のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ボルゲーゼ美術館展3

2009-12-23 | 展覧会
12/15の続きでございます。

面白いと言っては何ですが面白かったのが、アンニーバレ・カラッチの手による聖フランチェスコ像でございました。
右手で数珠を繰りながら、か細い十字架とこの聖人のアトリビュート(その人物を象徴する持ち物)である髑髏とを腕にしっかり抱えて思案に暮れる聖フランチェスコ。その姿を、A4サイズほどの小さな画面にかなりのクローズアップで描いた作品でございます。
何が面白かったかと申しますと、今にも泣き出しそうな、ちょっと情けないほどの表情を浮かべていたのでございます。
左手を頬にあてて頭をかしげ、眉毛を八の字にして口は半開き、目にはいっぱいに涙を浮かべて「もうワタシどうしたらいいのか分かりません!」とでも言いたげな表情でございます。聖フランチェスコは人気のある聖人で絵もたくさんございますが、こんなにも情けない、いや人間らしい表情をしたものは珍しいのではないかしらん。

残念ながらこの作品の画像は見つけられませんでしたが、同じくカラッチの描いた聖フランチェスコ像がこれ。左手の甲に見えるのは聖痕(磔刑のキリストと同じ位置、つまり両手や脇腹に現れる傷)でございます。聖フランチェスコは史上初めて聖痕を受けた人らしいのですが、そりゃ何もない所へいきなりこんな傷ができたら泣きたくもなろうってもんでございます。

冗談はさておき。
こう、思わず声をかけて慰めたくなるような聖人像が描かれたというのも、感情に直接訴えるような分かりやすいイメージを描くべし、という宗教上の要請がこの時代に高まったことの現れなのでございましょう。
そうした要請は新宗派であるプロテスタントが勃興したせいであり、プロテスタント勃興は各国語の聖書が普及したおかげであり、各国語聖書の普及は印刷術の発明なしにはありえず、印刷術の発明に先立っては製紙産業の確立が必須であり、製紙技術がヨーロッパに伝播するにはイスラム勢力によるイベリア半島支配が一役買っており...と、こう、何世紀にも渡りかつ多方面に遡りうる連鎖の帰結としてこの聖フランチェスコの泣き顔があるかと思うと、感慨ひとしおでございます。

そんなこんなで最後のセクション、「17世紀・新たな表現に向けて――カラヴァッジョの時代」へとやって参りました。青・黄緑・クリーム色・朱色と変遷してきた壁の色はここに至って暗いモスグリーンに落ち着き、控えめな照明ともどもバロック気分を盛り上げます。

で、そのカラヴァッジオの


『洗礼者ヨハネ』

前回の記事でご紹介したボッティチェリの絵にも敬虔な表情でひざまずいている小さなヨハネさんがおりましたけれども、約130年後に描かれたカラヴァッジオのヨハネ像は、雰囲気の点で言えば同じ人物を表現したとは思われないほどの違いがございます。
とろんとした目つきにけだるいポーズ、扇情的なまでに赤い衣を倒木に預け、その上に腰掛ける少年ヨハネ。首元やお腹の皺までしっかり描く徹底した写実描法と相まって、聖人というよりも男娼のようでございます。こんなん描いてちゃあ教会から怒られるのも無理ないぞいと思った次第。

頽廃的な魅力を漂わせるカラヴァッジオに対して、ぎょっとする迫力を発していたのがリベーラの『物乞い』でございます。(これまた残念ながら画像を見つけられませんでした)何もない背景に浮かび上がる物乞いの老人の姿、そのスーパーリアルな描写のものすごさ。赤黒く日焼けした肌、黒く汚れた爪、ボロボロの服、何よりもその眼差し、目を開いていながらも何も見ておらぬがごとき、絶望しきった眼差しの描写がすさまじく、絵ではなく生身の人間を前にしているようないたたまれなさすら感じたのでございました。こんな表情は想像で描いたのでもなければ、モデルに悲しげな顔をさせて描いたのでもありますまい。代表作のひとつである↑リンク先の『えび足の少年』同様、市井の貧しい人に目を向け、その生に共感を寄せたからこそ、このような眼差しを描けたのでございましょう。

同展示室で、地味ながら佳品であったのがアンドレア・サッキの クレメンテ・メルリーニ卿の肖像でございます。(←クリックで拡大します)実を申せばのろが本展で一番気に入ったのがこの作品でございました。

がっしりとした作りの椅子にもたれ、片手で本を押し広げつつこちらを見やる男性。この人物についてちとネット調べしてみたのでございますが、サッキによってこの絵に描かれたということ以外、何も分かりませんでした。
大きな絵ながら画面の大半は暗い背景の中に沈んでおります。光を反射しているわずかな部分、人物の顔と手と、椅子のてっぺんの飾りだけが細やかな筆致のもとに明るく浮き上がり、それ以外の部分はわりと荒めに描かれております。こうした表現が人物の存在感を引き立たせるためなのか、あるいは背景その他を描くのが面倒くさかったからなのか、それは存じませんが、とにかくこのわずかな部分に集中した描写が、実にいいんでございます。
穏やかな目ヂカラを発する、誠実そうな目元の表情。その温かみのある視線、そして鷹揚な手つきでページを押さえるポーズからは、教養ある人格者といった人物像が想像されます。

アンドレア・サッキはものすごくメジャーな画家というわけではございません。モデルとなったメルリーニ卿も、歴史の表舞台で活躍したかたというわけではなさそうでございます。しかしこんな風に描いてもらった人物は、そしてこんな風に人間の表情を捉えることができた画家は、それだけで幸せであろうと、ワタクシは思うのでございますよ。

振り返ってみると作品数においては決して大規模とは言い難い展覧会ながらも、50点の展示品の中にルネサンスからバロックへ至る芸術の流れ、画風の変遷が如実に表れており、印象深い作品も多く、まずまず充実した内容であったと申せましょう。