ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

シナが好戦的な時は

2016-06-23 12:28:00 | 社会・政治・一般

シナの強圧的な行動が目立つ。

南沙諸島における強硬な態度だけではない。尖閣諸島へシナ海軍の軍艦を派遣したり、それもロシア海軍と同行してまでして日本を威圧している。更にインドとの紛争地帯に軍隊を送り込んだりもしている。

これを見て、シナは戦争を求めていると勘違いしてはいけない。

むしろ、現在、北京政府の内部において熾烈な権力闘争が行われていることを予測するべきだ。だいたい、戦争をするときは、奇襲するか、堂々たる兵力を見せつけて威圧的に行動するものだ。

ちまちまと、軍艦を派遣したり、小部隊を派遣するなど、軍事行動としては下策である。これは外に向けての行動ではない。経済が低迷し、国際会議でも欧米諸国のみならず、日本やアジア(コリアを除く)からも反発を喰らっている状況は、確実に習政権を追い詰めている。

追い詰められた習政権としては、外に向けて強権を発揮して、大国としての威厳を見せつけなければ面子を保てない。シナ国内における権力闘争は苛烈であり、熾烈でもある。

習政権が溺れている子犬だと判じたのならば、国内の政敵たちは、たちまち石を投げつけて殺そうとするだろう。それほど、シナ人同士の権力争いは残酷であり、激烈でもある。

だからこそ、現在北京政府を牛耳る習政権としては、外に向けて強硬な態度を取らねばならない。自らを強く、逞しく見せることこそ権力維持に必要なことである。

ちなみに、このシナの対外的強硬政策を、数分の一に縮めると、北コリアのミサイル発射実験となる。ただ、こちらの目的は小国である北コリアを実態以上に大きく見せつけて、世界に、とりわけアメリカに関心を持って欲しが故に行動であろう。

こんな状況下で、必ずしゃしゃり出てくるのが、脳内お花畑の平和真理教市民たちである。シナを刺激するな、日本を戦争に誘う安倍政権にNOを!と間抜けな発言を繰り返す。

まったく進歩のない人たちである。シナ人にとって戦争は政争の道具に過ぎないことを、いい加減気がついてしかるべきだと思いますね。

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離脱か残留か

2016-06-22 15:00:00 | 社会・政治・一般

果たしてイギリスはEUを離脱するのか。

当初、離脱派の優勢が伝えられていたが、議員の殺傷事件以降、少し風向きが変わったらしい。でも、予断は許さない厳しい状況であるようだ。

イギリスは、かつて世界中に植民地を持っていた関係で、国内には旧・植民地の人たちがかなり流入している。私がロンドンを訪れた際、一番困ったのは食事でした。気軽に食べられそうなお店は、メニューがタラのフライと、フライドポテトばかり。ビールは多いけど、ツマミがお粗末。

止む無くチャイナタウンか、インド人街で食事していたものです。ここなら、私の片仮名英語でも、なんとか通じますから。ただ、本来なら気安い食堂などがある下町は、ちょっと危険な感じがしたので、私は避けていました。美味そうな匂いだけはしたのですが、通りにたむろする白人たちの危ない目つきが嫌でした。

大英帝国として世界を支配したイギリスですが、その支配は差別と分断を駆使した狡猾なものでした。その意識は未だ、現代のイギリスにも残っているのかもしれないと思ったものです。

国際色豊かなロンドンの街ですが、EU加盟以降になると、英語を話せない移民が増えたと聞いています。英語を話せる旧・植民地の移民とは異なり、英語を話せない移民たちと、白人たちの間には相当な軋轢があり、それが今回のEU離脱を問う国民投票の下地になっているようです。

非常に僅差の結果となると思われ、私はさっぱり予測できません。ただ、もし離脱が決まったのならば、それはイギリスの凋落の第一歩になることは分かります。

イギリスは連合王国であり、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどには、今も独立派が根強く残っています。もし、EUからの離脱が決まれば、必然的にこれらの独立派が蠢動を始めることは容易に想像がつきます。

当然にEU離脱は、経済に与える影響は大きく、不況に苦しむことになるでしょう。国内に不満分子を抱えたイギリス政府が、内政に四苦八苦するのは目に見えています。

おそらくですが、これはカナダにも波及するでしょう。ずばりケベック州の独立問題にも飛び火するだろうと予測可能です。イギリス連邦そのものも、離脱と分裂を起こす可能性があります。

そして、ほぼ確信しているのですが、日本においては沖縄の独立問題に火が付く可能性は、決して低くないとも考えています。沖縄には、本気で独立を求める少数派がいるのは確かですが、大半は本土からの経済的利益を求めての日和見派が相当いることは分かっています。

独立問題をネタに、日本政府からより多くの利益を求める動きと、それに反発する本土との争いに発展する可能性は、決して低くない。遠いイギリスのEU離脱問題は、多くの国に争いを引き起こす火種になると私は考えています。

