昨日は菩提寺「慈眼寺」の施喰会(施餓鬼法要)に出席。
38度の酷暑に「ジャケット」着用の必要も?
5ヵ月前の3月、突然、地元の長老二人が我が家を訪問。
訝る私に、「護持会の責任総代を引き受けてくれないかな?」
「古希を過ぎましたが、まだ宮仕えの身です。もっと適任の方がいらっしゃるのでは?」と私。
「東堂(前住職)の推薦もあり、ぜひお願いしたい。」と長老たち。
結局 5名の責任総代の末席なら、仕方ないと了承。
初めての新旧総代の引継ぎ会議に出席。会長職の互選の別室会議も。
突然 私以外の責任総代に囲まれ「ぜひ会長を・・。サポートするので」
いつの間にか、護持会会長職への「レール」が敷かれていたのです。
「お布施」「お供え」と書かれた包みと米持参の檀家。田舎のお盆です。
法要終了後、住職の「新護持会長を紹介します。」と言われ挨拶を。
このために、ジャッケト着用の必要性があったのです。
この重責就任要請を断れないもう一つの理由が。
菩提寺であるこの寺に、墓の移転と永代供養をお願いしていたことも。
東京に住む四人の娘たちに、墓守のための苦労を掛けたくないため移転を決意。
「墓終い」と「新墓建立」を4月に完了しました。
新しく墓を建てたとき、思いがけない心の変化がありました。
それは「安心感」?「安堵感」?が生まれたこと。
数年前の家の新築時の「物理的満足感」とは、異なる心の変化でした。
裏山の自前の墓地に並ぶ40本の石塔を見ても感じなかった感覚です。
「散骨」や「樹木葬」を夢見ていた時とは異なる、「永遠の家」新築感覚。
墓に関心のなかったかみさんにも、娘たちにも変化を感じました。
古い墓や築120年の家は、家族にとって「与えられたもの」。
新墓や新築の家は、私の「想い」と建築プロセスを見ていたせいかも。
なにより私の「安心感」が伝わったのでしょう。娘たちは写真しか見ていないのだから。
数日前訪れた広島の霊園。義母の初盆の墓参です。
「ところ変われば・・」。広島の盆の墓地の風景は、まるで「フェスティバル」。
カラフルな「灯篭」が盆の雰囲気を盛り上げます。
地味な禅宗の岡山県北とは、別世界です。
「今年の盆は、帰省しないでくれるかな!」と娘たちに連絡。
娘たちも予想していたのかすんなり了承。スケジュール変更を「強要」。
帰れない娘たちに、お菓子や桃を大量に送ったかみさん。
本当は孫たちを抱きしめたかったのですが、それはかみさんも同じ気持ち。
施設入所の母親とは、再び面会謝絶の施設の通達。
県外客や不特定多数の親戚の訪問拒否のコロナ対策。
苦渋の選択をせざるを得ない今年のお盆。
今年のお盆の状況は、多分記憶に残るでしょう。
石碑に刻んだ「安寧」の時が、待たれます。
画像 石碑 「安寧」と刻み、永代供養をお願いしました。
月と星 今朝離れの上空に、上弦の月と金星が並んで輝いていました。4時半。
霊園 広島の霊園。灯篭の飾りがカラフルで賑やか。
畑の傘 母親元気だった数年前まで、トマトの雨除けにさした傘群。
母親が健在の「生存確認」の印。通行人が皆見ていたらしい。