私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

*筑豊の石炭王「伊藤伝右衛門邸」に行って来ました*

2012年09月05日 21時15分36秒 | 郷土の歴史
*飯塚市幸袋の伊藤伝右衛門邸*
飯塚市幸袋の伊藤伝右衛門邸に行って来ました。
伊藤伝右衛門と言えば、白蓮との結婚~破局の話題、白蓮の生きざまが
前面に出る傾向にありますが、
伊藤伝右衛門自身は、若い頃の貧乏生活・無学問から身を起こし、
炭坑実業家として大きく成功し、筑豊の御三家である、貝島太助、
麻生太吉、安川敬一郎に次ぐ石炭王となっています。
また、地元に対しても種々の業績を残しており、良い仕事をしています。

①飯塚市幸袋の邸宅は、敷地面積2300坪、建物面積300坪の豪華で広大な邸宅です。
②伊藤伝右衛門は万延元年(1860年)に現在の飯塚市幸袋に生まれ、
昭和22年(1947年)に88歳で没し、炭坑王として波乱の生涯を閉じています。
明治44年(1911年)には、伯爵令嬢の柳原燁子(あきこ、白蓮)と再婚、10年後の
大正10年(1921年)には燁子(白蓮)の家出にて破たんし、白蓮は、若き宮崎龍介の
もとに走り、白蓮の絶縁状が大阪朝日新聞に掲載され、時の世論を騒がす
センセーショナルな話題となっております。

③伊藤伝右衛門は、才覚を活かし、時代の波に乗り、炭坑事業を手掛けて、
資産家となって行きます。
牟田炭坑、泉水炭坑、中鶴炭坑、新手炭坑、宝珠山炭坑、幸袋工作所等
設立しています。
これらの経営の他に、6年間の衆議院議員生活、銀行の取締役、筑豊石炭鉱業組合
常議員等にも就任しています。
また、現在の福岡県立嘉穂東高校設立にも寄与しています。すなわち
明治43年に伊藤傳右衛門により、嘉穂郡立技芸女学校が設立され、これが、
昭和24年に福岡県立嘉穂東高等学校と改称され、現在に至っています。

④以上のように、伊藤伝右衛門は多くの炭坑を経営していますが、近代的な設備が
設置され、労働環境にも配慮された事故のない優良炭坑であった宝珠山炭鉱は
伊藤伝右衛門が創業者でもあります。宝珠山炭鉱は日田市にほど近い山間部の
炭坑で昭和10年(1935年)に創業されています。
また、宝珠山炭鉱は、俳優高倉健の父親が幹部職員として単身勤務
していたので、健さんも、宝珠山村を訪ねていたそうです。

1 伊藤伝右衛門邸の位置図です。


2 空から見た伊藤伝右衛門です。(邸内の掲示看板より)


3 伊藤伝右衛門邸正門入口です。
(1)

(2)左手の「旧伊藤伝右衛門邸」表札は元内閣総理大臣麻生太郎氏による揮ごうです。


(3)


4 伊藤伝右衛門邸正門入口の説明文です。


5 庭園側から邸宅を見ました。左手の2階が、白蓮さんの部屋です。
(1)


(2)


6 2階の白蓮さんの部屋から庭園を見ました。
池を配置した回遊式庭園です。
(1)


(2)


7 白蓮さんと伝右衛門です。


8 白蓮さんです。


9 伊藤伝右衛門は、白蓮さんを迎え、大正5年に別府市山の手(青山町)に
「あかがね御殿」と称された豪奢な別邸を造営しています。ここが大正9年にその後の
伴侶となる宮崎龍介との出会いの場所になります。
この別邸は、昭和29年~54年まで「ホテル赤銅御殿」として運営され、現在は、
住宅団地になっているそうです。


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