のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

8月6日

2008-08-06 | KLAUS NOMI
本日は
原爆の日でございます。
ボリビアの独立記念日でもございますし
ベラスケスの命日でもございますし
アンディ・ウォーホルの誕生日でもございましょう。

しかしのろにとっては
本日は
クラウス・ノミの命日でございます。



ファンの皆様はご承知のことと存じますが、ノミにはお墓というものがございません。
ヤツの遺体は本人の遺言によって火葬に付され、遺灰は風に乗せてニューヨークの街に播かれたのでございました。
空高くそびえるビルの数々があの小さな宇宙人の墓標ってわけでございます。
そのうちの2つは、今はもうございませんけれども。

クラウス・ノミがみまかった1983年は、アメリカでエHIV感染者への差別が最も激しかった年でございました。
『エイズのセクソロジー』(木下栄造著  自由国民社  1994)によると、感染者世帯のゴミの回収拒否や職場での同室拒否、感染を理由に陪審員からはずされるといった事例のほか、病院でさえも看護士による看護拒否、配膳拒否、そして吐いたものを掃除してもらえないということまであったのでございます。

また、葬儀業者が感染者の遺体取り扱いを拒否するということもございました。
アメリカでは土葬するのが普通でございますが、衛生上の必要もございまして、埋葬に先立って防腐処理をいたします。その処理を葬儀屋さんがするんでございますね。
感染者の身体に触れただけでもうつるかもしれないと思われていた時代でございます。
葬儀屋さんを非人道的といって責めることはできません。
しかし、人としての最後の道行きを拒まれた遺体はどうなるのでございましょうか?
故人の家族や友人たちは、いったいどうしたらいいのでございましょうか?

ノミが火葬と散骨を望んだのは、遺された人々に面倒をかけまいとするヤツの心遣いだったのではないでしょうか。

もちろんヤツの心の内は、今となっては分かりません。
いつまでも、大好きなニューヨークの街とともにありたいと思ったからかもしれません。
あるいは、死んでもなお、どこにも属さないエイリアンを演じ続けたかったのかもしれません。
空へ向って問うてみたところで答えはなく、ノミがいない世界は今日でちょうど25年目を迎えたのでございました。







夏の初めのノミ話

2008-06-02 | KLAUS NOMI
女神イアトクは「お前は何も恐れてはいけないし、何ものも尊いものとして崇める必要はない。お前が近づいてはいけない場所は何処にもないのだよ」と彼に訓戒を与えた。その訓戒には道化も従うのをこととし、彼らはどんな聖なる場所にもずかずかと足を踏み入れるのをためらうことはない。『道化の民俗学』 山口昌男著 筑摩書房 1985 p.302

僕はあらゆるものに対して、完全なアウトサイダーとしてアプローチする。だからこそたくさんのルールを壊すことができたんだ。ポップスやロック界にはルールなんてないと思われてるけど、実際にはクラシック界と同じくらい保守的なんだ。・・・僕には恐いものなんて何もないよ。それにしても、ルールなんて一体誰が作ってるの? クラウス・ノミ

さあのろ、テンションを高く保つのだ。
なぜなら今日はノミ話だからさ。

昨年の秋頃から、Youtubeにクラウス・ノミのパフォーマンス映像やらインタヴュー映像やらがばんばんUPされてきております。*1

うひゃあ!ノーメイクのノミの男前なことといったら!!
その眼さ!
その手さ!
寸詰まりな指の、妙に脆そうなその手に、おお、できることなら触れてみたかったさ!
取って喰いたいくらいでございますよ!!
こんな映像が今までいったい何処に隠れていたんでしょう?
貴重な映像をシェアしてくださるかたがたに、感謝の念を雨あられと降り注ぎたく存じます。

それにしてもこれらのビデオを見て分かるのは、映画『ノミ・ソング』で使われている映像が、時間的にも内容的にもかなりトリミングされたものであったということでございます。
のろはこのドキュメンタリーによって初めてノミのことを知りましたし、これを作ってくだすったことについて、ホーン監督には大いに感謝しております。
けれどもジョーイ・アリアスの証言を欠いていること*2や、クリスチャン・ホフマンのこちらでの口ぶりなど*3を考えあわせると、功罪ともに大きい作品なのかもしれません。
功のほうが大きいとは思いますがね。

*1 ここでご紹介したものの他にも,Youtubeにはお宝映像が多数UPされております。御覧になりたいかたは並び替え順を”追加日”に指定して"klaus nomi”で検索してみてくださいまし。

*2 アリアスが初めからインタヴューを拒否したのか、それとも何らかの事情によって映画には彼の証言が使われなかったのかは不明です。ワタクシは、アリアスもインタヴューに応じたものの、出来上がった作品を見て「自分の証言は全て削除してほしい」とホーン監督に通達した、という監督自身の話をネット上のどこかで読んだように記憶しております。が、今回いろいろ検索してもその記事を見つけられませんでした。あるいはワタクシの読み違いだったかもしれません。いずれにしても、インタヴュー以外の点では、アリアスは大いに協力してくれたそうです。

*3 ホフマン曰く、ノミと活動を共にし、彼のために歌を書くのがどんなに楽しかったかということや、友人の誕生日パーティーでノミがケーキを焼いたこと等々の証言が出来上がった映画ではばっさりカットされ、自分が金銭的なことで愚痴を言っている部分ばかりが大きく採用されたことにショックを受け、半年ほどそのショックから立ち直れなかった、とのこと。
またインタビュアーは、映画から受けた印象として、ノミは成功するにつれてそれまで一緒にショーをやってきた友人たちを切り捨てたようだったが、そこんとこ実際はどうだったの、と「切り捨てられた友人」の1人であるホフマンに尋ねています。(映画からは確かにそのような印象を受けます)
これに対してホフマンは、ノミ自身が友人たちに対して策略や残酷な仕打ちをしかけたとは思えないが、彼は成功したいとひどく焦っていたし、レコード会社がそこにつけこんだのだろう、という意見を述べています。会社がノミに対して「君をスターにしてあげよう。でもこの人たちと一緒じゃ無理だよ」とプレッシャーをかけたのだろう、と。またレコード会社は文字通りノミを搾取して死ぬまで働かせた、と怒りをあらわにしています。「連中はクラウスの具合が悪くなっても、ツアーを続けるよう彼に勧めた。何の病気なのかも分からなかったっていうのに。というのも連中は、こんな病身じゃあ次のツアーはやれないかも、と思ったからさ。で、彼から最後の一滴までミルクを搾り取ろうとしたんだ」
なお、こちらの情報はコメント欄にてhx2様より教えていただきました。情報ありがとうございました。


