ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「さらばモスクワ愚連隊」 五木寛之

2007-08-04 13:58:19 | 
今にして思うと、なんで夢中になったのか分からない。とても恥ずかしい気がするが、勇気を奮って告白すると高校生の頃は夢中だった。なにがって、五木寛之だ。

再読してみて、つくづく思った。なんであの頃、あんなに熱心に読んでいたのだろう?多分、大人の世界に入り込んだような錯覚が原因だろうと思う。小説がツマラナくて失望した訳ではない。ただ、いろいろ思い出して恥ずかしくなったのは事実だ。

恥ずかしいのは、それが自身の若さゆえの昂ぶりとか、未熟さゆえの一途さを想起させるからだろう。思春期って奴は、そんなものかもしれない。振り返ると、冷や汗かくほど恥ずかしいゾ。なんで、あんな気取った態度に憧れていたのだろうか。

初めて手に取った五木寛之の本が、表題の作品だ。高校の図書室で見つけた。当時は、まだ社会主義の幻想が輝いていた時代だった。その輝きは残影に過ぎなかったのだが、私には知覚できなかった。

あの頃は、陰影のある屈折した若者の生き方に憧れていた。安い家賃の木造アパートの一室に暮らし、理想と相反する現実に不満を溜め込みながら、いつか自分も世界に飛び立つのだと安い居酒屋で独白する青年は近所にいくらでもいた。今なら、そんな貧乏青年を冷静に見れるのだが、当時はその姿が羨ましくさえ思えた。

真似がしたくて、高校の帰りに三軒茶屋の赤提灯の店で、無理に美味くもないビールを飲んだりしたものだ。懐かしくも、恥ずかしくもある。早く大人になりたかっただけなのさ。

若い頃読んだ本を再読することを、現在のテーマにしているのだが、これほど恥ずかしくなるとは意外だった。しばらく五木寛之は敬遠しておこう。多分、老人になったら楽しめると思う。
コメント (13)
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