仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

降りる思想―江戸・ブータンに学ぶ

2022年12月24日 | 現代の病理

『降りる思想―江戸・ブータンに学ぶ』(田中 優子、辻 信一著)からの転載です。

 

 本書でぼくと対話する田中優子は、江戸時代の研究者としてかねがね、「前向き」という言葉の危険性に警告を発してきた。なぜなら、それは「直線的な価値観」というマインドセットを象徴する言葉だから、と。

―人類は「進化」し歴史は「進歩」している、という考えを導き出しているのも、直線的発想である。

  「前向き」はまるで戦場での激励のようだ。後ろを振り返るな、ひるむな、逃げるな、ひたすら前に向かって明るく前進せよ、そうすればその先にご褒美が待っている、というわけだ。このような直線的時空観念の支配によって、私たちは江戸時代までの日本を忘れてしまった。(『未来のための江戸学』二三八~二三九頁)

この言い方にならえば、「経済成長」という〈上向き〉で〈前向き〉な考えを支えているのも直線的な発想であり、それは江戸時代をはじめ、伝統社会に広く見られた「『因果』『循環』という重要な思想」(二二六~三二七頁)の対極をなすものにほかならない。

 「前へ」「上へ」「進む」などがどれも観念であるにすぎないように、そもそも時問を直線的なものに見立てて、生きるということをひとつの方向へ向かうことであると考えるのも、思いこみである。近代化とはそういう思いこみを広く世界的に共有しようというプロセスだったといえよう。「科学技術の不断の進歩」や「無限の経済成長」といった観念は近代を貫き、そして今も世界中に広く、深く浸透している。でも、この思いこみは、どんなに立派に見えてもやはり単なる思いこみにしかすぎないのである。

 

――江戸時代とは戦国時代から価値観を大きく転換した時代であり、それこそが江戸時代から未来を考える理由なのである。それを「拡大から縮小へ」という言葉で表現しておこう。(同上、二五頁) 破滅へと向かわざるを得ない拡大志向に代えて、社会の持続可能性へと向けて舵をとる。それが田中の言う江戸時代の「縮小」である。それから四〇〇年、崩壊へと向かいつつある未来を食いつくすかに見えるグーバリズムの時代に、いかにして持続可能性を手にすることができるか、というぼくたち現代人にとってもっとも痛切な課題において、江戸時代から学ぶべきことは少なくない。

 

本書の中にも登場する思想家サティシュークマールの教えを援用しながら、田中は二〇〇九年に書かれた自著『未来のための江戸学』の中で、ぼくたちが〈降りていくべき〉江戸時代の文化的な特質についてこう言っていた。「自己と他者を同時に考えられる文化、生命の関連と相互作用を感じ取る文化、江戸社会と己を育て与える文化、『貪欲と浪費』より『配慮と節度』を重んじる価値観が、ひそんでいたのではないか」そして、そうした特質をとり戻し、現代に甦らせようというのが、「未来のための江戸学」なのだ、と。(同上、五二頁)

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未来のための江戸学②

2022年12月22日 | 現代の病理

『未来のための江戸学』(2009/10/1・田中優子著)の続きです。

 

江戸時代の人々は「自己」をどう考えているのだろうか? これは私か江戸文化に関心を持ち始めた理由である。江戸時代の、特に都市部に暮らす商人や武士は、同時にいくつもの名前を持つ傾向があった。仕事上で名乗る名、狂歌を詠むときの狂名、俳諧のときの俳名、絵画を描くときの雅号、文章の執筆に使う名前などであるが、文章はジャンルによって随筆の場合、黄表紙の場合、読本の場合など、活動によって使い分け、あるいは所属する連によって使い分けていた。

 

 これは都市の現象ではあるが、おそらく自己意識という斜向では、時代に共通した特性があると思われる。その特性とは、アイデンティティの不在だ。アイデンティティは「自己同一性」と訳される。つまりは一貫性であり、他者との違いの認識である。このアイデンティティの不在が自己分裂をもたらすかといえば、そういうことでもない。多名とは無名のことだ、と作家の石川淳は喝破した。ひらたくいえば、己の名なんかどうでもいいのである。自己がないということは他者がいないということである。この、西欧文化の中ではもっとも非難されそうな価値観は、インドでは当たり前の感覚であり、これはアジア一般に共通していた可能性がある。クマールはこれを「平和のもとでの普遍的な状態として」と書いているが、さらにいえば、歴史的に醸成された固有の価値観でもあるだろう。それは「生命の相互作用」の結果かも知れない。…それをクマールが平和と関係させて説くのは、アイデンティティが争いの原因だからであろう。アイデンティティに重きを置けば、他者との違いを明確にしようとする。それが他者への理解に発展すればいいが、たいていはそうならない。他者との違いを発見した後に浮びよってくるのは他費への不信と軽蔑である。それが危険水域を超えると、暴力という行為に出る。クマールは次のようにも書く。