話をヤツのパフォーマンスに戻しますと。
つくづく感嘆させられることは、周りの世界からの、みごとなまでの浮きっぷりでございます。
「空気が読めない」どころの騒ぎじゃございません。そもそもヤツの周りと世界のそれ以外の部分とでは、空気の成分からして全然違うんじゃないでしょうか。
そう思うほどに、ヤツは全世界からぽつねんと浮いております。
その浮きっぷりを見るにつけ、しきりと頭に浮かぶのは『身体・表現主義 ~ゲルマニックな身体のリアル。』の中の、ノミについて触れたこの一文でございます。

彼はロック・オペラという新しい風を吹き込んだが、邪推かもしれないが、それはロックとオペラの橋渡しなのではなく、ロックにもオペラにも居場所を見つけられなかったがための到達点だったのではないだろうか。類を見ない姿恰好に、その疎外感を感じるのは穿ちすぎだろうか。(p.99)

これを読んだとき、おおおおおワタクシもそう思いますとも、とのろは1人コーフンしたもんでございます。
そしてYoutubeを通じて、埋もれていたヤツのパフォーマンス映像に触れられる昨今、ますますこの一文が正鵠を射ているように感じられるのでございます。



1970年代、NYへやって来た当時のノミは要するに、需要なんか全然ないカウンターテナーを志す、ロック好きで菓子づくりが得意なゲイで、英語をろくすっぽ話せない異邦人(alien)でございました。
オペラ、ロック、男性、女性といった既存の枠組みのいずれにも心地よく納まることができず、どの領域でもどこかアブノーマルな存在であったノミは、だから自分専用の「納まりどころ」を作ろうとしたのではないでしょうか。
そう考えると、ノミがあの奇妙キテレツでわざとらしさ満点の恰好でパフォーマンスをしたことに、単に彼(と彼の友人たち)の趣味以上の必然性が見えてまいります。当人たちがそれを意識していたかは別としても。

仰々しく硬直した動き、仮面じみた無表情、そしてひと昔以上前の近未来像を思わせる、奇妙な衣装。
その姿はチープなSF映画のロボットか宇宙人のようでございます。ポイントは、「本物の」ロボットや宇宙人のようには全然見えず、あくまでも「チープなSF映画の」それである、という点でございます。あたかも顔面に「嘘 で す」と書いて語られる嘘のように、わざとらしくて明白な虚構。
人々が火星人襲来のニュースを信じた時代は既に遠く過ぎ去り、アシモの登場まではまだずいぶん間がある70-80年代、人型ロボットや宇宙人は完全にフィクションの世界の住民でございます。
逆に言えば、フィクションであることが明白な空間ならば、そこは彼らの正当な領土であり、彼らが堂々と存在できる場所ってえことでございます。
嘘ロボット/嘘宇宙人であるノミの嘘くささ、フィクション性が強調されれば、それだけ彼自身の正当な領土を確保されることになります。そうして確立されたノミワールドは、ノミがノーマルな世界の中のアブノーマルな因子であることを止め、堂々と、安んじて存在していられる場所でございます。
(とはいえこれはあくまでもステージ上の限定的な世界でございます。ノミの友人のガブリエル・ラ・ファーリが言うように彼が「ノミワールドの住民」というパーソナリティを日常の世界まで敷衍しようと試みたとすれば、しんどいことになるのはそれこそ明白でございますし、悲劇的なことでもあったのでございます)

また、かの白塗りの顔やスリー・ポイント・ヘアやタイツ姿は道化師を連想させます。
道化もまた日常性や常識とは相容れない存在でございます。彼らは非日常の世界に属する、あるいは日常と非日常を繋ぐ存在でございます。これまた逆に言うならば、日常性や常識から逸脱した姿や行動は、道化と言う衣装をまとうことによって、この世界での居場所を確保できるというこってございます。
さらに道化(道化的な神や精霊も含めて)とは両性具有的な存在であり、象徴的にさまざまな二面性を担っております。
混沌と秩序、静と動、善と悪、賢と愚、などなど。道化においては本来は対立する二つのものが一者の中に共存しているのでございます。
相反する二つの世界の要素を併せ持ちつつ、どちらの世界にも属さない道化は、その特質によって常識的な世界に風穴を明け、新しい物を生み出す手助けをします。

きまりきった、自明の記憶によって埋まっている王国に、非日常の世界を唐突にその覆いを取ってつきつけることを、道化は考える。
『影の現象学』 河合隼雄著 講談社 1987 p.203

これはまさしく、ヤツがパフォーマンスにおいて行い、インタヴューにおいて語っていたことではございませんか。
宇宙人、ロボット、あるいは道化を思わせるあのいでたちと、とんでもなくチープで嘘くさくてわざとらしいパフォーマンスは、採るべくして採られた表現方法だったのでございます。
もちろんものごとは全て起きるべくして必然的に起きているのではございますが、問題は、自分もその一端を担っている所の必然性を、どれだけ自分の方に引き寄せて活用できるかでございます。
ノミは少なくともアートという側面においては、与えられた条件から成る必然性を自分の味方につけることに、成功していたように見受けられます。だからこそヤツのパフォーマンスは、今もって人の心を惹き付ける、一種の普遍性を持っているのでございましょう。

えっ
そりゃ単なる深読みだって。
ええ、そうかもしれませんて。
でもね、「実際の所どうなの?」って、当の本人に尋ねるわけにはいかないんでございますもの。
多少深読みするくらいのことは、許していただかなくっちゃいけません。



楽町楽家08

2008-04-30 | KLAUS NOMI
過去と現在と未来におけるあらゆる瞬間はのろという人間の駄目さを証明するために存在しているような気がするわけでございますがもちろんそんなことは自意識過剰な妄想にすぎないのであってそうこうしているうちにもはや4月も終わりでございます。

今年も楽町楽家のポスターを描かせていただきました。

ちなみに去年のものと繋がっております。




今年もノミいるのかって。ええ、ええ、もちろんおりますとも。

ほらっ



着ているのは例の北京シャツでございます。



ポスター完成品では「楽町楽家」のロゴで隠れてしまっておりますがね。
この人はよくプライベートで、水玉模様のジャケットですとか、バスローブみたいなコートですとか、将棋の駒柄のシャツですとか「........それ一体どこで買ったんだね??」と訊きたくなるような服を着ておりますが、これもその一枚でございます。


