数年おきに書いている新海誠作品の周回遅れレビュー。今回も劇場には行っていないが、特にネタバレが耳に入ることはなかった。
宮崎県の女子高生・鈴芽が地震を起こす謎の巨大ミミズを抑えるために、黄色い椅子と日本各地を旅する話。ミミズを抑える手段が、廃墟のドアを閉めて鍵をかけることなので、すずめの戸締まり。
地元の廃墟から始まって、愛媛、神戸、東京、岩手(宮古)まで、フェリー、電車、オープンカーを乗り継いで旅する。経由地では、それぞれ優しい人たちと出会って少し滞在する。着の身着のまま成り行きで出発したので、お金はどうすんだと思ったら、スマホの電子決済でスイスイ進む。令和のロードムービーって感じ。
風景は相変わらず精細で美しい。風景だけなら宮崎駿を超えたかもしれない。そんな景色の中を時には人情、時にはアクションを交えながらロードムービーするんだから、見ていて楽しくないわけがない。新海誠作品で初めて途中でダレなかったよ。
ダレない理由には、圧倒的なテンポの良さもある。鈴芽はいつも躊躇なく次の行動を起こす。先のことは後で考える。運賃はスマホ決済なのね。服は愛媛の子にもらえばいいか。靴は草太(椅子)のを借りるのか。空から落下したら猫や椅子が助けてくれるのか。ならいいや…と。
面白ければいいんだ。別に分からなくても。と割り切って楽しみはしたが、不明な点が非常に多い。いつも以上に多く、いつも以上に説明がない。挙げるとキリがないので一つだけにするけど、要石は東西で一つずつ設置されて災害を鎮めるのだと思うが(宮崎と東京とか)、最後のミミズ2匹の頭に刺してOKなのは、あれでいいのか?
某映画レビューサイトで「黄色い椅子とかは何かの暗喩なのだろうが、掘り下げても奥行きがあるかどうかわからない」とあって我意を得たりと思った。
椅子とかミミズとかどこでもドアとか、新海誠としては何かを象徴してたりするのだろうが、今作のために考えた「取ってつけたような」感があるのだ。彼の人格とか潜在意識とか哲学から本気で滲み出てきたものではなく、嘘っぽいというか浅いというか。
僕はプロデューサーの川村元気のせいじゃないかと勝手に勘繰っている。グッズを展開できるキャラを出しましょう、なんか深い意味がありげなものを出しましょう、そうだ東日本大震災を絡めましょう、という感じで。
新海誠は元々激しい妄想癖を感じさせる作家だった。「雲のむこう 約束の場所」は北海道が国交のない別の国でバベルの塔みたいなのが立ってるという謎設定だったが、あれは本物の妄想だった。こいつ本気でこういうの頭の中で作ってやがる、と感じさせた。ので、変な人だとは思ったが嘘くささや軽さはなく、架空の設定に存在感があった。
本気の妄想がうまく商業的な成功に結びついたのが宮崎駿なのだが、ご存知の通り彼は成功しても愛想が悪いし、大衆が分かるような言葉を選ばないし、最新作もわけがわからない。好きなように作ったものを広告代理店が無理やり大衆受けするように演出してる。ハウル以降の宮崎駿は僕もあんまり評価してないが、それにしても新海誠が宮崎駿の狂気に追いつく気配はないな、と本作を見て思った。
キャラデザが例によって外部というか田中将賀だ。鈴芽の目がいつになくパッチリしてて、「あの花ここさけダリフラ」と差別化され、新海誠仕様かなと思いきや、草太が田中将賀にしてはシュッとしすぎてて、そこだけ細田守作品みたいに見えた。いい加減自分専用のキャラデザ確立したほうがいいと思うけど、もう手遅れかな。毎回書いてる気もするが、庵野秀明にとっての貞本義行がいないのが新海誠の不幸だと思う。