ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「キリスト教 封印の世界史」 ヘレン・エラーデ

2006-05-31 09:43:22 | 
巷では「ダ・ヴィンチ・コード」が大人気だそうですね。この本については、いずれ書くこともあろうかと思いますが、私にはそれほど衝撃的な内容ではありませんでした。

私は高校生の頃までは、ちょっと不真面目なキリスト教徒でした。少々ヤンチャな私を危惧して、母親に連れられて通うようになった教会。典型的な問題児だった私が、後に堅気の世界に馴染めたのも、イエス様の恩恵あってのことです。いや、マジで。

実際、ありがたいものですよ。学校の窓ガラスをぶち割ろうと、自転車をブン投げて壊そうと、後でイエス様に許しを請えば、それで万事OK~♪ 神様の許しを得たわけで、人間なんぞに謝る必要なんてない。

真面目な話、誤りを犯した自分を許してくれる場所があったことは、非常に大切だったと思います。少なくとも、自分が悪いことをしたとの自覚は確実にありましたし、すべてお見通しのはずの神様の目を意識して日常生活を送ることは、そう悪いものではなかった。

教会の人たちも、皆いい人ばっかりでした。良い人ばかりでしたが、多少世を拗ねて見ていた私からすると理解できない善人ぶり。それが許せなかった。私は「話せば分かる」こともあるけれど、ぶん殴った方が早い場合もあるし、いくら話しても分かり合えない場合があることぐらい知っている子供でした。

次第に教会の人たちの言うことを信じられなくなってきた。当時は、アメリカの核兵器は駄目で、ソ連中国の核兵器は防衛のためだからイイなんて愚論がまかり通っていたのです。私はその矛盾ぶりが許せなかった。

大学受験を機に、教会から離れてしまいました。神を信じる気持ちは今もありますが、神を口にする人間、とりわけ組織に対して不信感を募らせた。神と自分との間に、他の人間なり教会なりを介在させるあり方が我慢出来なくなっていた。信仰は神と自分との二者の間の問題だと決め付けています。

教会に対する反感から折に触れ、キリスト教会の歴史を自分なりに勉強するようになった。「ダヴィンチ・コード」で一躍有名になった感があるグノーシス派も二十年以上前から知っていました。

まだ結論は出ていませんが、私にとって現行のキリスト教は、パウロ教とでもいいたくなるほどイエスの教えからかけ離れた存在です。中世ヨーロッパを暗黒時代と言うことがありますが、あれは正確にはキリスト教の侵略時代とでもいうべき時代でしょう。

まだまだキリスト教に関しては、調べることは沢山あると思いますが、5年ほど前に読んだ表題の本は、キリスト教の暗黒面を体系的にまとめた数少ない本です。宗教にはいい面もあると思いますが、、悪い面も相当にある。そのことを客観的に、科学的に書かれてある本は少ないのが現実です。フィクションに関心を持つのもいいですが、歴史上の事実にもう少し関心を持って欲しいと思う今日この頃です。
コメント (5)
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