ノミの周りにあるレコードは左から順に、
・『KLAUS NOMI』(邦題『オペラ・ロック』)
・『SIMPLE MAN』
・ボウイの『MAN WHO SOLD THE WORLD』、サタデー・ナイト・ライブで共演した時の曲でございますね。
・マレーネ・ディートリッヒの『FALLING IN LOVE AGAIN』。ノミ、歌っておりますね、」はい。
・クラフトワークの『TOUR DE FRANCE』。クラフトワークとノミの間には直接の関係はございません。まあ、ドイツでテクノってぐらいの話でございます。ただね、TOUR DE FRANCEのシングルが発売されたのが、1983年なんでございますよ。...
・プレスリーの『ブルー・ハワイ』
でございます。
ノミが手に持っているのはマリア・カラス。これも完成品ではロゴで隠れておりますがね。


その他にも描いた本人にしか分からないゲストが数名おります。

来日を記念して ノー・スモーキング・オーケストラの中から、代表して4人だけ。
メンバー全員描くとここだけ異様にオッサン率が高くなってしまいますので。
ヴォーカルのドクトル・ネレとギターのクストリッツァ(のろの大好きな映画監督でございます)と彼の息子でドラムのストリボールとバイオリンの”レオポルド”でございます。



それからLORDIにもTシャツの上で参加していただきました。

こんなどうでもいい所に凝るぐらいならもっとましなものを描けないのかとおっしゃるのはごもっともでございます。
そのとうりでございます。
本当に。



ポスターの出来はともかくとして、イベントはいろいろと楽しく、かつ、ためになるものががいろいろ企画されているようでございますので、京都近郊の皆様はぜひとも気軽にご参加いただければと思います。




『完全演技者』

2008-03-31 | KLAUS NOMI
まずは先日コメント欄にて教えていただいたこちらの映像をどうぞ。

eyeVio: ウラジーミル・マラーホフ『ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ』?マラーホフの贈り物2008

ayumi様、ありがとうございました。
使われている曲は「Wayward Sisters」と「Cold Song」、ともに17世紀の作曲家ヘンリー・パーセルの作曲でございます。
災厄を起こそうとする魔女の呼びかけを歌った、まがまがしさ全開の「Wayward Sisters」。
ほぼ全曲をこちらの3分10秒あたりから聴くことができます。
映像はノミとも曲の内容とも全く関係はございません。自主制作ホラーっぽいですね。

また、上の映像とともに、Sven Bremerさんというドイツの作家がクラウス・ノミを主題にした短編小説をお書きんなった(もしくは執筆中)という情報も教えていただきました。
ノミにインスパイアされるアーティストがいらっしゃるということも、ノミ情報を集めているかたがいらっしゃるということも、のろには実に嬉しいことでございます。
Bremer氏の小説については、目下の所詳しいことが分かっておりませんので、今後ぼちぼち情報を集めていきたいと思っております。
その代わりとうわけでもございませんが、今回は日本で出版されたノミ小説について語らせていただきたく。



『完全演技者 トータル・パフォーマー』

ストーリー等はこちら様が書いていらっしゃるとうりでございまして、特に付け足すことはございません。
ただワタクシにとってひたすら重要なのは、本作の主要登場人物である「クラウス・ネモ」が、そう、クラウス・ノミをモデルとしたキャラクターであるという点でございます。
モデルにしていると申しましても、あくまでもフィクションでございます。
のみならずかなり荒唐無稽なお話でもあります。
実在の人物とその時代に寄託した、一種のファンタジーといってもよろしうございましょう。
まあ『義経千本桜』とか漫画の『日出処の天子』みたいなもんでございますね。

読んでいて思ったことは、この「ネモ」というキャラクターはひとつの「理想的ノミ像」なのかもしれない、ということでございます。
今のワタクシどもは映画やYoutubeのおかげでノミのプライベートの表情ってものを知ることができます。
つまりノミがこの小説の「ネモ」のような人物では全然なかったということを、知っております。
けれども思うのですよ、もしも80年代当時に、あの歌声とステージ上の姿だけでヤツのことを知っていたならば、「ネモ」のような人物を想像したかもしれないと。

尊大なほど落ち着きはらっていて、常に完璧な無表情。
オンステージでもオフステージでも全く違いのない物腰。
私生活は完全に謎に包まれているけれども、実は悲しい過去を背負っている。
そのパフォーマー魂で死さえも欺き、「ネモ」というキャラクターとして生き続ける。

もちろんこれはあまりにも非現実的なキャラクターでございますし、「ネモ・バンド」を構成する残りの2人、「ボブB」と「ジェニファー」(ジョーイ・アリアスとJanusがモデルかと思われます)も、ちょっと現実にはありえないようなキャラクターとして造形されております。
しかしプラスチックのタキシードを着込んでオペラを歌うノミや無表情でロボットダンスを披露するジョーイ・アリアスだけを見ていたならば、そうした、ステージ上と同様に私生活でも「ありえない」人たち、という人物像を、想像したくもなったことでございましょう。
彼らは普通の人間ではなく、根っからの異形の人物にちがいない、むしろそうであってほしい、と。
そして当時タイムリーにノミを目撃した雑誌記者たちはまさしく、そうしたイメージを書き立てたようでございます。

「年齢、性別、素性不明のニューウェーブ」 ソーホー・ウィークリー・ニュース
「人間の基準から判断すれば---ビニールのケープから頬骨まで---彼は完璧に異星人」 同上
「異星から降り立った大天使」 ス・ソワール・ブリュッセル紙
「自然が生み出したちょっとした間違い」 ニューヨーク・ロッカー
「ジェンダーを越えた生き物、地球外生命体の肉体を持った悲しき道化師」 リベラシオン
(引用は全て『ノミ・ソング』パンフレットより)

そして映画『ノミ・ソング』を見るかぎり、ノミ本人の意図はともかくとして少なくとも彼のマネージャーはこのような「異形/謎/近付き難い存在」というイメージを、クラウス・ノミというキャラクターのセールスポイントとして使ったようでございます。

ノミ自身の意図について保留をつけましたのは、このようなキャラクターが本来のノミ(というかクラウス・スパーバー氏)の性格とはずいぶんかけ離れたもののように思われるからでございます。そう判断する理由は映画『ノミ・ソング』内で記者アラン・プラットの語ったエピソードや、ブログに書かれたアン・マグナソンの証言から得られる、人懐っこく親しみやすい人柄という印象でございます。これについては当記事の最後にご紹介いたします。