 

 非暴力の文化そのものを創造することなしに平和と武装解除はあり得ない。暴力の文化に基づいた社会では、目的が手段を正当化するとされている。それが国家的暴力にせよ、制度的暴力にせよ、経済的暴力にせよ、テロリストの暴力にせよ、望ましい秩序を実現するために暴力は常に正当化される、と考えられている。暴力、あるいは非他力は精神状態であり、生き方である。

 

江戸時代は戦争がなかったが、しかし非暴力の時代だったというわけにはいかない。

むしろ懐に懐剣を忍ばせながら、それを使わないでいる時代だった。たかが懐剣であるから、私たちの時代の核とは大違いだが、意味においては近い。その証拠に、近代に突人したとたん、ナショナリズムというアイデンティティを発揮して日清日露の戦争を突き進み、琉球、朝鮮、満州等々を支配して喜んでいた。暴力の文化そのものである。せっかく、非暴力の文化を内包した仏教を、日本は東アジアの中でもっとも深く広く身につけたにもかかわらず、それはアイデンティティ意識とナショナリズムによって簡単に崩れ、徳川幕府による仏教の政治的利用によって弱められ、廃仏毀釈によって俗流神道 (国家神道)に支配され、今は見る影もない。しかしたどってゆくと、非暴力の文化は歴史の中にひそんでいる。

 江戸時代は決して非暴力の時代ではなかったが、辛うじて平和を維持した時代ではあった。そこには、今まで書いてきたような、アイデンティティに価値を置かず、自己と他者を同時に考えられる文化、生命の関連と相互作用を感じ取る文化、土と社会と己を育て与える文化、「貧欲と浪費」より「配慮と節度」を重んじる価値観が、ひそんでいたのではないか、と考えられる。

 「未来のための江戸学」とは、それを取り戻すための江戸学である。上から際限なく搾取するのではなく、上に与えることで持続可能な未来を考える江戸学である。その意味で、ここでいう江戸学は、未来学であると回時に、平和学でもある。

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ポジティブ心理学③

2022年12月22日 | 苦しみは成長のとびら

『ポジティブ心理学 科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社選書メチエ・2021/1/12・小林正弥著)からの転載です。

 

「第2波ポジティブ心理学」

 ポジティブ心理学はいまやポジティブな感情や体験だけを扱っているわけではない。一部には何でもポジティブな状態が良いことであり、常に明るく前向きでさえあればうまくいくという単純化した言説が見られ、ポジティブ心理学がそれを正当化する学問であるかのよう戯画化する誤解や批判さえ見かける。

 だが、近年のポジティブ心理学の主要な関心の一つは、ネガティブな経験を善福(エウダイモニア的幸福)に至る道筋の中に正しく位置付け直すことにある。その潮流の到達点とも言えるのが、イタイ・イヴザァンらの『第2波ポジティブ心理学―人生の暗黒面を包み込む』(2016年)である。回復力(レジリェンス)やトラウマ後成長がそうであったように、人生の暗黒面を直視することが人問の成長・癒やし・洞察・変容にポジティブな役割を果たすこともある。イヴザァンらはその点に注目し、失望や挫折、不快が試練となりながらも、それがポジティブな結果につながる可能性を宿していることを強調したのである。

 彼らは、ヘーゲルの弁証法の諭理を用いて、ポジティブ心理学を概念的に再構成することを主張する。(以上)

 

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ポジティブ心理学②

2022年12月21日 | 苦しみは成長のとびら

『ポジティブ心理学 科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社選書メチエ・2021/1/12・小林正弥著)からの転載です。

 

「幸せ」に向かう螺旋階段--「拡大―構築理論」

 

 ポジティブ感情はどのようなメカニズムで成功や幸福へと結びついていくのだろうか。その因果関係を理論化し、実験を通して実証したのがバーバラ・フレドリクソン(ノースカロライナ大学教授)である。彼女が科学的実験を通して打ち立てたのが、今ではポジティブ心理学の最も基本的な考え方の一つとして定着している「拡大―構築理論(拡張―形成理論)」だ。

