のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ボルゲーゼ美術館展2

2009-12-15 | 展覧会
12/8の続きでございます。

あのう
ボッティチェリの絵って気持ち悪くないですか。
優美さが過ぎてかえって硬直している、というか。何せ天下のボッティチェリでございますから、こう感じるのろの感性がおかしいんじゃろうか、と長らく思っておりました。それゆえ美術全集か何かで、ボッティチェリの描いた女性群像を「病的に優美」と形容した一文を見かけた時にはオオと膝を打ったものでございます。
背景に遠近法を取り入れる一方で人物はどこから光があたっているやら分からぬのっぺりとした陰影に包まれている、という技巧上のチグハグさも手伝っているのかしらん。いやしかしボッティチェリに少し先立つ初期ルネッサンスの画家で、のろの大好きなフラ・アンジェリコピエロ・デッラ・フランチェスカもそうした点では同じなわけで、してみるとやはりこの気持ち悪さはボッティチェリ特有の優美さに発していると思われるのですよ。この3人を比較するなら技術的に最も洗練されているのはボッティテリでございましょうが、優美さと技巧の巧みさとに塗り固められていささか息苦しいのでございます。きりりとした小鼻、つややかな巻き毛、そして繊細なポーズをとるしなやかな手と指先、何と全てがこの上なく優美な表情で、不気味に硬直していることか。



てなことを『聖母子、洗礼者ヨハネと天使』の前に長いこと陣取って、腕を組み首をひねって考えておりましたので、はたから見たらボッティチェリ大好きな人みたいだったろうなあ。
何です。
わざわざ美術館へ来て他人の観察してるヒマ人なぞいないって。
そおですよねえ。

ともあれ。

軽やかな色調のボッティチェリやラファエロのある展示室から一歩角を曲がると「16世紀・ルネサンスの実り」と題された中~後期ルネサンスのセクションでございます。向こうの壁面にはずいぶん黒っぽい絵が並んでおります。ほっほっほ。だんだんバロックに近づいてまいりましたよ。空と海を背景にやけに劇的な身振りで魚に説教している聖アントニオの姿も、来たる「やりすぎの時代」の先触れのようでイイ感じではございませんか。

ギリシャ神話の主題もちらほら混じるこのセクションでのろが目を引かれたのはアンドレア・ブレシャニーノ『ヴィーナスとふたりのキューピッド』 でございます。主役のヴィーナスはポーズも体型もミロのヴィーナスに両腕を付けて代わりに腰布をとっぱらったようでございまして、古典美大好きルネサンスの香りがふんぷん。とはいえ女神の白すぎる肌に、生気よりもまさに大理石の彫刻ような冷たさを感じるのは、この作品が描かれた1520年代において、すでに美術様式が技巧的洗練と冷ややかな歪みを特徴とするマニエリスムへと食い込んでいることの現れでございましょうか。
ヴィーナス像の常ながら、頭は格好よく結い上げておいて首から下は素っ裸ってどうなんだというツッコミはこらえて、注目したいのはヴィーナスの足下、向かって左のキューピッドでございます。ぷくぷくした幼児の姿とはいえ、キューピッドとしてはまれに見る凛々しさで描かれているではございませんか。伏し目がちの視線、引き結んだ口元、弓を軽く支え持つ指先、片足を一歩踏み出して少しひねりを加えたポーズ、どこを取っても実に端正で、きりりとした気品に満ちております。
ブレシャニーノという画家のことは全く存じませんでしたのでちとネット調べしてみましたら、16世紀前半にシエナで祭壇画などの製作を営んだアンドレアとラファエロという兄弟画家であるとのこと。それ以上詳しいことは分かりませんでしたが、検索でこの『ヴィーナスと~』が多く引っかかって来る所を見ると、この作品は彼(彼ら?)の代表作と目されているのでございましょう。


次回に続きます。