2017年4月30日 主日礼拝(ヨブ記2:1~10)岡田邦夫
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない。」(ヨブ記1:21、2:10)
「なんでだろう」といえば、あるお笑いコンビの歌のこと、2003年の流行語大賞を受賞したぐらい流行した歌です。流行語も奇抜なのはその時だけで、消えていきます。しかし、この「なんでだろう」は普通の言葉です。普遍的な問いかけなので、生き残っていると私は思います。幼児が初めに「これ、なあに?」WHATとやたらと聞き、その次は「どうして?」WHYと聞きまくって、言葉やセンテンスを覚えていきます。それは人が一生問い続けていくこと、生きること、そのものだと思います。特に人はどうして苦しむのかは宗教の大きな課題です。それと取り組んだのがヨブ記です。
◇打っても、命には触れるな…試練
この「なぜ、なんでだろう」という意味付けを古代から人は天と結び付けてきました。帝王となったのはそうなる星のもとに生まれてきたのだと権威付けをする。苦しいことが続けば、そうなる星のもとに生まれてきたのだから、運命に甘んぜよと生きるすべを説く、等々。しかし、それらは天上のことと地上のことがはたして結びついているでしょうか。
このヨブ記に至っては明瞭です。天上でなされたことが地上になされていくというものです。ヨブ記の形式は対話で構成されています。初めは神とサタンとの対話、ヨブと友人との対話、ヨブと神との対話です。その対話の中で「人はなぜ苦しむのか」の問いに闇と光が見えてくるのです。ですから、その言葉を拾って、話を展開したいと考えています。
まず、ヨブは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。妻と七人の息子と三人の娘がおり、東の人々の中で一番の富豪であった。絶えず祝宴を開き、罪の赦しの祭儀をし、敬虔で幸福な生活をしていた。そこで天の会議、主はヨブを評価して「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが」(1:8)。
それに対して、サタンが訴えます。それは家族や財産があるからだ、目に見えた祝福を主が与えているからだ。「しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません」(1:11)。主は許可します。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない」(1:12)。
これはヨブをサタンが打つのを主が許した結果です。打たれるという事、すなわち、試練です。信仰のテストです。
パウロが「肉体に一つのとげがあたえられました。高ぶることのないように、私を打つためのサタンの使いです」と言っているところがあります(2コリント12:7)。サタンにとっては信仰をなくさせよう、堕落させようと、誘惑してくるのです。しかし、神にとっては信仰を深め、成長させようという試練を与えているのです。そこがヨブ記の明瞭なところです。ヤコブ書はこう教えています。「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです」(5:11)。
◇打たれても、愚痴をこぼすな…信仰
ヨブの耳に不幸の知らせが次々と入ります。遊牧民に使用人が殺された。落雷で羊と人が死んだ。略奪隊に襲撃され、何もかも奪われた。大風で家が倒壊、その下敷きになり、息子、娘たちが全員死んだ。財産と子供のすべて失ったのです。しかし、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかったのです。こう言いました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(1:21)。
再度、天上会議。サタンが訴えます。「今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません」。主は許可します。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」(2:5-6)。サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打ったのです。ヨブは土器のかけらで身体をかき、灰の中にすわったという悲惨なことになってしまいました。妻も言いたくなりました。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい」。しかし、彼は罪を犯すようなことを口にせず、これ以上ないという程の信仰の言葉で返します。彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」(2:10)。
どうしてこんな目に合うのか、なぜ、これほどの喪失経験をしなければならないのか。天上に結び付けて、初めから答えはわかっている。サタンが打つのを主が許されたのだ。これはサタンの不信仰への誘惑、神の試練。神に愚痴を言うことも、まして、のろうこともしまい。それが信仰者のあり方だ。いうべき信仰の言葉はこれだ。…
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(1:21)。「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない」(2:10)。
しかし、この後、ヨブは大声で泣き、衣服を裂き、灰をかぶって、嘆きに嘆きます。新たな「なんでだろう」が沸きあがってくるのです。正しく信仰に生きてきたのに、どうしてこのような苦しみに合わなければならないのかという、苦悩です。キルケゴールという人の言葉をもじって言えば、ヨブ記1~2章は試練を乗り越える宗教的Aの経験です。そして、3章からは友人との論争、神との論争を通して、新たな神からの回答を得ていくという宗教的Bの経験に達するのです。
ただ、経験というものはそうすっきり説明できるものではなく、きわめて複雑です。説明できない深さがあります。しかし、聖書は明瞭です。「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない。私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。なんでだろうという試練に合った時、この信仰にたどり着きましょう。そう告白してもそれでも、何で信仰者にこのような苦しみが来たのかと紋々と問う時、この信仰の言葉に帰っていくのだという事を知っている信仰者は幸いです。
私たちは生涯「なんでだろう」を神にぶつけていきましょう。天に答えがあれば、地に答えもあるでしょう。身近なところに答えがあれば、ずっと先に答えがあることもあります。私の母は息子、タカちゃんが4歳のとき、疫痢という病で、突然亡くなりました。母親ですから、どうして愛子は幼くして死んでしまったのか、自分のせいではないかと自分を責め、1年泣き明かしました。それから、約40年たってクリスチャンになりました。65歳で受洗。この問いをイエス・キリストにぶつけました。光が来ました。幼子へのイエス・キリストのみ言葉によって解答を得ました。さらに、私たちを救うため、神のひとり子をお与えになった、その心痛む神の愛が深く感じられたのです。その答えをもって、平安の内に75歳で召されていきました。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない。」(ヨブ記1:21、2:10)
