私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

▲直方の晩秋~初冬の風景 ▲(6)直方南小学校

2011年12月10日 22時17分20秒 | 日記
直方の晩秋~初冬の風景 (6)直方南小学校

学校関係の黄葉/紅葉です。小学校とイチョウの樹との関係になると
私には、なつかしさや思い出が童画のような世界としてよみがえってきます。

小さな子どもにとって、高く高く青空に伸びる大きなイチョウ・・・・・・
散ったイチョウの黄金の葉を竹ぼうきでみんなとふざけながら校庭掃除した日々、
落ちた銀杏の実をわざと踏みつけて、独特な臭気に顔をしかめたこと、
炒った実を初めて食べてみて何とも言えない噛み味や美味しさに銀杏に親しみが湧いた日、

今回は、直方市新町にある直方南小学校です。この小学校は明治8年創立で、
本年度創立136年を迎える、という長~い歴史があります。



南小の正門です。私の小学生の頃の南小は、”大きな町の小学校”というイメージでした。
児童数は最大時2000名を超え、現在は100名程度とのことです。
(なお、私の在籍した小学校は、当時は小中規模の500人くらいの田舎の学校でした)



南小のグラウンドの周囲には、イチョウの樹が色づいて、休み時間に子どもたちが元気よく飛び出して
駆けっこしたり、ボール遊びをしていました。こういう風景良いですね。
また、正門側(西側)からは、福智山がそびえているのが見えます。
④⑤⑥






グラウンドの東側からの景色です。
⑦~⑪






直ぐそばを流れる遠賀川の堤防からも、イチョウの黄葉が見れます。左手は体育館です。
⑫⑬⑭




直方市の各学校の校歌には、福智山や遠賀川が歌詞に入る場合が多いですが、
南小の校歌にも、もちろん入っています。~♭ これもいいですね ♯ (^-^)~



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7 コメント

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Unknown (ココア)
2021-08-22 21:16:08
初めまして。
南小の卒業生ですが、県外在住です。
子供の頃から校歌の歌詞に違和感を持ち、調べている内にこちらのブログに辿り着きました。
今年に入り懐かしさで南小のHPの校歌を見て、その違和感が何だったのかが分かりました。

歌詞の「ふくちやま」が「福智山」ではなく「福地山」となっている事に半世紀も経って気づかされました。
直方に福地小学校や福地川が現存しますので、俳人の野見山先生が校歌を作詞された当時は「福地山」が正しかったのかも?と思いました。

しかし、いくら調べましても「福地山」が後に「福智山」になったとの資料も見当たりません。
南小の事務の方が校歌の原本を確認して下さり、HPへの転記ミスもない事もお聞きしました。
その際「特に高学年の生徒さんや保護者の方へは字について何か説明されているのでしょうか?」
と、お尋ねしましたが回答は得られませんでした。

長くなりましたが、懐かしい母校を取り上げて頂きありがとうございました。
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素敵な南小の風景(^^)/ (nonbiri-arukuyama)
2021-08-23 16:02:54
(ココア)様、南小学校のコメントを頂戴し、有難うございます。
校歌の「福地」→「福智」では?・・・のこと、なるほど、素朴な疑問ですよね。
「福地」になっているのは、どういう経緯があるのでしょうね。
私自身は、南小卒ではありませんが、中学や高校で一緒になった友人はいます。
また、南小の側を通過している長崎街道や、歴史的な趣を残す街並みも興味ありますね。
南小の周囲のサクラ並木、大イチョウの樹、端正なメタセコイアなど、彩り豊かな
季節ごとの風景が素敵ですね~(^^)/
そして、福智山の風景、堤防からの遠賀川の流れ、・・・
これらは、私のお気に入り絵になる風景です。
南小は、(ココア)様の母校ということで、懐かしさが一杯でしょうね~。
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Unknown (ココア)
2021-08-24 21:47:08
nonbiri-arukuyama様
お返事を頂きありがとうございます(^o^)
6年生の時の担任の先生と年賀状だけですが、今でも交流があります。
「福地山」の件は、その先生のお考えもお聞きしたいと思っています。

私が南小に在校当時、校庭の北側に屋根付きの立派な土俵がありました。
毎年、生徒参加(男子も女子も)の相撲大会が行われていました。
ある年、相撲大会に大相撲の当時の現役力士で横綱「佐田の山」関が招かれて参加され、皆大喜びでした。
忘れられない思い出です。

ここ10年ほどマイカーで毎月のように帰省していました。
母の通院で国道200号線を通るのですが、南小の季節ごとの風景…
nonbiri-arukuyamaさんがおっしゃる通り、素敵だなぁと思います。
コロナ禍で帰省もなかなか難しくなりましたけど。