小説の「ネモ」とノミの間には、実際にはかなりの隔たりがございますけれども、「ネモ」の風貌や衣装は、ほとんどノミそのまんまでございます。
白塗りの顔、黒い唇、ギョロ目、三方に逆立てた髪、プラスチックのタキシード。
作中で歌う曲もほとんど、実際にノミが歌った曲でございます。
「Keys of Life」「Cold Song」「Wayward Sisters」「Total Eclipse」「After the Fall」そして「Death」。

それだけに---こういう小説では通例のことなのかもしれませんけれども---、このキャラクターのモデルが実在の人物であることについて、どこにもひと言も触れられていないのが、ワタクシとしてはちと残念でございました。
ノミのことを知らない人がこの作品を読んだらまず間違いなく、「クラウス・ネモ」なるキャラクターは作者による完全な創作物だと思ってしまうことでございましょう。
無理もございません。
全身タイツにプラスチックのタキシードを着こみ、髪を三方に逆立て、真っ白い仮面のような顔に黒いルージュをひき、ソプラノでポップスを歌う男性が現実に存在するとは、思いません、普通は。
本編の前なり後ろなり、あるいはカバーにかけられた帯にでも、ひと言でいいからノミの存在に言及してほしかったと思うのは、ノミファンであるワタクシのワガママでございましょうか?
しかし、作中でも音楽シーンのイコンとして、あたりまえに実名で登場するデヴィッド・ボウイに対して、「この作品はフィクションであり、実在のいかなる組織・個人とも一切関わりのないことを付記いたします」という一文のもとにその存在をかき消されてしまっているノミ。
らしいといえばらしいんでございますけれども、ちと切ないではございませんか。

まあそんなわけで不満が無いわけではございませんけれども、面白い作品であったと思います。
そもそもは(失礼ながら)ノミがモデルであるというだけの理由で手に取った作品ではございましたが、主人公のキャラクターにも好感が持てましたし、小さな謎が所々に折り込まれたプロットも最後まで楽しんで読むことができました。
そして「ネモ=ノミ」ではないことは承知していながらも、「ネモ・バンド」に受け入れられて彼らと生活を共にする主人公が、ワタクシはちょっぴりうらやましかった。
心に残った一文もございました。

「私は生まれながらに誤った枡目に置かれたチェスの駒なんだ。正しい位置にまで自分で動いていかなければならない。生きているうちに行き着けるかどうかはわからないが、生きている間に少しでもそこに近づこうとしているだけだ」 p.159

「クラウス・ネモ」の台詞でございます。
「普通の人」という基準からなぜかズレている人間の、自分自身と社会に対する違和感、居心地の悪さを表現しているようで、印象的な一文でございました。


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映画『ノミ・ソング』より、記者アラン・プラットの証言1
After talking him a while,you realize overwhelming feeing that "What a nice person",and y'know,"What a nice guy".
It was just nice to sit in his apartment which was an ordinary little place and watching him ordinary guy.

彼と実際に話してみたら、僕はすっかり感じ入ってしまった。「何て気持ちのいい人だろう、何ていい奴なんだろう」って。彼のアパートメントはこぢんまりとした、ごく普通の部屋だったし、そこでごく普通の人として振る舞う彼と一緒にいるのは実に楽しかった。

映画『ノミ・ソング』より、記者アラン・プラットの証言2
I went with my girl friend and her daughter who was 6 ... Klaus Nomi was really looked like Sunday-going-to-Marsian-church-outfit... And he was standing there in a kind of cocoon of his own... totally unapproachable....little girl just go over to him and just like said, "Hi.Are you from outer space?"And he said"Yes"."Yes I have, as a matter of fact" And they sat down together and had a lovely little conversation. She was asking this questions like "What was it like on Mars?" "What 's the weather like?" and he was just answering as nice as possible way...

ガールフレンドと、彼女の6歳の娘と一緒に、ノミのステージを見に行った。ノミときたら日曜日に教会に行く火星人みたいな格好をして、ひとりぼっちで立っていた。なにしろ彼は近寄りがたい雰囲気を発していて、誰も声をかけられなかったんだ。でも6歳の娘はぜんぜん平気で、彼の所へ近づいて行ってこう尋ねた。「ねえ、あなたは宇宙から来たの?」ノミは答えた。「うん、そうなんだ。実を言うとね」それから2人で腰掛けて、微笑ましい会話を交わした。娘は「火星ってどんな感じ?」とか「お天気はどうなの?」と尋ねる。ノミはそんな質問に、この上なく優しく答えていたよ...

PAPERMAGでのアン・マグナソン(および”toni”の証言)

---I ... saw him often in the neighborhood, he was so happy to be greeted or told how good the last show was,so I never saw diva behaviour. (by toni)
---you're right - Klaus was a sweetheart - the diva stuff happened later - probably encouraged by those (ahem) managers!(by ann magnuson)

---家の近所でよくクラウスを見かけたっけ。挨拶に声をかけたり、この間のショーは良かったねって言うと、彼はすごく喜んでた。ディーバっぽい、お高くとまった態度なんて、私は見たことなかったな。(トニより)
---まったくね。クラウスはsweetheart(素敵な人、優しい人、愛すべき人)だったもの。...ディーバじみた態度になったのはあとになってから。...たぶん「マネージャー」とか称する連中に、そそのかされたんだと思うわ。(アン・マグナソン)


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もちろん「彼はエゴが強くて...」という証言もございますし、決していわゆる”Mr,Nice guy"ではなかったと思います。
しかし残された映像や証言からは、ヤツが基本的にサービス精神旺盛で人と一緒にいるのが好きな、人当たりのいい人物であったということが、忍ばれるのでございます。



寒い歌

2008-02-24 | KLAUS NOMI
ええ、もちろん
「やれやれ、またノミ話か...」とお思いのかたは
記事内容はお読みいただかなくてもけっこうでございます。
しかし
当記事一番下の(即ち、4番目の)リンク先だけは、ぜひとも見ていただきたいのでござます。


それはさておき

寒い。
寒い。
寒いよう。

寒いのは嫌でございますよ。
しかし、暖冬というやつはワタクシ、もっと嫌なんでございますよ。
がっちり寒い冬があってこそ、春の喜びもあろうというものです。
ぬるい冬なんて、甚だいただけません。
その点、今年はしっかり寒くなりましたし、雪もけっこう降りましたし
冬らしくて、大変よろしうございました。
ここはひとつ、行く冬を惜しんで

