ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「死のサハラを脱出せよ」 クライブ・カッスラー

2007-08-21 09:17:16 | 
手のひらが乾いているとイライラする。

昔からの性癖で、手のひらが適度に湿っていないと、どうも落ち着かない。今でも手の渇きを感じると、わざわざ手洗いに行き、手の平を濡らして戻ってくる。何故と問われても困るのだが、昔からそうだった。

現在、ちょっぴり心配しているのが、年齢による手の平の乾燥化だ。どうも不可避なものであるらしい。加湿クリームのようなものも市販されているようなので、いずれはお世話になるかもしれない。

だから砂漠で暮らすことは、私には考えられない。手の平の乾きでさえ嫌なのに、ましてや水の無い砂漠を横断するなんて、想像しただけでもウンザリする。多分、水が無い状態に追いやられたら、一日中ジュースのことを考えていると思う。コーラの一気飲みとか、麦茶のがぶ飲みが脳裏を占領してしまうだろう。プールに飛び込むことや、岩肌から流れ落ちる清流に顔を突っ込むことだけを考えると思う。人間、水なしでは生きて行けないと本気で思うぞ。

余談だが、砂漠を表現するのに、「砂」という字は適切ではない。Dezartとは、水の少ないところを意味しており、正確には沙漠と書くべきだ。沙の字は水が少ないを意味する漢字で、本来はこちらの字を使っていた。それをもの知らぬ文部官僚が「砂漠」を正式な名称としてしまった。ちなみに戦前の地理誌関係の書物では「沙漠」と書いていることが多い。

このことを教えてくれたのは、高校の地理の先生だった。その先生の話では童謡として知られる「月の砂漠」の唄のイメージが、砂漠という言葉に市民権を与えてしまったそうだ。あの「月の~、砂漠の~♪・・・」の唄を聴くと、誰もが砂丘を駱駝に乗って旅するアラビアの民を思い浮かべてしまう。唄の力、恐るべしだと思う。

実のところ、世界の砂漠の大半は小石と潅木の広がる荒野で、砂丘が拡がるような砂の荒地はそう多くない。少ないなかでも世界で一番有名な砂丘の砂漠が、表題の作品の舞台となるサハラ砂漠だ。

数年前にハリウッドで映画化されたので、そちらを思い出された方もいるかもしれない。まあ、わりと良く出来た映画化だと思うが、もし原作を読んでいないのなら、是非読んで欲しいと思う。ダーク・ピットのシリーズもののなかでは、一番の快作だと考えている。

非政府機関NUMAのヒーローであるダーク・ピットものとしては、「タイタニックを引き上げろ」のほうが有名かもしれない。相変わらず、世の中を私欲に溺れる悪役と、正義の味方に分ける単純無比な二分法が、多少鼻につくのが難点。それでも豊富な歴史知識を活かした舞台設定と、個性豊かで陽気なヒーローの活躍は、確かに楽しいと思う。
コメント
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