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人食い熊

2016-06-21 12:17:00 | 社会・政治・一般

不謹慎を承知で書いてしまうと、おそらく人間の肉は美味しいはずだ。

一般的にだが、肉食獣の肉は不味いと云われている。また、食べやすいのは草食獣である。しかし、一番美味しいのは、雑食性の獣ではないかと思う。もっとも私は野生動物を食べた経験は、それほど多くない。

一部のフランス料理店で出すジビエ料理や、割烹料亭で食する鹿肉や、熊肉、猪鍋、野鳥、ウサギ、リスぐらいなものだ。そのなかで、一番美味しいと感じたのが、実は熊の肉でした。これはツキノワグマのはずです。

ただ、絶対的な確信が持てないのは、不味かった熊肉も知っているからです。この違いは、クマを殺した後の血抜きの処理の上手い下手で決まると教わりました。

私が連れて行ってもらったお店は、越後の片田舎にあったのですが、そこの料亭で頂いた熊肉は、最初その堅さに戸惑いました。ところが口の中で噛み締めるほどに豊潤な肉汁が出てきて、その香りは鼻腔まで届き、幸せな気分に陥ったほどでした。

私は後にも先にも、これほどの肉を食べた経験はありません。その時、教わったのは、そのクマが秋口に捉えられた事と、その後数週間熟成させてあったことでした。

猟師から直に買い付けたとのことですが、果実と鹿肉などを食べて育った熊ほど美味しいものはないとの言には頷かざるを得ませんでした。店主に、以前食べた熊肉は不味かったけど・・・と訊くと、それは血抜きが下手だったのだろうとのこと。

そういえば、猪も同じで、血抜きの処理の上手い下手で肉の味がかなり変わるそうです。最近は猟師も高齢化が進んでいるので、技術の伝承が心配だとも言ってました。

ちなみに猪も雑食性で、草木ばかりでなく、魚からカニ、時には小動物も食べてしまうとか。臭みの処理さえしっかりしてあるならば、豚肉よりも美味しいのではないかと思います。

そして、おそらくですけど、サルも雑食性ですから、美味しいのではないかと思います。ただ、サルは野生の世界では強者の部類に入ります。身体能力よりも知能の高さから他の肉食獣の獲物となるケースは少ないようです。

もっとも南米では、サルを上空から襲撃して連れ去る猛禽類も確認されていますし、凶暴なサル(正確にはヒヒ)を好んで捕食するジャガーや豹がいることからも、やはりサルは美味しいのでしょう。

ただ、人間にとっては、サルは食材とは捉えがたいようで、シナ人とインドの一部で食べられているくらいでしょうか。私もサルを食べたいとは思いません。あの姿は、やはり食べにくい・・・

では、人間はどうかというと、これは究極の雑食性ですから、その肉が不味い訳がないと思うのです。実際、人間を獲物として認識した虎やライオンなどは、好んで人を襲ってきたことが知られています。

もちろん、人間は地球上に於いて最も武力をもった生物集団ですから、その人間を襲うリスクは承知の上での行動だとすると、人間は相当に美味いのかもしれません。

今月に入り、東北の山中で行方不明となる人が続発した山で、遂にその犯人と思われるツキノワグマが捕殺されました。解剖の結果、その胃袋から人間の肉片と思われるものが発見されたのは、ニュース等でご存じの方も多いと思います。

ツキノワグマは本来、人を襲い食べるといった習慣はありません。だが長年の果実などを生やさない建材用の植林を進めてきた結果、一見緑豊かでありながら、野生動物には食べるものがない死の森が拡がる日本の山々が、クマたちを山から追いやった。

人里に下りてきたクマたちは、人の食べ残しを食べて、その美味なるを知り、姿を隠しながら街の中にまで入り込んできた。また里山に入り込む人間は、当然にクマたちの縄張りを犯した侵入者であり、おまけにクマたちのエサである山菜などを奪っていく敵でもある。

その敵を倒して、食べてなにが悪い?

熊に殺された方、及びその家族にはひどいことだと思います。でも、クマをそこまで追いやったのは他でもない人間なのです。野生動物との共棲が如何に難しいかを思い知らされた事件であったと思います。

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10クローバーフィールドレーン

2016-06-20 12:17:00 | 映画

時として、エイリアンよりも人間のほうが怖い場合もある。

プレッパーズと云う言葉を知ったのは、CS放送のディスカバリーチャンネルであった。曰く「世界の滅亡に備える人々」である。どうも、米ソの冷戦が深刻な状況であったキューバ危機の頃から生まれたらしい。