寒い歌
寒い歌
もひとつおまけに寒い歌

申すまでもないことではございますが
バックに流れておりますのは全てクラウス・ノミの歌う「Cold Song」でございます。
皆様いろいろご意見はございましょうけれども
ワタクシは3番目のやつが、1番よろしいと思うのでございますよ。
即ち女性が黒髪を振り乱して躍る”Der Tod und das Madchen”(死と乙女)と題されたパフォーマンスでございます。

上の2つのパフォーマンスが悪いと申しているのではございません。
しかしこの荘厳な曲、そしてこの歌声には
ペアでの演技や感傷的な演出は、あんまり似合わないと思うのでございますよ。

他のカウンターテナーの歌声ならばいざしらず
クラウス・ノミの歌声でございますもの。

自らがアーティストであると同時に「見世物」であることをはっきり意識して
かくまで真面目に、かくまで馬鹿馬鹿しく、かくまで美しく道化を演じてみせた
他ならぬクラウス・ノミの歌う「Cold Song」でございますもの。
演技者は「きれいさ」や見栄えのよさを放棄する覚悟で、
しかもたった一人きりで、舞台にのぞむべきであろうと
ワタクシは思うのですよ。

”Der Tod~”の、このパフォーマンスは
踊り手の高い技術と身体能力を示す端正な動きを、随所にひらめかせながらも
やぶれかぶれな、なりふりかまわぬような、痙攣的で暴力的な動きが全体を支配しており
一般的な「きれいさ」からは逸脱しております。

この端正さと暴力性という相反する動きの併存が、鑑賞者に緊張を強い
あたかも傷口から流れ出る血のように、痛々しく鮮烈な印象を
心に刻みつけるのであろうと、のろは思うのでございます。

この鮮烈な痛ましさ、そして、高い技術と能力に裏打ちされた上での「きれいさ」からの逸脱。
これらの要素が、「Cold Song」におけるクラウス・ノミの歌声に
とてもよく合っていると思うのでございますよ。

そうそう、
つい先日のことでございますが
バレエダンサーのウラジーミル・マラーホフさんというかたもまた
来日公演で、ノミの「Cold Song」をお使いんなったようでございます。
どんな踊りをなさったのでございましょうねえ。
のろは舞台を見ることはできませんでしたけれども
しめしめ、これで更にヤツの認知度がズズイと上がったことであろうぞ、と
一人ほくそ笑んでおります。


さて
初めに申しましたように、今年はのろの暮らす京都でも、けっこう雪が降りました。
本日2月24日、もはや弥生3月も間近でございますが
今朝もまた、カーテンを開けたら外は真っ白でございました。
降り納めの雪でございましょうかねえ。
日中もずいぶん降りましたけれども
日の光りを浴びてちらちらと輝く雪は、なんだか一生懸命に降っているようで
いっそうはかなげな美しさをたたえておりました。

去り際に輝きを見せた今年の冬にならって、今回のノミ話も
一生懸命ではかなげな美しさをたたえたこちらの動画をもって
締めくくりとさせていただきます。


この人の瞳ときたら
本当に
ああ
なんと申してよいやら。




すみません。

2008-01-26 | KLAUS NOMI
すみません。
すみません。
うっかりすると「のみや」になりがちな当のろや、
ノミ話はなるべくひと月に一回以下との自己規制を(一応)課してはございます。
そして、つい先日、ノミ話をさせていただいたばっかりではございますけれども
また、させていただきます。
どうしても、ご報告せずにはいられなかったものですから。

当のろやに御来訪いただいている皆様のうち、”KLAUS NOMI”カテゴリに分類されている記事を
最後までお読みくださり、かつリンク先まで見てくださっている方というのは
おそらくよっぽどのノミファンだけであろうとは存じますが

本日は、クラウス・ノミに全然ご興味のない皆様にも
せめて ↓ このリンク先だけでも、ぜひとも、ぜひとも見ていただきたいのでございます。


MySpaceTV ビデオ: Happy Birthday Klaus! by Angi


なんとなれば
非常に美しいからでございます。
のろの美意識にかけて申し上げますが、一聴の価値がございます。

もしも、ヤツの容貌がどうしても気に入らないという方は
映像を見ずに歌だけ聴いてくださってもけっこうでございます。
(いや、のろとしては許しがたいことではございますが)

この映像につきましては、また後日語らせていただきたく存じますが、本日はとりあえずご報告まで。


そしてノミファンの皆様には、こちらを。

YouTube - Klaus Nomi on 20/20


Getty Images - Image details


上の方は映画"THE NOMI SONG"でも使われていた、zenonでのライヴ映像の続きでございましょうか。
下の方は例の、ボウイのバックコーラスをつとめた"Saturday Night Live"の時の写真のようでございます。
万が一”gettyimages"をご存知なかった方のために、老婆心ながら念のためにご紹介いたしますと
この他にもう一枚ノミの写っている写真がございます。

Getty Images - Image details


初めに見た時
ノミより後ろのビル・マーレーの意味不明なひょうきん顔が気になってしまったことは内緒でございます。


1月24日

2008-01-24 | KLAUS NOMI
本日は
お誕生日でございます。

ナスターシャ・キンスキーの(1960)
E・T・A・ホフマンの(1776)
史上最高のカストラートと讃えられたファリネッリの(1705)

それから
クラウス・ノミの。(1944)

1月24日の誕生花はブルースターという花なのだそうで。
他にもサフランですとか、フリージアですとか、オモトですとか、いろいろあるようでございますが
やっこさんには”オモト”より”ブルースター”の方が断然、似合いでございましょう。



どんなものであれ、ヤツについて書かれた文章を読むのは嬉しいもんでございます。
とりわけ喜ばしいのは、生前のノミを直接に知る人々の証言や
ヤツのことをまじめにアーティストとして評価する記事に出会った時でございます。

