曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

ウマ娘プリティダービー 補足

2021-04-12 17:37:29 | テレビ・映画

モデル馬の現役時代をリアルタイムで知っていながら、さらに彼(彼女)らがストーリーにまあまあ絡んでいるのに、先日アップしたウマ娘の記事で書き忘れていた、というのが何頭かいたので追加で書く。

■ビワハヤヒデ

BNWのBだが、当時はあんまり「BNW」とは言われてなかった。一部のスポーツ紙と一部のファンとか、某うまなり漫画で言ってたかもしれないが、僕の周りではだれも言ってなかった。公には「新・平成の三強」、僕の周りでは「ビワ・ナリタタ・チケゾー」と呼ばれていた。

言うまでもないが、元祖平成の三強は、オグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンのことである。

ビワは、とにかく安定していた。岸滋彦が下ろされて、岡部幸雄に乗り替わってから、ますますその傾向が強くなった。トップスピードはともかく、瞬時のギアチェンジができない馬なので、展開を見ながら勝負どころで、とかではなく、このタイムでゴールを通過するには道中をどう走るか、を逆算してレースしてるような印象だった。だいたい、道中は2、3番手で、直線を向いてからいつの間にか先頭に立ってそのままゴールという感じだった。岡部幸雄が最も得意とする戦法である。

だが、その戦法は一瞬のキレに秀でるナリタタイシンには通じなかった。皐月賞2着。続く日本ダービーでもウイニングチケットの剛脚に屈して2着。

夏、北海道に避暑に行かず、栗東で鍛錬を積んだらしい。秋初戦の神戸新聞杯は逃げ馬をいたぶりながら持ったまま楽勝。菊花賞でも直線先頭に立ったらそのままで世界レコード。濱田師が春の惜敗を「ちはい」と言ってたのが今でも記憶に残っている。

菊花賞の圧勝で世代トップ、いや古馬も含めてトップかもと評価されていたが、ジャパンカップをスルー。当時は日本一になりたかったらJCは出るべきという風潮だったので、ちょっと評価下がった。前年、トウカイテイオーが勝って評価爆上げだっただけに。

で、そのテイオーに有馬で負けた。翌年(1994年)春の競馬四季報を持っていたのだが、ビワの短評に「有馬記念は横綱相撲で自分の競馬はできたが、相手が悪すぎた」と書かれていて僕は気分が良かった。

5歳の春天、宝塚を圧勝。連対率10割を維持。春天はナリタタイシンが一泡吹かせるかもと期待したが、ビワと岡部は二度同じやられ方はしない。宝塚は、もう穴党はお手上げで、2着探しだった。その2着がアイルトンシンボリで、ちょっと前にセナが事故死してたので、暗号馬券派が喜ぶ結果となった。

で、秋の天皇賞。僕の目の前で赤と黄色っぽい勝負服が先頭で駆け抜けていった。友人と「チケットが復活した!!」と喜んだ恥ずかしい思い出がある。勝ったのはネーハイシーザーで、ビワとチケットはそろって故障して下位だった。

アニメのほうで、顔がでかいのを気にしているが、実際顔はでかかった。ダービーまではメンコしてたので気にならなかったが、神戸新聞杯からメンコを外すと、うまなり1ハロン劇場などで「でかいでかい」と書かれて、ますます顔でかいイメージがついてしまった。

まじめで頭よさそうな印象はそのままでいいけど、メガネはどうかなあ。実は結構筋肉がすごかったので、もうちょっとマッチョでもいい気がする。

■ウイニングチケット

BNWのW。

競馬界の七不思議ってのが当時ありまして、そのうちの1つが柴田政人騎手のダービー未勝利だった。毎年のように、今年はこの馬で政人がダービーを獲るんじゃないかとささやかれては、またダメでしたってのを繰り返してたような気がする。

そんな柴田政人に、この馬でダービーを獲ってもらいますと断言したのがチケットの調教師、伊藤雄二だった。僕の中では伊藤雄二は関西ナンバーワン調教師というイメージがあり(関東は藤沢和雄)、発言には重みがあった。

ウイニングチケットは、のちのダービー馬らしい勝ち方で弥生賞を快勝。皐月賞でも1番人気に支持されたが、ナリタタの4着。伊藤雄二師は、ダービーから逆算して、皐月賞は75%くらいの仕上げにしておいたので計算通り、みたいなことを言ってた。

そして日本ダービー。第60回のメモリアル。僕は新設されたスタンドで「君、未成年?」と職質されていた。違いますと言ってその場を逃れ、ガレオン中心の馬券を買った。弱いショボイといわれる関東勢唯一の期待馬だからだ。だが、ガレオンは直線伸びを欠いて僕の目の前で4着に敗れ、そのまま脚部を痛めて引退した。

ウイニングチケットは4角でインが空くと、そこへ突っ込んでエンジン全開。ちょっと早いんじゃないか、そこは芝が荒れてるんじゃないか、と僕は思った。ビワと競り合い、ナリタタが猛然と追い込んできて、柴田政人が口をカッと開いて何か吠えながら鞭をふるっていた。静かで朴訥なおじさんだと思っていたのに、あの時は阿修羅の顔だった。僕はゴール前で勝利騎手インタビュー「世界のホースマンに60回ダービーを勝った柴田ですと言いたい」を生で聞いた。

秋になり、京都新聞杯。ちょっと間に合わないかと思ったところに、強烈な末脚で間に合って勝利。まさに剛脚だった。が、その反動か、菊花賞は3着に入るのが精いっぱいという感じで、ビワとははっきり差がついた、と思った。が、ビワのいないジャパンカップで日本の4歳馬としては最高記録タイ、シンボリルドルフと並ぶ3着、しかも差のない3着に入って、ああやっぱり強いと思わせた。

