現実逃避という言葉があります。「現実への逃避」という言葉があります。見田宗介氏の言葉だそうです。
『親ガチャという病』(宝島社新2022/3/10・中島義道他)を読んでいたら、そういうことかと理解しました。この本は、近年特にSNS上で話題となっている、「親ガチャ」「無敵の人」「キャンセルカルチャー」「ツイフェミ」「正義バカ」「ルッキズム」「反出生主義」というワードについて、「親ガチャ」についてのみ土井隆義氏が論考を寄せ、それ以外について六人の人物にインタビューが行われたものがまとめられた本です。
本から転載します。
近年、「親ガチャ」という。言葉をよく耳にするようになりました。実はこの言葉の流行もまた、以上のような居場所の喪失と大きく関わっている現象といえます。そもそもガチャとは、オンライングームで希望のアイテムを人手するための電子くじシステムのことですが、さらにその語源にあるのは、街角の店舗などに置いてある小型の自動販売機で、硬貨を入れてレバーを回すとカプセル入りの玩具が無作為に出てくるガチャガチャです。それらのシステムに自分の出生をなぞらえたのが親ガチャなのです。
ガチャガチャでも、ガチャでも、くじを引いてどんな玩具やアイテムが当たるかは運任せです。ときには一発で人当たりすることもありますが、いくら課金してもつまらない玩具や弱いアイテムしか入手できないこともあります。それと同じように、私たちは誰しもどんな親の元に生まれてくるかを選べません。そこには当たりあれば外れもあります。自分の人生が希望通りにいかないとしたら、それは出生のくじ運が悪くて外れを引いてしまったからだ、親ガチャにはそんな思いが込められています。
子どもは親を選べないため、人生とは運次第のもの、それが親ガチャの意味するところです
これまで私たちは、自らの努力で獲得した能力を重視する社会を築こうとしてきました。学歴を含めた各種の資格が重視されてきたのも、その能力を証明するものだったからでしょう。そのため私たちは、その評価を自らのアイデンティティの基盤に据えてきました。「○○高校、○○人学の出身である」とか、「○○会社の社員である」とか、「○○の資格を持っている」とか、さまざまな社会的属性によって、自分のアイデンティティを確定しようとしてきました。
しかし、出自からの解放は、他方でいったい自分は何者なのかという不安をかき立てることにもなります。とくに昨今では、社会的評価の基準も容易に移ろいやすく、現在の評価が5年後、10年後もそのまま続くとは思えなくなっています。それらが自分のアイデンティティの安定した尺度とはみなされにくくなっているのです。
このとき、変化しようのない生得的な資質や能力に重きを置き、そこに自分のアイデンティティの拠り所を見出そうとするようになったとしても、けっして不思議なことではないでしょう。それは、自らのアイデンティティの揺らぎを抑え込みたいという潜在的な願望の表れともいえます。生得的とみなされる属性は、他者から受ける評価によって左右されるものではなく、それゆえに改変も困難で固定性が強いがゆえに、見方によっては安定したアイデンティティの基盤になりうると感じられるからです。
このように考えると、親ガチヤという言葉に象徴される決定論的な人生観の広がりも、現代人が抱える不安感の増大に根ざした現象であることが分かります。
そもそも親ガチヤとは、幼少期に親から虐待を受けて育った経験を持つ若者たちが、自らの生きづらさを周囲の友人たちに語る際に使い始めた言葉であり、それがやがて経済格差へと拡張して用いられるようになったものです。元来は親子関係の運不運を指し示す言葉だったのです。この経緯を振り返ってみると、いま会話をしている相手は、自分とはまったく異なった環境を生きてきたのだから、いくら言葉を尽くして伝えようとしても、自分のこの気持ちはどうせ分かってなどもらえないだろうと考えて、この言葉を使い出したのだと気づきます。相手との相互理解の努力を放棄し、むしろ会話の相手に余計な負担をかけまいと気遣って、自分の生きづらさをぼかして相手に伝えるために工夫を凝らした結果の産物なのです。(以上)