そう、
こちら
のような。

ざっと訳させていただきますと、こんな内容でございます。

**********************

1983年、クラウス・ノミが「ゲイの癌」で亡くなった時
少数のファンや友達以外に、彼を知る人はほとんどいなかった。
スターを夢見てNYにやって来て、果たせず終わる。よくある話だ。
ノミ(本名スパーバー)はいろんな意味でクィア*だった。
(のろ注:クィア=不思議な、奇妙な、変な。近年はゲイやトランスジェンダーなどの性的マイノリティを包括的に指す言葉としても使われています)
同時代の、イーストヴィレッジ住まいのボヘミアンたちとも、全く違っていた。
しかも彼は天賦の才能を授かっていた。
ワイマール風の低音からファルセットの最高音にまで至る歌声だ。
しかし当時は、カウンターテナーの需要など無いに等しかった。

それでも時代のDIY(Do it yourself)精神にのっとり、彼は自分で自分の活躍の舞台を作り上げた。
その短いキャリアの間に、彼は旗ふりをつとめ、種々さまざまなフリークスたちの先頭に立って歩いた。
自身の両性具有性を前面に打ち出した、レトロ・未来派風のパフォーマンス。
ニューウェーブのバンドを従えた、シュトルム・ウント・ドラング*風のヴォーカルが
60年代のブリル・ビルディング・スタンダードやクラシックのアリアや、
癖の強いオリジナル曲とみごとなまでに渾然一体となっていた。
(*のろ注:”シュトルム~”は18世紀後半のドイツで勃興した革新的な文芸運動です。
適切なリンク先が見つけられませんでしたので、お手数ですが詳しくはWikipedia等をご参照くださいませ)
・・・
ノミが生前に出した2枚のアルバムは、彼の異世界的な魅力の一端を伝えてはいるものの
往々にして、ありきたりなバックトラックが、歌声の素晴らしさをかき消してしまっていた。
音質はひどくとも、残されたわずかなライヴ録音やライヴビデオの方が、ずっとよかったのだ。
つい先頃発売されたアルバム”Za Bakdaz”は、ノミに新たなアングルから光をあてた一枚だ。
いたずらっ子の実験のようでもあり、不思議な言葉で歌われた未完のオペラのようでもある。
音源は1979年ごろにホームスタジオで録音されたものだが
ノミの友人のページ・ウッドとジョージ・エリオットは、これに愛情のこもった修復を施してくれた。
このアルバムは、はるか遠い世界から届いた手紙のようだ。
そこでは、キッチュ(俗悪)とハイ・アート(純粋芸術)がガチンコで取っ組み合っているのだ。


**********************

どうですよ、どうですよ。
この下の文も訳していると日付を超えてしまいそうなので、とりあえず前半部分だけご紹介させていただきました。
(というかそれ以前に著作権問題にひっかかるのではないかと、現時点でもヒヤヒヤしているのでございますが汗)

お時間のある方はぜひとも”Act 1”以下の記事もお読みいただきたく存じます。
ノミの友人であったジョーイ・アリアスやページ・ウッドのお話が掲載されておりますので。

ワタクシの一番好きな一文は
Klaus was the art director of his life 
クラウスは自分の 人生/生活 のアート・ディレクターだった
って所でございます。

ほんとにね、そうだったんだろうと思いますよ。ほんとに。

ヤツがいなくなってから、もう24年と5ヶ月もの歳月が流れたわけではございますが
Nomi isn't dead―Klaus Sperber is dead. And I think he'd have loved the idea of this character going on.
スパーバーは死んでしまったが、ノミは死んではいない。
それに、このキャラクターがずっと生き続けていくことを、彼も喜んだことだろう。


と いうわけで本日は
今も銀河のどこかを旅しているであろうクラウス・ノミの
64回目のバースデーでございます。

誕生日おめでとう、クラウス・ノミ。


新年

2008-01-01 | KLAUS NOMI




おや
福助さんって
誰かに似ておりませんか。






似てませんか。
そうですか。

何だか新年早々お葬式じみた色彩になっているのろやでございますが
今年も空気を読まずこんな調子でやって参る所存でございます。
すみません。

あはは

2007-12-24 | KLAUS NOMI
あははは

あははははは

あはははははははははははははははははははは

ああっ 
待ってください。
行かないでくださいまし。
ご説明いたしますから。

つまりですね
本日、仕事が終わって帰宅いたしましたところ
のろ宅の郵便受けに、入っていたのでございますよ、これが。



そう、これが。




あはは

あははははは

あはははははははははははははははははははは


折しも
本日は満月でございますよ。
お寒うございますから
寒満月と言ってよろしうございましょう。

寒満月でございますので
職場の近くのパン屋さんMutsu mutsuで、いちじくパンを買って帰ったのでございますよ。

寒満月といちじくの間に何の関係があるかと申しますと
ひとえにクラウス・ノミの Three Wishes
”Ripe figs hit the ground. The moon is cold"「熟れたいちじくが地面に落ちる。月は冷たい...」という歌詞があるという一点でございます。


ノミつながりでもあり、「クリスマスイヴ」とやらでもある、ということで
近所のスーパーで安物ドイツワインリープフラウミルヒ(聖母の乳)を買って帰宅したんでございます。
そうしたら
あたかもクリスマスプレゼントであるかのように
郵便受けにノミのCDが。
これが笑わずにいられますかってんです。

あはは

あははははは

あはははははははははははははははははははははははははは!




晩ご飯とノミ。

あー

いつにも増して支離滅裂になっておりますことをお許しくださいませ。
もう、何と申し上げてよいやら。


いやっほぅ!

以上、本日はとりあえずご報告まで。



ノミ速報

2007-11-26 | KLAUS NOMI



なんとまあ
死後24年を経て
クラウス・ノミの新譜が
発 売 さ れ ま し た 。

Klaus Nomi ? The Merchandise

おお、ご覧下さいまし、燦然と輝く”available now”の文字!
しかもポスター付きですってばさ!
今度という今度は、ワタクシもクレジットカードなるものを作らねばなりますまい!
それまでポスター残ってるかなあ!
キャー!走れ、のろ!走れ!!




