アガサ・クリスティの作品を三谷幸喜の脚本でドラマ化するシリーズ第二弾「黒井戸殺し」の感想。前作「オリエント急行殺人事件」の感想も書いたので、これも書かねばなるまい。
前回同様、激しくネタバレするつもりなので、まだの人は戻るボタンを押してください。
原作の「アクロイド殺し」は2回ほど読んでいるが、20年以上前の話だ。僕はハヤカワ版で読んだので「アクロイド殺し」なのだが、角川や創元だと「アクロイド殺害事件」だったりする。「~殺し」というタイトルは日本ではなじまないような気もするが、最大与党のハヤカワ版の意見を取ったということなんだろう。
まあ、前作もハヤカワ訳で行くなら「オリエント急行の殺人」なのだが。
話を戻すと、この「黒井戸殺し」はかなり昔に2回ほど原作を読んでいる。犯人は知ってるし、メインのトリックも知っているが、細かいプロットや登場人物は忘れている。
「アクロイド殺し」は倒叙ものの記念碑的名作である。犯人はワトソン役の語り手。僕は初めて読んだとき十代だったが、犯人が意外すぎて後ろにひっくり返ってしまった。
しかし、一人称の作者が犯人というトリック、文章であることを利用したトリックなので、映像化は難しいと思っていた。映像にすると、自分視点シューティング形式にでもしない限り、どうしても語り手の姿が客観的に見えてしまう。それでは語り手が犯人という意外性が出ない。
僕はデビッド・スーシェのドラマ版を見てないので、この三谷版は、そのあたりをどう表現するのか、非常に興味があった。何か仕掛けてくるんじゃないかと警戒しながら見ていたので、犯人を知っているのに、終始緊張していた。ひょっとして三谷氏は犯人を変えてくるかも、とまで思っていた。
結果的には犯人は柴(大泉洋。原作ではシェパード医師)で変わらず。最後に勝呂(野村萬斎。ポアロ)が犯人の条件を一つずつ挙げていき、まさかこいつか・・・という疑惑がじわじわとこみ上げてくる展開も同じだった。
大泉洋だけでなく、「真田丸」に出ていた俳優が大挙出演。きれいな大野治長を演じた今井朋彦が、感じの悪い作家の蘭堂を演じていた。蘭堂はもじゃもじゃ頭に羽織という風体で、どう見ても金田一耕助だった。全体的に横溝正史っぽい雰囲気の風景が多く、枯れ草の草原を柴の自転車が走るシーンは市川崑の「悪魔の手毬唄」っぽかった。たぶんわざと似せている。
徳川家康を陰で操っていた斉藤由貴のカナ姉さんが、原作以上にうるさくて面倒なキャラだった。どこにでも首を突っ込むので、原作のシェパードは姉を警戒していたと記憶しているが、黒井戸はそういう話はなかった。それどころか、姉の病気を救うのが動機だった。
佐助の藤井隆がまた怪演。立ち聞きの名人ということで、後半は捜査陣から情報源として使われた。その証言が捜査の証拠として信頼されるなんて、立ち聞きも極めれば人の役に立つのだ。
容疑者たちが黒井戸氏に会ったり声を聞いた時刻の錯綜さがきちんとしている。不審な行動にもちゃんとした理由があり、推理にしっかりした根拠がある。「●●ということは▲▲」と探偵役が次々に即断する刑事ドラマが多い中で、「●●だから▲▲と思われる」という仮説をいくつか立て、それぞれの仮説を満足させるから◆◆である、という正しい推理をやっていた。やはりしっかりした原作があると違うなあと思った。
叙述トリックをどう表現するかについては、柴にナレーションさせる、手記を書いていることを強調する、など、割と普通のやり方だった。原作では「私は何かやり残したことがないかと部屋を見渡した」といったような、犯人の意識を正直に書いているが犯行については上手く避けて書けた、とシェパードが自画自賛(クリスティの自画自賛でもある)という話があったが、それはなかった。
原作を読んだときは、叙述の大トリックの衝撃から、他のプロットは印象が薄くて記憶に残っていないのだが、黒井戸はアリバイ崩しのプロットもきちんとしていて、おそらくそれは原作どおりで、犯人の意外さだけの名作じゃなかったんだなあ、と改めて原作の評価が僕の中で高まった。
それはつまり、「黒井戸殺し」が原作の緻密さに気づかせてくれるほど緻密に丁寧に作られているということでもある。前作もまあまあ面白かったが、今作はかなり完成度が高い。次は「ナイル川殺人事件」ならぬ「鬼怒川下り殺人事件」か? あれは原作がスリリングで映像向きなので、是非やってほしい。
