学生アリスシリーズ再読ブーム最後の作品は、現状唯一の短編集。アリス1年生春のEMC(英都大推理研)入部から、翌年春のマリア入部までの1年間に起きた事件が、時系列順に収録されている。
各作品が長編とリンクしているのが特徴。アリス1年夏の伊吹山キャンプ場連続殺人事件(月光ゲーム)の話がちょいちょい挿入される。キャンプに行く準備をしてるとか。特にアリスはあの恋愛をずっと引きずっていて、思い出すたびに落ち込んだり、先輩たちに気を遣われたりしている。
では順番に感想などを書く。
瑠璃荘事件
タイトルが黄金時代の欧米本格ミステリーぽい、と作中でも語られているが、何のことはない日常の謎系である。モチ(望月周平)の下宿「瑠璃荘」で講義ノートが盗まれたのを江神さんが解決する。日常の謎とはいえ、タイムラインを作って各人の可能・不可能を検討し、最後は発想の転換でフィニッシュする本格的な謎。EMCメンバーが初めて江神さんの推理力を目の当たりにした、いわば「江神二郎最初の事件」
ハードロック・ラバーズ・オンリー
タイトルはなんのこっちゃって感じだが、何のことはない、ハードロックを大音量で店内に流す喫茶店が舞台。アリスがハードロック好きだというのがこれで判明。事件でもなんでもなく、この喫茶店で知り合った女性が、アリスの呼びかけに返事しなかったのはなぜか、という純粋な日常の謎。江神さんの謎解きも、まあこんなかんじやろ、と理由を捻り出しただけって感じ。だが、この解決は後の「除夜を歩く」で正解だったと判明する。
やけた線路の上の死体
作者が世に出るきっかけになった作品らしい。有栖川有栖が同志社大学推理小説研究会の機関誌に発表したこの短編が、鮎川哲也の目に留まってプロデビューを果たしている。時期はアリス1年生の7月で、伊吹山キャンプの前に南紀白浜のモチ実家にみんなで遊びに行く話。日常の謎ではなく、ちゃんとした殺人事件である。シャーロック・ホームズの「ブルース・パティントン設計書」に似ていて、個人的には、その発想はなかったわ的に驚けなかった。モチのお母さんが美人なのが意外。
長編はクローズドサークル内の事件のみで警察がいないため、留年しまくり大学生に過ぎない江神さんでも捜査できるのだが、この短編集の事件は全部オープンスペースなので、彼に捜査権がない。記者に訊いたり、嘘ついたり演技したりして情報を集めなければならず、若干苦しい場面も。この事件でも、無関係な大学生がそれやっていいのかよって手段で解決(実験)する。
桜川のオフィーリア
長編「女王国の城」で唐突に初登場したEMC創設メンバー・石黒操が持ち込んだ過去の事件。「ハムレット」で川で死んだオフィーリアにかけているのだが、僕は「ツインピークス」のローラ・パーマーみたいだなと思った。川に浮かんだ美少女の美しい死体と、その写真の謎を推理する。雑誌に載った写真が奇跡の一枚になった理由を考えれば、割と簡単。場所が神倉近くで、被害者の両親が人類協会の会員だったりして、そこでも「女王国の城」とリンクしている。
四分間では短すぎる
ケメルマンの記念碑的短編「9マイルは遠すぎる」に挑戦した作品。アリスが聞いた「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。いや、Aから先です」というセリフだけを頼りに、EMCが推論を重ねて大事件との関連を突き止める。「9マイル」に挑戦と言えば、米澤穂信の古典部シリーズ「心あたりのある者は」が思い浮かぶが、真正面から挑んだ米澤版と違い、こちらはひねり倒しており、終盤二転三転して結局何だったんだという感じになる。途中、モチと信長の松本清張「点と線」論が挿入され、先人達の9マイル系に比べてかなり長い。9マイル系推論法については、いつか当ブログでも書いてみたいと思っている。と自分にプレッシャーをかけておく。
開かずの間の怪
信長(織田光次郎)主催の幽霊病院探検ツアーで、まさかの本物?みたいな事件。裏で必死に頑張っている信長がかわいい。伏線やヒントがちりばめられた謎解きではなく、ホラー短編という風情。方向性というかオチが前述の「四分間~」に近いので、またか、と若干なった。
二十世紀的誘拐
モチと信長のゼミの先生の弟が仕掛けた事件。意外になかったモチ・信長だけのシーンというのが多くて新鮮。短編なので謎解きは1つ解ければ全部解決という規模だが、伏線やヒントはきちんと配置されていて、かつ最後の詰めは発想の転換が必要。有栖川有栖っぽい理詰め+思考のジャンプを要求する作品だった。犯人に振り回されるところが、ささやかながらもダーティーハリー1作目やダイハード3作目のようで、それをEMCでやってるのが少年探偵団ぽくて楽しい。
除夜を歩く
タイトルはカー&横溝正史の「夜歩く」から来ているのだろう。好きだね「夜歩く」。アリスと江神さんが大みそかの京都を歩きながら、望月周平著「仰天荘殺人事件」の謎解きをする。書いたのがモチという設定なので、素人っぽいミスや設定の穴を込みで推理しなければならないのがちょっと面白い。推理小説についての哲学的考察やら、京都の大みそか文化みたいなのの紹介もあり、考えさせられたりためになったりする作品。
蕩尽に関する一考察
ついにマリア(有馬麻里亜)が登場。長編「孤島パズル」で語られた通りの経緯でEMCと知り合いになる。他の短編もそうだが、まず長編があって、長編に出てきたEMCにまつわるエピソードを補完するために短編を書いたという感じもする。ので、先に長編を全部順番通りに読みましょう。
タイトル通り、人がお金を無駄に使うとき、どういう意図が考えられるのかを、あらゆるパターンで江神さんが考察する。アリバイとかより、まずその謎がメインで、それが分かれば全部分かるしくみになってる。そういうの有栖川有栖は多い。
伊吹山のことを引きずっているので、アリスはマリアに対してまだぎこちない。マリアもまだ「有栖川君」と呼んでいる。男に比べると、女の子の背中ってこれしか面積がないんだな、という一節が、異性についての若者らしい発見のさりげない描写で上手いなと思った。文章講座開いてるだけある。
名探偵は悲劇の幕を引くだけでなく、悲劇を未然に防ぐこともできるということを江神さんが証明し、半信半疑だったマリアも感動してEMCに入部する。そのとき、マリアの黒い瞳が炯炯と輝き、というのがマリアらしいというか、物思いに沈んでいると思えば名推理に興奮したり、魅力的な個性だと思った。こういう女子大生と知り合えていれば、僕の大学生活はもっと面白かったのだろう。