ガラス越しの面会の母親に変化が。
私たち兄妹の呼びかけに反応が鈍くなってきたのです。
視線が宙を彷徨い、発語が減少。
コロナで入所の特養の部屋訪問ができなくなって1年経ちました。
施設入所の母親を見舞うため週二回通ってきた私たち兄妹3人。
車いすに乗り、介護の人にアテンドされながら、ガラスの向こうに座る母親。
2月くらいから、「お母さん、又来たよ!」との妹の声にも反応が減りました。
以前の嬉しそうだった顔と「お早う」の声が・・。
元気な姿が当たり前だった母親も、年相応の反応に。
3月に98歳の誕生日を迎えた超高齢者。
どこが悪いのでもなく、痛がることもなく、寝起きのような感じです。
おもいあたるのは、「老衰」の進行。
「認知症」でなく、話しかけると反応すると介護の人たちの言葉。
ベッドから車いすに移り、面会スペースに来るのも母親には負担かも?
そこで、見舞い回数を週1回に減らすことを、弟・妹と決めました。
頻繁に「見舞いに行く」というのは、ひょっとしたら「私たちの都合?」
姿勢の楽なベッドで、眠りたいときに寝る生活が一番のいいのかも。
会える回数が減ることは、「寂しい」私たちですが。
母方の祖父は99歳、祖母は94歳で亡くなりました。
そのDNAが母親を長命にしてきたのでしょう。
おかげで私たち兄妹も、大病を患うこともなく、そこそこ健康。
母親が元気で居てくれることが、何よりの「張り合い」です。
画像 左が母親 10代後半の母親 およそ80年前の写真
着物姿で潮干狩りを楽しむ母親、お転婆だったらしい
山さんがお父さん似なんじゃと分かりました(笑)。
お母さんの気持ちはどーなんじゃろーね?
ウチは日赤に入院しとりましたが、毎日の面会もその頃は制限はなかったんで通いました。行っても会話する元気もなく、ただ頷くだけじゃったけど、毎日通いました。意思疎通が出来んと、なんぼ親子でも行った方がエエのか、行かん方がエエのか分からんですよね?
昔から母親の家系と言われて育ちました。
一時 顔の長さから 藤田まこと とも。
母親にコロナのワクチンを打つかどうか迷っています。
会話が難しくなっても、長生きをして欲しいとも。
この歳で母親が居ることは幸せかもしれません。