核戦争が実際に起こった場合に備えて、自宅の地下にシェルターを作り、そこに大量の食糧、武器、弾薬、医薬品などを備蓄しているとのことである。冷戦が終結しても、彼らは備えることを止めなかった。生物兵器、未知の病原体、宇宙からの侵略者などに備えるため、家族ぐるみで郊外に地下シェルターを作ったり、防衛隊を組織したりしているという。

驚くべきことに、このプレッパーズはアメリカだけで300万人はいるという。彼らのために、地下シェルター建築を請け負う専門業者までいるというから驚きである。

表題の映画は7年くらい前にDVDで観た、ちょっと変わったエイリアン侵略映画であった。一応、本作品はその続編との位置づけのようなのだが、私からすると、エイリアンよりも、このプレッパーの男性のほうが怖い。

この映画では描き切れていないが、どうもかなり怪しい過去の持ち主らしいのだ。この映画、作中の大半が、このプレッパーに救われた女性と、シェルターを作るのに協力した男性の三人で成り立っている。

ゆえに、非常に濃密な人間関係が構築される。これが怖いのだ。閉鎖された地下シェルターの中で繰り広げられる人間模様は、SFというよりもサイコ・ホラーを思わせる。もちろん、前作のエイリアンも出てくるのだが、やもすると余計な継足しの印象が否めない。

エイリアンものとしては、異例な低予算で作られているようだが、意外に面白い。続編と考えずに、スピンアウトした作品だと思って観れば、けっこう楽しめると思いますよ。

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「反原発」の不都合な真実 藤沢数希

2016-06-17 12:49:00 | 

真実を見抜くのは難しい。

広島、長崎に原爆が落とされて以来、日本は核アレルギーというか、核ヒステリーに陥って久しい。だからそれが平和利用であろうが、なんだろうが、核エネルギーそのものに拒絶反応を示す。

だから、オイル・ショックがあっても原子力発電所には反対。平和利用であろうと原子力船というだけで拒否。とにかく目的がなんであろうが、原子力には反対あるのみ。このような原子力反対教とでも評すべき反核信者が日本ではきわめて元気である。

彼らは自らの正しさを絶対的に信じているので、反対意見は許せない。聞く耳持たず、ただ反対するのみである。科学的検証も、実地調査も、統計的資料も彼らの眼には入らない。とにかく反対なのだから。

だから表題の書に記されているような内容には、決して目を向けない、見ようとしない。とにかく反対、なんでも反対、反対あるのみである。

だけど、冷静に考えて欲しい。石油という化石燃料は、おそらく今世紀中に枯渇する。天然ガス(シェールガスも含む)や石炭は、まだ当分持つが、石油ほど広範囲に活用できる訳ではない。

そして、化石燃料の多用は、温暖化ガスであるCO2の増加という危険を孕んでいる。それだけではない。化石燃料は大気汚染の危険性を高める。これは現実的な問題で、既に毎年100万人以上が呼吸器系の疾患で死んでいる。

意外に思われるかもしれないが、日本は発電所等で排出されるガスの浄化に長けているので、実感がわかないのだと思う。だが、思い出して欲しい。高度成長期の最中、日本で多くの公害病が発生し、多くの患者が苦しんだことを。

今、アジア、アフリカ、東欧などの途上国では、日本の数百倍の規模で大気汚染が進んでいる。そのため、呼吸器系疾患のみならず、水質汚濁による公害病も広がっている。

この化石燃料が引き起こす公害病により死亡する人たちは、毎年増える一方なのだ。隣のシナは、石炭による煙害と、大気汚染が著しく、北京政府は国を挙げて対策を急いでいる。

その対策の中心を担うのは、原子力発電である。シナだけではない。東日本大震災と福島原発の事故があれだけ騒ぎになったにも関わらず、原子力発電所の建設は増える一方である。

原発アレルギーに毒されている日本のマスコミは報じないが、現実には放射能汚染の危険よりも、化石燃料の使用による環境汚染の被害のほうがはるかに危機的であるのが世界の常識である。

勘違いしないで欲しいのだが、原発が安全だと言っているのではない。原発よりも化石燃料のほうがより危険であり、多くの人たちを死に追いやっているのが現実なのである。だが、核アレルギーに陥っている人たちには、あまりに不都合な真実なので認めがたいのであろう。

太陽光発電や風力発電といった自然回帰型の発電は、あまりに効率が悪く、現代文明を支えるだけの力がない。これも核ヒステリー信者が目を背ける現実である。

放射能は怖い(嘘ではない)、原子力発電は危険だ(これも嘘ではない)。そう思うのは自由だが、化石燃料を使い続けることの危険性を無視していい理由にはならないと思う。

自分が信じたいことを盲信するあまりに、「反原発」にとって不都合な真実を、観て見ぬふりすることは、むしろ危険なことだと思います。

本当に?

そう思ったのならば、表題の書を読んでみることをお奨めします。平易な文章で、感情に走らず、冷静に客観的に記されているので理解しやすいと思いますから。

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