「なんでだろう」といえば、あるお笑いコンビの歌のこと、2003年の流行語大賞を受賞したぐらい流行した歌です。流行語も奇抜なのはその時だけで、消えていきます。しかし、この「なんでだろう」は普通の言葉です。普遍的な問いかけなので、生き残っていると私は思います。幼児が初めに「これ、なあに?」WHATとやたらと聞き、その次は「どうして?」WHYと聞きまくって、言葉やセンテンスを覚えていきます。それは人が一生問い続けていくこと、生きること、そのものだと思います。特に人はどうして苦しむのかは宗教の大きな課題です。それと取り組んだのがヨブ記です。
◇打っても、命には触れるな…試練
この「なぜ、なんでだろう」という意味付けを古代から人は天と結び付けてきました。帝王となったのはそうなる星のもとに生まれてきたのだと権威付けをする。苦しいことが続けば、そうなる星のもとに生まれてきたのだから、運命に甘んぜよと生きるすべを説く、等々。しかし、それらは天上のことと地上のことがはたして結びついているでしょうか。
このヨブ記に至っては明瞭です。天上でなされたことが地上になされていくというものです。ヨブ記の形式は対話で構成されています。初めは神とサタンとの対話、ヨブと友人との対話、ヨブと神との対話です。その対話の中で「人はなぜ苦しむのか」の問いに闇と光が見えてくるのです。ですから、その言葉を拾って、話を展開したいと考えています。
まず、ヨブは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。妻と七人の息子と三人の娘がおり、東の人々の中で一番の富豪であった。絶えず祝宴を開き、罪の赦しの祭儀をし、敬虔で幸福な生活をしていた。そこで天の会議、主はヨブを評価して「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが」(1:8)。
それに対して、サタンが訴えます。それは家族や財産があるからだ、目に見えた祝福を主が与えているからだ。「しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません」(1:11)。主は許可します。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない」(1:12)。
これはヨブをサタンが打つのを主が許した結果です。打たれるという事、すなわち、試練です。信仰のテストです。
パウロが「肉体に一つのとげがあたえられました。高ぶることのないように、私を打つためのサタンの使いです」と言っているところがあります(2コリント12:7)。サタンにとっては信仰をなくさせよう、堕落させようと、誘惑してくるのです。しかし、神にとっては信仰を深め、成長させようという試練を与えているのです。そこがヨブ記の明瞭なところです。ヤコブ書はこう教えています。「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです」(5:11)。
◇打たれても、愚痴をこぼすな…信仰
ヨブの耳に不幸の知らせが次々と入ります。遊牧民に使用人が殺された。落雷で羊と人が死んだ。略奪隊に襲撃され、何もかも奪われた。大風で家が倒壊、その下敷きになり、息子、娘たちが全員死んだ。財産と子供のすべて失ったのです。しかし、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかったのです。こう言いました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(1:21)。
再度、天上会議。サタンが訴えます。「今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません」。主は許可します。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」(2:5-6)。サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打ったのです。ヨブは土器のかけらで身体をかき、灰の中にすわったという悲惨なことになってしまいました。妻も言いたくなりました。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい」。しかし、彼は罪を犯すようなことを口にせず、これ以上ないという程の信仰の言葉で返します。彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」(2:10)。
どうしてこんな目に合うのか、なぜ、これほどの喪失経験をしなければならないのか。天上に結び付けて、初めから答えはわかっている。サタンが打つのを主が許されたのだ。これはサタンの不信仰への誘惑、神の試練。神に愚痴を言うことも、まして、のろうこともしまい。それが信仰者のあり方だ。いうべき信仰の言葉はこれだ。…
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(1:21)。「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない」(2:10)。
しかし、この後、ヨブは大声で泣き、衣服を裂き、灰をかぶって、嘆きに嘆きます。新たな「なんでだろう」が沸きあがってくるのです。正しく信仰に生きてきたのに、どうしてこのような苦しみに合わなければならないのかという、苦悩です。キルケゴールという人の言葉をもじって言えば、ヨブ記1~2章は試練を乗り越える宗教的Aの経験です。そして、3章からは友人との論争、神との論争を通して、新たな神からの回答を得ていくという宗教的Bの経験に達するのです。
ただ、経験というものはそうすっきり説明できるものではなく、きわめて複雑です。説明できない深さがあります。しかし、聖書は明瞭です。「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない。私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。なんでだろうという試練に合った時、この信仰にたどり着きましょう。そう告白してもそれでも、何で信仰者にこのような苦しみが来たのかと紋々と問う時、この信仰の言葉に帰っていくのだという事を知っている信仰者は幸いです。
私たちは生涯「なんでだろう」を神にぶつけていきましょう。天に答えがあれば、地に答えもあるでしょう。身近なところに答えがあれば、ずっと先に答えがあることもあります。私の母は息子、タカちゃんが4歳のとき、疫痢という病で、突然亡くなりました。母親ですから、どうして愛子は幼くして死んでしまったのか、自分のせいではないかと自分を責め、1年泣き明かしました。それから、約40年たってクリスチャンになりました。65歳で受洗。この問いをイエス・キリストにぶつけました。光が来ました。幼子へのイエス・キリストのみ言葉によって解答を得ました。さらに、私たちを救うため、神のひとり子をお与えになった、その心痛む神の愛が深く感じられたのです。その答えをもって、平安の内に75歳で召されていきました。