ヌマンタの書斎

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「蔵六の奇病」 日野日出志

2007-08-30 09:30:30 | 
人を見た目で判断してはいけない。

よく言われることだし、私もその通りだと思いたい。思いたいと弱気な言い様になるのは、実際は見た目で判断することが少なくなく、またその判断が結果的に当たることが多いからだ。

もちろん、見た目の印象とは大きく異なり、後日判断を大きく変えたことも少なくない。この場合、当初のマイナス評価が、大きくプラス評価に変わることもあるから、やはり人を見かけで判断してはいけないという警句は相応なのだと思う。

それでもだ、やはり見た目の判断が、その後の付き合いによっても変わらないことも多い。そりゃ、細かいところでの判断の修正は、当然にある。でも、不思議なくらい当初の見た目の判断が、結果的にぶれないことが少なくない。

どうも、他人の目から見た私もそうらしい。それどころか、初めて会う人から、掲示板やブログの文章の印象通りとまで言われる始末だ。どうも、書いている文章からも、また見た目からも、容易に判断できてしまうらしい。

多分、皆そうだと思うが、実際はいろいろと複雑なものがあり、見た目とは大きく異なる自分の中身を自覚しているので、少々複雑な気分である。その一方、見た目通りの自分であろうとする意図もあるから不思議なものだ。

現実問題として、外見というか見た目は大事だ。私は身体を休めたい時は、思いっきりだらしない格好をする。この夏場なんざ、短パンとノースリーブのシャツだけで家で過ごしていた。このほうが、リラックスできるからだ。一方、外出するときは、なるべくキッチリとした格好になるべく努力する。お洒落音痴なのでファッションセンスには自信がないが、せめて清潔さや機敏さは大事にしたいと考えている。

ただでさえ小柄で小太りで、おまけに薄毛なので鈍重愚鈍に思われるのは本意ではない。決して十分ではないだろうが、意識して外見を整える努力は必要だと思う。人間、堕落するのは簡単で、外見からだらしない格好をすると、いとも容易に人は堕落するものだ。

実際、あるNPOの人から聞いた話だが、ホームレスを立ち直らせる際は、まず外見から直すそうだ。髪を切り、風呂に入れ、新しい服を着させる。これだけで背筋が伸び、しゃっきりする人もいるそうだ。外見が人を形作ることは、そう珍しいことではないらしい。

しかし、そうは言っても、なまじっかな努力では変えられない外見のハンデキャップは、たしかに存在すると思う。とりわけ、病気からくる外見の醜い変貌は、時として残酷なまでの厳しい結果をもたらす。

表題の漫画なんぞは、その極端な例だと思うが、初めて読んだ時に感じたおぞましさは未だ忘れがたい。恐怖漫画家としては、かなりのベテランなのだが、読み手を選んでしまう漫画家でもある。一度は読めても、二度は嫌という人は少なくないと思う。それくらい衝撃的な絵を描く漫画家だと思う。

怖さよりも、おぞましさが先立つ恐怖漫画だと思う。多分3回くらいしか読んでいないのに、はっきりの脳裏に絵柄が刻まれた強烈な印象がある。凄く癖が強い漫画なので、気持ちに余裕がある時にどうぞ。
コメント (5)
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