ヌマンタの書斎

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「関東平野は世界の心臓」 長谷川慶太郎

2006-05-28 15:56:12 | 
バブルが弾けて、最も信用を失った経済評論家ではないかな、長谷川慶太郎は。

一時期、佐高眞が盛んに攻撃していたが、あれは筋違いだと思います。元々投機を悪い事だと考える佐高ですから、投機を推奨していた長谷川を攻めるのでしょうが、バブルを破綻させたのは旧・大蔵省ですし、景気の過熱をバブルにまで押し上げたのも旧・大蔵省でしょう。

あの時代、余剰資金の投資先として株と不動産は、最も収益率が高かったのは事実ですから、長谷川を始め経済評論家の多くが、それを推奨したのは無理なからんところがあります。

ただ、私自身バブル期当時の長谷川慶太郎の書くものに違和感を覚えていたのは事実です。

長谷川慶太郎が、経済評論の世界で名をなしたのは、70年代だったと思います。当時はまだまだマルクス主義的な経済評論が幅を利かせていた時代でしたから、日本企業の強さ、賢さを堂々主張した彼の著作は極めて新鮮でした。

なかでも特徴的だったのが、徹底した現場主義でした。工場の生産ラインに乗り込み、流通過程に足を運び、販売の第一線に自ら赴く。技術の解説に長け、市場の動向に詳しく、流行の先端に乗り込んでいく姿勢こそが、長谷川慶太郎の魅力でした。

私が大学生の頃、代官山をブラブラしていると、彼女が「あのオジイサン、おしゃれ~!」と声を上げるので、よく見ると長谷川慶太郎だった。当時、代官山はおしゃれなデートスポットとして有名になりつつあったのですが、まさか本人が実際に足を運んで見回っているとはビックリ。しかも、若いお洒落な若者に混じって、全然違和感がなかった。おしゃれ音痴の私が思わず感心したくらいです。

常に経済の第一線に注意を払っていた長谷川慶太郎ですが、それゆえバブル期にやけに投機を煽る言動が目立ってきたのが、私には不思議だった。もともと、日本経済の強さを製造業においていたのが、彼の長年の主張であったはず。なにゆえ、投機をそれほどまでに推奨するのか。

おそらくは、市場経済にこだわった彼が、最も高い収益源泉として投機に着目したのだろうと推測できますが、本人はあまり弁解していないので、本当のところは分かりません。

私が経済学部を受験したのも、彼の著作を何冊も読み感銘を受け、経済に関する知識を得たいがゆえのことでした。まさか税理士になるとは思ってもいませんでしたが、現場にこだわって経済を論じた長谷川慶太郎の姿勢は、私も実践したいものだと考えています。
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