最近はなかなか作れないが、プラモデルそれも飛行機(空モデル)の製作を45年以上やっている。物心ついた時から模型作りが大好きで、本当に飯も食わずに何日も作り続けたことがある。きっかけは小1の誕生日に親父が「疾風」を買って来てくれたことからだが、中学の時、同じクラスに飛行場経営者の息子が転校してきたのが大ブレークの始まりだった。彼からスケールモデルの何たるかを学んだ。なによりも資料収集が大事であることも彼から学んだ。「航空情報」や「航空ファン」を読み漁った。その後出てきたプラモ専門誌「モデルアート」も大事に取ってある。大学に行っても作っていた。社会人になってからもこれだけは続いた。キットも資料もかなりたまった。
今では一部屋まるごとプラモデル倉庫と化してしまいからのクレームが慢性化している。
今回は、ちょっと頼まれ仕事で未組立キットの塗装を依頼された。組立はしない。色を塗るだけだ。それでも考証は手を抜く訳にはいかない。
頼まれたのは1/48フジミ製の99艦爆である。(上の写真)仕様は真珠湾のときの空母蒼龍搭載機である。
そこで本書の登場である。
ぱらぱらとめくっていたら、冒頭写真のページで手が止まった。
中島の陸上攻撃機深山・深山改である。
旧陸海航空隊で4発の爆撃機(海軍呼称は攻撃機)は中島飛行機のみが実際に飛行できる機体を実現した。(中島飛行機は戦後、富士重工として生まれ変わる。)当時の中島飛行機は今のトヨタ自動車をしのぐ30万人もの人が働く大会社であった。
写真には小泉飛行場でテスト中とキャプションがあった。(深山の前にあるのはOEMで造っていた零戦。)
ふと後方の山並みに目をやって驚いた。下の写真、赤丸で囲んだ部分。
足利市の大小山がはっきりとわかる。
戦時中の軍事写真で背景で場所が特定できるものは少ない。(特に国内)
だいたいがべたで塗りつぶされてしまうのが落ちだ。これは貴重な写真だ。
話が妙な方向へ進んでしまったが、本題の99艦爆の塗装についてはメイキングを近々、本ブログにて掲載予定なので、興味のある方は楽しみにしてください。
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写真、確かに背景が写っているのって、少ないだろうね。
これが「氷山の一角」って知れたらどうするんですか?
考えると様は「神」のような方ですね。
やはりヒコーキ好きの知り合いが会津から名古屋へ引越しのとき、また帰って来るとき、えらく苦労したそうです。何故か、引っ越す度に少し減るのですが、何がどう減ったのか、すぐに判らないのが悲しいです。
本のような分類法やISBNコードもないので、プラモ各社で統一したコードを制定してもらえると助かります。(たぶん、助かる人は少数派だと思いますが・・・。)
最近数えたことはありませんが、たぶん単純に一日に一機組み立てたとしても3年はかかます。実際には一機仕上げるのには2~3週間かかります。(しかも、まだ買ってるし。)残りの人生で作りきれないのは自明の理であります。すると、この「プラモのの山」の行く末はいったいどうなるのか!
なんだか不安だなあ。
「ペシペシ」かな?
すご~い。
これでは、小松崎茂に大興奮のはずですね!
絵の右下に描いてある画伯のサインがかっこよくて自分のイニシャルを画伯のサイン風に真似て、練習して教科書だのノートの余白なんかあちこち落書きしてはサイン入れまくってました。
私はもう、エアクラフトは待ったく買わなくなりました。
部屋のスペースが無くなりまして。。。
でも、現物見ると、ほしくなちゃうんですけどね^^;
ヤマダとかで、安く手に入りますし。
ちなみに、僕が所有している在庫のプラモは、10年あればそれなりの物が作れるかもですw
ぼちぼち、また時間作って初めて見ようかと思います^^
深く「反省」のいるところです。
初心に返って「製作」に打ち込みたいです。