前回同様、激しくネタバレするつもりなので、まだの人は戻るボタンを押してください。
原作の「アクロイド殺し」は2回ほど読んでいるが、20年以上前の話だ。僕はハヤカワ版で読んだので「アクロイド殺し」なのだが、角川や創元だと「アクロイド殺害事件」だったりする。「~殺し」というタイトルは日本ではなじまないような気もするが、最大与党のハヤカワ版の意見を取ったということなんだろう。
まあ、前作もハヤカワ訳で行くなら「オリエント急行の殺人」なのだが。
話を戻すと、この「黒井戸殺し」はかなり昔に2回ほど原作を読んでいる。犯人は知ってるし、メインのトリックも知っているが、細かいプロットや登場人物は忘れている。
「アクロイド殺し」は倒叙ものの記念碑的名作である。犯人はワトソン役の語り手。僕は初めて読んだとき十代だったが、犯人が意外すぎて後ろにひっくり返ってしまった。
しかし、一人称の作者が犯人というトリック、文章であることを利用したトリックなので、映像化は難しいと思っていた。映像にすると、自分視点シューティング形式にでもしない限り、どうしても語り手の姿が客観的に見えてしまう。それでは語り手が犯人という意外性が出ない。
僕はデビッド・スーシェのドラマ版を見てないので、この三谷版は、そのあたりをどう表現するのか、非常に興味があった。何か仕掛けてくるんじゃないかと警戒しながら見ていたので、犯人を知っているのに、終始緊張していた。ひょっとして三谷氏は犯人を変えてくるかも、とまで思っていた。
結果的には犯人は柴(大泉洋。原作ではシェパード医師)で変わらず。最後に勝呂(野村萬斎。ポアロ)が犯人の条件を一つずつ挙げていき、まさかこいつか・・・という疑惑がじわじわとこみ上げてくる展開も同じだった。
大泉洋だけでなく、「真田丸」に出ていた俳優が大挙出演。きれいな大野治長を演じた今井朋彦が、感じの悪い作家の蘭堂を演じていた。蘭堂はもじゃもじゃ頭に羽織という風体で、どう見ても金田一耕助だった。全体的に横溝正史っぽい雰囲気の風景が多く、枯れ草の草原を柴の自転車が走るシーンは市川崑の「悪魔の手毬唄」っぽかった。たぶんわざと似せている。
徳川家康を陰で操っていた斉藤由貴のカナ姉さんが、原作以上にうるさくて面倒なキャラだった。どこにでも首を突っ込むので、原作のシェパードは姉を警戒していたと記憶しているが、黒井戸はそういう話はなかった。それどころか、姉の病気を救うのが動機だった。
佐助の藤井隆がまた怪演。立ち聞きの名人ということで、後半は捜査陣から情報源として使われた。その証言が捜査の証拠として信頼されるなんて、立ち聞きも極めれば人の役に立つのだ。
容疑者たちが黒井戸氏に会ったり声を聞いた時刻の錯綜さがきちんとしている。不審な行動にもちゃんとした理由があり、推理にしっかりした根拠がある。「●●ということは▲▲」と探偵役が次々に即断する刑事ドラマが多い中で、「●●だから▲▲と思われる」という仮説をいくつか立て、それぞれの仮説を満足させるから◆◆である、という正しい推理をやっていた。やはりしっかりした原作があると違うなあと思った。
叙述トリックをどう表現するかについては、柴にナレーションさせる、手記を書いていることを強調する、など、割と普通のやり方だった。原作では「私は何かやり残したことがないかと部屋を見渡した」といったような、犯人の意識を正直に書いているが犯行については上手く避けて書けた、とシェパードが自画自賛(クリスティの自画自賛でもある)という話があったが、それはなかった。
原作を読んだときは、叙述の大トリックの衝撃から、他のプロットは印象が薄くて記憶に残っていないのだが、黒井戸はアリバイ崩しのプロットもきちんとしていて、おそらくそれは原作どおりで、犯人の意外さだけの名作じゃなかったんだなあ、と改めて原作の評価が僕の中で高まった。
それはつまり、「黒井戸殺し」が原作の緻密さに気づかせてくれるほど緻密に丁寧に作られているということでもある。前作もまあまあ面白かったが、今作はかなり完成度が高い。次は「ナイル川殺人事件」ならぬ「鬼怒川下り殺人事件」か? あれは原作がスリリングで映像向きなので、是非やってほしい。