が、有馬記念はひっかかって惨敗。秋の天皇賞でビワと一緒に故障。まさに柴田政人にダービーを獲らせるために生まれてきた馬だった。柴田政人も、ダービーを獲った後、あんまり活躍せずに引退。岡部・柴田の両巨頭に若き天才武豊、という時代が終わった。

で、ウマ娘のほうだが、あんまり出てこなかったよね。ちょっとボーイッシュというか、萌えにくいキャラだったような気がする。チケットは騎手との話が大きいので、ウマ娘としては話を作りにくかったかも。

■ナリタタイシン

BNWのN。僕の中では、武豊が初めて勝負になる馬でダービーに出たなあ、という馬。とはいえ、BNWでは常に3番手扱いで、皐月賞でもビワかチケットか、という雰囲気だった。レースでも最後の最後まで姿が映らず、ビワが混戦の中で伸びきれない、チケットも意外に伸びない、どうなる?!と思ってたら堺アナが突然「外から一気にナリタタイシン!ナリタタイシンが差し切った!!」と叫んでびっくりした。お前どこにいたんだよ。その後、いやというほど見せられる、最内から大外にワープする武豊マジックの一例であった。

本当に一瞬のキレだけが武器みたいな馬だったので、ダービーの長い直線では、うまくいかないだろうと思ってたら、その通りになった。これはどこまで行っても追い付かないだろうなあという追い上げで3着だった。

菊花賞は心房細動で17着。その前から体調おかしかったので、なんか無理してるなあと思った。

当時僕はダービースタリオンに夢中で、ナリタタイシンの父リヴリアは、重いミルリーフ系ではないネヴァーベンド系種牡馬として期待していた。のだが、古馬になってからはビワとの差が開く一方で、春天も盾男・武豊の手綱をもってしてもビワに敵わず。線の細い馬体もあって、もうあんまり上がり目がないだろうなと思ってたら引退した。

アニメでは…あんまり印象に残ってないなあ。OVA?では活躍するみたいだけど。

■ナリタブライアン

ビワハヤヒデの半弟。兄貴が菊花賞を勝った次の週だっけ?朝日杯3歳Sを勝って、なんじゃこの兄弟と思った。走り方は全然違うんだけど、足元がしっかりした安定感とか、馬場に入ったときのしぐさとか似てて、やっぱり兄弟だなあと思った。

ダービーは生で見た。絶対に馬群でもまれたくない、と南井が敢えて遠回りをして超大外を独走してきて、つまらん!と思った。南井騎手は好きなんだけど。

あの世代は他に強いのがいなくてなあ。エアチャリオットとか、どうしてんのかな。牝馬にはヒシアマゾンがいたけど。

古馬になってからは、大久保調教師のめちゃくちゃローテーションが、ダビスタプレイヤーとして疑問だった。中1週とか突然1200の高松宮杯とか。名馬は名馬のローテーションがあるだろう。

ウマ娘のほうは、ちょっと大人っぽすぎる気がする。馬はもうちょっとかわいいというか、甘えん坊の弟キャラだったと思う。兄貴と違ってかわいい顔してたし。

■ナイスネイチャ

不滅の大記録、有馬記念3年連続3着。3年連続で3着できる実力があるなら、1回くらい勝てるはずだけど、そうじゃないのがネイチャなんだよなあ。

話によると、厩舎で凄くかわいがられた馬で、人間が大好きだったらしい。ネイチャ、と呼ぶと、犬のようにしっぽ振って寄って来たとか。また、勝てなくてもレース後は厩舎スタッフが褒めてたので、それ以上の向上心が芽生えなかったとも。

高松宮杯を勝った時は、事前に今回は勝つかもという雰囲気になってたので、喜ぶ準備ができてたというか、やったぜ!おめでとう!!って感じだった。競馬ファン全体が。

ウマ娘のほうは、私だって勝ちたい!ってのが前に出すぎかなあ。競走馬ならそうあるべきなんだろうけど、もうちょっとのんびり屋さんだった気がする。


■マチカネフクキタル

ペーパーオーナーゲーム(POG)というのがありまして。デビュー前の3歳馬(今の2歳馬)をメンバーでドラフト式に取り合い、翌年のダービーまでの獲得賞金額を争うという遊びだ。そのPOGで僕が7位だったかで指名したのが、クリスタルグリッターズとアテナトウショウの牡だった。父親が短距離早熟血統だから、3歳の単距離重賞を1つくらい勝つかも、と思っての指名だった。名前はまだなかった。

それが後のマチカネフクキタルだった。あの年のマチカネ軍団は格言シリーズで、フクキタルは下の句だった。マチカネワラウカドが上の句である。

僕の予想は完全に外れ、神戸新聞杯、京都新聞杯を直線一気の追い込みで制した。スローで流れて上がりの競馬だから短距離血統でもなんとかなったけど、菊花賞は無理だと思った。

でも菊花賞も勝った。同じようにスローで流れて上がりの勝負になったから。POGの幹事に「何かください」と言ったら「ダービーの後だからなあ」と言われた。「でもG1ですよ。僕のだけG1馬ですよ」と食い下がったら、じゃあ何か記念品でも、と言われた。けど、まだ何ももらってない。

ウマ娘のほうは占い師しかしてないな。馬名から占い師なんだろうけど、紙上オーナーとしては、もうちょっと話に絡めてもらいたい。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PS5でFFXIV | トップ | iPhone 11 ProでHipstamatic ... »