ノミ話16

2007-10-13 | KLAUS NOMI
ああ
本来ならば『ノミ・ソング』鑑賞記念日である10/11にこの記事をUPしたかったのでございますが
仕事ができたり内臓が痛んだりしたおかげでかないませんでした。無念でございます。
しかし、この数日の間に、もともと記事にしようとしていたものの他に
新たなノミ情報 ↓ を入手できました。いや、怪我の功名とはこのことでございますね。

Klaus Nomi ZABAKDAZ

まだ記事内容をきちんと読んでおりませんが、
おそらくYoutubeにノミのレア画像を多数投稿しておられる方(あるいは、方々)がお作りんなったサイトではないかと。
熟読の上、みなさまにご報告すべきことがあればまた後日語らせていただきます。

以上は緊急ノミ速報でございました。

では、通常のノミ話、即ち10/11にUP予定だったものを以下に語らせていただきたく。

以前、アメリカの大人向けアニメ『Venture Brothers』にクラウス・ノミが出演したという話をさせていただきました。
その続報でございます。

あの時は、番組をダウンロードする為には米国の住所が必要と知って
大地も裂けよとばかりに地団駄を踏んだのろではございましたが
その後もしつこくノミリサーチを続けておりました所
ほっほっほ
ついに番組をフルで見る事ができたんでございます。
ところが喜んだのもつかの間、この数日のうちに、フルでは見られなくなってしまいました。
それでもヤツが登場している場面が部分的ながら ↓ 公開されておりますので、ぜひともご紹介いたしたく。

[adult swim] | Adult Swim Video

(あらすじは当のろや2006年11月1日の記事をご参照ください)
直接はリンクできないようでございますので
まずはVIDEO SEARCH 欄に”Venture”と入力して検索してくださいまし。
シーンごとにタイトルを振られたサムネイル画面がずらっと表示されます。
ヤツの姿が見られますのは”Sweet Girl"と"Dracula Versus Yoda"というシーンでございます。
サムネイル画面に戻りたい場合はツールバーの”戻る”ボタンではなく、画面内の"BACK TO BROWSE VIDEO"をクリックしてくださいまし。

タバコに変えられてしまったボウイを見下ろして
「 Ding Dong! The Queen Bitch Is Dead!」と言う時の立ち姿が、実によろしうございますね。
もちろんこのセリフは、ノミの2ndアルバムSimpleManに収録されております「Ding Dong (The Witch Is Dead)」と
ボウイの「Queen Bitch」のパロディーでございますね。
このシーンの直前にイギーが、これまた自身の曲「I Wanna Be My Dog」のパロディーで
ボウイに向って「Be My Dog!」と言っておりますから、犬つながりのセリフでもあるわけでございますね。
そういえば「ジョジョの奇妙な冒険」第三部ではイギーって名前の犬が登場していましたっけ。(うわ、懐かしい)

この他にも、おそらくボウイファンやイギーファンならば一目でパロディとわかる身振りやセリフがあったことと存じますが
とりあえずワタクシは、アニメ版クラウス・ノミの姿を拝めただけで大満足でございます。


↑蝶ネクタイが無いのは、武器として使ってしまった為。

やれ「眉毛が違う」だの「爪が黒くない」だのと文句をつけましたけれども
実際に動く姿を見てみますと、気取った手振りやおちょぼ口にした表情など
意外に細かい所を丁寧に再現してくだすっておりまして、のろはちょいと感動してしまいました。



声もずっとソプラノで喋るのかと思いきや、普通に会話する部分は普段のノミっぽい声にしてくだすって
おうおうお(感涙)

残念ながらリンク先の動画には含まれておりませんが、ワタクシはとりわけ
イギーと一緒にぐふぐふ笑っている所と、
イギーにタバコを勧められて「ノドに悪いから」と断る所がとりわけ好きでございますねえ。


イギー&ノミ、仲良さそうでございます。

もっとも現実には、ノミから見ればイギーは雲の上の人で
親交らしいものは全然なかったようでございますがね。

今回ご紹介したAdultSwimのサイトでございますが、日々更新されているようでございますので
ボウイ&イギー&ノミの共演も、ほどなく見られなくなってしまうかもしれません。
さあ、今すぐチェックを!

ノミ速報

2007-08-30 | KLAUS NOMI
どぅおわああああああああああああ

なんざんす
なんざんす
なんざんすかこれは!!!

YouTube - The Long Island Four
YouTube - The Long Island Four
YouTube - The Long Island Four
YouTube - Falling In Love Again


うきゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




ノミーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


無駄に走ってみたりしてーーー



勢いでバンジージャンプだってしてしまいますとも!
とうっ







ばったり

というわけで
のろは嬉しさのあまり悶死いたしました。

ワタクシのお墓の前で泣かないでください
誰も泣きゃしねえとつっこまないでください

せんのかー ぜー にー

わはははは

壊れた

NOMI忌

2007-08-06 | KLAUS NOMI
さあ進め、ポニーみたいな宇宙船 僕を遠くへ連れてって
僕は宇宙の放牧場で 長い一日を過ごしているよ

KULAUS NOMI "SIMPLE MAN"収録 ”Rubberbend Laser"より

1983年8月6日にこの地上を去ってから
クラウス・ノミがいったいどこで何をしているかについては、諸説ございます。
ちと例を挙げますれば以下の通り。

・自分の星に帰った
・宇宙をあちこち旅している
・天国でマリア・カラスとプレスリーと一緒にオン・ステージ
・あの世でネットサーフィンなどしながら退屈な日々を送っている
・みなさんのすぐ側で、自分の歌に対するみなさんの反応をリサーチしている

最新のものでは、先週Youtubeのコメント欄に投稿されたこんな説がございます。

Klaus Nomi is busy teaching the Angels in heaven to sing, so we will be greeted with the most beautiful music ever heard in the Universe someday.

クラウス・ノミは天国で天使に歌を教えるのに忙しくしているから、いつか私達は、宇宙でかつて聴かれたどんな音楽よりも美しい歌声で迎えられることだろう。

YouTube - Klaus Nomi Total Eclipse a Tribute with the NewestNuma touchより。

えっ のろの説でございますか?

死亡してひとまとまりの人格としてのノミは永遠に消滅、
ワタクシがどんだけ長生きしようと、あるいは今すぐ死のうと、決してヤツにお目にかかることはないでしょうよ。



でもねえ
今もどこか宇宙の果てを
巻き舌ファルセットで歌いながら
飛び回ってくれていたならどんなにいいだろうって
思わずにはいられませんですよ。

そして時折は地球に立ち寄ってくれたならどんなにいいだろうって
思わずにはいられませんですよ。

そうしたらすぐさま”輪ゴムのレーザー”でひっつかまえてやりますのにねえ!






