ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

夏になると思い出すもの

2007-08-15 09:21:31 | 日記
毎年8月の初旬に税理士試験は行われる。

暑いさなかに、冷房も無い大学の教室で試験は行われた。汗をふくためのタオルを何枚も用意して、試験に挑んだものだ。一年一回の真剣勝負に待ったは無い。体調が悪かろうが、容赦なく試験は行われる。ちなみに現在は冷房完備の教室で試験は行われているらしい。ちょっと悔しい(苦笑)。

ネット上に数多あるブログのなかには、税理士試験に挑む受験生のものが結構ある。私は時々、それらを読みにいくことがある。はっきり言えば自分のためだ。実務に追われ勉強がなおざりになりがちな自分を戒めるために、受験生のブログを読みに行く。慢心を畏れ、初心を取り戻すためでもある。

かつての自分がそうであったように、受験生は悩み、もがき、苦しみながら勉強を続けている。過酷な世界だと思う。どんなに努力しても、合格という結果が出なければ意味は無い。合格率10%前後(科目別)の試験は、常に勝者よりも敗者が多い。

率直に言って、頭の良さよりも記憶力の良さがものを言う試験だ。才気煥発さより、粘り強い執念が役に立つ試験でもある。落とすための試験としての性格が強く、良き税理士を生むための試験だとは言い辛い。

昨今の就職難を背景に、ずいぶんと受験生も増えたが、難易度が落ちたわけではない。だいたい20代の若い受験生で平均5年ぐらい。働きながら勉強する社会人受験生だと、10年以上かけて合格を手にすることも珍しくない。

頭の良さだけでは、まず合格できない。人間1年や2年なら勉強に集中することは難しくない。しかし、3年、5年と歳月を重ねるうちに、心のスタミナが切れてくる。知識とは、人の役に立ってこそ意味がある。しかし、受験勉強は合格のためだけに存在する。合格が遠い試験勉強ほど、やる気を削ぐものだ。極言すると、受験勉強は自分のためだけでしかない。これが辛い。

人は支え合って生きている。自分の知識が他の人の役に立つ喜びが、仕事を頑張る支えになる。しかし、受験勉強は自分だけのための作業でしかない。これを何年も続けることは、非常に難しい。だからこそ、何のために勉強して資格をとりたいのか、その動機が大切となる。動機=モチベーションを維持することこそ、税理士試験の秘訣だと思う。

その点、私は幸運だったと思う。寝ても覚めても、難病のことが脳裏を離れなかった私にとって、勉強に集中している間だけは、病気のことを忘れられた時間だった。病気の苦しみから解放される時間が、私にとっての受験勉強だった。

勉強をやりすぎて、病気を再発させたのは本末転倒甚だしいが、それでも後悔はしなかった。ただ病気に苦しむ毎日よりは、試験合格という具体的目標に向かって前向きに努力することは、まだ我慢が出来たからだ。ただ、漠然と生きる、生きるだけの苦しみがあるなんて、健康な頃は思いもしなかったものだ。

さりとて、受験勉強が厳しいことには変わりは無い。しかし、私は合格することを疑いもしなかった。覚えるべきことを覚え、複雑な手順を反復して覚えこませば、必ず合格できるなんて、ある意味楽なものだった。いくら医者の言う通りに、薬を飲み、安静を守り、治療に専念しても結果が出ない苦しみに比せば、はるかに楽だったからだ。

気がついたら、予定通り合格していた。今ではそんな風に思い出してしまう。

でも、やっぱりそれは違うと思う。人間、歳月を重ねると、苦しい思い出は消えて、楽しいことばかり覚えているものだ。きっと私も苦しみもがいて勉強していたはずだ。その気持ちを思い出すため、受験生のブログを読みに行く。

最近は仕事に自信を持つようになってきた。それが過信にならないよう、初心を思い出すために私は時々過去を振り返ります。謙虚さとは違うと思う。多分、臆病なのでしょう。過信は過失に通じますから。それが浮「のです。
コメント (2)
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