を祝福し、群集全部にパンと菓子がくばられました。
 しかし、それを見ていたサウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て、皮肉を言います。…イスラエルの王はきょう、ほんとうに威厳がございましたわね。ごろつきのように、家来のはしための目の前で恥ずかしげもなく裸におなりになって…。そこで、ダビデはミカルに答えます。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられよう。あなたの目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちに、敬われたいのだ」(6:21-22)。
 神の箱が運び込まれたことは、ダビデの人生にとって、最高の喜びだったに違いありません。これまでの人生を振り返って、万感の思い、胸に迫っていたことでしょう。すべては神の人サムエルが家に訪ねて来たことから、始まったのだ。羊の番をしていたら、使いの者が来て、家に行ってみると、サムエルは主が「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ」と告げられたと言うではないか。次のイスラエル王として任職式がここで行われ、主の霊が下ったのを覚えた。それから、この主の召命が現実になるには波乱の人生を送らなければならなかった。苦労も多かった。下積みも長かった。どん底まで落ちたこともあった。しかし、神の選びと召しとは変えられない。今、それは実現し、イスラエル王となり、最も大切な、契約の箱を都エルサレムに運ぶことが出来たのだ。何という光栄なことだろう。
 あの時、サムエルは言っていた。「人はうわべを見るが、主は心を見る」。主の臨在のしるしである契約の箱が都に入ってくるではないか。主に選ばれた者として、喜びは心からあふれてくる。自然に踊ってしまう。うわべの王の威厳などいらない。見せかけの王服は脱いでしまいたい。心から喜んだのだ。この心を主はご覧にならないはずはない。そして、民と共に喜び合いたいのだ。…ミカル、あなたの目に卑しく見えても、私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前で、心から喜び踊るのだ。…
 大事なのは心なのです。復活されたイエス・キリストにお会いした「弟子たちは、主を見て喜んだ。」のです(ヨハネ20:20)。私たちも復活の主を心に見て、心を躍らそうではありませんか。主がどれ程のことをしてくださったかを思う時に、心が喜び踊らないでおられましょうか。