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森羅万象 ~ 歩く印象派

明治五(一八七二)年の改暦  東京新聞「筆洗」より

2012年12月03日 05時31分12秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2012年12月3日 東京新聞

 十二月がわずか二日間で終わった年があるのをご存じだろうか。答えは明治五(一八七二)年。政府がそれまでの太陰太陽暦を廃し、欧米と同じ太陽暦 に切り替えたためだ▼<今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之(これ)ヲ遵行セシメン>との詔書と太政官布告によって、十二月三日は明治六年の一月一日に なった。布告は改暦のわずか二十三日前だった▼一日も二十四時間と定められ、一日と六日の休暇日から、日曜日が休日に改められた。急な改暦に当時の人々の 慌てぶりを想像してしまうが、改暦の背景には明治政府の苦しい台所事情があったらしい▼旧暦では翌年は閏月(うるうづき)があり、一年間は十三カ月にな る。赤字財政に悩む政府には役人に一月余分に俸給を支払う資金はない。改暦の断行によって節約する腹づもりだったという。それだけではない。十二月は二日 間しかないのだから月給は不要のはず…。そんな理屈で、二カ月分を支払わなかった▼随分と乱暴なやり方ではあるが、こうした事情がなければ、欧米の暦など を一気に受け入れることはできなかったかもしれない。この改暦がなければ、欧米の暦とのずれは深刻化し、日本の近代は遅れたはずだ▼明治の改暦から百四十 年になる。師走の街では、来年のカレンダーや手帳の特設売り場がにぎわう。歴史を知ると、空気のような存在だった暦が身近になってくる。



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