 フレドリクソンは、大学生の二つのグループに、それぞれポジティブ感情とネガティブ感情を引き起こす映像を見せ、その後に広い領域と局所のどちらに視線が向くかがわかるように工夫された図を見せて、注意の向く先を調べた。すると、ポジティブ感情を引き起こされていたグループの方では、大きな構図に目を向ける人が多くなったのである。つまり注意力が[広がった]わけだ。さらに他の研究では、ポジティブ感情を抱くことで視覚的な注意の範囲が広くなっているグループの方が、言語的創造性を発揮することも確かめられている。こうしたさまざまな実験に基づく研究を積み重ねたフレドリクソンは、ポジティブ感情を持つことが人間の精神を開放し、認知や注意力、視野などを拡大し、何かに新しく気づいて考えることを可能にするという一連の心理的ステップを解明したのである。

 まずポジティブ感情を出発点とし、そこから成功の基盤となる幅広い視野や注意力、関心などを養う。これらが培われることによって、学力や仕事上の能力が高められる。能力が向上するから、実際に成功する。成功すればうれしいから、それがまたポジティブ感情を増やす。この流れが再び同じ循環を呼び起こし、さらなる視野の拡大、能力の向上、成功、喜びへとつながるllこのように、個人の中にポジティブ感情を出発点とする上向き螺旋のような発展が起きて幸福に至るというのが「拡大’構築理論」の概要だ。

 彼女はまた、ポジティブ感情を感じている時間とネガティブな感情を感じている時間的比率をポジティビティ比と呼び、それが一定よりも大きいと幸せになる傾向が高いことを明らかにした。その閾値とされた数値は後に撤回された(九二~九三頁)ものの、ポジティビティ比が高い方が幸せになる傾向が高いという主張は今でも大きな意味を持つ(※)。

 

  ※ただし、ポジティビティ比が極端に高い場合、幸せに向かうとは言い難い。例えば、極端に高くて持続的なポジティブ感情は、双極性障害(躁うつ病)や熱狂のような心理的問題につながりかねない。また、近親者が亡くなっ  た時のようにネガティブな感情が避けがたい場面で無理にポジティブ感情を喚起しようとすれば、顔面に笑顔を貼り付けたような心理状態が生まれることもある。

 

先のセリグマンらによる楽観主義と健康・幸福の咽果関係についての研究にせよ、フレドリクソンの「拡大-構築理論」にせよ、起点にあるのは「心」だ。それを前向きで明るいものにすることが健康や能力を高めることにつながり、人に成功や幸福をもたらす。それを明らかにしたことにより、ポジティブ心理学は大きく発展すると同時に一般にも広く知られるようになったのである。(つづく)

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ポジティブ心理学①

2022年12月20日 | 苦しみは成長のとびら

『ポジティブ心理学 科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社選書メチエ・2021/1/12・小林正弥著)からの転載です。

 

近現代の心理学は、うつ病などのネガティブ(マイナス)な心理状態や精神疾患に目を向けてきた。これまでの心理学はそれらを治すこと、つまりネガティブな心の状態を中立的なゼロ地点に戻すことに主眼を置いてきたのだ。

 例えば、広くそのその名を知られる精神科医フロイトは、心理的な問題で悩んでいる人の深層心理を解明することでコンプレックスを軽減できるという理論を打ち立てた。その理論を出発点としてカウンセリングや精神分析を用いた治療法がいくつも派生し、うつ痼などを抱えた人の治療に用いられてきた。

 だが、それらが目指すのは、あくまでも悪化した心の状態を元に戻すことにある。ゼロ地点を超えた先にある「幸せ」やこれは「善いこと」だと思える状態、つまりポジティブ(プラス)な心理状態を得たいと思っても、フロイトがその方法や目安を提供してくれるわけではない。

 さらに、従来の科学的心理学は「心」を扱う学問であるにもかかわらず、先に述べて価値観や世界観に関わる領域には基本的に踏み込もうとしてこなかった。なぜなら近代科学そのものが、善悪の価値判断という哲学的課題から離れることで成り立っているかららだ。比喩めいた言い方をすれば、「心をこめて育てたこの木のリンゴは他のリンゴよりも値打ちがある」という価値判断があったとしても、それは万有引力によってリンゴが木から落ちることを明らかにした物理学とは無関係な話だ。心のこもったリンゴでも、大風が吹けば落ちる。こうした近代自然科学の基本的な性格は、みずからを科学として規定する心理学にも引き継がれている。

 

 無力感から脱却する方法はある。それがセリグマンの打ち出した考えである。

 精冲医学における認知行動療法を学んだ彼は、習得性無力感のモデルに基づき、人の認知の仕方、つまり人の物事のとらえ方や気の持ちように往目し、人間の心を楽観主義的な方向、ポジティブ(プラス)な方向へと変化させることでうつ痼を治すという治療方法を着想したのだ。

 それを機に、彼はポジティブな心理状態がもたらす効果を明らかにし、心理状態を良くする方法を正面から研究する必要を感じた。

 

 

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