他のコメント欄で拝見したのですが、二中のご出身なんですね。私もですよ(^-^)/
他のブログ記事にまたお邪魔させて頂きますね。
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色々なエピソードをありがとうございます (nonbiri-arukuyama)
2021-08-28 13:19:25
(ココア)様、ご丁寧なコメントを頂戴し、有難うございます。(^^)/
私のブログは、のんびりとした日記風の内容ですが、ふるさと直方の風景を
懐かしさとともに共有して頂ければ、大変うれしいです。

さて、南小に横綱「佐田の山」関の来場にて、校庭の土俵で相撲大会・・・
元気いっぱいの何人もの児童が横綱「佐田の山」関に、立ち向かう・・・という構図ですかね。
南小に横綱来たよ!! すごく記念になる賑やかな楽しいイベントですよね。

郷土の相撲関係で[私のブログでのご参考です]
大相撲九州場所での「大相撲直方もち吉場所」なども、巡業で「直方市体育館」で、
やってますよね。⇒
◎直方秋景色~秋晴れの日の風景
https://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/e/c9d9149744c10d728f3c6a4b2a9655ac

直方駅前の「元大関魁皇銅像」も郷土の誉れですね(^^)/⇒
◎直方駅前「元大関魁皇銅像」の除幕10月26日
https://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/e/a25955a349e62bcb7df853c282eec002

(ココア)様の、直方2中への通学は、距離も遠そうですが大変でしたね。
直方・南小での色々なエピソードのご紹介を有難うございました。
コロナ禍で、先が見えない状況ですが、どうぞお大事に。
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Unknown (ココア)
2021-09-11 18:06:58
nonbiri-arukuyama様
歌詞の「福地山」についての謎が解けましたので、ご報告です。
直方市のHPを何気なしに見ていて、学芸員の方がいらっしゃると知りました。
軽い気持ちで質問したのですが、期待以上のお返事を頂きました。
要約しますと…

※江戸時代前期の学者「貝原 益軒(かいばら えきけん)」が福岡県の地誌を編せんしてまとめた「筑前国読風土記」に「福地山・福智山」両方の記述あり。
更に「福智嶽」とも呼ばれていた。
かつて、福智山の山頂に「福地神社」が存在していた。

※戦前までは読みが同じならば、どちらでも良かった。
戦後、正しい固有名詞が「福智山」と制定された。

※南小の校歌誕生は、昭和31年。
既に「福智山」が正しかったが、作詞の「野見山 朱鳥」が「筑前国読風土記」を読んでおり、あえて「福地山」を選んだのではなかろうか。
(これは憶測だそうです)

以上ですが、歴史的価値のある書物の存在と、南小の校歌誕生年を知り得たのは個人的に予想外の収穫でした(^_^)v
この書物を読んでみたいとネットで調べましたら、アーカイブがありました。
リンク先を貼り付けて投稿しようとしましたが、出来ませんでした。
「中村学園大学 貝原益軒アーカイブ」で検索すると出て来ますので、リンクを辿った先の目次「筑前国読風土記 巻之十三 鞍手郡」の項目から閲覧できます。
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Unknown (ココア)
2021-09-13 14:57:45
毎度すみませんm(__)m

筑前続風土記 ○
筑前読風土記 ✕
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「福地山」についての貴重な収穫ですね!! (nonbiri-arukuyama)
2021-09-13 17:34:50
(ココア)様、歌詞の『「福地山」についての謎』・・・の件、その後の調査と
ご丁寧なメッセージを頂き、有難うございます。

教えて頂いた「中村学園大学 貝原益軒アーカイブ」の項目を拝見しました。
貝原益軒の85歳の生涯の足跡は本当に偉大ですね。江戸時代の初期において
これほどまでの調査研究を残すとはびっくりしました。
そして、「筑前国読風土記 巻之十三 鞍手郡」の項目で、一気に時代を超えて、身近な地名が
飛び込んでくる感じでした。その中の12pに「福地山」記述があるのも確認しました。

直方市の多賀神社の「①一の鳥居」や、「②西徳寺の梵鐘」に貝原益軒の書、があるというのは、
断片的には知ってはいましたが、今回大変勉強になり、有難うございました。

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多賀神社の一の鳥居から参道に入ります。この一の鳥居の銘は、
江戸時代の黒田家に仕えた儒学者貝原益軒の書です。
①☆直方の初詣(その1);多賀神社☆  2014年01月12日
https://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/e/dca3d0055c9443854cddbdda2218a85e
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福岡県指定有形文化財の「西徳寺の梵鐘」です。
梵鐘は、もともと福岡城の鐘とされ、福岡藩の儒学者貝原益軒の銘があります。
②◎直方~西徳寺の桜模様◎  2014年04月10日
https://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/e/418c0578b50eb5eb7c064f11d09257a8
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(ココア)様が、長い間、心の隅に温めておられた疑問点、身近な関係者も不明な歴史的な
問題が、江戸時代までさかのぼり、遂に解決されたのですね~。
今回の貴重な収穫、さすが、(ココア)様ですね。有難うございました。
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