もし今もどこかにいるなら
旅の無事を祈ってるよ、クラウス・ノミ。




* ”Rubberbend Laser"の訳について
もとの歌詞は "So Giddy on up pony flyer Take me away I'm out here on the spacd range..."
CDの歌詞カードでは「ちっぽけな宇宙船は めまいを感じさせながら ボクを運んでいく
広大な宇宙空間で ボクは長い一日を生きている」という訳がついていますが
カントリーな曲調であることから、giddy up=はいどう、進め range=放牧場と訳しました。

ノミ話15

2007-06-27 | KLAUS NOMI
いつの間にやら1年の折り返し地点を過ぎてしまいました。
この半年を振り返れば、いつにもまして実り少ない1年になりそうな予感のする今日この頃ではございますが
ええいままよと開き直って
いたしまするはノミ話でございます。

ノミ話 その1:新たなファンサイトを発見いたしました。

Klaus Nomi Tribute Page

いや、嬉しうございますねえ!
Created by Tyler Henry 2006 とありますから、設立は去年のようですが、ワタクシはつい先日まで存じませんでした。
きっとアナタもご存じなかったはず。(興味があるかどうかは別として)

他のファンサイトに比べると今の所、それほどコンテンツが充実しているとは申せません。
1stアルバムのジャケット写真が左右反転で掲載されている点も、何のためやら甚だ謎でございます。
しかしMP3のダウンロードができたり、ビデオをまとめて置いているというのは他所には無い特色でございますし
”EXTRA”の頁からダウンロードできる、アイロンプリント用の画像なんて変わり種もございます。
歌詞をすべて掲載しているというのも、なかなかたいしたものです。
とりわけ注目したいのはオペラ『サムソンとデリラ』のアリア『貴方の声に我が心は開く』
(ノミがいつもライヴの最後に歌った曲)の歌詞でございますね。
輸入版CDに歌詞がないのはまあ普通のことですが、この曲だけは
日本版CDのライナーノーツにも歌詞が載っていなかったんでございます。

ノミマニアであります所のワタクシはもちろん、このアリアの歌詞つき楽譜を図書館で探し出すくらいのことはいたしました。
これの含まれているマリア・カラスのCDを購入するくらいのこともいたしました。
しかし、それによって判明したことは
ノミがこの曲をずいぶん縮めて歌っているということ、そのぶんもとの歌詞を飛ばしたり、ずらしたりしているということ
そして音楽的素養が限りなくゼロに近い上にフランス語いっこもわかりまへん な のろが
楽譜を睨みつつ一生懸命に耳を傾けても、ヤツがどの部分を歌っているのかおおむねわかりゃしない
という悲しい事実でございました。
日本版CDのライナーノーツに「聴き取り不可能のため割愛させていただきました」の一文があることからして
これはひとりのろにかぎった現象ではないことと思われます。
そんなわけで、このファンサイトがノミ版『サムソンとデリラ』の歌詞を掲載してくれている事を
ワタクシは高く評価いたします次第。
今後ますますのコンテンツ充実を期待しております。


ノミ話 その2: KLAUS NOMI TRIBUTE PARTYの画像

以前コメント欄でチラと触れさせていただきましたが、イタリアはパルマで開かれたアートイベントで
オープニングに NOMI PARTY なるものが開催された模様。その時の画像が『ノミ・ソング』の公式サイトにUPされております。

ううむ
ええとですねえ

いちファンとして、もちろんノミへのトリビュートがあるのは嬉しいことなんでございますが
ヤツの格好そのまんまでパフォーマンスすることについては正直、その意義に疑問を感じるのですよ。
クラウス・スパーバー氏という欠くべからざる個性を欠いて、格好だけ「クラウス・ノミ」そっくりにしたところで
それはいきおい劣化コピーにならざるを得ないではございませんか。

むしろリンク先でNOMI PARTYの下に紹介されているスキンヘッドノミや
こちら http://www.extrapool.nl/Images/2005/2005Nomif.jpg 
(リンクできませんでした。お手数ですがコピー&ペーストしてくださいませ)ぐらいに
わざと崩して、パロディー性を前面に打ち出した方がよいものになっていると思います。

演者は「クラウス・ノミ」という仮面に、すっかり隠れてしまってはいけないのですよ。
それを違和感無くこなせるのは、ノミ本人だけなのですから。



そもそも「巻き舌ファルセットで歌う、宇宙から来た変異体、ノミ」という存在自体が
オペラの、ロックの、ポップスの、そして1950年代SF映画のパロディーであったのと同時に
ゲイでドイツ人で「ちょっと変なひと」で、オペラ界にもロック界にも居場所を見つけられなかった
クラウス・スパーバーという人物の自己パロディーであったと、のろは思うのですよ。

風刺的な模倣という性格上、パロディには「わざとらしさ」と「まがいもの感」が不可欠でございます。

プラスチック製のタキシードも、3方に逆立ったヘアスタイルも、カクカクした動作も
いかにもわざとらしく、薄っぺらく、まがいものらしいですね。
このわざとらしさ、嘘くささこそが「ノミ」の重要な構成要素なのでございますよ。


そもそもが「まがいもの」である「クラウス・ノミ」を
「本物そっくりに」演じる、というのはいとも奇妙な話ではございませんか。
むしろヤツが「うそっこ宇宙人」の仮面を堂々とかぶり続けたように
まがいもの感を大いに強調した「うそっこクラウス・ノミ」としてパフォーマンスした方が
表面ではなく根っこの所で、ヤツのアートコンセプトに共鳴するのではないか?と
ワタクシは思うわけでございますよ...。



ノミ話14

2007-04-19 | KLAUS NOMI
昨年ポスターを描かせていただいたイベント 楽町楽家 が、今年も開催されます。

今回もワタクシのイラストを使ってくださることになりました。





昨年の絵をベースに、人数を増やしたりイベントを代えたりしているんでございますが
このサイズではよくわかりませんね。
上のリンク先で大きな画像をご覧いただけます。



去年ひそかにご登場いただいたクラウス・ノミ氏。
もちろん今年もおりますとも。
ええ、ええ、もちろん。ほっほっほ。
ほら、ここ。



腕に巻いているのは これ。



ああ、何と か細い二の腕なんでしょう。うっとりです。
いや、深爪には注目しないで。


今年はクラフトワークご一行様(現メンバー)にも、ひそかにご登場いただきました。




本当は、赤シャツ&黒ネクタイ&一直線横並び&フローリアン完全坊主 にしたかったのでございますが
あまりにも周囲から 浮く ためと、
明らかに彼らとわかるイラストでは肖像権侵害になるんじゃなかろうか と恐れましたため
涙をのんで断念いたしました。




他のノミ話もまとめてしちゃおうかなあ 
後々にとっとこうかなあ



うーん
とっとくことにいたします。